日中をひらいた男 高碕達之助 (朝日選書)

著者 : 牧村健一郎
  • 朝日新聞出版 (2013年12月10日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022630131

作品紹介

【歴史/電気】1955年インドネシア・バンドン。「高碕さん、私はあなたをよくぞんじあげてますよ」と周恩来は笑顔で日中会談を始めた。中、ソに切り込み、敗戦国日本を国際舞台に再浮上させた財界人。今にないスケールの大きな人物の足跡。

日中をひらいた男 高碕達之助 (朝日選書)の感想・レビュー・書評

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  • 高碕達之助はなかなか興味深い人物だ。日産コンツェルンを率いた鮎川義介は弟分からぜひあってほしい人として白洲次郎や後の農林大臣である井野硯哉とともに高碕を紹介しており高碕が立ち上げた東洋製罐を日産グループに誘っている。高碕は大阪府立第四中学(茨木高校)に通っている時の英語教師が言った話に感銘を受けた。「今後人口は二倍になり海外から食料を輸入するようになる。今盛んな繊維工業はいずれ中国やインドに追い抜かれるだろう。周囲を海に囲まれた日本は水産製品を加工し輸出して人口を養うのだ」と、そこで高碕は水産講習所(戦後国立水産大となり現在は東京商船大と統合して東京海洋大)に入学し、缶詰製造を学んだ。卒業後鳥羽に赴任するが製造したイワシの缶詰はアメリカでは全く売れない。缶詰のデザインが日露戦争勝利を受けて『万歳」「三笠」「東郷」だと言うのだからそれじゃ売れるわけがない。

    メキシコの漁業界者から日本人技術者の採用の話が来て飛びつくのだが借金苦の高碕は渡航費を借金返済に回してしまう。この分は恩師の伊谷が水産講習所創業者の銅像を造るために集めた寄付金を流用してくれたので高碕は渡米できたのだが何とも乱暴な時代背景だ。高碕はハワイを経由しついでにパイナップル工場を日系移民の従業員の振りをして無断で工場見学をし、サンフランシスコに到着した。当時日系移民の排斥運動が高まってきており後に高碕はアメリカの沿岸を調査するスパイとして訴えられてしまうが日本に来たことがあるジョルダン博士をたより窮地を脱した。ジョルダンにお礼に言った際には若き日のフーバー大統領と出会いその後も交流を続けていた。後の議員時代にはマコーミック下院議長に訴えマグロ缶の関税問題を審議未了で廃案にするなど題名とは違いむしろ若い頃のアメリカでの人脈が生きている。日中貿易についても先にアメリカに筋を通していた。

    高碕の特質をピンチヒッターと紹介しているが、軌道に乗ったばかりの東洋製罐をおいて鮎川の誘いで満州に渡り満州飛行機製造の理事を皮切りに満州重工の副総裁として就任した。満州を支配する関東軍は巨大な満鉄コンツェルンを嫌い、鉄道と炭鉱以外は鮎川の日産コンツェルンを呼び込み満州重工を創設し傘下に昭和製鋼所(元の鞍山製鉄所、現鞍山鋼鉄集団)、自動車、飛行機などの重工業がそろった。缶詰屋に何がわかると反発を受けた高碕だったが満州飛行機では商売を理解しない陸軍少佐の監督官の首を切り、昭和製鋼所でも人事を刷新した。関東軍司令官の梅津美治郎と懇意になったことが大きい。野武士的で奔放な物言いと書かれているがいろいろな所で初対面の人に気に入られている所を見ると人の懐に飛び込むのが上手いのだろう。気に入られて新しい仕事を任されていったというのがピンチヒッターの由来だ。鮎川は満鉄の経営に嫌気がさし高碕に総裁を任せた。

    敗戦後侵攻してきたソ連軍は満州の重工業を維持するため高碕など特殊会社の幹部は逮捕を免れた。このため高碕は日本人会の会長に選ばれソ連、中国共産党、国民党とそれぞれ変わる支配者と交渉の窓口に立ち、彼らに協力して満州の産業の維持を図るとともに日本人の引き上げを進めた。高碕のことを新しい主人に尻尾を振る裏切り者と評価する人もあった様だが、高碕は現実的な商売人であり無駄な抵抗は無益であると言う合理主義者だった。最初にメキシコに渡った際にはクリスチャンになったが実際には信仰していなかったあたりも共通している。

    終戦後、広畑製鉄所を戦後賠償として中国に移設するという案が持ち上がり高碕は国民等政府の経済顧問として広畑を調査するため帰国した。しかし、共産党が国民党を台湾に追いやるとこの話はうやむやとなり高碕はそのまま永住帰国となった。帰国後富士製鉄の再編に関わった後朝鮮戦争の特需で電力需要が増していったことからダムを造る「電源開発会社」の総裁に選ばれた。天竜川水系の佐久間ダム建設は当時の日本の土木技術では手つかずだったが高碕はアメリカ人脈で大型重機を使う建設技術を導入しダム建設を成功させた。この工事がきっかけで日本の土木技術は飛躍的に高まった。高碕の面白いのは合理主義者でありながら動物や自然が好きな所で御母衣ダム建設で湖底に沈むはずだった荘川桜を移植させた。この桜がきっかけで「太平洋と日本海をサクラで結ぼう」運動ができ映画にもなっている。また小林一三との親交があったからなのか宝塚動物園(後のファミリーランドの一部)を間借りしワニやダチョウを飼っていた。大洪水でワニが逃げ出した時には鳴き真似をして捕まえたりする割には一方でワニ皮やダチョウの羽毛を輸出しようとするなどどこまでも商売人だった。

    鳩山内閣で高碕は民間人として経企庁長官に就任し、続く解散総選挙で衆院戦に出馬した。すぐに70才になる新人議員だが大臣が海外出張した際の臨時代理は農林3回、外務2回、大蔵、通算と計7回こなし、岸内閣では通産大臣として閣議では岸の横にすわり事実上副総理格だった。外交上も本の題名にもなった日中貿易交渉や北方領土でのソ連との漁業交渉など数々こなしておりバンドン会議ではアメリカに気兼ねして出席しなかった重光外務大臣に変わり日本政府総代表として出席し周恩来と密談をしている。

    この時外務省は好き勝手に発言する高碕を警戒していたのだがまさしくその通りの発言が周恩来に向かってした中国と台湾の1本化だった。外務大臣ではないとは言え戦後初の日中閣僚級会談で当時国交のない共産党政府に向かって1本化を口に出したとすれば中国からすれば日本は共産党政府を認める容易があると取っただろう。プラグマティストの高碕からすれば実際に支配している共産党につくのは当然なのかもしれない。一方で中国におもねるだけではなかった様なのが満州時代には拳銃をつきつけられても不利な契約は飲まなかったし周恩来に向かっても中印戦争は中国に非があると言っている。

    さて、本の帯では丹羽宇一郎氏が「高碕なくして日中貿易はなかった日中関係者必読の書」と推薦しているのだが高碕の本質はプラグマティストの商売人の様に見える。日ソ漁業交渉では2島先行返還を推進していた様だ。(北海道漁業者が拿捕されずに安全に操業できるということを優先していた)高碕ならば尖閣諸島に対してはどんな案を出しただろうか?丹羽氏が推薦している理由を想像してしまう。

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