街道をゆく 34 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち (朝日文庫 し 1-90)
- 朝日新聞出版 (2009年4月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022644886
作品紹介・あらすじ
能、狂言、茶道、絵画などが勃興し、現在の日本文化の原点といえる室町の世を考えながら早春の京都・紫野を歩いた「大徳寺散歩」。大燈・一休以来の厳しい禅風がいまも生きる境内を、心地よい緊張感を感じつつゆく。「中津・宇佐のみち」では、宇佐使の宇佐八幡、黒田官兵衛の築いた中津城と、歴史をたどる。そして幕末の中津が生んだ福沢諭吉の、独立不羈の精神について多く筆を費やす。
感想・レビュー・書評
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以下引用~
・鎌倉時代、絶対他力の親鸞念仏と、絶対自力の禅がうまれ、両輪相まって、日本文化にふかい影響をあたえた。
・仏教の本質は、自分の力で自分を浄める道だ、ということにある。
・日本人はよほど清潔ずきらしく、”きれい”ということばは、たとえば、よく洗った皿がきれいである、あるいは、このビンきれいですか、という意味と同時に、彼女、きれいだよ。という別義を持っている。
清潔と美が、一つのことばなのである。オランダ語もそうだそうで、オランダ人の清潔好きの説明によくつかわれる。
・福沢には、沢がつく。沢のつく地名、苗字は信州に圧倒的に多い。諏訪湖の東南の茅野市の市域のなかに、福沢という小さな村があって、諭吉の祖はそこから出た、と福沢家の伝説にいう。
そのころ、中津は小河原氏の時代だった。この大名は室町時代にすでに信濃の守護だった家で、信州松本が封地だったこともあり、家臣に信州人が多かった。
ついでながら、中津はよき混血の地である。初代黒田氏の家来には播州(兵庫県)人が多かったろうし、つぎの細川氏には京都人がすくなからずいたろう。小河原氏の信州、奥平家の三河(愛知県)。
・つまり封建制のもとでは、下級の家にうまれた者はいかに学問ができてもむだなわけで、僧侶になることがぬけ道だった。魚屋の息子が大僧正になったというような者がいくらもいた、と諭吉はいう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前半「紫野」あたりはなんとなく土地勘はあるものの、「中津・宇佐」に至っては想像さえも働かないといった不甲斐なさ。でも両編ともすっかり楽しめた。
あいかわらずシバさんの宗教感覚の鋭さには舌を巻きもすれば敬愛もできる。おそらく足を踏み入れたことはないであろう大徳寺の境内も、この人の思索に付き従うように歩いて行くと分かった風な勘違いまで起こしてしまいそうになる。実家にいた頃にこの部分を読みきっていたなら、「はて、今からここには行けるのだろうか?」と時計をみていたに違いない。「世界一有名な僧といえばおそらく一休。」に自分も一票投じつつ、実際のその人の裏側にあったものを突き詰めて観ていく技は自分にはない。ただ横でみさせてもらったことに感謝である。
中津あたりの地図を眺めて周防灘を挟んで宇部の真南だったりすることにちょっとした驚きを感じたりなんかしている自分は、この辺り出身の人達からすればちょっと滑稽なのに違いない。かつての豊前の国が廃藩置県時に大分県と福岡県に分断されたという史実を改めて聞くに、本シリーズを通して何度か味わった感覚、例えば青森県と岩手県の境や鳥取県内のその逆の話、を思い起こすことができるようになってきたのは進化として捉えてよいのではないかと感じたりする。
そして…、諭吉をもっと知りたくなる。
ペアリング考については、中津・宇佐みち本編でも触れられる「播磨灘物語」。そして両編にちらほらとする細川忠興つながりで短篇集「故郷忘じがたく候」に含まれる「胡桃に酒」を。あと「世に棲む日日」の中で炎上する小倉城がこのころの忠興ゆかりの城であったこともツボ。
日豊本線、赤丸急上昇(笑) -
薦枕。
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大徳寺の寺院から「禅」の世界に大変興味がわいた。
茶の道をやろう!! -
ISBN-13: 978-4022644886
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寒くなる前に、大徳寺に行ってみよう。冬休みには、大分県にも行ってみたい。