東京の情景 池波正太郎エッセイ・シリーズ1 (朝日文庫 い 10-6) (朝日文庫 い 10-6 池波正太郎エッセイ・シリーズ 1)

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  • 朝日新聞社
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レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (110ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644237

感想・レビュー・書評

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  • 変わり続ける東京の中に残る江戸の情景、池波氏の描くカラーイラストは今でもイキイキと当時の東京を語っている。
    氏の全30点の絵はすばらしい。

  • 昔日の風情豊かな東京を描いたカラーイラストをもとに、その頃の想いなどをエッセイにしたためてあります。現在も当時のまま残されている風景がどのくらいあるのか気になります。
    ちなみに、カラーイラストは全て池波氏の作品です。

  • 飛行機に乗っている間、ひまなので買った本。
    池波さんのエッセイならはずれないだろうと。

    いや、内容はいいです。セリフで終わらせて余韻を残すとことか好きです。
    笑ったのは、大川と佃大橋のところ。



    月島に住む若い友人が、私にこう言った。
    「夜ふけに、佃大橋をわたりながら、川風に吹かれながら、彼女とキスするのはいいもんですよう。」

    ああ、そうかい。
    勝手にしやがれ。


    目に浮かぶような文章です。

    文章も絵も楽しめたけども、
    CPが低いと思います!図書館で借りるのでよかった。
    素敵な内容なのだから、
    もうちょいなんとかならないだろうか!

  •  郷愁を描いた作品である。

     著者の池波正太郎さんは東京に生まれ、住んだ。異郷に身を置いて故郷を懐かしむのが郷愁なのだから、著者が東京を想う心情を「郷愁」といったら広辞苑的には明らかな誤用である。
     
     80年代に池波さんが描いた30枚の東京の情景と、それぞれの思い出や思い浮かぶ事々が纏められた画文集である。
     最初の1枚は「大川」と呼ばれた隅田川越しに眺めたある風景。「私は、この浅草・待乳山聖天宮の山裾に生まれた」とある。また、「私の生家は、むろんのこと跡形もない」とも書かれている。今はない故郷を追憶する心情や、江戸の失われた面影を想う気持ちは、やはり紛れもなく「郷愁」にほかならない。『鬼平』をはじめ江戸を舞台とした多くの作品が、郷愁をベースに生まれたことを再確認できる、ファンならずとも興味深い一冊だ。

     絵柄には尖がったところがまるでなく優しい眼差しに溢れ、色彩は緑も赤も暖かく、眼前にある現代を描きながら、なぜか麗しい思い出を描いたものに見えてくる。

     池波さんが自らの思い出を呼び起こし、遠い江戸に思いを馳せながら描かれた1枚1枚に見入っていると、見ている方も次ぎつぎと走馬灯のように連想や遠い記憶が呼び起こされてしまう。
     例えば御茶ノ水のニコライ堂では、著者は昭和初期の流行歌を思いだす。「ニコライ堂の鐘が鳴る」という幼い頃母が口ずさんでいた『神田小唄』だ。
     さらには、その聖堂を初めて眼にしたとき父と交わした会話を思い起こす。
     「ニコライ堂って何?」、「耶蘇(ヤソ)のお寺さ」
     そしてそのころ父があの母と離婚したばかりであったことなどをめんめんと思い起こす。
     私はといえば、それに触発されて検索サイトのキーワード検索のごとく、3件も4件も雑念が思い浮かんでしまい振り切ることができない。

     斎藤茂吉は私の中学の先輩だ。もちろん世代は80年も隔たっている。自慢するわけではないが国語だけが図抜けてできた私は「茂吉以来の秀才」と冗談で言われた。だが、当然のように受験では辛酸を味わった。御茶ノ水にある予備校で黙々と日々を過ごした。帰り道、ニコライ堂を見上げる頃には、感慨など抱きようも無いほどいつも疲れきり、漠たる不安だけが充満していた。だが潜在的な記憶の中で、聖堂はいつも赤く染まっていた。
     茂吉は郷里を遠く離れ東京の医家に養子に入った。だが、医学とドイツ語に難渋した、それ以前に抜けぬ山形訛りに苦労した。18、9歳の頃だ。やはり御茶ノ水にあった医学予備校の帰り道、ドイツ語の講義でへとへとの足取りで坂を下り、振り返るとニコライ堂が夕日に染まっていた。その胸に浸みる「赤い光」を眺めたときの思いを詠った。

    《入りかかる 日の赤きころニコライの 側の坂をば 下りてきにけり》

     後にそれを知り、「辛かった」などと思ったこともなかった封印された思いが溢れ出し、涙がほとばしったことがある。短歌とは、深層の琴線を鷲掴みにする圧倒的な芸術なのだと実感した。夕映えの「ニコライ堂」は茂吉と私の間で通底するキーワードだった。

     元自衛官がソ連に軍事機密を漏洩した宮永スパイ事件は昭和55年のこと。警視庁公安部が容疑者を現行犯逮捕したのが「ニコライ坂」の路上でだった。ゾルゲの手記などにも記されているが、スパイは神社やお寺を目印にする。時代が経過しても無くなることが少ない目立つポイントだという。旧ソ連の工作員にとってこれ以上ない格好の落ち合い場所であったに違いない。ニュースを見てその時の私は思ったものだ。

     大津事件で襲われたニコライ2世は、自らの名を冠したこの聖堂の完成披露に出席するのも来日の目的だった。だがそれは果せなかった。

     新興宗教への入信が元で芸能界を去ったアイドル桜田淳子がインタビューに答えて言っていた。
     「私だって恋をした。アイドル時代だってニコライ堂の見えるカフェでデートしたことだってある」
     思い当たるカフェは一軒しかない。あのころにあそこでねえ。恥ずかしながら当時私は彼女の大ファンだった。

     キリがないのでこのへんで。

     江戸、東京は池波正太郎さんや茂吉や淳子ちゃんや、そして私などだけでなく、何千万という人々の想いがこもった、巨大な物語発振地であるのに違いない。

  • 池波正太郎氏が自ら書いたイラストとそれに関するエッセイをまとめている。
    江戸時代から続くものに対しての撞着が非常に強く、どんどん街が破壊されていくのを嘆いている。
    これが書かれているのは昭和60年であり、あれからさらに東京は変貌しているが自分の記憶にあるおぼろげな古き東京を思い起こさせてくれる。

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著者プロフィール

1923年東京浅草生まれ。60年「錯乱」で直木賞受賞。77年「鬼兵犯科帳」「剣客商売」「仕掛人藤枝梅安」の三シリーズで吉川英治文学賞を受賞した。90年没。

「2017年 『西郷隆盛 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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