国宝 下 花道篇 (朝日文庫)

  • 朝日新聞出版 (2021年9月7日発売)
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本 ・本 (432ページ) / ISBN・EAN: 9784022650092

作品紹介・あらすじ

鳴りやまぬ拍手と眩しいほどの光、人生の境地がここにあるーー。芝居だけに生きてきた男たち。その命を賭してなお、見果てぬ夢を追い求めていく。芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をW受賞、『悪人』『怒り』につづくエンターテイメント超大作!1964年元旦、長崎は老舗料亭「花丸」――侠客たちの怒号と悲鳴が飛び交うなかで、この国の宝となる役者は生まれた。男の名は、立花喜久雄。任侠の一門に生まれながらも、この世ならざる美貌は人々を巻き込み、喜久雄の人生を思わぬ域にまで連れ出していく。舞台は長崎から大阪、そしてオリンピック後の東京へ。日本の成長と歩を合わせるように、技をみがき、道を究めようともがく男たち。血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの信頼と裏切り。舞台、映画、テレビと芸能界の転換期を駆け抜け、数多の歓喜と絶望を享受しながら、その頂点に登りつめた先に、何が見えるのか? 朝日新聞連載時から大きな反響を呼んだ、著者渾身の大作。

感想・レビュー・書評

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  • 九州の極道の家に生まれた少年が、父である組長を抗争で殺され、歌舞伎役者の家に引き取られる
    そこで、同い年の御曹司と共に稽古に打ち込む。

    上巻青春編は、若く無鉄砲だけれど稽古には真摯
    二人の少年の違った才能、異なる性格は、ライバルで親友だった。二人の関係が崩れたのは襲名。
    下巻花道編となっても、彼らの波瀾万丈は人生が続く。
    二人の歌舞伎役者の青春期からの大河小説で
    彼らの歌舞伎に関わる周囲の群像劇
    かなり取材をされ、かなりの資料を読まれて
    おそらくほんとの歌舞伎役者よりかなりドラマチックな人生を描かれています。

    歌舞伎は、お芝居を観に行くのだけど
    役者を見に行く。
    一つの演目で親子三代を見れることもあります。
    いかに血縁を繋ぐかは大切なんです。
    この小説の読みどころの襲名のエピソードは
    現実では難しいかもしれないですし、
    ファンも望んでいないかもしれないです。

    小説の中に歌舞伎の演目が数多く登場して
    彼らの人生にリンクします。
    お芝居を読みながら頂点に登り詰めた役者の一生を読むのです。

    • おびのりさん
      まことさん、素敵な小説でした
      ありがとうございました
      あまりに歌舞伎以外のトラブルが多くて
      火事とか孫の火傷とか、波瀾万丈がすぎてー
      ⭐︎を...
      まことさん、素敵な小説でした
      ありがとうございました
      あまりに歌舞伎以外のトラブルが多くて
      火事とか孫の火傷とか、波瀾万丈がすぎてー
      ⭐︎を一つ減らしてしまいました
      2025/05/02
    • みんみんさん
      この内容盛りだくさんを映画がどこまでやれるか
      だよね〜
      この内容盛りだくさんを映画がどこまでやれるか
      だよね〜
      2025/05/02
    • おびのりさん
      舞台多めでお願いしたいですね。
      すごくよく取材されてるだろうなあと思うのだけど、そうすると嶋木あこのコミック「ぴんとこな」
      もかなり名作だと...
      舞台多めでお願いしたいですね。
      すごくよく取材されてるだろうなあと思うのだけど、そうすると嶋木あこのコミック「ぴんとこな」
      もかなり名作だと思うんですよ。
      部屋子とか養子とか娘婿の形式などは
      こちらの小説より現実的かなと思ったり。
      2025/05/02
  • 壮大な本を読み終わると、いつも何かに圧倒されてすぐには感想が出てこない。この本もそうだった。

    上下巻で様々な人が現れ、様々に人が去っていった。それを受け止める泡沫の世に漂う人たち。そして自分もいつか泡となる。まるですべて夢のようだったかと。

    解説の方の言葉を借りるなら、歌舞伎とは「死」が最大の見せ場なのだそうだ。もっというなら死は「生」の極限の姿となる。死と生は相反するものなのに、それを歌舞伎という力で「美」に変えてしまう。

    この歳になって、やっと歌舞伎というものに興味がわいてきた。若い頃は、歌舞伎って綺麗だけど内容わかんないんだもーんなんて言っていたが、生きる「生」の方だけしか知らないあの頃では、理解は無理だったな。相反する「死」を意識しないと、歌舞伎の世界には入り込めない。

    この本も話が歌舞伎とリンクしている部分が多々あるらしく、さらに歌舞伎を知ってから再読すると、また違った感想を持つと思う。

    近々映画あるみたいですが、きっと綺麗なんだろうなあ。
    桜の狂うように散っている様を見てみたい。
    でも間違いなく映画館で泣くね。・゜・(ノД`)・゜・。

    • へぶたんさん
      栞さん♪
      映画になるともっと迫力でしょうねー!
      CM見ただけでも、なんか圧がある〜(((>_<)))
      栞さん♪
      映画になるともっと迫力でしょうねー!
      CM見ただけでも、なんか圧がある〜(((>_<)))
      2025/05/31
    • 栞さん
      そうですよね!CMだけでも引き込まれそうになる。
      久しぶりに映画館で観たいです。
      そうですよね!CMだけでも引き込まれそうになる。
      久しぶりに映画館で観たいです。
      2025/05/31
    • へぶたんさん
      私も久しく映画館行ってないー。゚(゚´ω`゚)゚。
      これは大画面で見たいかも。
      私も久しく映画館行ってないー。゚(゚´ω`゚)゚。
      これは大画面で見たいかも。
      2025/05/31
  •  久しぶりに没頭して読みました。圧倒的な世界観で、もうそれにひたひたにされてしまって、読んでいる数日は、頭の中の言葉は常に、小説の中の方言だったり、調子の良い語り部口調だったり。もう最初の数ページで、吉田修一さんって、本物の小説家やわ〜と唸っていました。

     全く親しんだことのない歌舞伎のお話だったので、興味ない世界のことで上下巻のこの分量、読み切れるかな…と不安でなかなか手が出せなかったのですが、杞憂に終わりました。

     個人的には圧倒的に上巻の青春編が好きでした。そして、好きな登場人物は俊介の母、幸子と、喜久雄の永遠の味方、徳次でした。

     映画化が決まり、キャストも既に発表されているとも知らず、勝手にキャストを決めたいたのが、幸子と春江でした。幸子さん、ぴったりな女優さんが思い浮かんでいるのに名前がわからない…悔しいです…本当にピッタリなんです!
    春江は今をときめく河合優実さんです。田中泯さんはどこかでマストだなと。


     発表されていたキャストを見て、主役の方は、肌質、ビジュアル上、納得。えっ、立花組なんか違いすぎませんか?竹野役はピッタリ!
    想像上決定していた女優さん二人は、残念ながら違う方でした。

     最後のシーンは、外での撮影になるのかな?それならセットに頼れないし、チープにならないようにどんな風になるんだろう?

     小説が最高だったので、映画の期待値も上がります。この小説、中央公論文芸賞に輝いたそうですが、他の賞ももっと総嘗めにしてよい傑作だと思いました。

     本当に楽しい読書時間でした。吉田修一さん、ありがとうございます。こんなに夢中になれる小説、またしばらく出会えないかもしれません。

  • 花道篇では、思いもしないことがたくさん起こりました。才能溢れる喜久雄が、由緒正しい血筋の俊介と2人揃って踊れる場を得るまでの苦労は、並々ならぬものがありました。高みを目指す人の気迫を感じました。

    後ろ楯のある俊介に起きた出来事には、とても驚きました。彼には踊りへの執念を感じました。

    2人が歳を重ねていくとともに、家族や支えてくれる人の状況も変わっていきました。読みすすめていくと、とにかくそれでも踊りたいという2人の気迫を強く感じました。

    最後の三代目花井半二郎の姿は、歌舞伎の枠を越えたものになったということを表現しているように思いました。何かを極めたという境地は、狂気と紙一重なのかもしれないとも思いました。

    そして、2人を支える周囲の人達の存在はとても大きくて、1人では何かを成し遂げることはできないことも伝わってくる小説でした。

    解説では、各章に登場した歌舞伎の演目をいくつかふりかえりながら、歌舞伎とどこがどのくらい響きあっているのかが検証されてい
    たので、より理解が深まりました。

    とにかく読みごたえのある作品でした。


    • あひるさん
      ほんとに最高でしたね‼︎
      ほんとに最高でしたね‼︎
      2025/04/14
    • フリージアさん
      あひるさん
      おはようございます♪
      伝統のある歌舞伎の世界だからこその凄みを感じました。
      あひるさん
      おはようございます♪
      伝統のある歌舞伎の世界だからこその凄みを感じました。
      2025/04/15
  • 青春編と花道編の感想をひとつに

    任侠も歌舞伎も知らないことだらけだったけどめちゃめちゃよかった
    クドカンドラマにキートン山田さんが加わった感じと言うと伝わるか…とにかく語り部が最高だったのでございます
    中途半端でなくゼロか百か 役者として何を魅せるか 舞台で観客が感じとるのは、その演目のその役者の人生そのものという見えない大きな存在、圧巻だった
    語り部の物語に寄り添う笑いあり、人情ありで普通の場面?でもおのずと目に溜まるものが、近々映像化されるみたい是非語り部の小説を読んだ方がいい
    役者もその家族も並大抵な覚悟じゃないのだと普段テレビなどでチラッと歌舞伎のニュースを見る程度しか知らなかったが見方が変わったし一度歌舞伎を見に行ってみたい
    ライバルで親友で家族だった熱い感じが尊く堪らんかった
    (くりからもんもん という日本語響きチャーミング過ぎんかw意味は…だけど)

    好きなフレーズ引用
    ほな俊ぼんいくで
    丹波屋の家紋 丸に光琳根上がりの松
    役者が立派なふりしてどうするんですかい?いいですか 立派な人間じゃねえからこそ立派ってこともあるんだよ
    この世界に入ってずっと徳ちゃんだけ味方やったわ
    しかしもし役者がその人の性根のことであるならば いったいどこに性根を入れ替えられる人間などいるでありましょうか

    • フリージアさん
      あひるさん、はじめまして。
      フォローありがとうございます。この本、とても気になっています。あひるさんのレビューを読んで、ますます興味が湧いて...
      あひるさん、はじめまして。
      フォローありがとうございます。この本、とても気になっています。あひるさんのレビューを読んで、ますます興味が湧いてきました。これからもレビュー、楽しみにしています(^^)
      2025/02/03
    • あひるさん
      初めましてよろしくお願いします
      ヨルノヒカリでこんな感想が書きたかったなと思ってましたw
      こちらもレビュー楽しみにしてます
      初めましてよろしくお願いします
      ヨルノヒカリでこんな感想が書きたかったなと思ってましたw
      こちらもレビュー楽しみにしてます
      2025/02/04
  • 読む前の予想を上回る重厚なストーリーだった。
    芸の道に生涯をかけて入れ込み、もはや誰にも到達できない域に達した喜久雄にとって、それらが価値のあることだったかは分からないが、徳次との20年ぶりの再会もタッチの差で叶わず、人間国宝の知らせも本人の耳に届かない終わり方が切なかった。喜久雄の歌舞伎役者人生とその周囲の人たちの波瀾万丈な人生を通じ、芸の道の厳しさと引力の強さに触れられた。とても濃厚で読み応えのある作品だった。

  • なんというか…圧倒されたと言う感想。
    芸の世界には全く縁も興味もなかったけれど、本物の天才は行くところまで行き着くとこういう心理状態になるのか……。喜久雄の舞台を観たら、一体どんな感情になるのだろう…。観てみたいと思った。

    歌舞伎の女形を極め、唯一無二の存在となった喜久雄。でもその孤高さ故に孤立し狂人となってしまった喜久雄。妻の彰子と蝶吉の関係がどうなっているのかは明らかにならなかったけれど、さらに喜久雄の孤独を強めることになるのではないか…とハラハラする。最後、徳次が帰国し再会することで、またわかり合える人が帰ってきたことで、喜久雄の孤独が少しでも癒されるといいと思う。

    俊介の最期はあまりにも悲しくて、その無念さを思うと切なくてたまらなかった。歌舞伎の家に生まれた男子の宿命なのか、現代でも歌舞伎の息子は幼い頃から舞台に立たされ、他の人生を知る前に歌舞伎の跡取りとしての人生を歩まされる…生まれながらに才能のある者ならそれでいいのかもしれないが、同世代にどうしても超えられない才能を持つ者がいたら、こんなに苦しいことはないだろう。
    俊介は一度は歌舞伎の世界から逃げ出し、それでも歌舞伎が忘れられず戻ってきた。歌舞伎役者としてとてつもない努力を重ねて、喜久雄と並び称される女形になるまで上り詰めてきた。
    だからこそ、晩年が幸せであって欲しかった。

    個人的には歌舞伎役者を支える女性たちにも、頭が下がる思いでした。
    夫を支えるためだけに人生を捧げる…私にはできません。

  •  芸の世界・世間の波に翻弄されながら、二人は活躍の場・世界を広げようとしますが、次々と難題が立ちはだかります。
     それでも二人は、それぞれの方法で必死に食らいつき、芸の道を極めていきますが…。
     二人の人物描写と対比が素晴らしくドラマチックで、物語の次の展開へと駆り立てられます。上巻の青春時代の瑞々しさが、下巻では次第に人生の辛苦と歌舞伎へ取り憑かれた異様さへと変化していくようです。
     半世紀にも及ぶ波瀾万丈の役者人生で、数々の歓喜と悲劇を重ねた末、人の域を越え頂点を極めた男に見えた景色はどんなものだったのでしょうか。
     舞台、その先にあるもの…。その道を極めることと〝狂気〟は、紙一重なのかとも思わされました。生と死、虚と実…、歌舞伎の奥深さとそれに賭け極めた男の、圧倒的な物語でした。歌舞伎そのものの臨場感や役者の孤高さ神懸かり的な描写も秀逸です。
     衝撃的なラストとともに、濃密な舞台を観劇し終え、茫然と席を立てずにいる感覚に陥らせるくらい、圧巻・傑作と呼べる大作でした。

  • 映画公開前に読んでおこうと思い手に取りました。面白すぎて上下巻一気読み!

    歌舞伎を一回しか観たことない知識ほぼゼロの私でも楽しめる芸に取り憑かれた役者の一代期。誰もがここがいい!というより、読む人によって痺れるシーンがばらけそうな作品です。

    相当取材されたようで、参考文献も多く、それぞれの演目の説明を読むだけでも本当に面白い。

    読了後は放心状態でした。まるで美しい夢から覚めたような…素晴らしい傑作です。映画絶対観よ。

  • 吉田修一(2018年9月単行本、2021年9月文庫本)。上巻/青春篇、下巻/花道篇に分かれている大作の下巻。
    白虎亡き後、姉川鶴若のイジメのような役の冷遇が続き、喜久雄は新境地を求めて吾妻千五郎に取り入ろうと画策する。喜久雄に気がある次女の彰子と一緒になろうとするが、千五郎の逆鱗に触れる。勝手に同棲を始めた喜久雄と彰子、千五郎からは完全に見放され舞台にも立てなくなった喜久雄だが、彰子の母の東縁にあたる新派の大女優、曽根松子から新派に誘われて立った舞台が評判を呼び、歌舞伎から新派へ移籍する。
    千五郎の逆鱗に触れてから4年半、喜久雄34歳の時だ。ここから風向きが大きく変わって来る。
    新派の喜久雄と歌舞伎の俊介が同じ時期に演舞場と歌舞伎座で同じ演目「本朝廿四孝」の同じ役柄「八重垣姫」を演じ、両名とも『芸術選奨』を受賞したのだった。
    この役は俊介が失踪後2年経った22歳の時、春江と最初の子の豊生を連れて二代目半次郎に許しを乞いに戻った時、復帰の試験に俊介に踊らせたのが「八重垣姫」だった。結果は不合格で1年だけ待つと言われ、1年後もダメだったら半次郎の名は喜久雄に継がせると引導を渡された因縁の役だった。この時もう半次郎は糖尿病の症状で失明しかかっていた。

    『芸術選奨』受賞から二人の評判は上昇していく。喜久雄は彰子がマネージャーとして辣腕を発揮、オペラとの競演をパリのオペラ座で実現するのだった。三代目花井半次郎(喜久雄)の名を一躍轟かせるのだが、九州の辻村から辻村興産の創立20周年パーティーへ喜久雄に『鷺娘』の舞の依頼の電話が入る。警察の暴力団に対する取締りが厳しくなっていた世情でもあり、徳治は大反対するのだが、義理と恩を重んじる喜久雄は二つ返事で受けてしまう。案の定、警察の手入れが入り、暴力団関係者は一網打尽で逮捕され、喜久雄はマスコミに任侠の出自のことが恰好の攻撃材料で晒されることになる。歌舞伎界を追われた喜久雄は、今度は新派からも謹慎となり再び追われる身となってしまった。

    喜久雄34歳、市駒との子の綾乃は13歳になっていた。気は強くてもまだ中学1年、不良仲間と連んで家に帰らなくなっていた。市駒から相談された徳治の行動が惚れ惚れするほどカッコいい。直ぐに京都へ向かった徳治は弁天の情報網で京都のチンピラから綾乃を連れ回している暴走族を突き止め、綾乃を助け出す。暴走族のチンピラをボコボコにしたのだが、今度はその上部組織の暴力団の下っ端が現れる。徳治は覚悟を決めて親分の所へ案内させ、その肝っ玉の大きさに感服した親分を小指一本で綾乃から手を引かせるのだった。愛甲会(辻村興産)の辻村の名前を出さずに、ことを収めた徳治。歌舞伎界で冷遇されていた頃に辻村の名前を利用しなかった喜久雄。徳治は喜久雄と綾乃を守ることしか考えていないのだろう。徳治の全てがわかる一番の見せ場で、実はこの物語で一番好きな場面だ。
    しばらく落ち着いていた綾乃だったが、再び夜の街を徘徊し薬物に手を出す寸前に補導される。喜久雄は徳治を伴って急ぎ京都へ向かい、綾乃と向き合うが、綾乃の喜久雄に対する“捨てられた”という憎悪の心を知る。もっと早く向き合えばよかったと後悔するが、もうこれ以上放っておけないと東京へ連れて帰るのだった。そして春江が俊介の薬物から救った経験から、自分が預かると言う。綾乃の再生の人生が始まる。

    新派の舞台にも立てなくなった喜久雄を助けたのが、何と彰子の父親のあの吾妻千五郎だ。絶縁状態だったが喜久雄が受ければ世間から爪弾きにされることがわかっていながら、恩ある元暴力団の辻村の依頼を受けてパーティーの舞台に立ったことを逆に評価、見直したということらしい。千五郎の後見を得た喜久雄の歌舞伎復帰の会見をして1年後36歳の時、俊介との共演による『源氏物語』が大評判となり、1年間の全国公演後も二人のコンビで3年余り『仮名手本忠臣蔵』で共演。その後は喜久雄は吾妻千五郎と、俊介は小野川万菊と共演して立女形の地位を築き上げていく。二人の年齢は40歳になっていた。

    そして43歳の時、俊介は五代目花井白虎、16歳の一豊は二代目花井半弥を襲名する。
    徳治は喜久雄に自分の人生をやり直すと言って、襲名披露公演を見る前に一人中国大陸へ飛び立っていた。

    喜久雄46歳で綾乃のお腹に孫が……。3年前大学4年で大相撲の大雷と知り合った綾乃、25歳になった綾乃が大関になった大雷とできちゃった婚で喜久雄に披露宴だけでも三代目花井半次郎の娘としてお嫁にいかせてくれと頼まれる。

    この年、小野川万菊が93歳で死去、山谷のドヤ街の安宿で発見された。万菊が公の場にその姿を最後に見せたのは、これより3年前の俊介の襲名披露公演での口上の席だった。安宿で交流のあった者達から伝わってきたのは「陽気な爺さん」「酔うと着物に着替えて部屋で踊ってくれる」「ここは美しいものが一つもなくて、妙に落ち着く」「もういいんだよと誰かに言ってもらえたみたいだ」
    そんな小野川万菊の仮通夜から葬儀まで、喜久雄は一晩中棺の前で寝ずの番をしていた。そしてこの頃から稽古が厳しくなっていった。誰もが喜久雄のような演技が出来るはずもなく、喜久雄の苛立ちは誰の目にも明らかであった。

    喜久雄は女形の超難役の『阿古屋』に初めて挑み大成功、俊介も『女蜘』のテレビドラマ化で大成功を収めた矢先、俊介の足が壊死するという難病に冒され、右脚を切断する手術を受けたのだった。俊介47歳、一豊20歳の時だ。俊介は義足での舞台を目指しリハビリに励んでいた。
    喜久雄47歳、綾乃に元気な女の子が生まれ、喜重と名付けられた。
    その後、俊介舞台に復帰するが今度は左脚も壊死、切断する。それでも舞台に立とうと頑張り、『隅田川』の舞台を1ヶ月に渡り務め、「日本芸術院賞」が授与されたのだが、その数ヶ月後に51年の生涯を閉じる。

    それから6年、喜久雄57歳、俊介の7回忌の年、女形から立役に変わった一豊も30歳になった年に轢き逃げ事件を起こしてしまう。思い直して事故現場に戻り、轢いた相手の学生も命に別状はなかったのは幸いだったが、一旦その場を離れた事実は重い。それでも飲酒はなく、信号も車の方が青だったこともあり、悪質という印象にはならなかった。「三友」社長の竹野と喜久雄ですぐに記者会見をし、謝罪を繰り返し、一豊の無期限謹慎の処分を下した。学生の容体も順調に回復し、関係も良好で喜久雄も歌舞伎のイメージアップに打ち込んでいた。孫の喜重も小学4年、10歳になっていた。一豊は3年の謹慎期間が明けた年、モデルで活躍していた美緒と結婚、心機一転、再起をかけ舞台復帰を果たした。

    歌舞伎の当代女形の頂点に立ってしまった喜久雄は孤立していく。そんな時『藤娘』の舞台に感極まった観客の一人が上がって来て踊る喜久雄の目の前に立ちはだかるという事件が起きる。この事件から喜久雄の振る舞いが何かおかしくなっていく。それ以来『藤娘』を踊らなくなって6年、喜久雄はずっと探していると言う。この世とも思えない景色で、それを舞台でやりたい、その景色の中で踊れたら役者やめたっていいと。でもその景色がわからないんだと言う』喜久雄63歳になっていた。
    その頃文化庁では重要無形文化財保持者『人間国宝』の審査が重ねられていて、その俎上に三代目花井半次郎(喜久雄)の名前が載せられようとしていた。6年前の一人の客を狂わせて舞台に上がらせてしまった芸が完璧だとすれば、現在の芸は「完璧を超えた完璧な芸」。もう客など見えないかもしれない。窮屈そうで苦しそうに見えた。

    愛甲会の辻村将生の娘を名乗る女性から喜久雄に連絡があり、辻村が入院している武蔵野の病院へ行く。逮捕以来30年近く連絡はなかった。死を間近にした辻村が喜久雄に自分が父親を殺したことを告白する。しかし逆に50年もの間秘されてきたこの事実が今の喜久雄を作り上げたのも事実だった。喜久雄は逆に長い間世話になったことへの礼を言うのだった。喜久雄が今見てるのは50年前の宮地組討ち入りの料亭「花丸」での雪の中での立花組権五郎が雪を真っ赤に染めた立ち回りだった。美しいと感じる、喜久雄が正に立ちたいと思った舞台だった。

    三代目花井半次郎(立花喜久雄)に重要無形文化財保持者『人間国宝』認定の知らせが「三友」の竹野の元へ届いた時、歌舞伎座で『阿古屋』の舞台が開幕しようとしていた。そして綾乃が徳治から届いたばかりの本日分の指定席チケットと「お嬢へ、天狗より」というメモを持って歌舞伎座へ慌ててやって来る。チケットの席は2席空席だったが、徳治の姿はなかった。

    徳治が中国大陸へ渡って20年、中国で大成功していた。中国版Amazonのような会社を創業して中国で業界3位の大会社「白河集団公司」の社長になっていた。日本との独自の情報パイプがあるみたいで、喜久雄の『人間国宝』認定の情報は公になる前に得ていた。急いで上海から羽田へ飛び、秘書の運転する車で東銀座へ向かうのだが、渋滞に巻き込まれて今ようやく高速を降りて新橋演舞場の前から歌舞伎座へ向かっているところだった。

    『阿古屋』の舞台開幕前、楽屋の中での喜久雄の様子がおかしかった。彰子に「役者をやめたくない。それでもいつかは幕が下ろされる。それが怖くて仕方ない。いつまでも舞台に立っていたい。幕を下ろさないでほしい」と言う。

    いよいよ『阿古屋』が開幕する。琴、三味線、胡弓の責め苦に耐えた阿古屋が無罪放免されて幕となるのであるが、釈放された阿古屋の喜びが、演じる喜久雄の体を支配するのである。そして「いつまでも舞台に立っていたい。幕を下ろさないでほしい」と望んだ喜久雄の顔に一瞬ほっとしたような微笑みが浮かぶ。綾乃だけはそれを見逃さなかった。他の誰にも見えないものを見てそこに立っているのを肌で感じたのだ。
    幕が引かれようとした瞬間、舞台の中央に立ち、上手下手、1階から3階まで見回した喜久雄は「きれいやなあ…」と呟き、よろめきながら飛び出すとゆっくり舞台を降り、観客席を真っ直ぐに外へ向かい、ドアの外へ、ロビーへ出るとそのまま花魁の姿で歌舞伎座の外へ、そして渋滞した車道にそっと素足を降ろしたのだ。信号の変わったスクランブル交差点によろめきながら飛び出すと、歩道からは悲鳴が上がり、同時に無数のクラクションが響く。

    三代目花井半次郎(喜久雄)は何を見たのだろうか。美しいと感じた景色は何であったのだろうか。「阿古屋」の中の景色、吉野山の桜だったのか、龍田川の紅葉だったのか、更科の山から眺める秋の月だったのか、そして越路の雪景色だったのか。それとも50年前の長崎「花丸」での真っ赤に染まった雪景色なのか。

    完璧を超えた行き先は狂気なのか。美しい景色の追求は狂気を育むのか。小野川万菊はそれ故に最期は美しい景色から逃げたのか。
    喜久雄は狂気に至っても美しい景色を求めて幸せの極致を得たのに違いない。6年前から完璧を超え始めた喜久雄の様子を一豊も春江も弟子達も皆んな知っていたのに誰も止められない、誰も寄せ付けない孤高の人になってしまっていた。徳治が側に居れば何か違った今があったかも知れない。

    結末はどう解釈すればいいのか。喜久雄は死んだのか。いや、いくら信号が変わっても交差点の中にいる人間を轢く車はないだろう。
    これから人間国宝認定の記者会見に臨み、徳治とも20年振りの再会が待っている。まだ死んではいけない。

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著者プロフィール

1968年長崎県生まれ。法政大学経営学部卒業。1997年『最後の息子』で「文學界新人賞」を受賞し、デビュー。2002年『パーク・ライフ』で「芥川賞」を受賞。07年『悪人』で「毎日出版文化賞」、10年『横道世之介』で「柴田錬三郎」、19年『国宝』で「芸術選奨文部科学大臣賞」「中央公論文芸賞」を受賞する。その他著書に、『パレード』『悪人』『さよなら渓谷』『路』『怒り』『森は知っている』『太陽は動かない』『湖の女たち』等がある。

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