街道をゆく 8 熊野・古座街道・種子島みちほか (朝日文庫) (朝日文庫 し 1-64)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (337ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644473

作品紹介・あらすじ

西南戦争の揺籃となった私学校は南方の習俗としての「若衆組」と同義ではなかったか、という仮説を検証すべく歩いた「熊野・古座街道」「大和丹生川(西吉野)街道」と、薩摩の士族文化の残像を求めて飛んだ「種子島みち」。いずれも大作『翔ぶが如く』の執筆と並行する旅だった。ほかに「天領」日田の豊かさや由布院の新しいまちづくりを実感する「豊後・日田街道」を収載。

感想・レビュー・書評

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  • 以下抜粋~
    ・結局、川へはダムの底の水が流れこむために濁るだという。ダムの底の水は水温が低く、自然、古座川の水温も低くなってそれまで淡水魚の宝庫といわれたこの川に魚があまり棲まなくなったというのである。なるほど氾濫はふせげたが、差引すればどうだろうかという疑問が村々にある。
    「河川土木に限りませんが、自然に手を加えるというのは、むずかしいものですな」

    ・インド神である牛頭天王は、祇園精舎の守護神で、とくに疫病をふせぐ神であった。
    京都の八坂神社は日本の神であるスサノオノミコトよりも、その本地であるインドの牛頭天王を信仰していた。
    これによって八坂郷がインドの地名の祇園とよばれるようになったわけである。

    ・徳川幕府の草創のときの大方針の一つは、水軍を絶滅させることにあった。織田・豊臣家の水軍である熊野水軍の九鬼氏を、丹波の山奥に移封させたように、久留島氏(伊予の来島水軍)も、この豊後森というような海とはまったく無縁の山奥に移されたのである。

    ・薩摩は士族文化の国で、その士族文化というのは、つきつめていえば相手に対する優しさと鄭重さにあるように思われる。

    ・朝鮮侵略が、焼物戦争といわれるゆえんはそれで、その焼物戦争以前の日本の食器など諸道具というのはほとんど漆器だったことを思うと、日本文化はかれらに負うところが量り知れぬほど大きい。

  • 種子島道の章から読み始めた。(HPの日記より)
    ※2008.4.15購入、これより旧版
     2008.4.15読書開始
     2008.6.1読了
     売却済み

  • 若衆組や種子島の歴史など、興味深い知識が溢れている。
    今の年齢になってこそ楽しめる作品だと思います。

  • 司馬遼太郎さんの1976年頃の旅の記録。まだ彼方此方にロードサイド店だらけになる前の田舎が残っている中を歩いているので、読んでるとNHKの新日本紀行を今見るのと同じような感覚になります。文章的には司馬さんが目的意識なく歩いている時の方が話が発散して面白いです。

  • 『街道をゆく』は、言葉の旅でもある。

  • 今回も四部構成、「熊野・古座街道」、「豊後・日田街道」、「大和丹生川(西吉野)街道」、「種子島みち」からなる。

    引き続きシバさんは「翔ぶが如く」を執筆中らしい。九州の道を歩いているときは当然として、熊野・古座や大和といった機内を歩いている時でさえ、思索が薩摩のどこかを浮遊しているような様が端々で感じられる。前巻でも味わった感覚であるが、このあたりが感じられると二倍にも三倍にもおもしろい。

    また一見ランダムに見えるこの行程選択の中で、熊野と種子島が相関性をもって書かれている点が興味深かった。

    種子島みちの項に関して今回のペアリング選択は、掟破りの同シリーズ、「街道をゆく 南蛮のみち」編、「街道をゆく 砂鉄のみち」を含む七巻、「街道をゆく 紀ノ川流域」三十二巻を選択。この島に漂着したのがなぜポルトガル人だったのか、なぜこの島の支配階級はこの漂流者とコミュニケーションがとれたのか、鉄砲というその後の日本の歴史をかき混ぜる道具がこの島を経由することによってどういう変化を遂げたのか、鉄砲がその後どの経路を経て本州へ広がったのか、雑賀衆と鉄砲の関係とは…といった問いかけに次々と答えてくれる。

    おっと、「故郷忘じがたく候」を忘れるところだった。沈壽官氏、何回会っても心地よい。酔った須田さんが浴衣に黒靴でついていく様が楽しくて仕方がない。自分も当然後ろについてゆきたい!

  • 熊野近辺の知識を得たくて読んでみたが、あっさりしていてやや拍子抜け。
    一方、種子島と熊野の関係等、思わぬ知識が得られ、楽しかった。

  •  本巻は、①南紀・熊野古道、古座。②豊後・日田街道。③大和、下市。④種子島など。

     ①と④、しかもその関連性がより一層興味深い。
     本書に拠れば、熊野をはじめ紀州と種子島との相互関連や往来が、古代期から続いてきたことが伺える。
     例えば、種子島における熊野(よさの)等の地名などにその残滓が見て取れる。

     一方で、意外にも種子島は多・良な砂鉄産地。
     具体的には、種子島での、弥生時代・2世紀の遺跡にある鉄製釣鈎に依拠している。
     一般に、国内のたたら製鉄開始は5世紀以降だが、この種子島の遺跡は国内では稀有というのが注目すべきか。 また欧州伝来の鉄砲の大量生産。これを最初に実現したのは種子島だが、これもまた既存の製鉄技術が後押ししたと解釈できそうだ。

     一方で、紀州根来も鉄砲隊で著名だが、著者の言うとおり、古代から連綿と続いてきた、種子島と熊野ほか紀州との結びつきがあったればこそ、との解釈も不可能ではなかろう。

     意識すべきは、ⅰ)古代より続く熊野神社の各地域への影響力。ⅱ)海の道、南海道の役割と歴史的意義。南西諸島⇔種子島⇔薩摩⇔土佐⇔紀州の一帯性。ⅲ)古代から続く製鉄センター・種子島の意義。ⅳ)敬語の少ない南海道の地域的特性の意味といったところだろう。

    1979年刊行(週刊朝日初出75~76年)。

  • 九州は行ったことがないけど、船上から見たことはあります。桜島も見ました。この本を読んで、単に好きであった「焼き物」も歴史をたどると、明と暗の部分があることがわかりました。

  • 熊野・古座はもっと古代のことを書いて欲しかった。江戸期までの夜這いや若衆はあまり興味がわかなかった。

    種子島は中々おもしろかった。南方の小さな島に、住吉神社や熊野神社があるのは紀州など中央と交流があったからというのは面白い。海流のせいなのか。根来衆も種子島に寄っていたのか。
    薩摩と対等に近い関係だった。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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