街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち、檮原街道 (朝日文庫 し 1-83)

著者 :
  • 朝日新聞出版
4.13
  • (8)
  • (11)
  • (5)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 101
感想 : 13
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (340ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644800

作品紹介・あらすじ

近所の町医・安住先生の故郷を訪ねてみようと思い立って出かけた「因幡・伯耆のみち」。農法や農具の先進地だった歴史を振り返り、現在の過疎の印象とは違う一面に光をあてる。革命の「果実」を得ることなく倒れた坂本竜馬はじめ多くの土佐人たちの脱藩のみちをたどる「檮原街道」には、脱藩者が通るあいだ「目をつぶっていた」番所役人の子孫なども登場。南国らしい明るい紀行になった。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 来年、雪が解けたら因幡から出雲の国を旅しようと考えながら読みました。夏泊、投入堂、大山へも行ったことがあり、懐かし思いがしました。
    四国・高知の竜馬脱藩の道も辿ってみたいです!

  • この歳になって司馬遼太郎を1冊も読んでないのもどうなのかと思って街道をゆくを読み始めて27冊まで来ましたが、そろそろ読むのがつらくなってきました。
    鳥取藩についてまるで250年間何もしてなかったかのように書かれてますが、そこまで酷くはないだろうと思ったり、単に明治維新後の鳥取から逆算して見てないかと思ったり、とにかく引っかかるようになりました。
    本書が執筆されたのは1985年ごろで40年近く前なので、私も40年間の歴史学の進歩をベースに批判しているところがあるのは確かなのですが……。

  • 以下引用~
    ・大正末年、柳宗悦によって提唱され、実践された民芸運動は、千利休の美学とともに、日本文化史の独創面を代表するものだろう。
    「民芸」
    ということばそのものが、誤差なく欧米語に訳し難いそうである。
    宗悦はその目で、日本の日用の雑器をながめ直した。美の意識ではなく「用」の意識が、時に無作為の美を生みだしていることを知った。
    鳥取県の場合、地域としてその思想を、他の場合のように通俗に堕ちることなく清らかに定着させている数少ない県といっていい。

    ・七世紀になって一大異変がおこった。
    大規模な戦争もなく、また革命思想の普及もないままの異変だった。大王(豪族)たちの一つである大和の大王の手で、中国の国家体制(律令制)がとり入れられた。
    このことは、明治初年の版籍奉還・廃藩置県をおもわせる。
    二つの異変に共通する理由のすべて(と言い切っていい)は、外圧による。さらに正確にいえば、外圧についてのこの島国のひとびとの過敏感覚によるといってもよく、もっと的確にいえば、危機感覚の過剰さともいえる。
    「統一国家をつくらねば日本はほろびる」という感覚である。
    7世紀の異変は、大地を盛り上げるようにして出現した隋・唐という統一帝国からの被圧迫感覚によるものであった。

    ・亀井氏十一代の歴世みな藩政に熱心で、山野をよく拓き、また製紙などの産業に力を入れ、小さな山間の盆地の津和野を近在の商業の中心地に仕立てあげた。江戸後期は、漢学のほかに国学と洋学がさかんで、その果実が、明治の西周や森鴎外だったといえる。
    ついでながら、私どもがいまつかっている明治製の西洋語の対訳としての日本語の造語には、このふたりの津和野人に負うところが多いといえる。

    ・日本は漁業国といわれるが、明治以前、この技術については、地域によって高低があった。他を圧してすぐれていたのは、紀州であった。
    紀州の漁師と勝負したい。
    と、ヘミングウェイが、晩年、洩らしていたというはなしをきいたことがある。

    ・平安時代のある時期から、畿内の公田から逃亡した者の多くがはるかに関東へゆきそれが流行のようになった。関東はまだ大規模に未開の原野がのこっていて、いくつかの水系に、雑多な出身の者がとりついて鍬をふるい、灌漑土木をおこして水田をつくりつつあった。
    浮浪人たちはその労働力としてみずからを売ったり、あるいは開墾主になったりした。それが平安末期に武士化し、やがて源頼朝を擁して、土地の私有権を大原則としてかかげる鎌倉幕府をつくるにいたるのである。

    ・「土佐人の屍体は、薩摩のイモ畑のこやしになり、長州のミカン畑のこやしになった」とよくいわれる。
    薩長に果実を食べさせた、ということである。

    ・私どもの神々は、もとはシベリアのバイカル湖畔のあたりでおこったものなのである。そこには、ツングース人の男(女もいた)のシャーマン(巫人)が、単数もしくは複数の楽器を用い、さかんに舞踏してついちは憑依状態におちいって、戦慄する。そういうシャーマニズムとよばれるものが、はるか南下して日本列島に入った。

  • 今回は二本立てだったので間に休憩がてら「胡蝶の夢」二巻を読みきってみるなんてオツな楽しみ方も試みた。

    因幡・伯耆は旧国名としてどのあたりか見当がつくものの、「檮原」に至っては字をみただけでは読み方も場所も見当がつかなかったほど。ただ「竜馬がゆく」を通して既に通り抜けていた場所だったがゆえに地図をみればすぐ納得がゆき、馴染みのあるいくつかの登場人物たちと共に少し懐かしい気分で同道させてもらった感あり。

    ひとつの県内でいがみ合ったり非難しあったりなんてことがあるというのはシバさんを通して青森県のみちを歩きながら教えてもらったことではあったけど、ここ鳥取県でも経緯は違えど似たような話になっているらしいことを再度教えてもらった。ただ決して陰惨なイメージはなく、日本最少人口のこの県でそうしたことが残っているということに若干のユーモアを感じるのはシバさんと同じ。

    さて、今回のペアリング考。因幡・伯耆の海岸沿いの道のりにおいては度々「菜の花の沖」に由来する北前船の話が登場する。後半土佐から伊予への道においては「竜馬がゆく」がどうしても外せないが、余裕があれば「功名が辻」の後半も。ちょっとよりみちさせてもらうなら本編の行程にはちいとも出てこないのではあるが、米子近くの皆生温泉の印象が強く残る丸谷才一著「笹まくら」もはさみこんでおきたいところ。さらに脱線するなら鳥取美人、司葉子が登場する小津監督作品「秋日和」も。(笑)

  • 因幡、伯耆、日本人の源流
    檮原、高知県人の人間性

  • 【因幡・伯耆のみち】
    未読

    【檮原街道】
    土佐に、檮原とよばれる山ふかい町がある。
    ユスハラは、土佐のチベットやきに。
    などといわれた。

  • このシリーズ大好き。亀井茲矩の小説を読み、興味をもったので、本書を手にしました。
    やはり、魅力的な人物で、一度鹿野をたずねてみたくなりました。

  • 西高知の文化に触れた。いきたい。

  • 因幡・伯耆は今の鳥取県。旧因幡国(中心地は鳥取市)と旧伯耆国(米子)は文化が異なり今も心情的対立があるとか。檮原は高知県西部。幕末の脱藩ルートとして有名。他と比べて関所チェックが甘かったらしい。甘かった理由も推察されていて面白かった。

  •  毎回、土地土地でこの姓だけで、どこどこ出身と分かる、と言うのが好きです。自分でも控えておいて、その姓の人にあったら言ってみたい、と思いますが、今だかつてあったことがありません。

全13件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

司馬遼太郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×