理由 (朝日文庫 み 19-1)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (630ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022642950

作品紹介・あらすじ

東京都荒川区の超高層マンションで起きた凄惨な殺人事件。殺されたのは「誰」で「誰」が殺人者だったのか。そもそも事件はなぜ起こったのか。事件の前には何があり、後には何が残ったのか。ノンフィクションの手法を使って心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作がついに文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 報告書を読んでいるかのような小説。
    一つの事件に非常に多くの人が放射状に絡んでいるというのかな…実際の事件もそうなのだろうか。家族、生い立ち、不動産、仕事、お金、見栄etc色んな社会問題を投げかけられた思いだ。
    最後はきれいに回収されたが、そもそも事件の原因を作ったのは誰なのだろう?それも放射状のような気がする。個人的には、この人一番キライ!悪い!と思う人物はいた。

    宮部みゆきさんの小説は説明が長いと感じるので苦手意識がある。本書は「もう一度振り返ってみよう」とか「〜〜〜は先に述べたとおりである」というような繰り返しの説明があるものの、丁寧で読者を置いていかずかえって良い。章題も誰の何の話をしているのか分かりやすい。

    • なおなおさん
      hiromida2さん、コメントをありがとうございます。

      今、直木賞作品読書強化月間をやっておりまして、本書を選びました^^;
      と言っても...
      hiromida2さん、コメントをありがとうございます。

      今、直木賞作品読書強化月間をやっておりまして、本書を選びました^^;
      と言っても9月に入ってまだ2冊とスローペース。名称を"シーズン"に変えるかも。←どうでもいいことですね^^;

      確かに多方面のリサーチ力はすごいですよね。
      社会派ミステリーが好きなので、考えさせられます。
      そしてなんとhiromida2さんもポプラ並木さんのオススメされた本が良いと!?
      私、宮部みゆきさんは、「火車」とアンソロジー位しか読んだことないんですよ。
      お二人からオススメされた本は読まねば!です。一人では選書できないので良い機会となりました。ありがたいです(^^)
      2022/09/16
    • ポプラ並木さん
      hiromida2さん、なおなおさん、こんばんは~
      連休になりますね!ワクワクです。でも早朝だけは残務整理のために職場です。
      さて、初期...
      hiromida2さん、なおなおさん、こんばんは~
      連休になりますね!ワクワクです。でも早朝だけは残務整理のために職場です。
      さて、初期の宮部さんの作品は大好きです。
      宮部さんの描く登場人物の心のゆれ動きが秀逸です。
      クロスファイアの青木淳子の切なさが今でも頭に残っています!
      蒲生邸事件の向田ふきの可愛らしさの演出も素晴らしいです!
      殆どの登場人物が暗いのですが、それだけではい奥深さがあります。ぜひ初期の宮部さんを堪能してほしいです♪
      2022/09/16
    • なおなおさん
      ポプラ並木さん、こんばんは。

      初期の作品なんですね。
      教えていただきありがとうございます。
      連休、ワクワクです!たくさん本を読みたい!図書...
      ポプラ並木さん、こんばんは。

      初期の作品なんですね。
      教えていただきありがとうございます。
      連休、ワクワクです!たくさん本を読みたい!図書館にも行きます。
      しかし最近読んだミステリーで頭の中が混乱しており、解明するための読み直し連休になりそう…^^;
      2022/09/16
  • 【感想】
    作中に、「磁石が砂鉄を集めるように、事件は多くの人々を吸い寄せる。」という文章があったが、その砂鉄の一粒一粒から話を聞いて、1冊にまとめたのがこの作品だった。
    なので、読んでいて小説というより事件の調書というか、ドキュメンタリーみたいな印象を感じた。
    物語は、「荒川の一家四人殺し」という凶悪事件に対し、本小説の大部分がこの事件に何らかの形で関係した色んな人たちをインタビューしていった対話形式で物語は進んでいく。
    (全く関係ない話だが、、、、加賀恭一郎はこのように色んな人達の話を聞いて事件の真相を究明していくのだろうな~と思った。笑)

    「理由」というタイトルも、非常に凝っていると、読み終えて思った。
    「動機」ではなく、「理由」。
    大小様々な「理由」が組み合わさったからこそ、この凄惨極まりない事件が起きたのだと考えるとちょっぴり辛くなってしまう。

    まして、色んな人の主観が入り乱れている為、結局「本当の理由」なんて誰にもわからないのではないか?
    これは、日常的にそう感じてしまう事がしばしばある。
    本作品も、登場人物や被害者・容疑者、そしてその周辺の何らかの関係者達それぞれに、多種多様な「理由」があった。
    それらに対して、犯人である八代祐司の、今回の事件に対する「理由」が一番くだらなくて子どもっぽかったのは、かなり痛烈な皮肉であろう。

    また、この石田直澄が事件後にインタビューで話していた「ひとつの教訓」は、この小説のすべてを語っていると言っても過言ではないと感じた。
    曰く、「『マスコミ』という機能を通してしまうと、『本当のこと』は何一つ伝わらない。伝わるのは、『本当らしく見えること』ばかりである。」とのこと。
    幸いこれは勿論「小説」なので「本当のこと」は分かったが、世の中、というか日常にある色々な事象やニュースのなかで、「本当のこと」なんて身の回りですら殆ど分かっていないのではないのか?
    そう思うと読んでいてゾっとしたし、何だか寂しい気持ちになりました。

    自分に置き換えて考えてみると、こういう意味不明な事件に巻き込まれない為にも、コンプライアンスに則って生きる事が大切なんだと教えられた。
    ウマイ話には何らかの罠が隠れている。反則はいけないですね。
    やや論点がズレていますが、、、教訓になりました。


    【あらすじ】
    東京都荒川区の超高層マンションで起きた凄惨な殺人事件。殺されたのは「誰」で「誰」が殺人者だったのか。
    そもそも事件はなぜ起こったのか。事件の前には何があり、後には何が残ったのか。
    ノンフィクションの手法を使って心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作がついに文庫化。


    【引用】
    1.事件はなぜ起こったのか。
    殺されたのは「誰」で、「誰」が殺人者であったのか。
    そして、事件の前には何があり、後には何が残ったのか。

    2.磁石が砂鉄を集めるように、「事件」は多くの人々を吸い寄せる。
    爆心地にいる被害者と加害者を除く、周囲の人々すべて・・・
    しかし、言うまでもなくこれらのすべての人々が「事件」から等距離に居るわけではない。
    また、ひとつの事件の解決までの過程に大きな役割を果たす人々が、時間経過としては事件の大詰めになるまで舞台の上に登場しない、つまり事件から一番遠い場所に生活している場合もある。

    3.ウエストタワー2025号室は、所有者であり入居者でもあった小糸信治一家が経済的に行き詰まり、抵当権者である住宅金融公庫から裁判所に競売の申し立てをされ、競売が実施、正式に「石田直澄」という買受人も決定していた。
    しかし、小糸家側は2025号室を取り戻そうと、買受人との間に第三者である不動産業者を介入させ、自分たちは密かに2025号室を立ち退き、買受人との交渉に当たらせていた。
    これはもちろん不法行為であり、買受人との間にも揉め事が起こっていた。
    今回殺害された四人は、その不動産業者「一起不動産」に雇われた人々であったらしい。

    4.小糸信治には「一般人」に対する軽蔑と、「俺は一般人では終わりたくない」という、殆ど恐怖に近いまでの願望があった。
    小糸のそんな思い込みを、粗忽だと嗤うには易しい。
    彼の気質の中には、この「思い込みの強さ」と自分が思い込んだ事についての「無根拠な自信」というものがあった。
    早い時期から早川社長に信頼をおいてしまったのも、俺の信じた人物に間違いはないという、彼一流の「理論」があったからだろう。

    5.石田の、マスコミへの不信感
    石田の気持ちとして、マスコミは信用できない、マスコミと関わるのは沢山だと思ったとしても、無理はない。
    約4ヶ月の逃亡生活の間、彼はありとあらゆる媒体で、ありとあらゆる事を書かれた。
    もとよりそれは覚悟していた事であったけれど、覚悟していた以上に上下にも左右にも広いバリエーションで、「石田直澄」という人間が書き立てられていくのを彼は見ていた。

    結果、ひとつの教訓を得たという。
    それは、「マスコミ」という機能を通してしまうと、「本当のこと」は何一つ伝わらないという事だ。
    伝わるのは、「本当らしく見えること」ばかりである。そしてそれは、しばしば、全くの「空(くう)」の中から取り出される。

    6.ある事件関係者のレビュー
    大体あの犯行だって、決して恋人のためじゃなかったと思うのよ。
    うっかり子ども作っちゃって、相手の女には食い下がられて、彼自身煮詰まってたんだと思う。
    本音としては、砂川さんたちからも恋人からも赤ん坊からも逃げ出して、ひとりで気ままにやりたくて、それにお金も欲しくって、大金をつかむには今がチャンスだって気づいて・・・
    そんなところだったんじゃないかしらと思うんですよ。


    【メモ】
    理由


    p10
    片倉信子は小さく言った。
    「石田さんて、人殺しなんかしてないんだよ。なんか、可哀想なおじさんなんだ」

    やがて石川巡査が保護する男は間違いなく石田直澄であり、彼が姿を現したことによって、「荒川の一家四人殺し」の謎と闇の部分にやっと光が当たることになるのだった。

    事件はなぜ起こったのか。
    殺されたのは「誰」で、「誰」が殺人者であったのか。
    そして、事件の前には何があり、後には何が残ったのか。


    p89
    貴子は、電話をかける警察官の傍らで、新たな不安に襲われていた。
    弟たちの身に何が起こったのだろう?
    何故あのマンションにいないのだろう?
    なぜ別人が住んでいるのだろう?


    p93
    磁石が砂鉄を集めるように、「事件」は多くの人々を吸い寄せる。
    爆心地にいる被害者と加害者を除く、周囲の人々すべて・・・
    しかし、言うまでもなくこれらのすべての人々が「事件」から等距離に居るわけではない。
    また、ひとつの事件の解決までの過程に大きな役割を果たす人々が、時間経過としては事件の大詰めになるまで舞台の上に登場しない、つまり事件から一番遠い場所に生活している場合もある。

    この後者の場合の典型的な例に、簡易旅館片倉ハウスの人々が当てはまることとなる。


    p191
    姉さん、言うな。言わなくていい。だが、声が出てこない。
    「あたし、裕司さんを殺した」と、宝井綾子は言った。「あの人を殺したの」
    ぜいぜいとあえぐような激しい呼吸音とともに、彼女は一気に吐き出した。
    「テレビで騒いでるでしょ?荒川の、すごい高いマンションの事件。あれがそうよ!あれが裕司さんよ!あたしあの人を突き落として・・・それであの人死んじゃったの!あの人、あの人、あの部屋には死体がごろごろしててあたし、あたし怖かった、死ぬほど怖かった!」


    p212
    小糸家に何が起こっていたのか?
    静子に離婚を考えさせたり、孝弘をただただ当惑させたり、挙句には一家をマイホームであるヴァンダール千住北から離れさせ、しかも「密かに」離れさせ、そこに別の一家四人が住み着くようにさせた事情とは何か?

    この件に関して、小糸家の人々の肉声がそのまま報じられた事は一度もない。
    公的機関の取り調べには積極的に協力したものの、ことマスコミの取材に対しては、彼らは全く応じなかった。
    事件の話題が列島を席巻している間中、注意深く身を隠していた。


    p259
    「お母ちゃん」と、直澄はもう一度言った。「俺、まずいことになっとるわ」
    「俺、今はとてもじゃないが警察なんかに会えんわ。会ったら大変なことになる」

    「けどお母ちゃん、俺は誰も殺してないよ。あの人たちを殺してはいないよ。だから信じてくれな」
    「直澄、どこにいるんだい?うちへ帰っておいで!」
    キヌ江の言葉を途中でさえぎるように、石田直澄は言った。
    「話しても信じてもらえねえよ。俺だって信じられないくらいだから。今まで黙ってて悪かったよ。あのマンションはやっぱりよくなかったよ」


    p261
    ウエストタワー2025号室は、所有者であり入居者でもあった小糸信治一家が経済的に行き詰まり、抵当権者である住宅金融公庫から裁判所に競売の申し立てをされ、競売が実施、正式に「石田直澄」という買受人も決定していた。
    しかし、小糸家側は2025号室を取り戻そうと、買受人との間に第三者である不動産業者を介入させ、自分たちは密かに2025号室を立ち退き、買受人との交渉に当たらせていた。
    これはもちろん不法行為であり、買受人との間にも揉め事が起こっていた。
    今回殺害された四人は、その不動産業者「一起不動産」に雇われた人々であったらしい。


    p271
    小糸信治には「一般人」に対する軽蔑と、「俺は一般人では終わりたくない」という、殆ど恐怖に近いまでの願望があった。

    (中略)

    「じいさんは早川社長にそりゃあ感謝してましてね。社長のおかげで無一文でこの家を叩き出されずに済んだ、楽隠居ができると涙ぐまんばかりでしたよ。
    私は、競売にかけられた物件をそんな風に処理できるなんて事は知りませんでしたから、本当に驚きました」
    立派な「力」のある、社会の制度や法律に負けないルートを掴んでいる人物に、ここで巡り合ったのだと小糸は思い込んでしまったのである。

    小糸のそんな思い込みを、粗忽だと嗤うには易しい。
    彼の気質の中には、この「思い込みの強さ」と自分が思い込んだ事についての「無根拠な自信」というものがあった。
    早い時期から早川社長に信頼をおいてしまったのも、俺の信じた人物に間違いはないという、彼一流の「理論」があったからだろう。


    p281
    ・「あきら玩具」のA夫妻の話
    「なにしろ競売なんておっかない目に遭わされて・・・ここを出て行くのは元々そう決まっている事で仕方ないし、お金がもらえるかもしれないというのは嬉しかったからね」

    社長の話は簡単だった。
    買受人が決まったらすぐに夜逃げしてくれというのである。
    そしてこの建物は、しばらく以前から社長の用意した別の人物に賃貸ししていたという形を作るために、書類に署名してくれればいいという。
    「それで、何で私らにお金が入るんですか?」
    早川社長は説明した。
    まず、Aさん夫婦と契約し、この建物を賃借りして住み着いていた人物がいた場合、入札によってここの土地建物を買い受けた人物もしくは業者は、その賃借人を簡単に追い出せないのだという。
    賃借人とよく話し合い、相当額の立退料を支払わねば、明渡しを要求できない。

    当事者だと居座ったとして買受人に追い出す権利があるため、強制執行をかけられる。
    だが、賃借人であればOKという理屈である。

    そして、立退料を払う前に買受人がすっかり消耗して、せっかく競り落としたこの土地建物を他に売ってしまおうと考えた時が早川の出番なのである。
    競売物件は、時価よりもとんでもなく安い値段をつけられている為、こちらも安く買い取る事ができる。


    p292
    ・民事執行法に詳しい弁護士 戸村六郎氏
    短期貸借権の場合、その賃借権が設定されたのが競売開始決定の前か後かという事が分かれ目になる。
    競売を妨害するため、あるいは不当に立退料を得るために競売開始決定の前から貸借権があったかのように書類を捏造するという手口が使われるようになった。
    あきら玩具とヴァンダール千住北にて早川社長が使ったのがこの手法でした。

    これは掃いて捨てるほどよく見かける詐術ですが、困った事に案外効果がある。
    抵当権者や買受人が嘘を証明するのはとても難しい。
    敵は契約書を盾にしてくるのに対し、こちらは状況証拠を集めるしか方法がない。

    こうした手段で抵当権者や買受人に対抗することを職業的にやっている者を、我々は「占有屋」と呼んでいます。
    人間誰しも脅かされれば怯えますし、ゴネられれば弱ります。個人だろうが法人だろうが、それは同じです。


    p469
    ・「生者と死者」より
    結婚後まもなく、トメのきつい台詞に散々やっつけられている信夫に、里子は我慢できなくなって訊いてみたことがある。
    「あなた、お養母さんにあんなにひどいこと言われて、どうして辛抱していられるの?お養母さんは何であんなにあなたをやっつけるのよ?」
    砂川信夫は気弱そうに笑って、ちょっとくたびれたみたいに口の端を下げて、こう言った。
    「しょうがないんだよ。俺はそういう役回りだから。里子もおふくろの言うことをいちいち気にしないでいいんだよ」
    「そうはいかないわよ、あなたはあたしの夫なんだから、いくらお養母さんにだって、あなたをボロクソに言われたくないわよ」
    里子が気丈に主張すると、信夫の笑みが、諸々の強い感情をごまかすための仮面の笑みから、本物の笑顔に変わった。
    「そうかあ、嬉しいなあ。里子は俺の味方なのかあ」
    里子の記憶に残っている信夫の、一番いい顔がこのときの笑顔だった。


    p510
    砂川里子の登場によって、2025号室で死んだ砂川信夫は身元が確定した。
    しかし同時に、彼が早川社長に住民票を提出し、「母のトメと、妻の里子と、長男の毅だ」と紹介していた三人の人物はどこの誰だったのか?


    p531
    大きな話題性を持つ事件が発生したとき、B子さんのしたようなことをする人間は、必ず登場するものなのである。
    彼女は典型であって、特異例ではない。
    マンション内でも一時的にではあるが、B子さんの語った出来合いの物語に同調するような証言がちらほら飛び交ったという事実も、それを裏付けている。

    なぜなのだろう?
    確かに、平和で平凡な生活を送っているごく当たり前の人間に対して、「一家四人殺し」のような事件が、一種異様な吸引力を持ち合わせているというのは理解できる。対岸の火事の見物は誰にとっても面白いものだ。
    しかし、作り話をしてまで、またその作り話を真実だと自分で自分を騙してまで、事件に「参加」しようという衝動は、どこから生まれ出てくるものなのだろうか?


    p568
    人を人として存在させているのは「過去」なのだと、康隆は気づいた。
    この「過去」は、経歴や生活歴なんて表層的なものじゃない。「血」の流れだ。
    あなたはどこで生まれ誰に育てられたのか。誰と一緒に育ったのか。
    それが過去であり、それが人間を二次元から三次元にする。
    そこで初めて「存在」するのだ。


    p581
    「石田さん、あたしとユウ坊のこと、かばってぬれるって。どっちみち私は疑われるに決まってるんだから、お嬢さんあんたは知らん顔してろって、忘れてしまえって、そう言ってくれたんだ!赤ん坊にはお母さんが要るって・・・」
    綾子はしゃにむに両手で顔をこすっている。
    「だけど、ホントにそれでいいの?知らん顔できないから、忘れてしまえないから、俺には打ち明けてくれたんだろ?さっきから迷ってるんだろ?石田さんにかばってもらってるままでいいのかよ」


    p588
    「砂川さんたちが変なことを始めたって、祐司さん怒ってた。もう付き合いたくないし、出て行きたいって。だけど砂川さんたちお金に困ってて、祐司さんが出て行くのをなんだかんだ言って止めるんだって。彼の給料をあてにしてたのよ。荒川に移った頃から、砂川さんも勝子って女の人も、しょっちゅう祐司さんにお金たかるようになってたんだって」

    正業には就けず、介護が必要な老人を抱えて、経済的に困るのは当然だ。
    下宿とは言え、今まで手を焼いてやってきた八代祐司をあてにするのも、砂川信夫や秋吉勝子にとっては当たり前のことだったのじゃないか。血は繋がってないけれど、まあお互い家族みたいなもんじゃないか・・・

    だが、そんな馴れ合いは、八代祐司には通用しなかったのだ。
    彼が最も忌み嫌う「家族」の馴れ合いは。
    独りにさせてくれ。自由をくれ。
    そう、八代祐司は、「家族」を怖がっていたのだ。

    綾子は、熱烈に八代祐司に共感しているように見えながら、実は全然判っていないのではないかと、康隆は思った。

    おかしなものだ。
    家のくびきから逃れ、一個の人間として自立するために努力し、それを渇望しているのは「女」という性の人間たちであるはずなのに、その一方で、ただひたすら血や親子のつながりの中に回帰しようとするのもまた「女」たちばかりだ。
    そして「男」はと言えば・・・逃げてばっかりだ。


    p621
    「あの、宝井綾子さんでしょうか?」
    「もしもし?あなたどなたですか?」
    信子は、その問いに答えるつもりはなかった。
    「石田直澄さんから頼まれて電話してます」と、頑固に繰り返した。
    「ホントです。あの人、もうすぐ警察に捕まるんです」
    「捕まるから、ここへ報せろって言ったんですか?」
    「そうです」
    「どうして?自分は捕まるから、その前に逃げろって事ですか?」
    「そんなのわかんないよ、頼まれただけだから」
    信子は電話を切りたかった。もう、こんなことに巻き込まれるのはごめんだ。お母さんは出て行っちゃうし、あたしだって大変なんだ。早く警察に報せたい。
    「石田さん、今どこにいるんですか?」
    「そんなの言えるわけないじゃない!」
    男の子のすぐそばで、さっきの女、宝井綾子が泣くような声を出している。
    「どうしよう、電話なんか掛けないって言ってたのに・・・」


    p623
    石田の気持ちとして、マスコミは信用できない、マスコミと関わるのは沢山だと思ったとしても、無理はない。
    約4ヶ月の逃亡生活の間、彼はありとあらゆる媒体で、ありとあらゆる事を書かれた。
    もとよりそれは覚悟していた事であったけれど、覚悟していた以上に上下にも左右にも広いバリエーションで、「石田直澄」という人間が書き立てられていくのを彼は見ていた。

    結果、ひとつの教訓を得たという。
    それは、「マスコミ」という機能を通してしまうと、「本当のこと」は何一つ伝わらないという事だ。
    伝わるのは、「本当らしく見えること」ばかりである。そしてそれは、しばしば、全くの「空(くう)」の中から取り出される。


    p648
    「あの男はね、自分としては、砂川さんたち三人なんてどうなってもいいんだと、こう言うわけです。本当の家族じゃないし、今まで世話になったのだってお互い様だったんだって。それなのに、最近はまるで実の親みたいにしたり顔でああせいこうせい命令する。老後は不安だからお前が頼りだみたいな事を言う。冗談じゃねえ、と。」

    八代祐司にとっては、「親」というものが、自分を支配したり、自分から自由を搾り取ろうとする不気味な怪物に思えたんでしょうね。

    「そうですかねえ?ただあいつは、砂川さんたちに、何の恩義も感じてなかったですね。それだけは確かです。便利なお手伝いさんみたいなもんだったんじゃないですか?だから面倒くさくなってきたら、切り離しちまいたいわけですよ。

    (中略)

    だから、自分としてはいっそ、三人まとめて始末してしまいたいんだと。だってそれには今が最大のチャンスだ、今あの三人を殺したら、犯人はあんただってことになるからって」


    p654
    「2025号室にあんな事情があって、明け渡しをめぐって私が砂川さんたちとダラダラ交渉をしていて・・・そういう事があったから、八代祐司は私から金を引き出せるって判断したんだろうし、その判断があいつを狂わしたんでしょうね。
    だから私の後悔は、もっと早くに弁護士さんを頼んでおいたらなってね、それですよ。
    八代祐司が余計な事を思いついたのは、こっちが私みたいなバカだったからですよ。」


    p663
    石田さんに、宝井綾子をかばってやらねばならない理由はなかったと思いますが。
    「うん、そうだよね、まったくそうですよ。だけどあのときは・・・だって私は自分のことはもう諦めてたし、綾子ちゃんも八代祐司って人間の巻き添えになっただけってことは判ったし、だから・・・それにやっぱり、赤ん坊がいたからね。綾子ちゃんひとりだったら、話はまた違ってたかもしれないですよ」


    p673
    「大体あの犯行だって、決して恋人のためじゃなかったと思うのよ。うっかり子ども作っちゃって、相手の女には食い下がられて、彼自身煮詰まってたんだと思う。本音としては、砂川さんたちからも恋人からも赤ん坊からも逃げ出して、ひとりで気ままにやりたくて、それにお金も欲しくって、大金をつかむには今がチャンスだって気づいて・・・そんなところだったんじゃないかしらと思うんですよ」

    • やまさん
      きのPさん
      こんばんは。
      やま
      きのPさん
      こんばんは。
      やま
      2019/11/09
  • 長い。とにかく長い。でも、面白い。そんなことまで説明する必要ある?そのエピソードまで読ませる必要ある??って思うことも多々あったが、なんだかんだ読んでしまう魅力的な作品。ミステリーというよりは人間ドラマ。さすが宮部みゆき、個々の家庭、個人の価値観、人生観をあらゆるパターンで描写しきるその観察眼と文章力にただただ感動する。ただし、長すぎて途中途中で心が折れかけるので根気が必要。audible契約してる人は併用した方が絶対いい。最優先で読め!とは言わないが、宮部みゆきワールドへの理解をより深めたい人は読むべき作品。

  • ❇︎
    ずっと昔に読んだことのある作家さんでしたが、
    急に思い立って手に取りました。

    関係者の話をインタビュー形式でまとめてながら、
    タワーマンションで起きた凄惨な事件の全貌が
    少しずつ明らかにされます。

    事件を振り返って語る主な関係者ほ視点と
    無関係そうな人の生活が途中に差し込まれるのを、
    二つの車輪のように見ながら進みます。

    主旋律と伴奏のように相互に関係しているのか、
    一見関係しているようでいて実は無関係なのか
    謎解きの楽しみもあります。

    内容は社会問題を含んだ重めなものなのに、
    最後に残る余韻は思ったほど苦くない。

    酸味と苦味のコクのバランスが程よくとれた、
    後味の良いお話でした。





  • 週刊誌を読み進めている感覚が新しくて面白かった。ひとつの事件を追うライターさんはこうやって事件を解き明かしているのかな。速報性があるメディアではないからこそ掘り下げられる人間像が興味深かった。

    それぞれの家族が持つ歪みはそれほど大きくはなく、どの家庭にもありそうなものだと感じたけれど、その小さな歪み同士が関わり合って大きな事件を生み出したように感じる。こういうことは現実にもたくさんあるんだろうな。

  • 直木賞作品読ませてもらいましたーー670頁
    ーー長い!
    半分くらいから犯人判明、その後はタイトル通り、その理由が延々と続く流れでしたが、飽きずに読ませる描写は流石。
    でもアタシはラストの大どんでん返しが好きかも!

  • 直木賞受賞作。が、宮部みゆき先生の作品はもっと面白いものが多くある。
    かなり実験的な作品で、徹底したリアリティーを追及した作品。作中である登場人物にリアリティがーないことを登場人物が語るところがメタ的である。
    精緻で濃厚で圧倒的筆力を感じさせる。が、物語の牽引力が弱い。
    マンションで四人の殺人が行われたことに対する「なぜ」の興味があまり引かれず、そこに力点がおかれていない。早々にその概要がわかってしまうのが、原因かなと思う。
    ルポ形式なので、キャラ視点がほとんど無く、宝井康隆というSF小説好きの高校生(名前がなんかにとる人がいる)くらいしか興味を惹く存在が無かった。
    要するに、全てが他人事の出来事で没入間無く物語が進むので、このあたり読むのは結構きつかった。個人的な感想ではあるのだけど。
    もし、宮部みゆき先生の小説を誰かに勧めるとしても、この小説は候補に入らないと思う。
    ただ、すさまじい構成力と筆力の高さだけは味わうことができる。そして、物語はそれだけでは面白くならんのだなーということが実感できる小説だった。

  • 久々の宮部みゆき作品


    なかなかの長編だが
    読みやすく、長さは気にならなかった


    取材のレポートを読んでいる程で
    話は進んでいくため
    サスペンス特有のハラハラ感は少ない


    しかし、当事者から関係者一人一人の背景が
    かなりきちんと記されており
    その人間模様は面白かった


    個人的には臨場感のある作品の方が好きなため
    星は3つで。

  • 殺人事件を扱ったミステリーだが、主人公が誰なのかぼんやりとする。家族と幸福について考えさせられる作品である。

    夫婦間の力関係と無理な住宅ローンによる破綻、占有家による偽装家族の自己中心的な砂川家長男役、その長男役と恋人だった女性と家族、大まかにはこの三つの家族を中心に展開される。

    相手を思いやる者が正当にストーリーの終焉を迎える。細かい無理な設定は目を瞑るとして、テーマがわかりやすく文章も良文で構成され、読みやすい作品だった。

  • 大長編。とにかく重厚。バブルの遺物の高層マンションの一家4人惨殺事件の真相にルポルタージュ風に迫る。
    死んでいた人は誰で、犯人は誰か?ミステリとしてのどんでん返しはないけれども、登場人物それぞれの人生がすれ違う極めて奇妙な味の小説。ジワジワと怖い。怖すぎる。
    占有屋の手口も興味深く読めた。法改正で今はできなそうな気もするけど。マイホームを巡る悲哀が凄い。

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著者プロフィール

1960年東京都生まれ。87年『我らが隣人の犯罪』で、「オール讀物推理小説新人賞」を受賞し、デビュー。92年『龍は眠る』で「日本推理作家協会賞」、『本所深川ふしぎ草紙』で「吉川英治文学新人賞」を受賞。93年『火車』で「山本周五郎賞」、99年『理由』で「直木賞」を受賞する。その他著書に、『おそろし』『あんじゅう』『泣き童子』『三鬼』『あやかし草紙』『黒武御神火御殿』「三島屋」シリーズ等がある。

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