- Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022642400
感想・レビュー・書評
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何とも痛切な内容の本で、ページを幾たびも戻ったり考えたりしつつ、半月近くかけて読み終えた。
タイトルだけ見れば、美しい日本に滞在した際の(或いは旅をした)回顧録とでも誤解しそうだ。
だが話はそう単純ではなく、日本に憧れて日本に住んだ外国人が、変貌してゆく日本への失望を描いた作品なのだ。
子どもの頃から日本家屋に憧れ、日本の歴史・文化・芸術に深い造詣を持つアレックス・カー。
日本の山と自然を愛し、日本美術のコレクターともなった彼が、失われた日本への哀愁を込めて語る一冊がこれ。
的を射た数々の見方・考え方に、情けなくもうな垂れるしかないというのが、私の正直な感想だ。
何も、外国人の眼を通して日本に失望しなくても、と思われるかもしれない。
だが彼は、来日して全国をまわりながら、結局は四国の祖谷(いや)に茅葺屋根民家を見つけ、まだここに本当の日本があると確信して住み着いたこともあるのだ。
徳島県と高知県、愛媛県の境目にある、タバコの葉を唯一の産物とする秘境の一軒家である。それが実に1973年のこと。
その後の20年間で土地代が半分に下落したというから、バブルにさえ見放された土地ということだ。
画像で見れば確かに「ああ、良いところだな」と思うが、果たして私たちのうちの何人が、わざわざそこに居を求めるだろう。
ライフラインに苦労のない、もっと便利なところ、より欲しいものが手に入りやすいところ、情報が簡単に入手できるところ。
それを求めた結果が、私たちの日本の姿なのだ。
彼は言う。
【日本家屋に美しく住んでいる人は全国で20人くらいしかいないのではないでしょうか。
・・・・・(中略)特殊な日本人は5,6人いますが、あとはみな外国人です!】
そしてまた、醜悪なコンクリート、パチンコ屋(本書でこのふたつは非常に多く登場する)、看板、電線に囲まれて、日本人は日本の昔の美を憎んでいるのではないかとさえ思うと。
プランニングの発想が無いから、それぞれ勝手に家を建てて、勝手にお店を作る。
もしも上から「この町はこういう町であるようにしましょう」といったら、町全体で、いやもしかしたら国全体で反対運動を起こすというところまで発展させてしまう。
それだけ“上からの指示”や、理想を掲げようとする人を徹底的に嫌い排除しようという国民性を持つが、それはある意味、【身勝手】と取ることもできるし、ゆえに世代や時代の流れに逆らえず大切なものをなくし、それがいつか自分たちの衰退に繋がるかも知れない、ということへの自覚を持てないでいる。
そう、何事も「民は正しく国は誤り」という考え方が実は自分たちの環境・歴史・文化さえ衰退させているということに、いい加減気づかないと手遅れなのだ。
いや、もう遅すぎるか。
日本人は、日本の見方さえ忘れてしまって、いまや「歌を忘れたカナリヤ」なのだと、彼は言う。
アレックスは祖谷から、京都、東京、亀岡と住処を拠点に移動し、、今なお残る「日本」を求めようと、正面きって闘ったのだ。
その意味では実に傾聴に値する一冊で、特に第九章の【関西七番巡り】は必読。ただし、かなりの過去記事だが。
何度も繰り返し書かれている言葉がある。
【観光になった京都や奈良に騙されてはいけません】
【京風料理屋の琴を排除しなければいけない】
【和風旅館の日本趣味がおもしろいのですか】
【おばさんの茶の湯やお花は日本なんかではないんじゃないか】
さて私は、一体日本の何を知っているのだろう?
『徳不孤 心有隣』(徳は孤ならず 必ず隣あり)
・・心にいつも理想の炎を燃やさねばならない。
そうして、新しい日本の美は、再び生まれるのだろうか。
もっともっと、自分の国について知らねばと猛省した一冊。 -
Dear AREX,
著書、拝読しました。
あなたが日本で古民家、古美術、歌舞伎など、自分が「美しい」と感じたものや、そしてその元となっている日本の自然について、まるで“MY FAVORITE THINGS”を歌うように1つ1つ調度品にように丁寧に1冊の本に並べられていたため、「次は何が出てくるのかな」と最後までわくわくしながら読めました。
日本の美に対するあなたのユニークな考え方が、時には「外国人だから」といって特殊扱いされるのは、残念でなりません。でも全く問題ではありません。あなたがもう少し長く日本に滞在していれば、あなたの独特な視点やこだわりは「オタク」のパイオニアとして高く評価されていたでしょう。
また、あなたを「ちょっと変わったアメリカ人」と言うのも、違うなと思います。そういう人はMLBでのプレーにこだわる日本人野球選手を「ちょっと変わった日本人」と呼ぶのでしょうか?
自分の生まれた国以外の文化に魅了され、それをライフスタイルとして貫き通すことを、そんな素敵な対象を見つけられてうらやましいとは思っても、変だとは少しも思いません。
90年代にすでに、もう「美しき日本」は残像しか存在しないと考えたあなたは、今の日本を見たらどう思うでしょうか?
確かに日本はどんどんだめになっています。日本の美は壊滅状態です。でも「徳不孤」です。いつかはあなたの感性への共感が日本に広がってあなたや多くの日本人や世界の人々を引きつける、本当の美しき日本となれたらいいですね。
おそらくこの本の読者の多くは、単にノスタルジーにひたるだけではなく、「まだまだ日本には、こんなすばらしい美も残っていたよ。」と自分なりの美しき日本を追い求めたい欲求にとりつかれるでしょう。
それではお元気で。一度、夜を徹して日本の古い民家で語り合いたいです。
(2007/11/16) -
坂東玉三郎さんや司馬さんが寄稿されています。まだ読み始めたばかりですが、こういう方の文章に出会うと、奈良が好きと綴る自分の未熟さを恥じ入ると同時に、心が嬉しさでいっぱいになります。
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アレックス・カーは怒っている。それがこの本から伝わってくる。
著者は、エール大学で日本学を、オックスフォードで中国学を学んだ。
来日後、1973年から徳島の祖谷で藁葺民家を再生させる活動を始める。
変わり者のアメリカ人が見た「日本」。
その日本に対して辛辣だった。
:新しい建築物は、あまりにもお粗末で話になりません。
:日本の一般の田舎は信じられないほど醜悪と化してしまいました。
:京都は京都が嫌いなのです。
コンクリートとパチンコの看板。電線と鉄塔に覆われ、画一的な家と蛍光灯。
美しい日本はどこへいったのか。
美しいものが壊されていくのが許せないらしい。特に京都に対して手厳しい。
読んでいて「うんうん」と頷くことも多かった。
読後に不安になったことがひとつ。
何が本当に美しく、何がそうでないのか判断できる眼や感性を自分はもっているのか?ということ。
美が失われた後の日本で生まれ育った者として、そう思ってしまった。 -
日本に魅せられ日本に長く住む、アメリカ人のアレックス・カー氏が、日本の無秩序な開発を嘆く本。特に、電線やパチンコ屋やコンクリートやネオン看板が景観を損なうのが我慢できないらしい。
最後の章がよかった。彼は日本や中国の歴史、文化、芸術、建築などを研究し、深い精神の部分まで日本人以上に理解している。この本は翻訳ではなく、日本語で書かれたのだ。本書で初めて知ったこともたくさんあった。
彼は1970年代の留学生時代に、四国の山奥の茅葺屋根の家に魅了される。空き家を買い、茅葺屋根を自分で修繕しつつ住んだり、京都の神社の一角を借りて住んだり、歌舞伎役者に入れ込んだり、なかなか面白い経験をしている。
日本の美というのは、自然との調和がなければ成り立たないと考えているようで、作られた庭や生け花の不自然さより、あるがままの姿を信奉している。
彼の交友関係もすごい。白洲正子さんや、アウンサン・スーチーさん、玉三郎、最後の対談は司馬遼太郎とだ。本を通して、日本はもう終わってる、とあり残念な気持ちになるが、読んでみたかった本なので機会があってよかった。 -
日本の道路計画を連歌に例えている (p.61) のが言いえて妙。そして、連歌で有名な歌が多数知られているとは、私は知らない (無知なだけかもしれないが)。
一方で日本の国民感情に「恥」だけではなく「劣等感」というのも大きなウエイトを占めているのではないかと感じた。貴族への劣等感、西欧諸国への劣等感、東京への劣等感...。唯一四季がある等々のイデオロギーを強調しておきながら、静かながらも強固な劣等感が自己 (太古からの美意識、文化の) 否定を生み出しているのではないか。同様に、繊細な古い古い美意識を解す教養が無いばかりに、書などの「その意味がわからないと不安で、〔読めるはずと思っている字なのに〕読めない自分が恥ずかしい」(p.123) という劣等感が、判りやすいところ (コンクリートブロックとアルミサッシ、蛍光灯など) に収斂してしまっているのではないだろうか。判りやすいということが、理解不要 (考えなくて済ん) で楽であるというのも、また確かと言えるし。 -
著者のプロフィルを見ると、いったいどんな人かと驚く。
1960年代の少年時代に、米軍付きの弁護士であった父に従い、横浜で2年過ごす。
イェール大学で日本学を学び、その後オックスフォード大学の奨学金で中国学を学ぶ。
日本の大本教関連の団体に就職し、古美術を紹介する活動を行う傍ら、四国祖谷の茅葺古民家の再生活動をする。
古美術のディーラーとして活躍する中で出会ったアメリカの不動産会社の経営者に見込まれ、転職。
バブル期の日本での土地開発にも通訳などとしてかかわったようだ。
その傍ら、再び亀山の古民家を再生し、そこで書家として、文人のような生活をしている…
自分でまとめていても、これが一人の人の経歴なのか?と疑ってしまうほどの幅がある。
本書のもとになった雑誌連載は1990年ごろ。
単行本化は1993年、文庫化は2000年。
そこからさらに20年余が経ってしまったことになる。
本書には随所に、日本の美しさが損なわれていくことへの哀惜が語られている。
日本人には美しい自然があると刷り込まれていて、山がコンクリートに覆われたり鉄塔が林立しているのをみようとしていないという批判は耳が痛い。
本書のあとの「失われた20年」で開発は止まったか、自然破壊は止まったかというとそうでもないから。
むしろ高度成長期に建てられた建物や看板が朽ちるままになって、さらに醜さが増している気がする。
この人の文体は不思議で、一つのトピックに対してほめたかと思ったら、次の段落では批判する。
あるいはその逆。
非常にゆらゆらとしていて、ある意味とらえどころがない。
日本人あるいは日本文化が「子供」のようだという見方もそんな感じ。
本書では日本美術の無邪気さ、自由さを称揚するキーワードでもあったりする。
が、一方で中国文化と比較し、「子供」であるともいう。
自分にとっても、ちょっとわかる気がするが、現代によみがえった中華思想(伝統的な考え方では中国文化を日本流にアレンジしてしまうことはとんでもない野蛮なことだったろう)ではないかと思えてくる。
これにマッカーサーの「日本は12歳の少年」という言葉をかぶせていくので、ちょっと帝国主義的な視線も感じられなくもない。 -
古き良き日本のよさ。それが今日本から本当になくなりかけていることを実感した。
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20世紀に入って東洋における文化と自然の破壊は
著しいものだと著者は力説する。
ヨーロッパ諸国における産業革命はゆっくりとした変化であり、
400年以上かかって築き上げてきたものであるのに対して、
中国や日本では、それらがあまりにも急速に起こった。
そしてそれは100%異文化によってもたらされたものである。
著者は合理性や効率性が優先される現代社会において、
こぼれ落ちた価値観を拾い上げる作業をしている。
倫理からこぼれ落ちる感覚を大切にしている。
ロジックが西洋的なら感覚は東洋的。
言葉の巧みさでは全てを伝えられないことを理解している。
日本の伝統文化がすべて分業制になっているのは、
仕事・雇用を安定させるためというのも大きな理由なんだけど、
その技術を他に持ち出されないようにするため、
文化を容易に盗まれないために編み出された、と訊いたことがある。
また、読みたい本が増えちゃった。
日本人て“上からの指示”が嫌いな国民性だったんだー、へ...
また、読みたい本が増えちゃった。
日本人て“上からの指示”が嫌いな国民性だったんだー、へー。
すごい新鮮ですね、言われてみると。
電柱、これはよく分かりますよ。
欧米って全然ないですもんね。
田舎はどうだか分りませんが・・・。
石畳で埋め尽くされたローマだって電柱なんてなかったよな。
町の景観の美しさへの情熱が日本人にないのは認めざるを得ませんよね。
でもな、こうやって改めて言われちゃうのと反論したくなる天邪鬼の私(笑)
これは読まないといけませんね、フフフ。
コメントありがとうございます。
はい、ぜひお読みになってくださいませ!
たぶん、そちらの図書館にも...
コメントありがとうございます。
はい、ぜひお読みになってくださいませ!
たぶん、そちらの図書館にも置いてあるかと思います。
実は私も、どこかに反論の余地はないかと、あえてじっくり&ゆっくり読みました。
そして、撃沈・・(大笑い)
著者は、環境と住まい方に関して言っているだけではありません。
すべて、日本への限りない愛情ゆえというのが分かるから、納得せざるを得ないのです。
vilureefさんがどう思われるか、お聞かせくださいませ~