理由 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞社
3.44
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本棚登録 : 3971
レビュー : 273
  • Amazon.co.jp ・本 (630ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022642950

作品紹介・あらすじ

東京都荒川区の超高層マンションで起きた凄惨な殺人事件。殺されたのは「誰」で「誰」が殺人者だったのか。そもそも事件はなぜ起こったのか。事件の前には何があり、後には何が残ったのか。ノンフィクションの手法を使って心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作がついに文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    作中に、「磁石が砂鉄を集めるように、事件は多くの人々を吸い寄せる。」という文章があったが、その砂鉄の一粒一粒から話を聞いて、1冊にまとめたのがこの作品だった。
    なので、読んでいて小説というより事件の調書というか、ドキュメンタリーみたいな印象を感じた。
    物語は、「荒川の一家四人殺し」という凶悪事件に対し、本小説の大部分がこの事件に何らかの形で関係した色んな人たちをインタビューしていった対話形式で物語は進んでいく。
    (全く関係ない話だが、、、、加賀恭一郎はこのように色んな人達の話を聞いて事件の真相を究明していくのだろうな~と思った。笑)

    「理由」というタイトルも、非常に凝っていると、読み終えて思った。
    「動機」ではなく、「理由」。
    大小様々な「理由」が組み合わさったからこそ、この凄惨極まりない事件が起きたのだと考えるとちょっぴり辛くなってしまう。

    まして、色んな人の主観が入り乱れている為、結局「本当の理由」なんて誰にもわからないのではないか?
    これは、日常的にそう感じてしまう事がしばしばある。
    本作品も、登場人物や被害者・容疑者、そしてその周辺の何らかの関係者達それぞれに、多種多様な「理由」があった。
    それらに対して、犯人である八代祐司の、今回の事件に対する「理由」が一番くだらなくて子どもっぽかったのは、かなり痛烈な皮肉であろう。

    また、この石田直澄が事件後にインタビューで話していた「ひとつの教訓」は、この小説のすべてを語っていると言っても過言ではないと感じた。
    曰く、「『マスコミ』という機能を通してしまうと、『本当のこと』は何一つ伝わらない。伝わるのは、『本当らしく見えること』ばかりである。」とのこと。
    幸いこれは勿論「小説」なので「本当のこと」は分かったが、世の中、というか日常にある色々な事象やニュースのなかで、「本当のこと」なんて身の回りですら殆ど分かっていないのではないのか?
    そう思うと読んでいてゾっとしたし、何だか寂しい気持ちになりました。

    自分に置き換えて考えてみると、こういう意味不明な事件に巻き込まれない為にも、コンプライアンスに則って生きる事が大切なんだと教えられた。
    ウマイ話には何らかの罠が隠れている。反則はいけないですね。
    やや論点がズレていますが、、、教訓になりました。


    【あらすじ】
    東京都荒川区の超高層マンションで起きた凄惨な殺人事件。殺されたのは「誰」で「誰」が殺人者だったのか。
    そもそも事件はなぜ起こったのか。事件の前には何があり、後には何が残ったのか。
    ノンフィクションの手法を使って心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作がついに文庫化。


    【引用】
    1.事件はなぜ起こったのか。
    殺されたのは「誰」で、「誰」が殺人者であったのか。
    そして、事件の前には何があり、後には何が残ったのか。

    2.磁石が砂鉄を集めるように、「事件」は多くの人々を吸い寄せる。
    爆心地にいる被害者と加害者を除く、周囲の人々すべて・・・
    しかし、言うまでもなくこれらのすべての人々が「事件」から等距離に居るわけではない。
    また、ひとつの事件の解決までの過程に大きな役割を果たす人々が、時間経過としては事件の大詰めになるまで舞台の上に登場しない、つまり事件から一番遠い場所に生活している場合もある。

    3.ウエストタワー2025号室は、所有者であり入居者でもあった小糸信治一家が経済的に行き詰まり、抵当権者である住宅金融公庫から裁判所に競売の申し立てをされ、競売が実施、正式に「石田直澄」という買受人も決定していた。
    しかし、小糸家側は2025号室を取り戻そうと、買受人との間に第三者である不動産業者を介入させ、自分たちは密かに2025号室を立ち退き、買受人との交渉に当たらせていた。
    これはもちろん不法行為であり、買受人との間にも揉め事が起こっていた。
    今回殺害された四人は、その不動産業者「一起不動産」に雇われた人々であったらしい。

    4.小糸信治には「一般人」に対する軽蔑と、「俺は一般人では終わりたくない」という、殆ど恐怖に近いまでの願望があった。
    小糸のそんな思い込みを、粗忽だと嗤うには易しい。
    彼の気質の中には、この「思い込みの強さ」と自分が思い込んだ事についての「無根拠な自信」というものがあった。
    早い時期から早川社長に信頼をおいてしまったのも、俺の信じた人物に間違いはないという、彼一流の「理論」があったからだろう。

    5.石田の、マスコミへの不信感
    石田の気持ちとして、マスコミは信用できない、マスコミと関わるのは沢山だと思ったとしても、無理はない。
    約4ヶ月の逃亡生活の間、彼はありとあらゆる媒体で、ありとあらゆる事を書かれた。
    もとよりそれは覚悟していた事であったけれど、覚悟していた以上に上下にも左右にも広いバリエーションで、「石田直澄」という人間が書き立てられていくのを彼は見ていた。

    結果、ひとつの教訓を得たという。
    それは、「マスコミ」という機能を通してしまうと、「本当のこと」は何一つ伝わらないという事だ。
    伝わるのは、「本当らしく見えること」ばかりである。そしてそれは、しばしば、全くの「空(くう)」の中から取り出される。

    6.ある事件関係者のレビュー
    大体あの犯行だって、決して恋人のためじゃなかったと思うのよ。
    うっかり子ども作っちゃって、相手の女には食い下がられて、彼自身煮詰まってたんだと思う。
    本音としては、砂川さんたちからも恋人からも赤ん坊からも逃げ出して、ひとりで気ままにやりたくて、それにお金も欲しくって、大金をつかむには今がチャンスだって気づいて・・・
    そんなところだったんじゃないかしらと思うんですよ。


    【メモ】
    理由


    p10
    片倉信子は小さく言った。
    「石田さんて、人殺しなんかしてないんだよ。なんか、可哀想なおじさんなんだ」

    やがて石川巡査が保護する男は間違いなく石田直澄であり、彼が姿を現したことによって、「荒川の一家四人殺し」の謎と闇の部分にやっと光が当たることになるのだった。

    事件はなぜ起こったのか。
    殺されたのは「誰」で、「誰」が殺人者であったのか。
    そして、事件の前には何があり、後には何が残ったのか。


    p89
    貴子は、電話をかける警察官の傍らで、新たな不安に襲われていた。
    弟たちの身に何が起こったのだろう?
    何故あのマンションにいないのだろう?
    なぜ別人が住んでいるのだろう?


    p93
    磁石が砂鉄を集めるように、「事件」は多くの人々を吸い寄せる。
    爆心地にいる被害者と加害者を除く、周囲の人々すべて・・・
    しかし、言うまでもなくこれらのすべての人々が「事件」から等距離に居るわけではない。
    また、ひとつの事件の解決までの過程に大きな役割を果たす人々が、時間経過としては事件の大詰めになるまで舞台の上に登場しない、つまり事件から一番遠い場所に生活している場合もある。

    この後者の場合の典型的な例に、簡易旅館片倉ハウスの人々が当てはまることとなる。


    p191
    姉さん、言うな。言わなくていい。だが、声が出てこない。
    「あたし、裕司さんを殺した」と、宝井綾子は言った。「あの人を殺したの」
    ぜいぜいとあえぐような激しい呼吸音とともに、彼女は一気に吐き出した。
    「テレビで騒いでるでしょ?荒川の、すごい高いマンションの事件。あれがそうよ!あれが裕司さんよ!あたしあの人を突き落として・・・それであの人死んじゃったの!あの人、あの人、あの部屋には死体がごろごろしててあたし、あたし怖かった、死ぬほど怖かった!」


    p212
    小糸家に何が起こっていたのか?
    静子に離婚を考えさせたり、孝弘をただただ当惑させたり、挙句には一家をマイホームであるヴァンダール千住北から離れさせ、しかも「密かに」離れさせ、そこに別の一家四人が住み着くようにさせた事情とは何か?

    この件に関して、小糸家の人々の肉声がそのまま報じられた事は一度もない。
    公的機関の取り調べには積極的に協力したものの、ことマスコミの取材に対しては、彼らは全く応じなかった。
    事件の話題が列島を席巻している間中、注意深く身を隠していた。


    p259
    「お母ちゃん」と、直澄はもう一度言った。「俺、まずいことになっとるわ」
    「俺、今はとてもじゃないが警察なんかに会えんわ。会ったら大変なことになる」

    「けどお母ちゃん、俺は誰も殺してないよ。あの人たちを殺してはいないよ。だから信じてくれな」
    「直澄、どこにいるんだい?うちへ帰っておいで!」
    キヌ江の言葉を途中でさえぎるように、石田直澄は言った。
    「話しても信じてもらえねえよ。俺だって信じられないくらいだから。今まで黙ってて悪かったよ。あのマンションはやっぱりよくなかったよ」


    p261
    ウエストタワー2025号室は、所有者であり入居者でもあった小糸信治一家が経済的に行き詰まり、抵当権者である住宅金融公庫から裁判所に競売の申し立てをされ、競売が実施、正式に「石田直澄」という買受人も決定していた。
    しかし、小糸家側は2025号室を取り戻そうと、買受人との間に第三者である不動産業者を介入させ、自分たちは密かに2025号室を立ち退き、買受人との交渉に当たらせていた。
    これはもちろん不法行為であり、買受人との間にも揉め事が起こっていた。
    今回殺害された四人は、その不動産業者「一起不動産」に雇われた人々であったらしい。


    p271
    小糸信治には「一般人」に対する軽蔑と、「俺は一般人では終わりたくない」という、殆ど恐怖に近いまでの願望があった。

    (中略)

    「じいさんは早川社長にそりゃあ感謝してましてね。社長のおかげで無一文でこの家を叩き出されずに済んだ、楽隠居ができると涙ぐまんばかりでしたよ。
    私は、競売にかけられた物件をそんな風に処理できるなんて事は知りませんでしたから、本当に驚きました」
    立派な「力」のある、社会の制度や法律に負けないルートを掴んでいる人物に、ここで巡り合ったのだと小糸は思い込んでしまったのである。

    小糸のそんな思い込みを、粗忽だと嗤うには易しい。
    彼の気質の中には、この「思い込みの強さ」と自分が思い込んだ事についての「無根拠な自信」というものがあった。
    早い時期から早川社長に信頼をおいてしまったのも、俺の信じた人物に間違いはないという、彼一流の「理論」があったからだろう。


    p281
    ・「あきら玩具」のA夫妻の話
    「なにしろ競売なんておっかない目に遭わされて・・・ここを出て行くのは元々そう決まっている事で仕方ないし、お金がもらえるかもしれないというのは嬉しかったからね」

    社長の話は簡単だった。
    買受人が決まったらすぐに夜逃げしてくれというのである。
    そしてこの建物は、しばらく以前から社長の用意した別の人物に賃貸ししていたという形を作るために、書類に署名してくれればいいという。
    「それで、何で私らにお金が入るんですか?」
    早川社長は説明した。
    まず、Aさん夫婦と契約し、この建物を賃借りして住み着いていた人物がいた場合、入札によってここの土地建物を買い受けた人物もしくは業者は、その賃借人を簡単に追い出せないのだという。
    賃借人とよく話し合い、相当額の立退料を支払わねば、明渡しを要求できない。

    当事者だと居座ったとして買受人に追い出す権利があるため、強制執行をかけられる。
    だが、賃借人であればOKという理屈である。

    そして、立退料を払う前に買受人がすっかり消耗して、せっかく競り落としたこの土地建物を他に売ってしまおうと考えた時が早川の出番なのである。
    競売物件は、時価よりもとんでもなく安い値段をつけられている為、こちらも安く買い取る事ができる。


    p292
    ・民事執行法に詳しい弁護士 戸村六郎氏
    短期貸借権の場合、その賃借権が設定されたのが競売開始決定の前か後かという事が分かれ目になる。
    競売を妨害するため、あるいは不当に立退料を得るために競売開始決定の前から貸借権があったかのように書類を捏造するという手口が使われるようになった。
    あきら玩具とヴァンダール千住北にて早川社長が使ったのがこの手法でした。

    これは掃いて捨てるほどよく見かける詐術ですが、困った事に案外効果がある。
    抵当権者や買受人が嘘を証明するのはとても難しい。
    敵は契約書を盾にしてくるのに対し、こちらは状況証拠を集めるしか方法がない。

    こうした手段で抵当権者や買受人に対抗することを職業的にやっている者を、我々は「占有屋」と呼んでいます。
    人間誰しも脅かされれば怯えますし、ゴネられれば弱ります。個人だろうが法人だろうが、それは同じです。


    p469
    ・「生者と死者」より
    結婚後まもなく、トメのきつい台詞に散々やっつけられている信夫に、里子は我慢できなくなって訊いてみたことがある。
    「あなた、お養母さんにあんなにひどいこと言われて、どうして辛抱していられるの?お養母さんは何であんなにあなたをやっつけるのよ?」
    砂川信夫は気弱そうに笑って、ちょっとくたびれたみたいに口の端を下げて、こう言った。
    「しょうがないんだよ。俺はそういう役回りだから。里子もおふくろの言うことをいちいち気にしないでいいんだよ」
    「そうはいかないわよ、あなたはあたしの夫なんだから、いくらお養母さんにだって、あなたをボロクソに言われたくないわよ」
    里子が気丈に主張すると、信夫の笑みが、諸々の強い感情をごまかすための仮面の笑みから、本物の笑顔に変わった。
    「そうかあ、嬉しいなあ。里子は俺の味方なのかあ」
    里子の記憶に残っている信夫の、一番いい顔がこのときの笑顔だった。


    p510
    砂川里子の登場によって、2025号室で死んだ砂川信夫は身元が確定した。
    しかし同時に、彼が早川社長に住民票を提出し、「母のトメと、妻の里子と、長男の毅だ」と紹介していた三人の人物はどこの誰だったのか?


    p531
    大きな話題性を持つ事件が発生したとき、B子さんのしたようなことをする人間は、必ず登場するものなのである。
    彼女は典型であって、特異例ではない。
    マンション内でも一時的にではあるが、B子さんの語った出来合いの物語に同調するような証言がちらほら飛び交ったという事実も、それを裏付けている。

    なぜなのだろう?
    確かに、平和で平凡な生活を送っているごく当たり前の人間に対して、「一家四人殺し」のような事件が、一種異様な吸引力を持ち合わせているというのは理解できる。対岸の火事の見物は誰にとっても面白いものだ。
    しかし、作り話をしてまで、またその作り話を真実だと自分で自分を騙してまで、事件に「参加」しようという衝動は、どこから生まれ出てくるものなのだろうか?


    p568
    人を人として存在させているのは「過去」なのだと、康隆は気づいた。
    この「過去」は、経歴や生活歴なんて表層的なものじゃない。「血」の流れだ。
    あなたはどこで生まれ誰に育てられたのか。誰と一緒に育ったのか。
    それが過去であり、それが人間を二次元から三次元にする。
    そこで初めて「存在」するのだ。


    p581
    「石田さん、あたしとユウ坊のこと、かばってぬれるって。どっちみち私は疑われるに決まってるんだから、お嬢さんあんたは知らん顔してろって、忘れてしまえって、そう言ってくれたんだ!赤ん坊にはお母さんが要るって・・・」
    綾子はしゃにむに両手で顔をこすっている。
    「だけど、ホントにそれでいいの?知らん顔できないから、忘れてしまえないから、俺には打ち明けてくれたんだろ?さっきから迷ってるんだろ?石田さんにかばってもらってるままでいいのかよ」


    p588
    「砂川さんたちが変なことを始めたって、祐司さん怒ってた。もう付き合いたくないし、出て行きたいって。だけど砂川さんたちお金に困ってて、祐司さんが出て行くのをなんだかんだ言って止めるんだって。彼の給料をあてにしてたのよ。荒川に移った頃から、砂川さんも勝子って女の人も、しょっちゅう祐司さんにお金たかるようになってたんだって」

    正業には就けず、介護が必要な老人を抱えて、経済的に困るのは当然だ。
    下宿とは言え、今まで手を焼いてやってきた八代祐司をあてにするのも、砂川信夫や秋吉勝子にとっては当たり前のことだったのじゃないか。血は繋がってないけれど、まあお互い家族みたいなもんじゃないか・・・

    だが、そんな馴れ合いは、八代祐司には通用しなかったのだ。
    彼が最も忌み嫌う「家族」の馴れ合いは。
    独りにさせてくれ。自由をくれ。
    そう、八代祐司は、「家族」を怖がっていたのだ。

    綾子は、熱烈に八代祐司に共感しているように見えながら、実は全然判っていないのではないかと、康隆は思った。

    おかしなものだ。
    家のくびきから逃れ、一個の人間として自立するために努力し、それを渇望しているのは「女」という性の人間たちであるはずなのに、その一方で、ただひたすら血や親子のつながりの中に回帰しようとするのもまた「女」たちばかりだ。
    そして「男」はと言えば・・・逃げてばっかりだ。


    p621
    「あの、宝井綾子さんでしょうか?」
    「もしもし?あなたどなたですか?」
    信子は、その問いに答えるつもりはなかった。
    「石田直澄さんから頼まれて電話してます」と、頑固に繰り返した。
    「ホントです。あの人、もうすぐ警察に捕まるんです」
    「捕まるから、ここへ報せろって言ったんですか?」
    「そうです」
    「どうして?自分は捕まるから、その前に逃げろって事ですか?」
    「そんなのわかんないよ、頼まれただけだから」
    信子は電話を切りたかった。もう、こんなことに巻き込まれるのはごめんだ。お母さんは出て行っちゃうし、あたしだって大変なんだ。早く警察に報せたい。
    「石田さん、今どこにいるんですか?」
    「そんなの言えるわけないじゃない!」
    男の子のすぐそばで、さっきの女、宝井綾子が泣くような声を出している。
    「どうしよう、電話なんか掛けないって言ってたのに・・・」


    p623
    石田の気持ちとして、マスコミは信用できない、マスコミと関わるのは沢山だと思ったとしても、無理はない。
    約4ヶ月の逃亡生活の間、彼はありとあらゆる媒体で、ありとあらゆる事を書かれた。
    もとよりそれは覚悟していた事であったけれど、覚悟していた以上に上下にも左右にも広いバリエーションで、「石田直澄」という人間が書き立てられていくのを彼は見ていた。

    結果、ひとつの教訓を得たという。
    それは、「マスコミ」という機能を通してしまうと、「本当のこと」は何一つ伝わらないという事だ。
    伝わるのは、「本当らしく見えること」ばかりである。そしてそれは、しばしば、全くの「空(くう)」の中から取り出される。


    p648
    「あの男はね、自分としては、砂川さんたち三人なんてどうなってもいいんだと、こう言うわけです。本当の家族じゃないし、今まで世話になったのだってお互い様だったんだって。それなのに、最近はまるで実の親みたいにしたり顔でああせいこうせい命令する。老後は不安だからお前が頼りだみたいな事を言う。冗談じゃねえ、と。」

    八代祐司にとっては、「親」というものが、自分を支配したり、自分から自由を搾り取ろうとする不気味な怪物に思えたんでしょうね。

    「そうですかねえ?ただあいつは、砂川さんたちに、何の恩義も感じてなかったですね。それだけは確かです。便利なお手伝いさんみたいなもんだったんじゃないですか?だから面倒くさくなってきたら、切り離しちまいたいわけですよ。

    (中略)

    だから、自分としてはいっそ、三人まとめて始末してしまいたいんだと。だってそれには今が最大のチャンスだ、今あの三人を殺したら、犯人はあんただってことになるからって」


    p654
    「2025号室にあんな事情があって、明け渡しをめぐって私が砂川さんたちとダラダラ交渉をしていて・・・そういう事があったから、八代祐司は私から金を引き出せるって判断したんだろうし、その判断があいつを狂わしたんでしょうね。
    だから私の後悔は、もっと早くに弁護士さんを頼んでおいたらなってね、それですよ。
    八代祐司が余計な事を思いついたのは、こっちが私みたいなバカだったからですよ。」


    p663
    石田さんに、宝井綾子をかばってやらねばならない理由はなかったと思いますが。
    「うん、そうだよね、まったくそうですよ。だけどあのときは・・・だって私は自分のことはもう諦めてたし、綾子ちゃんも八代祐司って人間の巻き添えになっただけってことは判ったし、だから・・・それにやっぱり、赤ん坊がいたからね。綾子ちゃんひとりだったら、話はまた違ってたかもしれないですよ」


    p673
    「大体あの犯行だって、決して恋人のためじゃなかったと思うのよ。うっかり子ども作っちゃって、相手の女には食い下がられて、彼自身煮詰まってたんだと思う。本音としては、砂川さんたちからも恋人からも赤ん坊からも逃げ出して、ひとりで気ままにやりたくて、それにお金も欲しくって、大金をつかむには今がチャンスだって気づいて・・・そんなところだったんじゃないかしらと思うんですよ」

    • やまさん
      きのPさん
      こんばんは。
      やま
      きのPさん
      こんばんは。
      やま
      2019/11/09
  • 直木賞受賞作。が、宮部みゆき先生の作品はもっと面白いものが多くある。
    かなり実験的な作品で、徹底したリアリティーを追及した作品。作中である登場人物にリアリティがーないことを登場人物が語るところがメタ的である。
    精緻で濃厚で圧倒的筆力を感じさせる。が、物語の牽引力が弱い。
    マンションで四人の殺人が行われたことに対する「なぜ」の興味があまり引かれず、そこに力点がおかれていない。早々にその概要がわかってしまうのが、原因かなと思う。
    ルポ形式なので、キャラ視点がほとんど無く、宝井康隆というSF小説好きの高校生(名前がなんかにとる人がいる)くらいしか興味を惹く存在が無かった。
    要するに、全てが他人事の出来事で没入間無く物語が進むので、このあたり読むのは結構きつかった。個人的な感想ではあるのだけど。
    もし、宮部みゆき先生の小説を誰かに勧めるとしても、この小説は候補に入らないと思う。
    ただ、すさまじい構成力と筆力の高さだけは味わうことができる。そして、物語はそれだけでは面白くならんのだなーということが実感できる小説だった。

  • 読みたかった直木賞受賞作!!!!

    とても厚いのですね
    そしてとても濃厚な登場人物たちの生活。


    社会派ミステリーと言うよりは、「ドキュメンタリーの体を装ったインタビュー本」と言った感じでしょうか

    勿論フィクションで、全部が全部インタビューではないのですが
    流石直木賞。引き込まれるのです

    そして本当に重厚な登場人物たちの生い立ち。


    ストーリーは、高級マンションの一室での殺人事件。
    謎の3つの死体と、飛び降り死体。そして謎の重要参考人。

    防犯カメラに映った重要参考人が指名手配され、どうやらその人物が旅館に宿泊している模様。
    まず、その宿泊施設を運営する家族の物語から始まるのです


    事件自体に直接関係している人間は、数人なのですが
    その数人一人一人の家族、両親の話や大人になったり結婚してからの話。
    事件に繋がるまでの話。

    それがインタビュー形式でどんどん紡がれていくのです

    多分そう言う登場人物の歴史が7割。
    事件当日の描写は3割。

    クローズアップされる関係者の何倍も登場人物がいるのです。
    これはもうミステリーじゃないのですよね

    それぞれの家族とそれぞれの生き方、その小さな一つ一つの交差が事件に繋がっていく感じなのでした

    バブルが崩壊してからの社会の暗さとか、
    悩みを抱える家族の重さとか
    一人一人が生々しく文字になって生きている。そんな印象を受けたのでした。

    多分この本は、映画やドラマが面白いかもしれないのですね。
    たくさんの登場人物が織りなす家族と社会。
    ちょっと映画とか見てみようかな……

  • 読むのに骨を折ったが(当時中学生の私は3度くらい失敗した)、引き込まれるミステリー

  • 集中して読まないとついていかれないくらい、
    わざと硬めに、ノンフィクション風に書かれてる、
    という印象。
    非常に細かく、いろんな影響が追われていて、
    興味深かった。
    私も面白く読んだけど、
    疲れてる時には不向きかも?
    でも、力作で素晴らしいと思う。

  • 宮部みゆきの出世作。

    高層マンションでおきた殺人事件。しかし被害者は身元不明の4人。そうなった「理由」とは…

  • 久しぶりの再読。読み応えのある一冊。
    今読むと、この話の犯人は、動機という点で従来の犯罪と一線を画している…というのが、どこかで模倣犯とリンクしているように思えた。小糸夫婦は火車とも相通ずる面があるし…そうやって作家の中で(意図的なのかどうかはわからないけど)作品がリンクしてるんだろう。
    社会問題を扱いながらも個々の人間をしっかり描けるのが宮部みゆき。そこが好き。

  • 勝手に呼んでルポタージュ風小説。都内のマンションの一室で起きた4人の殺人事件。誰がどうしてどのように殺されたのか。周りの人々の証言から、関係者の人生が浮かび上がってくる。
    周囲の人々も嫁姑、家族構成、その地にいて店を経営していて、、とさまざまな人生があってそのちょっとした偶然で事件の関係者と会話を交わしたり関わりを持つようになって、それは偶然のようで必然で、ニュースで紙面を賑わせる「事件」の裏側は、こういうそれぞれの人にとっては苦労も家族も偶然もてんこもりの人生を歩んできた人たちが合わさって起きているものなのだなぁ。ちょこちょこ、マンションの管理人や「隣人」との付き合いや匿名性閉鎖性などの社会的な問題、地域の人の関係、販売会社の戦略や競売とヤクザ的な人の問題など、リアリティがあって、この問題とさまざまな思いが積み合わさった氷山の一番上として、惨殺事件に繋がっていく、基礎固めがすごくよく書いてありました。そして、目撃者の証言から始めていって徐々に核心の関係者に近づき、物件所有者、被害者の家族の証言にまで行っても事件の「真相」が分からない、そのワクワク感ともどかしさで、ページをめくる手が止まりませんでした。話の面白さ、盛り上がりというよりも、ただただ「事件」を、自分の解釈できる出来事と経緯にしてほしい、その分からなさ、がたまらなかった。

  • 再読だが内容は記憶の彼方。しかし感動したことだけは覚えている。あの時の文庫本をもう一度紐解いた。

    インタビュアーが引き出す各人の証言により物語は進む。とある高層マンションで起きた殺人事件。遺族、証人を含めた登場人物はあまりにも多く、混乱しそうなのだが、すべて頭の中に整理された形で入ってくる。これこそ著者の手腕なのだと思う。

    過ぎ去った時代を映し出す話でもあった。大きく分けて子ども世代、その親の世代、そして高齢者世代という3世代が特徴的に描かれている。中高年の世代は子供と親との板挟み。高度経済成長の担い手である彼らの中には、進学せずひたすら働いてきた人々が多い。そして十分な教育を受けた子供世代がそんな親を見下ろす。親は威厳を示そうと躍起になる。事件発生のきっかけの一つでもあることを考えると興味深い。

    また、中高年女性の姑と向き合う姿、親の介護の問題も印象的。20年近い時を隔てた現代もその状況は変わらない。ミステリーとしての真相に向かう過程も面白いが、人々の生きざまも読みごたえがある。

    宮部作品に特徴的な、登場人物に向ける温かな視線は、本作品でも感じることができる。特に子供世代に注がれる眼差しが優しい。思えば、彼らは今「責任世代」と言われる世代。あの当時すでに作者は彼らが担う責任の重大さに気づいていたのかもしれない。

  • 宮部みゆきの直木賞受賞作。
    宮部みゆきが直木賞作家であることに異を唱える人は誰もいないと思いますが、この作品が受賞作であるのは意外です。犯人当てや超能力者同士の戦闘なんていう、作者がこれまで使ってきたエンターテイメント的な要素がほぼない作品だからです。

    ストーリーは、競売で落札された高級マンションに「占有屋」として住み着いていた一家が殺された「荒川の一家四人殺し」事件を、関係者の証言を聞き書きするという形で浮き彫りにするものです。

    マンションのローンが払えなくなっての競売、そして、それを妨害し、立退料をせしめる為の占有屋などは、バブル崩壊後にはよく聞いた話でした。そんな世相を背景としつつ、でも、中心にデンと座っているテーマは、家族なんだろうと思います。

    作中には様々な家族が登場します。住んでいた部屋を競売に掛けられた小糸家、それを買った石田家、石田の逃亡先の簡易宿泊所を経営していた片倉家、犯人と関係がありそうな宝井家、占有屋として住み着いていた部屋で全員殺された砂川家、ほんの脇役である隣人たちや管理人も、ただ事件について語るのではなく、「家族」とその事件の関わりについて語っています。

    犯人の家族に対する考え方、そして、ラスト近くの小糸孝弘の家族に対する考え方に対する答えを、「思いの外近い未来のどこかで、ごく普通の人々が、ごく普通に」答えることができる時期は来ているのでしょうか。この作品が書かれた平成8年から20年近くが経ち、バブル崩壊の疵痕もずいぶん癒えた今、答えることができる「ごく普通の人々」は、幸い少ないように思えます。犯人のような人物は、幸い今でも「全然異質な怪物みたいな人間」です。

    バブル崩壊直後、「失われた20年」が始まった頃は、経済だけではなく、人間の両親や家族の暖かさ(一方で面倒さ)までが「失われていくのではないか」なんて気持ちだったんだろうなあ、と今となっては一歩離れたところから思えるのは幸せなことです。

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著者プロフィール

宮部 みゆき(みやべ みゆき)
1960年、東京都生まれ。1987年に「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、デビュー。1992年『龍は眠る』で日本推理作家協会賞、1999年には『理由』で直木賞、2002年『模倣犯』で司馬遼太郎賞、2007年『名もなき毒』で吉川英治文学賞など、数々の文学賞を受賞。大沢オフィス所属。日本推理作家協会会員。日本SF作家クラブ会員。直木賞、日本SF大賞、小説すばる新人賞、河合隼雄物語賞など多くの文学賞で選考委員を務める。『模倣犯』や『ブレイブ・ストーリー』など、多くの作品がドラマ化や映画化などメディア・ミックスされており、日本を代表するエンターテインメント作家として人気を博している。2019年7月10日『さよならの儀式』を刊行。

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