- Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022643186
感想・レビュー・書評
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いやー、最高の読書体験であった。
あちこちで「伝説の」的な扱いをされていることがよくわかった。
「朝日文庫」所収というのが信じられない(オリジナルの単行本は、「情報センター出版局」で方向性的には納得(笑))。私はオリジナルで読んだが、文庫は「ひょっとすると」一部改変されていてもおかしくない(そのくらい朝日的良心とは相入れない本)。
経済繁栄が爛熟の極みに向かいつつあった1980年代初頭の日本、しかも東京において、人々は「不都合」なものを隠蔽してきた。
不都合、とは私の言葉で端的に言うならば「死」あるいはその気配のこと。そして、それにまつわるグロテスクさ、臭い。著者は混沌のアジア放浪、そして幼い日々を過ごした高度成長直前期の地方旅館(美しくもはかない、そして決して豊かではない日本)で育んだ鋭すぎる感受性で白日のもとにさらけ出す。
冒頭の「豚は夜運べ」からいきなり突き刺さってくる。
本書の重要な一部は、著者が写真週刊誌「Focus」に連載した写真と記事がもとになっている。殺人事件の現場、遺体、東京に当時残っていた野犬とその駆除など、全てではないにせよあの雑誌が単なるのぞき見趣味ではない孤高の発信を続けていたことも読み取れる(そしてその連載はある事件で打ち切られる)。
呉智英が、この時代の清潔志向を「デオドラント文化」と呼んで、それをイコールある種の隠ぺいと喝破していたが、それと通底するものを感じる。
日本を「単一民族国家」と表現するなど、今日的に見ればあれこれの指摘はありえるが、逆に言えばこれほどの人が例えばアイヌを集中的に取材すれば、現代の表面的な多様性礼賛とは格の違う文章を書いたはず。
1980年代日本の記録として必読以外の何物でもない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
FS1a
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著者は芝浦に住んでいる、豚は夜運べ、FOCUS連載、ニンゲンは犬に食われるほど自由だ、繰り返し言及される事件、80年代も今も変わらないことに驚く
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本が初版のせいかほとんど写真がないかったこともあるのか、文章はほとんどよくわからず。
この版を次に観てみよう。 -
豚を夜に移送する話とインドの人の屍を食べる犬の写真はインパクト有りました。
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希薄になった家族関係、物質的な欲望の飽和などは今となっては聞き飽きた話ではあるが、これが三十年も前に書かれたものだと思うと著者の鋭さを感じずにはいられない。
殺人犯に怒号を浴びせながら写真を撮るカメラマン。森達也さんが指摘するようなマスコミの崩壊は八十年代から既に始まっていた。
宗教団体に代表されるような、得体のしれない不気味な存在を追い詰めようとする巨大な悪意。そのエネルギーは今も変わらず、むしろ圧倒的に力を増してスケープゴートを探している。
インドで犬に食われる人の屍を写真に収めた作者。「人間は犬に食われるくらい自由だ」と自然の中の死のありかたを肯定しつつも「犬のように自由に生きたい」と犬を羨んだり耽溺する甘さがないのがいい。最後は「私の鼻はおまえのより百万倍退化しているけど、私の頭はおまえより、ちっとは巧妙だ。あんなにぶざまに、ベロベロに腐り切った肉なんか食らったりはしない。都市の殺意をかいくぐって、おまえより、ずっとたくましく、巧妙にやっていくよ」と人間として生きる覚悟を宣言するところが心に残った。 -
知らない視点が拡がった気がした
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ヒト喰えば鐘が鳴るなり法隆寺
消費文明の神が大衆に下した十戒
便利に文明的になったがゆえに失ったもの
中産階級が健全なる社会生活をするために不適合な汚物や異物は消毒・排除されてきた。
いじめの心理的背景はそこにもあった。 -
ガチンコです。もう忘れられて久しい気分を充分に残した本なのかもしれない。
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『印度放浪』以来、彼の原点とも言える本書を読む。刺激的な写真もあるが、それは「死」そのものであって、人が社会というシステムから解放された後の、「自由」そのものであると思う。