街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫 し 1-68)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644572

作品紹介・あらすじ

大阪市から五條市を経由して渓谷をゆく。たどりついた奈良県十津川村に、筆者は親近感を持っていた。「幕末、十津川の人はじつによく働いた」とある。十津川郷士と呼ばれ、孝明天皇の信任を得、坂本竜馬らと親交をもち、新選組とも戦った。そのわりに明治後に栄達した人はほとんどいない。明治二十二年に大水害で村は壊滅、多くの住民が北海道に移住し、新十津川町をひらいてもいる。ドラマチックな谷間の「街道」がここにある。

感想・レビュー・書評

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  • 五條・大塔村
     太平記、南山踏雲録、天誅組、十津川郷士等に触れながら五條から十津川へ至ります。
     天誅組に関する箇所は日本の近代史に疎いこともあり、読みこなすのが難しかったですが、これを機に少し勉強してみようとも思いました。
     「ともかくも十津川村は、さまざまな歴史の通過地として華やかである。それにひきかえ、北隣りの十二村荘はなにごともなかった」と記される大塔村(十二村荘)について、「なにごともなかった」(p.81)と記しつつも、著者によって記されるその歴史はとても興味深いものでした。
     
    十津川村
     子供の頃、母の実家へ向かう折に十津川村を抜けたことがあり、川向こうの木々の中に点在する家々・学校を見て、子供心にここの生活はどのようなものだろうか、どのようにしてこの地に住まうことになったのかと、感じたことがありました。
     「田中や那須という人間への関心ではなく、逃げ込むということへの関心である。日本は陸つづきの国境がないために他国へ亡命することができず、せいぜい天険をよじのぼって山家に入りこむしかなかった。古来、十津川がその適地として選ばれつづけ、…」(p.139)と述べる著者の言葉が、自分の十津川に対する望郷のような感情の一部を言い当ててるように思いました。
     本章では十津川郷を中心として、十津川と関わった人たちが去来し、十津川の歴史が縦横無尽に語られています。
     教科書的な大きな事象から、十津川に住む人たちの生活の一端も垣間見ることができます。
     本書の最後、玉置山から十津川最南端の果無山脈を抜け七色に至ります。重厚な十津川をまさに今、駆け抜けてきたような気分に包まれました。

  • 司馬遼太郎の街道をゆくを頭から読んでみよう企画も12冊目になりました。今回は十津川編。十津川といえばば五條から新宮行きのバスに延々と乗って行くところと言うイメージですが、そんな山がちな所だから逆に周囲の政治勢力から独立していたとは面白いですね。
    しかし幕末の勤王の志士は訳判らんことばかりしてますなぁ

  • 今の十津川郷はどんなだろう?

  • 一行目からブルッと身震い。なぜならそこには坂本竜馬が絶命する数刻前の様子から語られるからだ。

    竜馬の刺客が十津川郷志を語って宿に入ってきた詳しい様子は同司馬氏著「竜馬がゆく」最終巻である八巻を参照いただきたいが、本巻においてもダイジェストが味わえる。十津川郷志を偽って入ってくることがなぜ取次のものに油断を産ませることになるかの論理及び歴史のつながりは「竜馬がゆく」本編の中でも触れられてはいたはずであるが本巻ほどどっぷりとは語られていない。

    また本巻では二度目のブルッともやってくる。「竜馬がゆく」では脇役過ぎて印象に残らなかったものの、短篇集である「幕末」の中、「浪華城焼討」の下りにて印象付けられる人物が登場する。土佐藩脱藩浪士田中顕介のちの光顕で、その後昭和14年まで長命したという事実も手伝って司馬作品のあちこちに登場するのであるが、その長命への転換期がここ十津川に眠っていたとうこと、前述の短編では事件後の逃亡先として一行述べられているだけでありすっかり記憶からこぼれ落ちていた。

    その十津川を司馬さんがこれらの人物に思いを馳せながら歩き、そしてしたためたのが本書である。彼が人一人の物語を書こうとするとき、こうした山村の中に分け入ってまでも確かめてみたいという衝動に駆られる寸前まで研究に研究を重ねるという姿勢で望んでいたこと、それがよく伝わってくる一冊である。

  • 奈良県の十津川の街道をゆく。十津川という地名は、「遠つ川」が語源ではないかと著者は推測している。
    この作品を読んで肌で感じることができたのは、十津川が世に置き忘れられていた地であったということ。山々に囲まれ、谷を渡るのに「野猿」という道具を使い、南北を走る道路の完成までに半世紀以上を費やしていることなどから、いかに外部との接触を図ることが難しかった場所であったかが推測できる。
    おもしろかったのは、この「陸の孤島」であった十津川には、あまり否定的な側面が見受けられない点である。米が十分に獲れないということで、徳川時代には免祖地となっている。本来ならば社会に貢献できない立場として後ろめたさを持ちそうだが、著者が分析する十津川からはそれが感じられない。むしろ、免租地であることを誇りに思っていると捉えている。
    なぜ十津川の人たちは「陸の孤島」を誇りに思っていたのか。以下は自分なりの解釈であるが、こうした天嶮に阻まれた土地であるが故、いわば江戸時代に我が国が経験した「鎖国」と同様、良くも悪くも独自の文化や習慣を身に付けてきたと考えられる。本来ならば外界との接触により、差別を生んだり、支配・服従の関係を生んだり、あるいは文化や習慣も淘汰されたりするであろう。そのとき、自己否定や劣等感などの感情をもたらす。しかし、十津川は地政学的にそのような運命を辿ることはなかった。これが十津川の明るさに繋がっているではないだろうか。
    一方で、いまや人やモノ、サービスが世界規模で往来する時代である。これまでとは違い、近隣府県のみならず、世界のあらゆる波が十津川に押し寄せてくる。グローバル時代を迎えた今、十津川はどのように長年培ってきた歴史を守っていくのか、気になるところではある。

  • 桃源郷のようなところだ。いつか行きたい。
    なにか対価をもらわぬ、ただ呼ばれたときにははせ参ず、その清貧な心意気はなんと美しい事か。代わりに、支配を拒む人達。
    美しい場所なんだろうな、と思う。

  • 今年の台風で、大打撃を受けた
    五條市大塔村。
    何度も土砂崩れで、通行止めになっている
    この道について書かれている本。

    筆者の司馬遼太郎が、もしも今の状態を見ていたとしたら
    きっと加筆しただろうと思われる。

    私は、基本的に司馬氏の作品を好まない。
    その思い込みの激しい文章が読みずらいのだ。
    しかし、とにかくよく 調べている。
    司馬氏の家が、現在 資料館として残っているが
    そこに所蔵されている書籍群は、
    個人の所蔵としては、桁外れである。

    ものを調べつるとは、こういうことかと
    気づかされた。

  • 今回の旅は、奈良県南部、紀伊半島中部山塊の只中にある十津川地区を訪ねる。

    山の民がいかにして時の政権と渡り合い、そして幕末には十津川郷という、藩にも似た自治組織として歴史に人を送り込んでいく、その軌跡が実際の旅を通して展開される、著者の思索への旅で描かれる。

    中でも最も印象的なのは、出兵直前、熊野に徒歩旅行に行った時の著者のくだりである。
    著者はこの世の理不尽さに身を浸しながら、この世の名残と十津川を通って熊野に出ようとするが、途中道に迷い、とある禅寺に拾われる。そこは十津川の入り口だったのだが、今回訪ねようとすると、すでに周囲とともにダムに沈んでいた。
    著者は何とも言えない感情とともにその事実に、静かに坦々と呆然とする。

    山間の静寂の中、いかに隔世の感がある里にも、やはり時の世と同じ時間が静かに時が流れている。
    それを感じさせる1コマだった。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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