忘れられる過去 (朝日文庫)

  • 朝日新聞出版 (2011年12月7日発売)
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本 ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784022646439

感想・レビュー・書評

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  • 往来堂書店『D坂文庫2012冬』から。
    詩人が書いた、読書や文学に関するエッセー集。柔らかく、それでいて締めるところはきちんと締める。川上弘美さんに「もっと、ていねいに、生きよう」と言わしめたこの著者の文章は、読むほどに味が出るよう。手元に置いておいて、またいつか読みなおしたい一冊。

  • 読む、ということへの向き合い方が、心地良い文章が続く。それと、読んだことのない文学への入り口として、とても魅力的な玄関になっている。

  • 平易な言葉で語られる鋭い視点と指摘。いずれの文も氏の文学への柔らかい執着心が伝わってくる。私の文学への関心の扉を少し開いてくれたような気がする。じんわりと心に溶け込んでくる作品だった。とても良かった。

  • よかった。読んでいて少しも、まったく、苛々しない。
    言葉が、普通に本来の意味で取り扱われ、過剰でも過小でもないせいか。

    付箋をペタペタとたくさん貼った。
    気になるというより、いいなと思うことがいろいろあって。

    「メール」という短い文章もよかった。
    初めて、メールをやってみようという気になって、設定に取り組む。「さっぱり意味がわからない」「ちがう星のコトバかと思われた」「途中で何度も死にそうになった」とさんざん悪戦苦闘して、メールが出来るようになった時のこと。簡潔にして、苦労と喜びが伝わる。

    本についてや生活についての文章が多いけれど、しかし読んでいると、何よりも、時間について思いを致すことになるように思う。
    解説で川上弘美さんも書いていたらしたが、例えば「芥川龍之介の外出」。芥川の年譜をもとに、人の家を訪ねた芥川が、その家の主にどれくらいの率で会えたかを、荒川さんは丁寧に調べる。
    そうだよなあ、芥川の時代にはメールももちろん電話だって一般家庭にはないのだから、人に何か用があれば会いに行くわけだよなあということに気付く。相手がいるかいないかは行ってみないとわからないわけなのに、それでも行って、いなければいないで待たせてもらったり、一旦帰ってあらためたり。
    人と話す、人に伝える、というのは、そういう情熱の必要な、濃密なものだったのだ。

    メールや電話で繋がっている現在は、いつでも連絡がとれて便利なような、いつも繋がっているような錯覚を起こすけれど、連絡がとれる分、会わずに済んでしまう。人と話すこと、伝えることに、あまり情熱は要らなくなった。

    荒川さんの文章は全体に先を急がず、要点やあらすじにのみ重きを置いていない、と感じる。時間がゆったり流れ、だから時間てこういうふうに流れるものだったよなあ、と、考えてしまうのかもしれない。

  • 読書にまつわるエッセイ七四編。お疲れのときにどうぞ!
    荒川さんも、津島佑子さん、須賀敦子さんと並んで、スランプのときの「お助けメン」の一人だ。
    荒川さんの本を読めば、欲望の充電もできるし、荒川さんの批評の姿に触れることは、猫背になりがちな僕の姿勢をも正してくれる。
    荒川さんとの出会いは、NHKの「カルチャーラジオ 文学の世界 荒川洋治の“新しい読書の世界”」だ。
    黒島伝治「橇」などの素晴らしい作品を教えてもらったことは生涯忘れない。/


    ◯ 「読めない作家」:
    【その名前を、どう読んでいいかわからない作家のことである。】/

    「読めない作家」、その作品をどう読んでいいかわからない作家のことである。
    たとえば、三島由紀夫、石原慎太郎、百田尚樹、村上春樹などである。
    以前、心情左翼を標榜していたことがあるので、あまり右利きの人は好まない。
    それと、ひがみ根性が極度に発達しているので、あまり売れ線の人もちょっと。/

    海外文学ではどうだろうか?
    シェイクスピア、ポール・オースター、トマス・ピンチョンあたりだろうか。
    もとより金づちなので、あまり取りつく島がないものは好きじゃない。
    また、どんなに有名な大家でも、面白いと思わないものは読まない。
    (シェイクスピアが嫌いな人はそう多くないようだが、少なくともトルストイとバーナード・ショーの二人は沙翁が嫌いなようだ。/


    ◯「文学は実学である」:
    【漱石、鴎外ではありふれているというなら、田山花袋「田舎教師」、徳田秋声「和解」、室生犀星「蜜のあはれ」、阿部知二「冬の宿」、梅崎春生「桜島」、伊藤整「氾濫」、高見順「いやな感じ」、三島由紀夫「橋づくし」、色川武大「百」、詩なら石原吉郎‥‥‥と、(略)こうした作品を知ることと、知らないことでは人生がまるきりちがったものになる。それくらいの激しい力が文学にはある。】/


    ◯「空を飛ぶ人たち」:
    【詩を読む人が少ない日本では、現代詩(略)のひとつの作品が(略)「あの作品はいいね」といわれるまでには一〇年、二〇年の歳月がかかる。それでも、よい詩は読者のもとに残される。(略)
    思いつくままにあげても(以下は作品名、*は詩集の表題作でもあるもの)、小野十三郎「葦の地方」、永瀬清子「あけがたにくる人よ」*、天野忠「動物園の珍しい動物」*、蔵原伸二郎「昨日の映像」、会田綱雄「伝説」、石原吉郎「馬と暴動」、黒田三郎「秋の日の午後三時」、中桐雅夫「会社の人事」*、石垣りん「くらし」、吉野弘「夕焼け」、粕谷栄市「世界の構造」*、茨木のり子「自分の感受性くらい」*、飯島耕一「ゴヤのファースト・ネームは」*、谷川俊太郎「父の死」、鈴木志郎康「終電車の風景」、寺山修司「懐かしのわが家」、清水昶「少年」*、井坂洋子「地上がまんべんなく明るんで」*、近年の作では清岡卓行「咲き乱れるパンジー」(略)、伊藤信吉「帰宅」(略)などがあり(略)、いずれも、その詩のもつ新しさ、あたたかさ、かなしさが、このあともたいせつなものになると思えるものである。
    粒来哲蔵「鱏(えい)・manta」(『倒れかかるものたちの投影』思潮社・一九九〇)もそのような作品のひとつだ。(略)
    この散文詩は、こんなことばではじまる。

    マンタは空を飛ぶとです。ーーといって伊良波盛男は その飛形をまねてみせた。

    ー中略ー

    空の高みで、マンタは空を飛ぶとです。ーーという伊良波の声が聞こえていた。

    ー中略ー

    詩を書くことはそれを選んだところで人生が消えるものである。詩そのものも人生をかげらせるが、それを読む人の少ない国ではなおさらである。土を離れ、空に浮かぶことなのだ。】/


    ◯「びっくり箱」:

    【「狭き門」「贋金つかい」の文豪アンドレ・ジイド(略)が亡くなって一〇年後、批評家(略)は書いた。ジイドは忘れられた、「煉獄にはいった」と。

    ー中略ー

    忘れられることにも、残ることにも理由があるだろう。日本を例に、そのあたりを見つめてみたい。

    ー中略ー

    ④社会の変化に合わなくなった。→宮本百合子、平林たい子、野間宏、高橋和巳など。(略)
    ⑤国際的な作家として名声をかちえたあと、筆がゆるんだ→安部公房。
    ⑥「時代」を次々に突き抜けるほどの、強い個性や魅力がなかった。

    ー中略ー

    知的な青年の苦悩を描く、椎名麟三、田宮虎彦などは、高橋和巳、倉橋由美子と交替した。その彼らは「軽い時代」の到来により、一九八〇年代には村上春樹に完全に吸収される。/

    この辺りの荒川先生の筆はかなり痛烈だが、それでも僕は、忘れられた野間宏、高橋和巳と筆のゆるんだ安部公房を読んで行きたい。/


    ◯「鮮やかな家」:
    【〈赤座は年じゅう裸で磧(かわら)で暮らした。
    人夫頭である関係から冬でも川場に出張っていて、小屋掛けの中で秩父の山が見えなくなるまで仕事をした。〉
    室生犀星の名作「あにいもうと」(略)は、ここからはじまる(略)。秩父の山をのぞむ多摩川畔で、(略)川仕事をする赤座と、その一家の話だ。

    ー中略ー

    この「あにいもうと」は激しい。そして鮮やかだ。ここまで家族を裸にしてみせた小説はまれだろう。家族の世界を組み立てるひとりひとりの気持ちが、しっかり抱きとられ、読む人の皮膚にくいこむような鋭い線で描かれる。日本文学屈指の強烈な傑作である。】/


    最後に、なんだか心配になってきて検索してみた。
    大丈夫!荒川さんは七五歳でご健在でした。

  • 烏兎の庭 第一部 書評 10.12.03
    http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/kakoy.html

  • 本に纏わるエッセイ74編。毎回湯舟で1~2編ずつ読んだ。今は夏だしシャワーだけの日は読まない。だからえらい時間がかかってしまった。だからもう最初の方は忘れてしまった。忘れてしまっているのに忘れられない感覚が残る。荒川さんの文章はやさしくていねいで、記憶の襞にそっと沁みこんでくる。きっとこれから、本を読んでいる時や、または生活の中だったり、なにげない風景に出会った時だったり、ふとした瞬間に甦る日が訪れよう。なんだかワクワクしてきた。

  • 講談社エッセイ賞受賞作品であることが、読み終わってから判明。

    P21 つまり読むときが来たのだ。ぼくにとって本はそういうものだ。いつか身にせまる。強くせまる。そのためにも本があること、本の空気があることがだいじだ。そこにあるものは、これからもあるということなのである。

    P24 「芥川龍之介の外出」

    P58「遠い名作」
    …「失われた時を求めて」は読むわ「ジャン・クリストフ」は読むわ「魔の山」は読むわ「夜明け前」は読むわ。そしてけろっとしているのだ。えらい人だと思うけれど、こういう人は学校を出たら突然読書と無縁になり読書そのものから「卒業」してしまうことが多い。むしろ、あれも読まない、これも読まないという人のほうが、そのあとも気になるので「晴れない」気持ちをかかえながら、読書の世界にへばりついていき、おとなになっても書物とつながっていくのだ。

  • ほとんどのエッセイが見開き2ページというコンパクトさなので、ちょっとした時間に読むのに本当にちょうどいい。

    柔らかな言葉で綴られた文章に、たくさんの著作名が出てくる。見たことのない文学者の名もたくさんあるし、聞いたことのない本もたくさん出てくる。
    でも、それを読みたくなる。
    「本を読むこと」に関して書かれたエッセイが多くて、いくらか本が好きであれば是非読んでみてほしい。立ち読みでもいいから。

    そこには「ほほぅ」と頷くことや、「くすり」と笑ってしまうこと、そして「うーむ」と唸ってしまうことが書いてあると思う。

    文学は、経済学、法律学、医学、工学などと同じように「実学」なのである。社会生活に実際に役立つものなのである。そう考えるべきだ。特に社会問題が、もっぱら人間の精神に起因する現在、文学はもっと「実」の面を強調しなければならない。—「文学は実学である」

    こうした立場が「理想的」だといくら言われようと、個人的にはこの考え方に与したい。心から。

  • 「日本全国8時です」の火曜ゲスト。
    ラジオから聞こえてくる穏和で丁寧なイメージと見事にマッチしていた。粋な言葉を操る才覚のある人だと思った。

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著者プロフィール

荒川洋治
一九四九 (昭和二四) 年、福井県生まれ。現代詩作家。早稲田大学第一文学部文芸科を卒業。七五年の詩集『水駅』でH氏賞を受賞。『渡世』で高見順賞、『空中の茱萸』で読売文学賞、『心理』で萩原朔太郎賞、『北山十八間戸』で鮎川信夫賞、評論集『文芸時評という感想』で小林秀雄賞、『過去をもつ人』で毎日出版文化賞書評賞を受賞。エッセイ集に『文学は実学である』など。二〇〇五年、新潮創刊一〇〇周年記念『名短篇』の編集長をつとめた。一七年より、川端康成文学賞選考委員。一九年、恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。日本芸術院会員。

「2023年 『文庫の読書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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