街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫) (朝日文庫 し 1-63)

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644466

作品紹介・あらすじ

直木賞受賞作「梟の城」にゆかりの「甲賀と伊賀のみち」、人気の短編小説「おお、大砲」の舞台ともなった「大和・壷坂みち」を歩く。海に生きる漁業の民をルポした「明石海峡と淡路みち」、さらには「砂鉄のみち」とつづく。島根県、鳥取県、岡山県の山間のタタラ遺跡を著者は訪ねる。日本と朝鮮文化について考え続けていた著者にとって、砂鉄は重要なキーワードだった。

感想・レビュー・書評

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  • 再読。言わずと知れた紀行文学の金字塔、司馬遼太郎の『街道をゆく』である。

    出張やら旅行やらで地方に出かけるとき、もしこのシリーズで踏破されている土地であるならば、事前にパラパラとめくっておくことが多い。

    本書の初版刊行はおよそ半世紀も前。紀行文の場合、通常ならばあまりに内容が古くなり、読書に耐えられなくなるものだが、本シリーズに限ってその心配はあまりない。なにせ、紀行文ではあるのだが、現代(当時の)パートは口直しで、メインディッシュは司馬さんが縦横無尽に語り尽くす歴史談義だからである。

    特に本書「砂鉄みち」は、史料の乏しい古代史であり、司馬さんの空想混じりの噺が際限なく続く。こんなオジサンが親戚にいたらさぞ面白かろう。

  • 岡山在住の私には親近感のある内容でした。

  • 甲賀伊賀道、大和と壷坂道、明石海峡と淡路道、砂鉄の道といった複数の諸道が一冊に含まれており、それぞれが連関していると思って読み進めたがそうではなく独立した項目。古代中国朝鮮から日本の山陰地方へ製鉄たたらの技法が伝承した事を論じる砂鉄の道が1番わかりやすかった。おおくの水と材木を必要とする鉄の製造に気候風土的に適していた日本が朝鮮よりも発展していったと論じる鉄と文明の密接な関係性に想いを馳せた。

  • 今日はこれから、高校の時の同級生と桜井駅から談山神社から飛鳥へと歩く予定。
    大和・壺阪みちを感じつつ、楽しい一日になりますように。

  • 以下抜粋
    ・室町末期から織豊時代にかけて、日本は、世界史的な大航海時代の圏内に入った。対明貿易が活発になり、堺や博多が貿易港になり、また松浦諸島のうちの平戸や福江は倭寇貿易の基地になった。この当時、日本側が持っていく商品には、・・・、なんといっても需要が最も多かったのは刀剣で、それに干鮑だった。

    ・鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力である。樹木が鉄をつくるといっていい。
    さらに、その社会で鉄が持続して生産されるための要件は、樹木の復元力がさかんであるかどうかである。この点、東アジアにおいて最も遅く製鉄法が入った日本地域は、モンスーン地帯であるため樹木の復元力は、朝鮮や北中国にくらべて、卓越している。

    ・朝鮮人は歴史的にも優秀な民族だし、また手工芸においても高い能力をもっていることはいくつもの例で証明できるが、しかしその能力を十分に反映した社会を近世まで持ち得なかった理由の一つは、鉄器の不足にあるといってよく、同時に鉄器の不足が農業生産力を飛躍させず、旺盛な商品経済を成立せしめず、せしめなかったこそ、李朝五百年の儒教国家がゆるがなかったともいえるかもしれない。このことは、中国のながい停滞を考える場合にも、多少は通用するかもしれない。
    同時に、裏返せば、日本列島に住むわれわれアジア人が、他のアジア人とちがった歴史、そしてときには美質であり、同時に病根であるものを持ってしまったことにもつながっている。要するに、砂鉄がそうさせたことではないか。

    ・スサノオを奉じて出雲にやってきたのは新羅の製鉄者集団であったとすれば、かれらはこの航路をつたって出雲にきたであろう。
    かれらが移動してきた理由は、ほっとすると韓国の採鉄場付近の森林が尽きてしまったからであるかもしれない。

  • 甲賀と伊賀、岡山や島根などにまたがる砂鉄の道を取り上げている。後者がとても印象に残った。
    古代から近世まで、いや現代でも鉄というのは技術の塊であり、農業、軍事などの面で欠かすことのできないものだった。それが日本にどう伝わり、どのように生産されたか、司馬遼太郎氏の考えが穏やかに伝わってくる。観光ガイドには出てこないような、中国地方の小さな町を訪れたくなるような本だと思う。

  • 甲賀と伊賀のみち
     伊賀上野から御斎峠を経て紫香楽宮跡に至ります。
    甲賀と伊賀で戦場諜報の技術が発展した共通点、一方で伊賀衆よりも時勢の中で立ちまわりに長けていた甲賀衆という対比がとても興味深いものでした。

    大和・壷坂みち
     橿原市に位置する今井の街並みから、高取山の高取城へ。高取城跡に残る石垣から、加藤清正の堅牢な一級品の石垣に思いを馳せます。

    明石海峡と淡路みち
     大都市はほぼ例外なく平地に築かれていて、もし、山中に大都市が発展したらどんな街になるのだろうかと想像したことがあります。
     現在の中心感覚は、行政の府を内陸部から湾入した海浜に持ってきた豊臣秀吉の感覚を祖としており、中世の武家の本拠地は内陸の要害地がおおかった、という記述にふと空想が掻き立てられました。
     肥沃な土地を好む照葉樹林と貧なる土地を好む松。人の手が入り整備がされると土地が痩せて松が優勢に、やがて人の手が離れ自然状態になると照葉樹が優勢にという話はなかなかに民俗を感じました。

    砂鉄のみち
     日本はもともと鉄に関しては後進の国で、大陸側の中国・朝鮮は早くから製鉄の技術が育まれていたという。
     鉄を作るには火力がいる。火力を得るには木材がいる。樹木が育つには水がいる。このことから「樹木が鉄をつくる」との言葉には含蓄を感じます。水が豊富な日本は樹木に恵まれ、製鉄技術が伝えられたのちには大きく鉄器が発達する。乾燥、湿潤という地理条件による鉄器の発達の差はなるほど、感じました。
     「木器や石器が道具の場合、人間の欲望は制限され、無欲でおだやかならざるをえない」「鉄器の豊富さから欲望と好奇心という、現象的にはいかにもたけだけしい心を育むのではないか」という鉄器にみる文化性の違いも面白かったです。
     熱田神宮に素戔嗚尊を祀った南新宮社というお社があり、その脇に曽志茂利社があります。当時はその聴き慣れない名前に違和感を覚えたものでしたが、本書の素戔嗚尊の出身地が「ソシモリ」との記述を読み、名の由来はここからかと謎の一つにヒントを得ました。

  • 今回は四部構成。「甲賀と伊賀のみち」、「大和・壷坂みち」、「明石海峡と淡路みち」、「砂鉄のみち」。地名の入っていない最後のものは伯耆、出雲、美作といった旧国名を並べれば人によっては十分イメージがわくことだろうか。

    甲賀・伊賀の項においては自分も一度は通ったことがあるのではないかという道のりが一部出てくる。ただこの辺の道は免許をとってすぐの頃、車を運転するのが楽しくて仕方がない頃に何も考えずにただ走り抜けていただけであった。奇しくも今となっては名神高速が三重側に迂回する様になったためこの鈴鹿山麓を挟んだ2つ二つの地位極端に近くなったはずだがその分風情というものも多大に失われたはず。かろうじて残る古色性をみつけるためには今回シバさんがたどった様な道のりを敢えてたどることが必須なのではないだろうか。

    大和・壷阪の道程は近江住民にとっては弱点と呼んでもよいような地域ではないだろうか。近いようでもあり、遠いようでもある。自分の場合前回この辺りを徘徊した理由が「彩華ラーメンを求めて。」だったのが、知的度が薄く好対照(苦笑)

    今回のペアリングは「明石海峡と淡路みち」においては「菜の花の沖」を、「砂鉄のみち」では意表をついて小説からはみ出して「この国のかたち 五巻」を選びたい。前者についても巻数を指定すべきならば一巻及び二巻のみといったところか、その物語自体は淡路の漁村から始まるもののみるみる間に日本全国にその舞台が移り変わっていくためである。後者については「鉄」とストレートに題して5回に分けて綴られている。今回砂鉄の道を同行するに至って、この項での予習が予備知識として随分役に立った。

    おまけとしてこの砂鉄の道の行程においてちょっと嬉しい気分になれたのは先日読了したばかりの丸谷才一著「笹まくら」で登場した、鳥取県は米子のはずれにある皆生温泉に司馬さん一行が逗留することになったくだり。ということで本作もペアリング推薦書として是非加えたい。

  • (01)
    媒体は週刊朝日,本書収録分は1973年から75年頃に取材され,記述され,掲載されたものである.三重,滋賀,大阪,奈良,兵庫(淡路),島根,岡山などへの旅の記録であるが,筆はもちろん周囲の地域や,海や島,半島や大陸へと及んでいく.
    彼らの旅行は,著者のほかにも,挿画家,編集者などのほかに,ところどころの郷土史家(*02)が伴われ,取材や描写は,経営者をはじめ,道で出会った人,そこで働く人たちまでに及ぶ.
    昭和50年代にかけては,鉄道やバス,旅客船など,ひととおりの公共交通手段も整っていたであろうが,彼らは主に自動車での移動を試みている.
    こうした条件のもとに描かれる風景は,それでもなお懐かしい.著者が歴史作家であるという理由もあるだろうが,古代から中世近世を経て,近現代までの土地土地の風景や,人が住まうにいたった情景をさらりと描いている.
    「街道をゆく」というテーマであるから,土地への執着は深くはない.それは自動車という移動手段にもより,時にはどたばたと強行な移動もしているから,土地と土地のつながり,人がどこから来てどこへ行こうとしているのか,という観点や目線による浅さでもある.
    その浅さは,思考や発想の軽さを容易にし,多くの場面で著者の大風呂敷な文明観が開陳される.砂鉄の話,漁法の話,松や楠の話,戦闘と防御の技術の話などは注目に値する.
    心安く,数々の印象的なエピソードを楽しみながら旅行記として読むのも楽しいだろうが,大風呂敷の歴史的な空想が広げてくれた世界観を楽しむのも本書の読み方のひとつであろう.

    (02)
    宮本常一のテグスをめぐる説,四手井綱英の松枯れについての言及など,歴史的な史料だけでなく,著書が,当時の最新の学説等も漁ったうえで,これらの旅行記を執筆していることは覚えておいてよいだろう.

  • なんとなく、歴史ではいつもどの地域にも大名とか殿様ってのが居て地域を支配していたと思っていたのだけど、ここ最近の読書で自治を維持した集団(主に僧や宗徒)があるのだということを学んでいる。権力も一概ではないな。

    砂鉄のみちの日本が歩んできた鋳鉄の歴史面白かった。日本は森林と水に恵まれたため鉄が安く精製でき、農具としてかなり発展したためそれが生産性に繋がったと。古代、明らかに文化を牽引していた朝鮮は森林枯渇のため儒教的な発展を望まない地になった、という見解はとても面白く読みました。
    また古事記に言及した実際的なスサノオや八岐大蛇の存在など、興味深く読んだ。シバサンの時代を超えて現実を読もうとする姿勢好きです。楽しい。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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