星の子 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.40
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本棚登録 : 758
レビュー : 52
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022649409

作品紹介・あらすじ

林ちひろは中学3年生。
病弱だった娘を救いたい一心で、両親は「あやしい宗教」にのめり込み、その信仰が家族の形を歪めていく。
野間文芸新人賞を受賞し本屋大賞にもノミネートされた、芥川賞作家のもうひとつの代表作。
《巻末対談・小川洋子》

感想・レビュー・書評

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  • 今村夏子『星の子』朝日文庫。

    穂高明の小説のような味わいの作品。野間文芸新人賞受賞、芥川賞と本屋大賞ノミネートということで期待したのだが……絶讚される理由が解らぬ。穂高明の一連の作品の方がどんなにか面白く、深みがあることか。

    こういう賞は評論家先生や気合の入った書店員により選考されるためなのか、どちらかと言えばエンターテイメント嗜好のど素人の自分には理解しがたい作品が多い。

    主人公の中学三年生の林ちひろは幼少から病弱で、ちひろを救いたいという両親は怪しい宗教にのめり込む。次第に家族の形をも歪める怪しい宗教……

    本体価格620円
    ★★★

  • 単行本を以前読んで、文庫になった時に再読したくなった作品。

    なんと、小川洋子との対談つき。

    幼い頃に両親を困らせた病気が、ある同僚から紹介された水によって治癒される。
    両親は次第に水と、その水を販売するグループに傾倒し、頭の上にタオルを乗せて、集会にも欠かさず参加するようになる。

    ラストシーンについて、今村夏子が「この家族は壊れてなんかないんだ」を書きたかったというのと、小川洋子が感じたという不穏さは、対照的なのに紙一重だなと思った。
    私は、どちらかというと小川洋子の感覚に近くて(作者を置いて、近いというのもアレなんだけど)この家族の中だけで通じ合っている部分が、避けようもなく外気に触れているように感じた。

    「えっ、そんなことしてんのお前んちだけだよ!」って言われて、初めて知った我が家ルールに、よく盛り上がったりする時の。

    あんな軽さが、主人公からは漂ってくるのに。
    周りは、そうは扱ってくれない。
    そういう違いなのかもな、と思ったのでした。

  • 第157回芥川賞候補作。第39回野間文芸新人賞受賞作。2018年本屋大賞7位。
    今村さん初の中長編。

    巷間よくある話なので筋だけ追えばどうということはない。
    しかし細部が光る。
    エドワード・ファーロングを見てから周囲が全員醜く見えてしまうとか、法事のお弁当が美味しかったのでこだわるところとか、水を掛け合う父母を恥ずかしく思う語り手に対して「おれてっきりかっぱかなにかだと思った」とか。
    呑気というかユーモラスというか。
    状況はひどいのにこののほほんって何よ、と。

    んでネットで検索して鴻巣友季子の書評に「知らざる人の目」という記述があって、なるほどなー、と。
    読み手は、明らかに新興宗教のヤバい話だと感づく。
    なのに語り手は、そのヤバさに気付いているんだか気づいていないんだか、のほほんと現状を楽しんだり、違和を感じても、ほのか。
    ただ淡々と周囲の普通の人々を少女視点で見ているだけ。
    そのズレにユーモアが生まれるのだ。
    (語り手は、自分の病気を治すために父母が、という負い目を感じているため、あえて目を瞑っているのだ、というネット上の感想を見たが、うーんそこまでの思慮深さを、あえて地の文に表さないように、語り手≒作者は努めているように思える。だから語り手ののほほんをあえて尊重したい。)

    さらに突っ込んでいえば、読み手はつい、新興宗教だからもっと変であってほしい、事件が起きてほしい、と望んでしまう。
    それに作者は決しておもねらず、語り手の視点に寄り添えば、少女はきっと家族や教会を断罪しないだろうと、その枠だけは固守する。
    読者が宗教の話になだれ込んでほしいと無意識に願うのに、家族の話だという枠を守っているのだ。
    だというのに、果たして、語り手の現在ははっきりしない。
    語り手が、いつ、どこにいて、当時のことをどういうスタンスで記述しているのか、わからない。
    なのに、というか、だからこそ、ラストのあの夜を、慈しんでいる……その効果が読者に、強烈に飛び込んでくるのだ。

    書かずに書くという手法を突き詰めれば、読者の期待をあえてなぞらないことで読者の想像に火をつける、という高等テクニックへと至る。
    おそらく作者は企まずして企んでいる。凄い。

    中長編ゆえかやや説明的なので、中編「あひる」のほうが不気味度・不穏度は高い。「あひる」のほうが好きだ。
    しかしラストの父母娘が抱き合って流れ星を待つ(のに親と子で同時には決して見えない)夜だけは、忘れがたいし、忘れないように反芻したいのだ。感傷的になるときは、思い出してしまうだろう。
    (……連想……佐藤泰志「海炭市叙景」の映画版に、似た場面があった。)

    芦田愛菜主演で映画化するのだとか。楽しみ。

  • 作中に出てくる宗教は確かに怪しい。けれど、ちひろの両親たちは幸せそうに見える。ちひろは自分の親のおかしさに気づいているけれど、その上で現状を受け入れている。終盤である人物が言う「好きな人が信じるものを、一緒に信じたい」。いい言葉のはずなのに、対象が怪しい宗教だと思うと、途端にうさんくさい。でも言葉自体は素敵で、だからこそ考えさせられる。正しさ、おかしさって何なのか。星空を家族寄り添って眺め、流れ星を探すラストシーンは美しくも切ない。私たちは同じ世界で過ごしながら、違う世界を見つめている。

  •  表立っては大きな事件はなく、『こちらあみ子』ほどのインパクトもなかったけど、ほんとは異常なものが、日常に当然のようにある感じはリアル。『愛のむきだし』や『教団X』のように、いかにもカルト宗教を描きました!って感じではなく、そういう面があるのを臭わせながらも、中にいる人は何がほんとなのか分からずに信じてる様子を描いてる。そして、中の人はお互い仲良しで、基本、いい人。ちひろも家族に愛されてるから、信じるしかない。
     ちひろには、外の世界の親戚や、友達がいるから、これからの彼女の人生は拓いていくかも知れないし、そういう暗示だってあると思うけど、でも、そうじゃないかも知れない。この辺のバランスが絶妙なのかも。ただ、村田沙耶香が絶賛するほど感動はしなかった。

  • どうなるのかなとどんどん読み進めたけど、突然終わってしまった。余韻をどう受け止めたらいいのかわからない。
    一年後にまた読みたいな。

  • 自分の日常がなんだか他の子達とは違うようだ。
    と、気づくのはいつの頃からなのだろう。
    おおむね小学生くらいか。
    あの子と遊んじゃいけません、なんて言われたって、それいじめじゃんとか、かわいそうだし、とか思ったものだけど、大人の世界は想像以上に情報が出回っていて、子供の世界に規制をかけてくる。
    私は仲間はずれなんてしないもん、と思っても、親の言葉はいつまでも心の名かでぐるぐる渦巻いて、いつのまにか、というか、その次その子と会ってももう昨日のようには遊べなくなるのだ。

    宗教関係の子にはあたったことはないが、最近経験を漫画にしたものなどをチラチラと見たりはしていた。
    親がはまって、子供もつれていかれるケース。
    大人になると自分は自分、と周りに何言われても信じる道を行くようになるが故に、付き合う世界も狭くなって、気に入った人とだけのコミュニティができてくる。
    しかし、子供の世界は複雑だ。
    いろんな家の子がある程度地域が一緒だからと集められてくる。特に小学校などは。
    多様性の中に放り込まれ、多様性を構成する歯車に自分自身がなる。
    多様性、とは言いつつ、ある程度のスタンダードというものは多数の家が所属している価値観から産み出される。
    そのスタンダードから大きく外れている家の子は、「あの子と遊んじゃダメ」と言われてしまうのだ。

    主人公の私は、恐らく違和感を中学生になっても持ち続けている。
    自分のために両親がはまったという負い目もあって、半分くらい目をつぶっているのではないか。
    残り半分では、自分達の家と同じスタンダードをもつ子や大人たちと居心地よい関係すら築いている。
    耐えられなかったのは、大多数のスタンダードだった時代を知っている姉。
    自分の家がおかしくなっていく切なさ、やりきれなさ、子供でどうにもできない苛立ち、家庭の庇護から逃れられない苛立ち。
    しかし両親たちは己らが信じた道に突き進んでいく。
    そして、母の弟もまた、そっちへいっちゃダメだよ、とあらゆる手を尽くすものの、相容れない状態が続いていく。
    一度はまーちゃんと手を組んだものの、裏切られる、というか、まーちゃんが子供ゆえにやっぱり自分の家族を壊しきれなかったところに敗因があるのだろう。
    それがわかるから、おじさんも一度は手を引いたのだろう。
    しかし、高校受験を前に、法事で再び主人公の私はおじさんたち一家と会うことになる。
    おじさんたちの家から通わないか。
    おじさんたち一家は、せめてちひろだけでもこっちの世界に取り戻したい、と願っていたのだ。
    その後もおじさんは家に足を運んでいるなかでの、施設での宿泊研修。
    ここでは、スタンダードが逆転する。
    価値観が逆転している小さな世界。
    同じ空の下、流れ星を見ているのに。
    やっていることは、普通の世界の人たちと変わらないところの方が多いのに。
    両親は相も変わらず仲良しだ。
    主人公のちひろもまた、反抗期がないのかと不安になるほど、両親と仲良しだ。まるで姉の分まで愛される対象として全うせねばと思っているかのように。
    父と母に抱き締められて温もりを感じながら、寒空の下流れ星を一晩探し続ける。
    誰かが脱退の話を持ちかけるでなく、洗脳の痛いシーンがあるわけでなく。
    ただしそれらの共同体としての同調が生んだ不穏な出来事は、主人公を取り巻く噂として出てはくるのだが。
    山と言えば、南先生ががっつり言いたいことを言って恥をかかされた憂さをみんなの前で晴らしたところ。
    思いの外、異物であるはずの彼女の周りには優しい子達が残っていたな、と思った。
    じゃあ、あの山なんだかなんなんだかわからないあのラストはなんなんだ。
    まるで手放すまいと抱き締める両親たちの行動こそが、愛に満ちているようで不穏だ。
    解釈は読者に任されているのだろうから、勢いで想像を書いてしまうと、両親は、もしかしてちひろをおじさんの家から高校に通わせることに同意をするつもりなのではないだろうか。
    手放したくはない。だけど、このままではまだ若いちひろの人生が閉じられたものになっていってしまうと、本当はどこかで気づいていて、見ないふりをしていても、これを機に、と。
    といっても、これは私のこうだったら、という希望的なもので、リンチ事件やICチップの埋め込み云々というところを拾うと、何があっても手放さないぞ!!の固い抱擁のような気もしてきてしまう。
    どちらなのかは続編がでなければわからないところではあるが、巻末の対談でなんだか不穏な感じになりそうな気がした。

    読んでいて、主人公はこの状況から抜け出せるのか、という視点でどうしても読んでしまったが、このぬるま湯のような世界が、彼女には心地いいのかもしれない。

    社会の荒波の中、繭に包まれてたゆとう優しいようでいて、不安定な心持ちにさせられる物語だった。
    なんか、たぶんきっとあるんだろうな。
    いつも飲む水を変えるという、コンビニで買う水のペットボトルをボルヴィックからエビアンに変えるような、そんな些細なことがきっかけで、入り口は日常の中に潜んでいて。

  • 特に事件が起こるわけでもなく
    淡々と物語が流れる。
    なのに、読み終わるとなぜか心に残る。
    そんな作品でした。

    で、これ映画化!?
    なんで!?

    ってなる、そんな作品でした 笑

  • あらすじを読んで興味をち、宗教がらみのドロドロした話を期待していたけど、終始淡々とゆったりとした雰囲気の小説だった。個人的には、もう少し話を広げてほしかった。ひろゆきの行く末が気になる・・・

  • 南先生から罵倒された「わたし」をなべちゃんと新村くんが慰めるところが好きでした。
    個人的には、意地悪なんだけど、なんとなくずっとそばにいるなべちゃんの存在は大きいなと思いました。

    ラストの受け取り方で、作品の評価は変わってくるのではないでしょうか。

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著者プロフィール

今村夏子(いまむら なつこ)
1980年広島県生まれ。2010年「あたらしい娘」で第26回太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に第24回三島由紀夫賞受賞。2016年、文芸誌『たべるのがおそい』で2年ぶりの作品「あひる」を発表、同作が第155回芥川龍之介賞候補にノミネート。同作を収録した短篇集『あひる』で、第5回河合隼雄物語賞受賞。2017年、「星の子」で第157回芥川龍之介賞候補ノミネート、第39回野間文芸新人賞受賞。 2019年、「むらさきのスカートの女」が第161回芥川龍之介賞を受賞した。

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