松前藩が移封され、解雇された相田総八郎となみの江戸・裏店での浪人暮らし。
「生きていくことは死ぬことよりもずっと辛い。それでも生きていなければならないのは何の為だろう。その答えは、…」と、なみがか語るように、藩での暮らしとは別世界であった。それも14年後、晴れて帰藩が叶う。しかし、待つには、耐えるには長すぎたようです。
「脇目も振らずにあの家から飛び出すには、時間が掛かり過ぎました」と語り、江戸に残る仲間の涙に、否定することは誰にもできなかった。
そして、帰藩後、上京した総八郎に待つのは、何もなくなってしまった神田三河町であった。江戸は、町民はもっと速く時代に流されていくのかもしれない。「自分の人生がもはや終わりに近いと感じた」惣八郎の想いが、江戸の夕闇に解けていくのが見えるようです。
14年のブランクがあり、帰藩した総八郎たちは、無事お役目が務まったのでしょうか。気になります。武士としての矜持だけだったのか、あるいは、江戸時代だから変化がなく、問題なかったのでしょうか。浦島状態ではなかったのか、と。