街道をゆく 新装版 (29) (朝日文庫)

  • 朝日新聞出版 (2009年3月6日発売)
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  • 本 ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022644831

感想・レビュー・書評

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  • 以下抜粋~
    ・ともかく秋田藩はめぐまれていた。
    米のほかに木材と金銀がある以上、近畿以西の諸藩のように、あくせすと殖産興業を考えたりやったりせねばならぬ、ということはなかった。

    ・おっとりとした大旦那といえば、佐竹家そのものがそうだった。江戸期、二百七十余の大名がいたが、ほとんどが戦国期の成り上がりで、源頼朝以来の大名といえば、薩摩の島津氏と佐竹氏しかいない。
    佐竹氏は、ながく常陸国にいた。

    ・安藤昌益は、この世の最大の悪としてみずから耕さずして他人の耕した食をむさぼり食うことをあげる。不耕の元凶は、儒教があがめるところの聖人である、とする。聖人が出て上に立ち、国を盗んでから世の中が乱れるようになった、というのである。

    ・江戸期の武士教育において、卑怯というほどいやしまれた背徳はない。

    ・飛騨の高山を、小京都という。
    高山には姉小路文化の間接的な影響があるにしても、高山の文化や風致の原形をつくったのは、くりかえすが、豊臣期から徳川初期まで数代つづいた飛騨大名の金森氏だった。さらに正確にいえば、金森家がもっていた茶道美学だった。

    ・むろん、この時期の遣唐使だけでなく、つねに日本から唐へゆく者は、費用として砂金をもって行ったのである。

  • 数日前に人生で唯一の未到の都道府県である秋田県についに行けた。
    またまた秋田城近くの菅井真澄の墓をみれたのだがこの本にも書いてあり興味深く読めた。

  • 今回の街道をゆくは秋田県と飛騨。

    秋田では戊辰戦争での南部と佐竹の戦いの話が出てきましたが、そういえば戊辰戦争で各藩がどっちについたとかちゃんと理解してないなぁと。

    飛騨は高山が好きで何度か行ってますが、確かに富山からも岐阜からも松本からも山道を延々と歩かないと到着しないところで、それだからこその独自文化なのかと納得です。
    これが書かれたのは1986年ごろですが、カミオカンデは、超新星由来ニュートリノの観測があったのはその翌年なのでタッチの差で登場しませんでしたねぇ、などと鉱山の話を読みながら思ったり。

  • 秋田県象潟、私も今夏、鳥海山の駐車場から眺めていました。
    芭蕉が旅した江戸時代には、宮城県松島のように海に島が点在していたのですね。
    秋田のこと、いっぱい勉強できました。

  • 書架の整理を…と手に取った本。

    秋田も飛騨も自分にとってはとてつもなくゆかりのない土地。秋田は盛岡に行く道すがら田沢湖脇を通り抜けた記憶ぐらいしかなく、飛騨に至っては故郷の隣接県であるにも関わらず今や世界遺産となっている白川郷でさえも訪れたことがないという始末。そんな地を興味深い歴史上の人物を通して再認識できたことは嬉しい出来事。つい先日読了したばかりの柳宗悦作品の引用もみつけこれまた嬉し。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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