- Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022641366
感想・レビュー・書評
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「街道をゆく38 オホーツク街道」司馬遼太郎。初出1992年、朝日文芸文庫。
司馬遼太郎さんの、紀行エッセイというか紀行文学というか。北海道、オホーツク海に面した、網走・稚内・知床あたりから、樺太を思う…と言った内容。
これが激しくオモシロかった。感動すら覚えます。アイヌと樺太アイヌ、縄文文化と弥生文化。そして、考古学に情熱を捧げた人々…。
さらには樺太の日露に翻弄された歴史。絶滅寸前の樺太アイヌ語の風景。
日本人が単一民族、という考えの愚かさ。司馬さんはたれも批判せずに肺腑をえぐるように的確に地理とファクトから人と歴史を解剖してくれます。その分かりやすさが相も変わらず喝采ものです。
昔から司馬遼太郎作品には「育てられた」と言って良いんですが、四十路に至り「ひょっとして街道をゆくが最高傑作なのか?」と思わせられています…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(2020/9/11読了)
過日、オフクロがシリーズをセットで入手したてんで、そのうちの一冊を(オレが興味ある地域だろうと言って)貸して寄越した。
今さら?司馬遼太郎読むってかーい? と正直思ったけど、読んでみたらなまら面白かった。
街道をゆくシリーズ、その38である。
作家がオホーツクに何をしに行ったかというと、オホーツク文化の考古学をしに行ったのである。(現地の考古学者や民俗学者に会いに行った、現地を眺めるだけではなく)
アイヌ、ニブヒ(ギリヤーク)といった先住民族の活動に思いを致し、粛慎とかみしはせといった中国や日本の古典に現れる「夷狄」像に迫るのである。
見る人が見れば、「道」もこのように深みをたたえている。サスガすぎる。 -
年末年始の滞在期間中には訪問できないであろう地域の空想旅行はまだ続く…。
オホーツクに街道なんてあるのだろうかという下世話な詮索はあまりせず、残り数冊までせまった本シリーズの完走を目指して無心で手に取った。そうして読み進めているうちに分かってっくるのはシバさんが日本を歩きながら思索にふけるには街道さえも不要なのだという事実。後続で着手している41巻「北のまほろば」と併せ、司馬版考古学、民俗学のアクセルが深く踏み込まれていく。周辺諸国を訪ねる時、彼が頻繁にみせる愛情溢れる人道的見地がこのあたりに在したアイヌ民俗に向けて吐き出されるのだろうかと安易に想像していると大きく間違っていた。アイヌ史以前の時間軸へと読者を連れて行ってくれるのである。またもや圧巻の感を隠せない。
彼が幼少期に考古学のアリ地獄に引き込まれそうになったところを家族が引き戻した旨のエピソードが語られるのであるが、それが本巻での彼の造詣の深さの源であることに改めて気づくとともに、そうして引き戻してくれた方々への感謝の念も感じずにはいられない。
でなければこうして残された彼の文章にも出会えなかったことであろうから。
でなければこうしてウイルタの思想にも触れる機会がなかったであろうから。 -
アイヌ民族の歴史はさほど古くはなく近代のものである。祖は南方民族であり稲作をする人達に北方へと追いやられた人々なのだそうだ。北海道、オホーツクにはサハリン沿岸を故郷に持つ民族が住み着いていた。かれらはモンゴル人を祖にする人々で高身長で足にすね毛が無い人達である。アイヌ人は毛深い、他民族の混血である日本人にもすね毛が無い人達がいる。実はわたしもすね毛がない、不思議に息子たちは皆、すね毛がある。わたしの血にオポーツク人~モンゴルの血が流れているのである。
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14/12/26読了
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オホーツクについての考察。
縄文時代はむしろいい時代で、採集生活できないものが仕方なく、稲作活動を始めたということ。
そして、ムラができ、クニができ弥生時代へ突入していく。 -
壮大な北のオホーツクロマン。
やっぱりこの方も根底にあるのは
歴史への愛。
そして想像力のスケールが大きい。
自分が過去歩いた場所と歩いている場所を
人々との触れ合いで繋げて行く。
まさに旅はフィールドワーク。
自分にとって
紀行文の王道みたいな本。 -
北海道に埋もれているオホーツク人の残した遺跡を司馬遼太郎が辿る紀行。
沿海州から樺太アリューシャン列島とオホーツク文化を訪ねる旅はロマンティックだ。
アイヌ文化との関連も興味深い。
それにしても北海道に埋もれた遺跡の調査発掘に携わった人々の努力・熱意には心打たれるものがありました。 -
知床から稚内まで北海道北東部海岸線紀行。主要テーマは歴史上の「オホーツク人」。縄文人、弥生人、アイヌ人のいずれとも違う形質と文化を持つ彼らの足跡を辿る。話はサハリンやシベリアなどロシア領域にまで広がる。日本人の祖先は複雑だ。
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ある時期、私はオホーツクと非常に深い関係だったことがある。
興部、紋別の物産。といっても海産物か酪農製品しかないのだが、それらを首都圏で販売する為のブランド作りに携わっていた。
司馬氏の紀行のなかで最初に購入したのがこの刊だったが、残念ながらほとんど印象には残っていない。
司馬氏と言えども、この非日本的な静寂を描くには、時間が不足していたのかもしれない。