街道をゆく 28 耽羅紀行 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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レビュー : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (353ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644817

作品紹介・あらすじ

韓国南端の済州島を、そこを故郷に持つ在日の畏友二人を先達に歩く。日本に押し寄せた蒙古軍が馬を肥やした漢拏山麓の草原をめぐり、巫人や海女など古層で日本文化とつながる民俗を訪ねる。繰り返し表れるのは、朝鮮史五百年の停滞をもたらした科挙および朱子学への強い批判と、巻き込まれざるを得なかった民衆への哀憐の情。著者による朝鮮(民族)論の集大成の観がある一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 済州島といえば、リゾートのイメージが強く、一人で行くにはしのびない観光地だと思っていた。しかし、本書を読んで、文化的に非常に興味深いスポットであることが分かった。何しろ済州島は、モンゴル高原、バスク地方、アイルランド島、そしてハンガリー平原と並んで、司馬遼太郎が若いころから行ってみたかったという念願の地の一つだったのである。それで、私は済州島に行くことにした(耽羅のくに〜済州島紀行〜:http://bioinfo.tmd.ac.jp/~niimura/hanrasan/hanrasan.html)。

    香川県ほどの面積をもつに過ぎない済州島は、古代、耽羅という独立国家だった。それが、朝鮮文化によって色濃く塗り重ねられていくのは、李氏朝鮮の時代からである。李氏朝鮮は、1392年に興り、1910年に終わる。500年以上も続いたという、世界史上有数の長寿国家だった。

    李朝は中国と同様、科挙によって官僚を採用した。その試験は朱子学をもって唯一の学派とし、それ以外の思想を一切認めなかった。司馬遼太郎は、「このことは、朝鮮史に凄惨な災禍をもたらした」と激烈な言葉で述べている。この点は、本書で何度も繰り返される。

    例えば、科挙においては、文章は「八股文(はっこぶん)」とよばれる「愚劣な」形式を備えていなければならなかった。中国では1300年、朝鮮では950年もこんな試験をやり続けていたから、天才が現れず、「すべてが型どおりの盆栽の松」のようになってしまったというのである。ジェームズ・ワットが蒸気機関を発明したころ、同じ時期の朝鮮には荷を引く車さえもなかったという。それに対して江戸期の日本は、キリシタン禁制を除いては、思想的にはずっと自由だった。江戸期における人文科学的な「百家争鳴」という土台があったために、明治期には比較的スムーズに新文化を導入しえたというわけだ。

    大航海時代のヨーロッパは15、6世紀に日本を「発見」するが、朝鮮は長いこと「発見」されなかった。17世紀も半ばになってはじめて、オランダ人が朝鮮と接触するのである。難破したオランダ商船が漂着したのが、済州島であった。

    済州島はまた、朝鮮において唯一、モンゴルが直接支配したところでもあった。それは、朝鮮の中でここにだけは草原で覆われていたからだ。今日、モンゴル高原の馬は、混血が進んでかつての馬とはかなり異なったものになってしまった。それで、13世紀のモンゴル帝国の馬は、現在は済州島だけに残っている。そしてまた、現在の済州島でモンゴルの痕跡をとどめるものは、ただこの蒙古馬だけであるという。

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著者プロフィール

司馬遼太郎は、1923年、大阪市生まれの日本の歴史小説家・エッセイストである。故人。
本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
特に歴史小説の大家として知られ、代表作は「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」「燃えよ剣」「新撰組血風録」「菜の花の沖」「花神」「世に棲む日日」「梟の城」「関が原」「功名が辻」「国盗り物語」「街道をゆく」「十一番目の志士」「城をとる話」「風神の門」「二十一世紀に生きる君たちへ」他多数。その多くが大河ドラマ化、テレビドラマ化、映画化、コミック化などの形でマルチメディア展開されている。

司馬遼太郎は産経新聞社記者として在職中の1960年に、『梟の城』で直木賞を受賞。
1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。
戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。
1996年2月に72歳で逝去。
2001年には、東大阪市の自宅隣に司馬遼太郎記念館が開館。

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