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- / ISBN・EAN: 9784022647849
作品紹介・あらすじ
【文学/日本文学小説】2013年に三島由紀夫賞、14年に第1回フラウ文芸大賞受賞作、「王様のブランチ」で西加奈子さんも絶賛の作品。小4と中2時代の結佳を通して描く、女の子が少女に変化する時間を切り取り丹念に描いた、静かな衝撃作。解説・西 加奈子
感想・レビュー・書評
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『教室はね、見下す側と、見下される側に分かれてるんだよ。見下される側がどんな気持ちか、そっち側の人にはわかんないんだよ』。
誰もが通る青春時代、その入口に位置するのが中学時代だと思います。同じ学年、同じクラスの中でも”からだ”や”こころ”の成長に大きな差が出るその時代には、自分を守ろうとするが故に突出した存在になるのを極端に恐れる感覚も生まれます。そんな先に、こんな表現で表される世界が現出します。
『このクラスで、大体女子は五つほどのグループに分かれている。私たちは、下から二番目の「大人しい女子」のグループだった』。
そう、“スクールカースト”とも言われる、目に見えない垣根で囲われたグループの存在です。
『その順番は、誰が決めたというわけではない。でも誰にでもわかる…私たちは明白に区別されている』。
そんな『区別』の先にどんな世界が作られていくのか。そんな世界の中でどのように日々を生き抜いていくのか。あなたも中学時代にそんな『区別』に思い悩んだ過去をお持ちかもしれません。そう、これは、中学時代に通らなければならない一番の試練と言えるものなのかもしれません。
さてここに、『誰が上で誰が下か、誰にでもわかる』という”スクールカースト”に支配された中学時代を生きる一人の少女を描いた物語があります。”女の子が少女に変化する時間”を丁寧に描いていくこの作品。そんな時間を生き抜く大変さに胸が締め付けられそうになるこの作品。そしてそれは、『私、やっぱり、この街、大っ嫌い』と叫ぶ主人公が『見知らぬ真っ白な道』をどこまでも駆けていく物語です。
『結佳ちゃん?』、『何見てたの』と『名前を呼ばれて』『不思議そうに』覗きこむ若葉と隣に立つ信子に気づいたのは主人公の谷沢結佳(やざわ ゆか)。『ううん、なんでもない。工事、今日もうるさいなあって思ってただけ』と返す結佳は『急速に変化し続けてい』る『この窓から見える光景』のことを思います。『転校生が多いこのニュータウン』の小学校で『三年生になったころから仲がいい』という三人は『四年になった今も、休み時間はいつも一緒』にいます。そんなところに『ねえねえ、何の話ー?』と『甲高い声で急に話に割り込んできたみか』は、『ねえねえ若葉ちゃん、秘密の話があるの』と言うと若葉の『手を引っ張って行って』しまいます。『私、みかちゃん大っ嫌い!』と残された信子が不満の声を上げます。そんな信子は『結佳ちゃん、おトイレ行こうよお。ここだと、みかちゃんの声が聞こえてきてうるさいし』と結佳を連れて行きます。そんな結佳は『ごうん、ごうん、と、空き地が潰れる音がする』中に『今も私たちの街が造られ続けていた』という『窓の外の工事現場を見』ます。
場面は変わり、放課後『習字用の鞄を持って三丁目の集会所へ向か』う結佳。『週一回、木曜日の夕方から行われて』いる『習字教室』へと訪れた結佳は机に向かい字を書き始めます。そんなところに『遅れてすいませーん!』と『呑気に間延びした挨拶』で『同じ学年の伊吹陽太』がやってきました。『どこかで寄り道をしてサッカーをしていたのだろう』と思う結佳。そして、教室が終わり家へと帰る段となり、同じ方角へと帰るのは伊吹と結佳の二人。普段は自転車で先に帰ってしまう伊吹でしたが、ブレーキが壊れたとのことで一緒に歩き始めます。サッカーのことなど会話する中に『伊吹くんって、学校好き?』と訊く結佳に『うん!』と『迷いもなく答える伊吹』は『谷沢は、学校好きじゃないの?』と逆に訊きます。それに『あんまり好きじゃない、かも』と返す結佳ですが理由を訊かれても上手く答えることができない中に『女の子同士の微妙な難しさがわかるはずもない。お友達は好きだけれど、学校は疲れる』と思います。そして、歩き続ける中『ここってほんと、変な街』と呟く結佳は『どんどん変わっていく…なんか変。生き物みたい』と話します。それに、『ニュータウン、面白いじゃん』と話す伊吹は『この緑道も、もっと先に延びる』という話をします。そして、『五丁目のほうまで行けるよ。おれ、案内してやろっか』と一方的に話す伊吹の勢いに『日曜日!九時に学校の裏門の前』と約束して二人は別れました。
再度場面は変わり、日曜日の朝、『あ、おはよー』と待ち合わせた二人は歩き出します。家の話などをする中に『初めて男の子と遊ぶ緊張もとけてい』く結佳は『あ、ほら、緑道が延びてる!』という先にどんどん進んでいきます。その先にあった『巨大な空き地』も見終え、『トンネルだあ』、『ここで行き止まりだ』という場へと行き当たり『骨みたい』、『私たち、骨の中で暮らしてるみたい』という結佳に『変なこと言うなあ、谷沢』と見つめる伊吹。
再度場面は変わり、『習字教室』の後に伊吹と帰る結佳はゴミ箱に『裸の女の人』の表紙の本が捨てられているのに気づきます。本を取り上げると、それを見て『ばか、拾うなよっ』と真っ赤になる伊吹。『おれ、興味ないもん』と言う伊吹に『うっそだあ。本に書いてあったよ。男の子はこういうの、皆好きだって』と言う結佳。『「せいつう」が来たらきっと好きになるよ』と続ける結佳ですが、伊吹は『せいつう…?』と『何にも知らない』様子。それに、『伊吹って何も知らないんだ。子供だね』と言う結佳は、『ね、伊吹。伊吹に「せいつう」が来たら、私に見せてよ』と伊吹の顔を見ます。そして、『代わりに、私に「しょちょう」が来たら、伊吹に見せてあげるよ』と続ける結佳は『すごいことだよ。知らないの?』と言うも意味を解さない伊吹。『見せてあげる。伊吹にだけ!』と『とっておきのおもちゃを見せる約束みたいに思えた』伊吹は『ありがとー。じゃ、おれも見せるね』と『にこにこと頷』きます。『約束ね。このことは誰にも内緒だよ』、『うん!』と指切りをする二人。そんな二人のそれからが描かれていきます。
“少女の「性」や「欲望」を描くことで評価の高い作家が描く、女の子が少女に変化する時間を切り取り丹念に描いた、静かな衝撃作”と内容紹介にうたわれるこの作品。2012年9月に単行本としてまず刊行されたこの作品は小学四年生の日常を生きる谷沢結佳が、その先、中学二年、三年と次第に大人への階段を上がっていく姿を描いています。内容紹介に”女の子が少女に変化する時間を切り取り”とある通り、そこにはまさしく少女へと歩みを進める結佳の姿が描かれます。その一方で集団生活の中で避けては通ることのできない、クラス内に生じる”スクールカースト”の存在が描かれることで、大人へと”からだ”が変化していく中での戸惑いが極めて生々しく描かれていきます。そんな物語の背景に象徴的に描かれるのが結佳が暮らす街の描写です。書名にもある『しろいろの街』というものがそれに当たります。
では、まずは背景の街の描写から見てみましょう。物語は工事により現在進行形で拡張を続ける『ニュータウン』が舞台となり、こんな風にその様子が描写されます。
『グラウンドの向こうで、黄色やオレンジ色をした機械仕掛けのキリンのような重機たちが、ついこの間まで私たちがザリガニをとって遊んでいた空き地を壊し続けている』。
なんとも詩的な表現に目を惹きつけられます。物語は小学四年の結佳の日常がまず描かれていきますが、その背景にある街は拡張を続けています。
『今も私たちの街が造られ続けていた。ごうん、ごうん、と、空き地が潰れる音がする。もうすっかり慣れてしまったその音の中で、私たちは暮らしていた』。
『空き地』を壊し拡張を続けていく街なみが物語前半に一貫して描かれていきます。しかし、イラストを挟んで場面が変わった中学二年になった結佳が描かれる場面で、この描写は一変します。
『工事の音が消え、生き物のように成長し続けた街は、今では新品の廃墟のようになっていた。つくりかけの道のあちこちが、繋がらないまま塞がれていて、街の至る所にやりかけの工事現場がそのまま放置されていた』。
この落差は衝撃的です。物語は『この、骨だらけの、巨大な墓場のような静まり返った街』と書名に繋がるかのような描写で街の様子がさまざまに差し込まれていきます。そして、結佳たちとの静と動の対比が物語を絶妙に演出してもいきます。この街の描写はこの作品にはなくてはならないもの、これから読まれる方には、ぜひそんな街の様子にも注意してお読みいただければと思います。
次に”スクールカースト”が描かれていく部分です。本文中に、”スクールカースト”という言葉が使われるわけではありませんが、こんな風に描かれるクラスの描写はまさしくそのものです。
・『このクラスで、大体女子は五つほどのグループに分かれている。私たちは、下から二番目の「大人しい女子」のグループだった』。
・『その順番は、誰が決めたというわけではない。でも誰にでもわかる。季節ごとに入ってくる転校生たちも、初日でそれを嗅ぎ分けるくらい、私たちは明白に区別されている』。
中学二年という多感な時代のクラスの日常を支配していく”スクールカースト”はこのレビューを読んでくださっている方の中にも、ドキッとされる方も多いのではないでしょうか?この視点で少女たちが描かれた作品は多々あります。私が読んできた作品では、”スクールカースト”をまさかのフランス革命に象徴的に重ねる柚木麻子さん「王妃の帰還」が大傑作だと思いますが、他にも同じく柚木さんの「終点のあの子」、綿矢りささん「蹴りたい背中」、そして村田沙耶香さん「マウス」などそこには名作、傑作が揃います。そんな村田さんのこの作品では主人公の結佳を『下から二番目』のグループに属させているのが特徴です。この作品ではクラス内の五つのグループをこのように分類します。
・一番上のグループ: 『スカートをあげたり校則違反の透明のマニキュアを塗ったり、少しだけ悪いことをしながら着飾った彼女たちは、誰が見ても”上”の女の子たち』
・二番目と三番目のグループ: 『少しだけ子供っぽくて賑やかな子たち』
・四番目のグループ: 『大人しい真面目な女子グループ』、『教室の隅でクラスの中心とは関係がない平和なお喋りをしながら、それなりに心地よく安全な日々を過ご』す
・一番”下”のグループ: 『仲が良いというより、行き場のない子たちが寄り添っているような感じ』、『クラスの中で生き抜くために寄り添ってい』る
なんだかとてもリアルです。そんな”スクールカースト”に支配されたクラスの中では
『”下”の女の子たちと仲が良いように思われるのは、教室の中ではあまり得策ではない』
そんな空気感の中に日々を生きる少女たちの姿が生々しく描かれていきます。激しいいじめの場面が描かれていくようなことはありませんが、それであっても息苦しさが間違いなく伝わってきます。それは、その中学二年の結佳の描写の前に小学四年の場面が描かれたいたことも大きく影響します。かつての仲間との関係性のそれからが描かれていくある意味の残酷さ。なんとも息苦しさを感じる物語の姿がそこにあります。
そして、もう一点、”女の子が少女に変化”ということで象徴的に描かれるのが、”からだ”の変化です。男性の私がここに大々的に本文を引用するのは流石に憚られますので避けますが、『呆然としている間に、また太ももを血が伝っていく…』と生々しく描かれていく『初潮』の場面は、上記で冒頭に触れた
『代わりに、私に「しょちょう」が来たら、伊吹に見せてあげるよ』
と無邪気に会話していた小学四年の結佳の場面の対比があることで、余計に生々しくショッキングに感じます。村田沙耶香さんは他の作品でも”性”を大胆に描かれることの多い方です。この作品に描かれる”女の子から少女”もしくは女へと変化していく”からだ”の描写はこの作品にはなくてはならないものです。さらには、
『こんなふうに見せ合いっこをしていると、否応なしに、自分の身体が未熟であることを知ってしまう。それなのに、尻と脚はどうしてこんなに太いのだろうと、気持ちが重くなる』
そんな風に外観としての”からだ”の成長に悩む結佳の姿、そんな”からだ”を意識し合う女の子たちの姿も描かれていきます。この辺り、男性な私には十全には理解できない世界、経験していないが故にわからない世界の描写が続きます。これは、女性なみなさまこそがそんなリアルな想いを感じていただけるのだと思います。読めば読むほどに、この作品は女性なみなさまにこそ是非お読みいただきたい作品だと思いました。
そんな上記の三点が醸し出す絶妙な雰囲気感が物語を引っ張っていくこの作品は、『遠くから、この街が、ゆっくりと膨れていく音が聞こえる』と始まる冒頭に描かれる『しろいろの街』に大人への階段を上がっていく主人公・結佳の”からだ”と”こころ”の変化、成長が極めて丁寧に描かれていきます。小学四年時代に仲良く過ごした若葉と信子、そして結佳の三人が中学二年となりそこに訪れる関係性の変化。これは、同性の関係性の中に見る変化です。一方で、『書道教室』での関係性が続く伊吹との間に見せる二人の関係性、これは異性との間に起こる関係性を見るものです。物語には、この二つの側面から結佳の成長が描かれていきます。”スクールカースト”に支配されたクラスの中で目に見えない掟に支配される日々の中で、溺れないように必死に日々を生き抜いていく彼女たちの姿は異性の私が読んでいてもあまりの息苦しさに息が詰まりそうになります。そんな中に『女の子は…』という書き出しで村田さんは『女の子』をこんな風に定義もしていきます。
・『女の子は同性の目に敏感なので、綺麗な子ほど調子に乗っていると思われないように振る舞う術を心得ている』。
・『女の子は、どんなに可愛い子でも鏡を見て真剣に溜息をついているようなところがある気がする』。
・『女の子は妄想と現実を絡み合わせて、胸に巣食った発情を処理できずに、体の中に初恋という化け物を育てていく』
そんな言葉は主人公・結佳が内面に思う感情です。つまり、”スクールカースト”な日常を生きる中に『女の子』というものがどういうものかを理解し、その先へと成長していく結佳の姿が物語には終始描かれていくのです。そこに描かれる極めてリアルな物語、誰にとっても難しい舵取りを日々求められる多感な中学時代を生き抜いていく主人公・結佳の姿が描かれるこの作品。そこには『しろいろの街』で、生きづらい世の中を一歩ずつ前へ前へと希望を求めて生きていく主人公・結佳の”女の子から少女”へと歩みを進める姿が描かれていたのだと思いました。
『大人になったらテレビや雑誌の中のような女の子に普通になれると無邪気に信じていた私は、現実の残酷さに溜息をつくばかりだった』。
小学四年から中学二年となった主人公の結佳が、同性間の複雑な関係性を生き抜きながら、異性の伊吹と不思議な関係性を続けていく姿が描かれるこの作品。そこには、村田さんならではのリアルな”性”の描写が、読者の心を惹きつけてやまない多感な少女の姿を描く物語がありました。生き物を思わせるような『しろいろの街』の描写が不気味さを煽るこの作品。『女の子』の”からだ”と”こころ”の悩みを赤裸々に描くこの作品。
少女の姿を巧みに描く村田沙耶香さんの筆の力にただただ圧倒された、素晴らしい作品だと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
女子中学生のスクールカースト、思春期の中で芽生える恋愛感情、自意識、心の変化と、登場人物たちが住む街の開発に重ねながら描かれた小説。
著者の作品は5作目。
生臭い描写をリアルに描く著者の作品の中でも、ダントツに強烈な作品となった。
私は男だが、男ながらに思春期の頃の学校には女子特有のヒエラルキーの存在を感じ取っていたように思う。
枠に収まれますように。どうか弾かれませんようにと。
そして賛否はあると思うが、私は著者が描く生々しくドロドロとした性的描写には美しさを感じる。
野生動物が生きるために自然と備わる知恵のような、人間が理性を持つ前の本能の顕われのような。
久々に息苦しくも先を読み進めたい衝動に駆られた作品であった。-
shukawabestです。
先ほど読み終えました。厳しくもしんどくもいい作品でした。僕は村田沙耶香さん、初読みでしたが、読後感はakoda...shukawabestです。
先ほど読み終えました。厳しくもしんどくもいい作品でした。僕は村田沙耶香さん、初読みでしたが、読後感はakodamさんと同じような感じでした。レビューでの紹介、ありがとうございました。2022/07/18 -
shukawabestさん、おはようございます。
コメントいただき嬉しいです。
本作、堪能されたのですね。読後感、お察しいたします。私は著者...shukawabestさん、おはようございます。
コメントいただき嬉しいです。
本作、堪能されたのですね。読後感、お察しいたします。私は著者の描く生々しい人間模様や、奇想天外で独創的な世界観が好きです。
もしも本作で少しでも興味を持たれましたら同著者作品【殺人出産】もお薦めします。ページ数は少ないですが、なかなかのインパクトです。
タイミングと頃合いが訪れるようでしたら是非!2022/07/18 -
ありがとうございます。
ちょっと怖い気がしますが、期間を少し空けて「殺人出産」読んでみようと思います。ありがとうございます。
ちょっと怖い気がしますが、期間を少し空けて「殺人出産」読んでみようと思います。2022/07/18
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この熱を、どうにもうまく消化できず、次に読む作品はどれにしようと本棚の前に来ても、ぶるぶると溢れてくるこの熱が、次の作品へといこうとするわたしのこころを、ひっぱる。
2020年に読んだ作品の中で、一位二位レベルの作品かもしれない。
これまで村田紗耶香さんの作品をそれなりに読んできたけれど、これほどまでに物語に呑まれ、苦しくなったことはなかった。いつも、彼女が作り上げた世界の中で、「確かにこういう世界だったらそんなこともありえるかも」と、少し客観的に見つめていた部分があったからだ。
でも、この作品は、ずきずきと心と感情が疼いた。心を、ズタボロにかきむしられた。冷静に読んでいることなんてできなくて、久々に平日に夜更かしをして、仕事中も早く続きを読みたくて休憩時間が待ち遠しく、一気に引き込まれてあっという間に読了。
思春期の一人の女の子が、成長することに対して恐れ、スクールカーストに脅え、その中で本当の自分の気持ちを見つけるまで、痛く、苦しい毎日を、気持ちをすり減らしながら必死に足掻いている。屈折して、最後は苦しみの中にその感覚が放射して、再度収束していくような。
名付けようのない感情が沸きだしては、わたしの心の器ぎりぎりでゆたゆたとゆらめいている。物語のラスト、その感情は完全に溢水して、からだじゅうのそこここまで染みわたり、やがて熱となって、身体の中と外に、残る。
あの頃の自分を思い出す。学校という戦場に、駆りだされる日々。教室の中に無条件に存在するヒエラルキー。下から数えた方が早いグループに所属していたわたしは、しかしなぜか、塾や部活では「上」の人たちと過ごしていた。「上」の人たちは、教室の中にいなければ、普通に話をしてくれた。いや、普通に話すことができた。この、呪縛から解放されたような感覚は、自分がそう感じているだけなのか、事実、彼女たちの態度が懐柔していたのか。
いずれにしても、事実としてわたしの中学時代は死んだ方がマシってレベルでしんどかった。それに、わたしを苦しめた彼ら彼女らは、成人式で再会した時には、何もなかったかのように接してきたし、友人の葬儀で再会した時には、「変わらないね」と、安堵するような笑みすら浮かべていた。だったらなぜ、当時その笑みをくれなかったの。どうして昔は、その「変わらなさ」をなじったの。
東京で生活している今、学歴なんてたいして価値がないと思いながら生きている。結婚していないこと、子どもを持っていないことにコンプレックスを感じつつも、自由でそれなりに楽しく生きている。しかし彼ら彼女らに映るわたしは、その学歴や職歴は華々しく、結婚していないことはかわいそう。唯一、わたしを守ってくれたのは、たいして価値がないと思っていた、学歴だけだった。
そんなことを思い出した。
解説は西加奈子さん。この作品を読み始めた当初わたしは「村田紗耶香らしくない」と思っていたけれど、そうじゃない。解説で西さんが「村田紗耶香の『村田紗耶香性』が綺麗に引き延ばされ、そしてその核が少しも薄まっていない」とおっしゃっているように、いわゆる彼女のクレイジーさが突出ではなく、ゆるやかに「引き延ばされて」いるのだ。それによって、「村田紗耶香の入門書としても、永久保存版としてもふさわしい」ものとなっているのだ。この表現は本当に的を得ていて、わたしは今後、彼女のおすすめの作品を問われたら、間違いなくこの作品を挙げるだろう。
次は、そんな西さんの「さくら」を読もうと、本棚の前、熱の中で、決意する。-
naoさん、こんにちは
遅ればせながらこの本を読み終わりました。村田沙耶香の作品は「コンビニ人間」「消滅世界」と2作品読んだのですが、めちゃ...naoさん、こんにちは
遅ればせながらこの本を読み終わりました。村田沙耶香の作品は「コンビニ人間」「消滅世界」と2作品読んだのですが、めちゃくちゃ気持ちの悪いというか、気味の悪い世界観なので読むのに覚悟がいるというか、なので読みたかったんですが
だいぶ躊躇してました…
だけどこの作品は他の作品と違って読みやすい
グイグイ引き込まれていく
naoさんもレビューで言ってますが、村田沙耶香ぽくないというか
たぶん俺が読んだ2作品はあまりにも非現実的だったのに対して、この作品は超現実というか
自分も実際に経験してきた完全に閉塞された
クソみたいな、そして絶対的なヒエラルキー社会
が存在する中学の実態というものを見事に描いていて、本当にあらためて思い出すだけで
2度と戻りたくないと強く思いました。
俺はどちらかというと、どこにも属していないというか、どのグループとも仲が良かった人だったので、この作品には出て来ない人物だったのかもしれないですが、それでもやっぱり上位グループに嫌われないように細心の注意は払っていたような気がします。
今、うちの姪っ子が中学生なので心配で心配でしょうがないです。
でも、聞いている限り、あまりヒエラルキーは存在してないみたいなので少し安心してますが、
ほんの少しのキッカケ、ミス等で地獄に突き落とされるそんな閉塞感な世界を無事に生き抜いてくれる事を祈ってます。
長くなってすみませんでした!
今年も最後の方ですが、最高の作品でした。
naoさんの本棚登録キッカケにしれたんでとても良かったです。2022/12/22 -
sinsekaiさん
おはようございます!
この作品、躊躇いながらも読んでくださったんですね。
読んだのは少し前ですがまだまだとても印象...sinsekaiさん
おはようございます!
この作品、躊躇いながらも読んでくださったんですね。
読んだのは少し前ですがまだまだとても印象に残っている作品です。
基本村田さんの作品は好きですが、この作品はまた違った印象で異彩を放っていますよね。
とにかくあの男の子(名前を忘れた)の存在が救いでした。
最近はあまりヒエラルキーのようなものはがっつりとは存在してないみたいですね。
趣味のジャンルなんかで分かれてるんでしょうかね…
でも、生徒たち(高校生ですが)を見ていると、SNSを通しての付き合いに苦戦していて、それが現代のしんどさかもしれないですね。
姪っ子さんの中学が守られているといいですよね。
何かあったら相談してくださいね!そっち方面の相談も専門分野なので笑
最近はちょっと読書お休み中ですが、ブックオブザイヤー2022はあげるつもりです!
お楽しみに!!2022/12/23 -
2022/12/23
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さあ、村田沙耶香さんよ、と多少ながら臨戦態勢をとっていましたが、この作品は、思春期初期の少女の身体と精神の変化と成長を最後まで堪能できました。
自己嫌悪感・否定感・劣等感を軋むように、痛さを伝えるようにおり重ねて表現してきます。
そして、どのランクの少女達も、彼女達の社会の中で、緊張感を持っています。自分の果たす役割を演じながら、心の内は閉ざします。
この作品は、開発中の新興住宅地の中学を舞台とすることで、少女の成長や停滞、次への展開を街のそれと重なりを持たせています。
私も新築マンションや新興住宅地の、真新しさに緊張し、白さに圧倒されます。生活からの汚れさえ許されない感じが苦手です。
タイトルが素敵でした。俳文のようで。 -
あえて断言したい
この『しろいろの街の、その骨の体温の』は村田沙耶香の最高傑作
であると。
僕は、今まで本書を含め村田沙耶香の中長編小説10作品、『コンビニ人間』から始まって『消滅世界』、そして処女作の『授乳』『マウス』『ギンイロノウタ』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『変半身』(つまり現在のところ未読は『殺人出産』『地球星人』『生命式』の3作品)という順で村田沙耶香作品を読んできたが、本書のようにここまで小説として完成された村田沙耶香作品を読んだのは初めてと言っていいかもしれない。
本書はまさに思春期の少年少女の心のひだの内側を描いた青春小説の最高峰の一つに数えられるべき作品である。
村田沙耶香といえば『クレイジー沙耶香』と呼ばれるほど彼女が描く作品は常人が考えもつかないような狂気の世界が描かれることが多い。『消滅世界』『ギンイロノウタ』『タダイマトビラ』などはいわゆる彼女にとっての「狂気の世界」を描いた傑作だろう。
しかしながら、本作品は思春期の少年少女の『初恋』という、まさに誰もが一度は経験する『狂気』をあまりにも純粋に描いた「クレイジー沙耶香」らしからぬと言っては語弊があるかもしれないが、いわゆる「どストレート」な青春小説なのである。
本作のあらすじであるが、開発途中である『ニュータウン』が舞台だ。多くの土地が造成され毎日のように新しい家が作られ、学校には毎新学期ごとに転校生が二けた単位で転入してくる。そこに暮らす主人公の小学4年生・谷沢結佳はクラスでは目立たない大人しい少女である。しかし、彼女には同じ書道教室に通う同学年の男の子・伊吹雄太という特別な存在がいた。伊吹雄太は無邪気で明るく子供っぽかったが、結佳はそんな雄太を『彼女だけの特別なおもちゃ』にしたかった。書道教室が終わったある日、結佳は無理やり雄太にキスをする。その時から結佳と雄太のあまりにも奇妙な『恋』が始まっていくのだった。
僕もまさにこの本『しろいろの街の、その骨の体温』に『恋』をしてしまったのだろう。この本を読みながら僕が感じていたのは、例えるならば「導火線に火がついたダイナマイトを胸に抱き抱えているような」あるいは「研ぎ澄まされた巨大なナイフの上を素足で1ミリずつ前に進んでいくような」気持ちである。
自分でいうのもなんだが僕は本を読むのは人に比べて早いほうだと思う。しかし、この本を読んでいた時は、通常の本を読むスピードよりも2倍、いや3倍はかかった。むしろ早く読もうと思っても読めなかったといった方が正しいかもしれない。それほど、村田沙耶香の紡ぎだす文章に魅せられてしまう、というか一文字も読み飛ばすことができないほどこの本に取り込まれてしまったのだ。
村田沙耶香の書く文章はさらっと読めてしまう。
回りくどい言い回しはないし、意味不明なごたごたとした小難し単語も使われていない。ただ、その中にふと、注意深く読まなければ読み飛ばしてしまうような文章の『異物』が計算しつくされた形で織り込まれている。
例えば、ふと以下のような文章が無造作にスルッと入ってくるのだ。
『私は「嫌い」という言葉が好きなのかもしれなかった。
この言葉を口にしていると、自分がどんどん鮮明になっていく気がする。』
これは主人公の結佳が自分の性格を言い表そうとしている文章なのだが、文章、言葉の意味としては単純だが、その奥深くに秘められた真の意味に深くうなずかされる。『自分は特別である』と思いたい思春期特有の心理状態。巷では『中二病』という言葉でよく言い表される現象だ。
さらには、
『この街は、驚くほど従順に、夜に飲み込まれていく。
街灯も住宅から漏れる光もまばらだ。
田舎の夜と違って、動物や植物の強い息遣いがすることもない。
清廉な暗闇が、街を覆う。』
など、『街』を擬人化したような表現もまた独特だ。この美しくも意味深い文章に僕の心は引き込まれていく。
そして、村田沙耶香が『人生でいちばん残酷な時代』と話している、思春期の中学生の視点描画がまたすさまじい。
『女の子は同性の目に敏感なので、綺麗な子ほど調子に乗っていると思われないように振る舞う術を心得ている。
それに、女の子は、どんなに可愛い子でも鏡を見て真剣に溜息をついているようなところがある気がする。
上には上がいることも、これが永遠に続く栄光ではなくていずれ自分が老いることも、どこかで知っているのかもしれない。
でも男の子は、この狭苦しい彼らの天国が永遠に続くと信じ切っているように見える。』
僕にも中学生時代はあったが、まさにこんな感じだった。僕は男なので同級生の女の子が自分のことをこんな風に思っていたとは全く知らなかったが、女性的にはまさに的を射た表現なのだろう。
そして、この文章にはこう続く。
『そんな彼らを観察していると、微かな優越感が湧き上がってくる。
この牢獄みたいな校舎のずっと上に本当の私がいて、彼らを観察しているんだ、という錯覚に陥ることができるからだ。
安全な場所から誰かを観察するのは、私にとってはおまじないみたいなものだった。そうしていると、自分が誰よりも賢くて、正しい存在みたいに感じられてくる。
本当は彼らよりずっと“上”にいるのではないかと錯覚できるのだ。』
まさに思春期特有の『中二病的』思考だろう。
こう独白する結佳はまさに『中学2年生』なので、彼女のことを『中二病』と呼ぶのはある意味において間違っているのかもしれないが、中学生を経験したことのある大人ならば首がもげる程うなずかされることだろう。
そして、また『初恋』という病に侵されている少女の心理描写が秀逸だ。
『私は学年の中で囁かれている小さな噂を、聞き逃さずにぜんぶ溜め込んでいた。
そして他の女の子の宝物であるそうしたエピソードですら、私の宗教になっていく。
伊吹だけが、何も知らず、グラウンドで呑気にサッカーをしながら笑っている。
恋をしてどんどん不自然になっていく私たちを嘲笑うかのように、自然体のままで。
女の子は妄想と現実を絡み合わせて、胸に巣食った発情を処理できずに、体の中に初恋という化け物を育てていくのに。』
小学校高学年から中学3年生まで間、主人公・結佳の心と身体の成長とこのニュータウンとの成長を対比させながら、彼女にとってはただの『おもちゃ』であったはずの伊吹雄太の存在が結佳の心の中で次第に大きくなっていく。
そしてここに、結佳が下から2番目のカーストに所属し、伊吹雄太はその明るく無邪気で可愛いらしい性格からクラスで最上位のカーストに存在しているという、いわゆる『スクールカースト』内の階級を超えた禁じられた恋物語を挟み込ませていく。
そして、結佳の恋は彼女の理性を超えて暴走していくのだ・・・。
この小説『しろいろの街の、その骨の体温』の完成度の高さは、『ギンイロノウタ』や『タダイマトビラ』『変半身』などの作品で使った手法である、村田沙耶香得意のいわゆる「大どんでん返し」というか「ちゃぶ台返し」でもなく、『コンビニ人間』や『消滅世界』のような「常人には計り知れない『狂気(クレイジーさ)』を突然持ち込んで読者の度肝を抜く」という例の手段も使わずに、かつて少年少女であった大人、そして「恋」を経験したことのある大人ならば、誰にでも心当たりのある心象風景を、あまりにも、あまりにもストレートな形で「クレイジー沙耶香」が描き切ったというところにある。
もう本書は、思春期の少年少女の心理描写を描き切った純文学の傑作として国語の教科書に取り上げてもいいくらいの完成度と言って良いと思う(だが、そこはあの『クレイジー沙耶香』の作品だ。本書を読んだ人ならば、この本が絶対に国語の教科書には採用されないことは察しがつくだろう・・・。いや、もしかしたらこの時代ならあるかもしれないな・・・)。
本書はこの本をそれだけで読むのも最高だが、さらに最高を極めるならば本書巻末の西加奈子先生の解説と、その西加奈子先生と村田沙耶香と対談を熟読することをおすすめする。
この対談については、本の総合情報サイト『ブックバン』において無料で読むことができる。
以下にアドレスを付けておくので本書読了後、引き続き村田沙耶香ワールドを堪能してほしい。
『ブックバン対談~村田沙耶香は変わってる!? 西加奈子も「あれ? この人……」』(2015年7月15日付)
https://www.bookbang.jp/review/article/517015
と言う訳で、長文のレビューになってしまったが、僕が言いたいのは
村田沙耶香が好きすぎる。むしろ好きすぎて辛い。
ということに尽きる。
もう僕はあちら側に行ってしまった人間なので彼女なしでは生きられない心と精神になってしまったのだ。-
まりもさん。こんにちは。
コメントありがとうございます!
ええ、もう僕はすでに「あちら側」に取り込まれてしまったようです…。
いや...まりもさん。こんにちは。
コメントありがとうございます!
ええ、もう僕はすでに「あちら側」に取り込まれてしまったようです…。
いや、本当に自分でも不思議ですね、なぜ、ここまで村田沙耶香作品に魅せられてしまうのか。
村田沙耶香ファンってたぶん女性のほうが圧倒的に多いと思うのですが、僕のような男性のファンも結構増えているのではないかと思います。この中毒性は一度経験したら忘れられないものですからね(笑)。本気で『僕が村田沙耶香に取り込まれるまで』という本を書きたいです(笑)。もう一つ考えついたのは、この『しろいろの街の、その骨の体温の』を伊吹君の視点から描いたコピー小説とか(笑)。
『対談』未読でしたか?
それはお知らせできて良かったです。この『対談』自体も本書の巻末に載せてほしいと思うほど面白かったですものね。
実は僕はもう未読作品があと3作しかないということに戦慄しているのです。村田沙耶香作品を全部読んでしまったら新作がでるまで僕のこの精神が我満することができるのか、それとも過去の作品をひたすら読み返すのか…。いずれにせよ、再読でもレビューを書きたいと思います(笑)。
それでは次のまりもさんの村田沙耶香作品のレビュー、楽しみにしています!2020/01/26 -
kazzu008さん
こんにちは^^
先日この作品読み終えたところでして、コメント失礼します。
改めて読了後レビューを読ませていただきました...kazzu008さん
こんにちは^^
先日この作品読み終えたところでして、コメント失礼します。
改めて読了後レビューを読ませていただきました!
わたしもコンビニ人間よりこの作品の方が断然いいと感じましたねー。村田作品ナンバーワンです!かなり女性寄りの作品だなと思っていたので、男性視点の感想、改めてとても貴重に拝読させていただきました!
思春期というだけでもこじらせているのに、それを村田紗耶香さんが描くとこうなるのか!という彼女のクレイジーさが顔を出しているのと、恋愛が宗教となっていく見方は少女漫画のような部分もあって、これまで読んできたクレイジーさが前面に出た作品とはちょっと作風が異なるなと思いました。そのクレイジーさとのバランスがとても秀逸で、うまく言えませんが、主人公のアンバランスさが物語のアンバランスさでもあって、でもそのアンバランスこそが思春期であり彼女の心情であり、この作品のバランスなのだと!
…うまく伝わる自信がありませんが、このあやういシーソーを動かしている彼女の筆致は素晴らしく、わたしも普段の倍速以上で読み終えてしまいました…!
対談知りませんでした!リンクありがとうございます^^
読ませていただきます!2020/09/17 -
naonaonao16gさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
ぼくもnaonaonao16gさんのレビューをいつも楽し...naonaonao16gさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
ぼくもnaonaonao16gさんのレビューをいつも楽しく拝読させていただいてます。
本当に、村田沙耶香作品のなかでもこの本は別格ですよね。
ストレートに「恋」を描いているのは、たぶん本書だけではないでしょか。
他の本は、愛とか性とかそういうドロドロとした感じがあって・・・。
その点、本書は、思春期の甘酸っぱい恋愛を描いていて好感がもてるのですよね。
確かにこのバランスは秀逸ですよね。
すばらしいです。
今は、未読の村田沙耶香作品がないので、新作を首を長くして待っている状態です(笑)。2020/09/19
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村田沙耶香 著
タイトルからして、独特の…村田沙耶香さんの本を読むのは「コンビニ人間」以来
2冊目の作品…衝撃の作品だったコンビニ人間
では、主人公は大人だったが、今回の
「しろいろの街の…主人公は
小学生から中学生時代の思春期の女の子(女性)を描いている。
作品の時代や作風は違うものの…衝撃度は変わらないものがあった。どんなふうに、作品の事を表現したらいいのか分からないほど、鋭く、過激で、それでいて、猛烈に真摯な熱量に圧倒されてしまう。
凄い作家さんだ!
目を背けたくなる描写があっても、目が離せなくなって読み進めてしまう
客観的な視点で、読みながらも、主観的な気持ちに浸透されてゆく。
怖いけど、知りたい、知る必要がある気がする。 怖いもの見たさのような気持ちとは別物で、得体の知れない感情であるとか、そう感じる正体を自分の中で暴きたい思いで夢中になって作品の中に入り込んでしまう。
作品の中の結佳の思春期体験とは、全く違った体験の思春期を生きていたような自分にも 形は違えど、自分のまわりにある位置付け、その頃の得体の知れないような感覚は同じかもしれない。
どうしたらいいのか分かっているようで、分からないのだ!危うげな感情がこちらにも伝わってきた、、
自分の好きな作家さんのひとりの本の中に
ドストエフスキーのこんな引用文がある
「どんな人の思い出のなかにも、だれかれな
しには打ちあげられず、本当の親友にしか
打ちあけられないようなことがあるもので
ある。また、親友にも打ちあけることがで
きず、自分自身にだけ、それもこっそりと
しか明かせないようなこともある。
さらに、最後に、もうひとつ、自分にさえ
打ちあけるのを恐れるようなこともあり、
しかも、そういうことは、どんなきちんと
した人の心にも、かなりの量、積みたまっ
ているものなのだ。『地下室の手記』」
私はこのドストエフスキーの言葉を読んだ時、
「そっかぁ…そうなんだ」って、胸を撫で下ろし、ホッとした気持ちになった。
皆んな嫌な思い出や忘れたい思い出なんて、過去の記憶となって、
すっかり忘れてしまえるのだろうか?
忘れ去りたい過去の思い出の記憶が、もう今更…どうでもいいことなのに、時々、自分の頭の中に顔を出し甦る事がある
それは自分にとって消し去りたい嫌な思い出なのに、何故か嫌な思い出って覚えている。
本当に記憶喪失にでもなりたくなるくらい、記憶から抹消したいって真剣に思ったこともある
きっと、その記憶の中の自分の存在が許せないからだ!
多分、小学生の頃から、女の子(女性)は特に、女性同士のグループのような、連む事が多いような気がする 群れたがるというか?
そのくせ、誰かを捌け口にしたり、一人の人を槍玉にあげて非難したり、自分の憂さを晴らすように悪口を言ったり…とにかく、ややこしい集団女子がいる事も事実だと思う。
ただ、この作品の主人公と違って、小学生の頃からグループを作って、その中にも階級があるような、女子集団に辟易していた小学生時代の私は、
どうせ、小学生だったらヒロインになるのは、お金持ちで、そこそこの容姿を持つ女子しかなれないのに決まってるだろうから、早くから、ヒロイン役の立場争いからの離れ、鬱陶しい女子グループとは距離を置いていた
親分みたいな女子がいても、間違ってることに従う子分にはなれなかったから…。
たまに、
村八分のようにクラスの女子から完全無視されるようなこともあった気もするが、それに対しても、こちらも無視する事が出来たし、自分なりの呼吸が出来てたと思う
だけど、作品の結佳の心情や立場は、痛いほど、理解出来た。
私はヒロインは無理だから、勝手に孤高のヒーローになった(笑)あの頃は…(あの頃は、ですよ…( ; ; ))
運動神経の良さを武器に、男子と運動で勝負しても、遊びでさえ負けなかったから、都合よくクラスの男子が完璧な味方になって(挙句、男子から男前〜って言われるほどチヤホヤされた)小学生の男子は女子ほど、ませた子供ではなかったから、清々しく仲良くなれたので、女子は気になる男子を取られた気分で無視する事を完全にやめた!
快活で平和な、人に弱みを見せず、媚びたりなんて勿論しない、弱い者虐めなんて絶対にあり得ない、弱い者虐めする者には立ち向かってゆく勇ましい態度で我がモノ顔で生きていた(さして、伊吹の幸せさんと変わらないではないか…)
しかし、高学年になると男子との体力差は顕著に現れて、こちらがちょっと押しても、びくともしない意地悪な男の子が、自分に向かって手をあげた、その力は女子のそれとは威力が全然違っており、相当なダメージをくらう、(痛い、泣きそう…)でも、泣いては駄目、負けてはいけない 何故ならまわりにいるクラスの皆んなが、な、なんと私にエールを送っているのだ
「頑張れ!意地悪をするような奴に負けるな!」
涙が溢れそう(相手のパンチが痛くて…)
「ちょっと、たんま!」思わず、私はトイレに駆け込み、あまりに強い、パンチの痛みに涙を拭いた
「お前、泣いてたんとちゃうかあ?」
「まさか…私が」と笑った(ヒーローは辛い、これもやめ時か)なんて。
栄光の小学生時代を送ってたわけではなく、本当はなにか見えない得体の知れないものに怯え、強がり、強いフリをすることに精一杯だった
でも…誰にも弱い自分を見せる事が出来なかっただけ。 地味な本当は弱い自分だからこその防御。それでも、結局、この作品と同じように、中学生になると「小学生の時は良かったねぇ」なんて言うくらい、暗黒時代に入るのだ!
小学生からたった一年上級しただけだなのに、学校も変われば、顔触れも、自分だけでなく…まわりも全てカラーが変わった
中学校時代からは形は違っても、気持ちの部分では、結佳の置かれてる立場に共感した。
快活だった自分は、なりを潜め地味に目立たぬように静かに それなりに、相手に合わせる振りをして生きてたような気がする
皆んなに好かれようとは思わぬことだ
実際、今となっては仲が良く相性があった少数の友達のことしか記憶にない
孤高のヒーローは去り、全然自分らしくも生きられない時代だったから、思い出すら湧き上がってこない 嫌なことだらけだったのに、その記憶すら忘れてしまったようだ
(封印したに違いないのだけど、自分を許せないような記憶もない。何もなかったのかもしれない)
闘うことをやめた自分と結佳の影が重なる。
しかしながら、この暗いとも不思議とも形容し難い、この作品にラストでは希望の光が見えた。
しろいろの街の、その骨の体温が上がったようだ。
ご自身の体験の如く赤裸々に真摯に描かれた村田沙耶香さんの作品に勇気をもらえた。
そして…尚、この作品に対する
解説の西加奈子さんの言葉は、
あまりに素晴らしく胸を打たれた
解説文を読んで、泣いてしまうことってある?って感じた。これほどまでに自分を許してくれた言葉ってあるんだろうか
独りごちて長くなかったが、あまりに心に落ちた言葉なので、記しておく。
私たちはもっと、自分を愛してあげることが出来るのではないか。
自分の中に見つけたもの、それがたとえ醜さだったとしても、私たちはそれすら愛さなけばならない。なぜなら、それを含めて大切な大切な私だからだ。
この作品は力の限り、全身で叫んでいる。
あなたはあなただ、と。
まぎれもなくあなたなのだと。
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shukawabest さん、ありがとうございます♪
不思議な衝撃度高い作品ですが…
作家の村田沙耶香さんの熱量に圧倒されます。
小学生時...shukawabest さん、ありがとうございます♪
不思議な衝撃度高い作品ですが…
作家の村田沙耶香さんの熱量に圧倒されます。
小学生時代は、どんなにイキがっていても、
心身ともに狭量でまわりに合わせることも
心許なくて、自分の中の僅かな防御力で支えられていたような感じがします。
この作品は女性(女子)目線で描かれていることが多く
男性(男子)はあの頃の世界はどんなふうに
見えていたんだろうか?と気になります。
私は小学生の頃ずっと男の子になりたい!って思ってました(^^;;笑
ま、そうはなれず余計憧れてたのかもしれません。
あの頃の正義感溢れ物怖じしない自分(実際には全然違う心根の弱い人間だった(-。-;
懐かしい気持ちと大人になって、ホッとしている部分もあるのかな~(・・?)(・・;)
どんな自分も愛することを教えてくれた作品
のような気がします。2022/07/18 -
shukawabestです。ありがとうございます。
僕は4年当時、「はい、好きな者どうし、グループ!」と言われて、最後余って、担任に調整を...shukawabestです。ありがとうございます。
僕は4年当時、「はい、好きな者どうし、グループ!」と言われて、最後余って、担任に調整をしてもらうような子どもでした。男子としてもずれていたのだろうと思いますが、そうは言っても、女子の方が会話がしっくりこないことが多かった、ストレートに言われると分かるが、「含み」を込められると僕には全く伝わらない。僕はひどいとしても、女子と男子の間には、小4の結佳と伊吹くらいの認識差は普通にあったのでは•••その描写が見事だなと思います。クラスに1人か2人、「お姉さん役」というか面倒見のいい女の子がいて、時々僕に親切にしてくれて、僕はそんなことにお構いなく怒ったり、自分のことばかりで頭がいっぱいだったような•••。一緒のクラスならhiromida2さんの保護対象だったかも。2022/07/18 -
shukawabest さん、遅くに失礼します。
小4のshukawabestさんはおとなしい子だったんですね。
その方がいい!少しの事で...shukawabest さん、遅くに失礼します。
小4のshukawabestさんはおとなしい子だったんですね。
その方がいい!少しの事でいちいち大声あげて悪ガキ仲間で一緒になって、わざと目立ってイチビるような男の子よりずっといい!
一緒のクラスなら私の保護対象だったかもなんて!(◎_◎;)あり得ない!
(^^;;笑っちゃいますよ。
私は全く姉御タイプでも人を仕切れる人間でもない。
女子でありながら、私も小4の時は女子の方が、しっくりこなかった気がする(・_・;
面倒くさいと言おうか…
今では考えられないけど…小4くらいまでは
男子より運動神経も冴えていたから運動で
男女関係なく競ってた伊吹と同じような
幸せさんのフリをしていたと思う。
小学生の頃は見えている自分とは違う小心者で得体の知れない自分のこともよく分からず本当は怯えてた気がします。
shukawabest さんは冷静にその頃の自分を
振り返って思い出されてたけど…
男の子も自分のユニークに悩んだり
多感な年頃だったんでしょうね。2022/07/18
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西加奈子さんや朝井リョウさんがおすすめしていたので気になっていたまま、文庫落ちと知ってすぐに買いに走った。
「思春期の~」とか言ってたような気がする、くらいの知識しかなく、帯もあらすじも読まずに読み始めた。
前半はどこまでも白く、骨のように伸びていくニュータウンに住む結佳という地味な小学生時代、後半はあれだけ工事の音がやまなかったのにまるで牢獄のように出口をなくして静寂となった街で中学生時代を迎えたという構成になっている。
スクールカースト中心の話だと思っていなかったので、途中「読めるかな」と思いもしたのだが(昨今のスクールカーストもので食傷気味)、そんなことは杞憂ですぐに村田沙耶香の世界に引きずりこまれた。
文体という文体がない、癖というものも感じられない。だがそこは確実に村田沙耶香の世界だった。
スクールカーストものにありがちな、その教室内の歪さや気色悪さや、言動の苛烈さを強調するような書き方、浮かび上がらせ方はまるでない。
ただひんやりとしていて、ときに溶けたアスファルトに手を突っ込まれたような絡みつく灼熱がからだに、喉に胸に頭に目に、そういう感覚器に入り込んでくる。
こういう書き方の出来る作家を他に知らないので、もう感動と興奮で震えまくって読んだです。
結佳の目から見える世界が手に取るように分かるからこそ、この平等で静かな描き方がかえって胸に迫るのである。
その書き方は結佳もまた自分の胸に巣食う衝動、いや自分そのものがまだ分からないからこそ見える視点であり、うまれる情動なのだということが際立つ感じがした。
先ほど、この物語は前半と後半、時代の違いで分かれていると書いたが、実際は違う。
ラスト付近になって「沙耶香覚醒章」というのが生まれるのであって、これをもう涙と慄きなくして読めないのである!
覚醒章を読みながら、心の隅には「結佳!言え!言いたいことを言ってその醜く幼い、未熟な青い殻を破ってくれ!」と自分の救いを求めてつい叫んでしまうんだが、そういう視点から言うと今現在思春期真っ只中のティーン達よりも思春期の歪みに一度でも居心地の悪さや引き裂かれた傷の記憶を持つおっさんおばさんに読んでほしいと思ってしまう。
おばさんはね、スクールカースト上位の気持ち悪さや何の罪もない子に向けられた悪気のないふりをしたとても下劣なあの言葉にもあの言葉にも何も返せず、結佳と同じ顔をしてやりすごした時間がまざまざと蘇って生まれた、自分の本当の声や自分のうちにあった本当は美しかった感情に触れることができて、また明日を生きる力を得たよ。
そして何より伊吹という男の子の素晴らしさ。
こんなに心に残る思春期男子に出会ったのは初めてです。
ありがとう村田先生!ありがとう沙耶香!(もう極まりすぎて呼び捨てです
覚醒章はもうそれこそ星屑みたいに拾って集めて抱えていたい言葉に溢れすぎてて、私の文庫本はすでに線や蛍光ペンでぴかぴかです…!
「村田沙耶香……!」
そして読み終えた直後、叫んで倒れた。
床に転がり、自分の体内でまだかたちにならない様々が蠢いて外に出ようとしたり失われそうになったりするのを押しとどめて早く完全な私の一部になってくれるようにと屍のようになっているしかなかった。
だが私にとってそれから今「村田沙耶香」という言葉は幸福そのものであり、呟くだけで幸せにも絶望にも陶酔できるそんな存在となった。
とにかく読み終えてから立ち上がる気力もなく、私も結佳と共に鬱屈し発狂し爆発し星屑にまみれて疲弊した。
なんと幸福な疲弊か。
本が好きで良かった!
この本に出会えるまでなんとか無事に生きて来れて本当に良かった!
そして巻末西さんの解説でまた泣く(笑 -
村田沙耶香さん。
『コンビニ人間』も読んだけど、やっぱりいいなぁ。人間の弱さと向き合って真っ正面から抱きしめているような感じ。
中学校の中でのヒエラルキー
自分が醜くて仕方がないと思う主人公
自分より「下」の人間がいることにほっとする瞬間
「上」に目をつけられないよう大人しくすること
そんな世界で作り上げられた「地味で真面目な女の子」
主人公が暮らすニュータウンは、常に工事が行われ生き物のように成長し続ける。ちょうど成長期を迎えた主人公の骨のように。しかし、貧相な上半身と対照的に太い下半身のまま成長期を終えた主人公は大人の体に慣れないことに苛立ちを覚え、街も死んだように開発が進まなくなってしまう。
この小説を読みながら私自身も昔「地味で真面目な女の子」だったなぁと振り返り同族嫌悪と戦いながら主人公の行動を読み進めていきました。
小学校の友達の若葉は「上」に行きたくて必死に人気のある女子について行こうとしている女の子ですが、読んでいたら私の昔の友達とそっくりだなぁと思いました。そのままで素敵なのに、取り繕って人気のある子に媚をうって、なんだかいつも必死にみえてしまいます。
「上」の子と「中間」「下」など、喋っただけでどこに属するべきなのか分かるのは本当に不思議。学校って怖い。
そんなことを思い出してしまうほど、この小説の登場人物はリアルで、私は全ての人物を昔のクラスメイトで想像しながら読んでいました。私の周りには全員いた。
あのころ私が言いたくて言葉に出来なかったことの全てを村田沙耶香さんという作家さんが形にしてくれたみたいで、この小説は好きです。
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あぁ、なんだか気持ちが悪かった。
きっと思い当たる節があるからなんだと
思う。どす黒い、青緑色の気持ち悪さ。
タイトルにあるように
本文中に、白とか灰色とかかなり出てくる
んだけど、私の中では藻や海藻が蔓延った
池の色みたいにどろどろしている。
小学生には小学生の
中学生には中学生の対人関係の難しさが
あって、そのもやもやに気づけるくらいには
成熟した子たちが、うまく表現できなくて
うまく立ち回れなくて
空回りしている。
そんなこともあったなと思うから
読んでてすごくつかれたし
なんだか嫌だった。
でも、これだけ共感させる内容っていうのは
やっぱりいい本なのかもしれない。