- Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022731982
作品紹介・あらすじ
信者11億のカトリックの世界では、どうして「悪魔祓い」という摩訶不思議な儀式が、生き続けているのだろうか。解くカギは、「癒し」であり、「救い」であった!そして、その知恵は、現代日本の閉塞感打破につながっていく。「悪魔祓い」の、日本初の学術的入門書。
感想・レビュー・書評
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「悪魔祓い」についての、本邦初の学術的入門書である。
「悪魔祓いなんて、前近代の遺物だ」――と、そんなふうに思うのは認識不足。悪魔祓いはカトリック世界で正式に教理として定められ、教会の許可を得た「エクソシスト」によっていまも行なわれているのだ。
しかもそれは、「まさに教会の聖務であって、決して異端的なものでも邪道なものでもない」、「教会における厳粛な儀式」なのだという。
本書はその「悪魔祓い」について、オカルトの立場からではなく、澁澤龍彦のようにペダンティックなお遊びとしてでもなく、真面目に、かつシロウトにもわかるように概説したものだ。
学者(著者は比較宗教史家で、東洋大教授)らしからぬ平明な文章に好感がもてるし、門外漢の私には目からウロコの記述も多く、わりと愉しめた。
『デビルマン』から『デスノート』に至るマンガや、『エクソシスト』から『ダークナイト』に至る映画のように、悪魔の存在がベースにあるカルチャー/サブカルチャー(『デスノート』は悪魔というより死神だが)に親しんできた者なら、本書によってそれらの作品をいっそう深く味わえるだろう。「そうか。あの場面にはそういう意味があったのか」と……。
たとえば、キリストが悪魔祓いに際して悪魔の名を問いただす聖書のワンシーンについての、次のような記述。
《悪魔に名まえなんか聞いてどうするのか、と思われるかもしれないが、それは現代人の発想である。
名を知るということは今の私たちには想像もつかないほど昔は重要な意味をもっていた。しかもこれはヨーロッパにかぎったことではない。
名はその人を他人と分かつものであり、その人にとってかけがえのないもの、いわば自分という存在の一部である。むやみに他人に教えるものではない。
呪いをかけるときがそうである。髪の毛一本でもその人の一部が手に入れば呪いをかけることができる。名がその人の一部である以上、ほんとうの名を知られると呪いをかけられる可能性が生じる。》
「うーむ、『デスノート』というのはそういうことをふまえて発想されたのかなあ」とか思えて、興味深い。
著者は本書の後半で、悪魔祓いに精神病理学からアプローチし、その謎解きも試みている。著者によれば、悪魔憑きの代表的症例はいずれも「精神疾患の症状として説明可能」なのだという。
たとえば、異なるいくつもの声を出すのは「多重人格障害のごくふつうの症状」であり、全身を弓なりにして反り返るのも「神経症の発作としてはとくにめずらしい症状ではない」という。その症状は「後弓反張」もしくは「ヒステリー弓」と呼ばれるとか。
悪魔に憑かれた者が「他人の心を読む」とされる点についても、「ヒステリー患者が無意識のうちに発揮する感覚というのは、想像を絶するほどにとぎすまされるというから、それを発揮すればどんなささいな情報からも相手の心のうちを推量するのは不可能ではない」としている。
まあ、そんなふうに理詰めで悪魔憑きを解説することについて、げんなりする読者もいるだろう。私は面白く読んだけど。
もっとも、著者は大槻某のように反オカルトの旗幟を鮮明にしているわけではない。悪魔憑きを合理的に説明したうえでなお、終章「救いのありか」では、悪魔憑きや悪魔祓いのもつ“合理性を超越した意味”について、宗教史家らしい考察を展開しているのだ。
ただ、紙数もかぎられた新書のことゆえ、“悪魔祓いについて、一通りの知識と著者の思うところをざっと書いてみました”という程度のものでしかなく、深みには乏しい。
中身も、少々薄い。
たとえば、悪魔祓いを扱った映画の代表格『エクソシスト』『エミリー・ローズ』『尼僧ヨアンナ』に言及するのはよいとしても、その3本のあらすじを延々と紹介するのはやりすぎ。「これってただのページ稼ぎちゃうんかい」と思ってしまった。
著者が同じテーマで、この2~3倍の分量でがっちりと書き込んだ大著が読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
思索
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映画『エクソシスト』 映画『エミリー・ローズ』 秘跡(サクラメント) 準秘跡(サクラメンタリア) ソクラテス(神は存在するかという問いに即座には否定しなかった) アネリーズ・ミヘル(エミリーローズの元になった人物) 不可知論者 メソジスト派 「恐れおののいて救いをまっとうせよ」 聖痕(スティグマ) 皮膚描記症(ダーマトグラフィア) ヴォルテール「貴方の考えは気に入らないが、貴方が発言する自由は、私は命をかけても守りたい」 悪魔パズズ(エクソシストに出てくる悪魔) ダミアン神父(ジョゼフ・ド・ヴーステル) 映画『尼僧ヨアンナ』 ナントの勅令 シュラン神父『神の愛の勝利』 静寂主義(キエティスム) カテキズム 明けの明星(ルシファー、カルシファーの事) トム・チット・トット(民謡に出てくる妖精) テルトゥリアヌス『護教論』 プロテスタントにおけるマリア像 禁書目録 フィリップ・ピネル/エティンヌ・エスキロール デモノマニア 解離性トランス障害 ジュリアン・ジェインズ『二分心の崩壊における意識の誕生』 トゥレット症候群 マドレーヌ・ル=ブック
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映画のエクソシストなどを題材に悪魔と悪魔祓いの解説が長く続く。本の題名に近づくのは最終章。ここを読むと悪魔が人の救いとなることが理解できる。悪いことは全て悪魔のせいにして自分の心を救済する。
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悪魔というテーマというよりは、エクソシスト作品の紹介という感じ。もっとエクソシストや悪魔に対する考え方が具体的にかかれているかと思ったけど、「〜なのだろうか」「〜なのかもしれない」という文体ばかり。結局なんなんだ!てなる。
それぞれの作品に対する考察は面白いけれど、内容としてはストーリーの解説と豆知識という感じ。
がっつり悪魔やエクソシストについて知りたいという場合には向いてないかも -
カソリックでは悪魔祓いが「祓魔式」という名前で、サクラメンタリアの一つとして残っているらしい。
アニメ「青の祓魔師」ではないがエクソシストは未だに本当にいるらしい。
悪魔は人間と違って神の創造物ではなく従って神から自由な存在でありそうだ。キリストは祓魔師としてデビューしたらしい。ひょっとして神は悪魔に対抗して生まれたのかもしれない。 -
現代、悪魔祓いが求められている。
ローマの大学では「エクソシスト課」が開設され、現役エクソシストの数は
年々増えている。なぜ、科学が発展した現代に、エクソシストが増えるのか?そんな疑問があり、この本を手にしてみた。
本書の構成は、過去のエクソシストの逸話を具体的に紹介し、
現代の医学や心理学的な観点から解明まで。
過去の逸話の話になると、どうしても歴史っぽさが出てしまい(ナニナニ皇帝や、聖ダレダレのように)つまづく箇所がある。また、現在の医学に置き換えて分析することで、過去の悪魔憑きを否定的な立場で判断してしまうのは少し残念。
悪魔憑きを肯定も否定もしないけどさ、過去のことを「あれはきっと演技だったに違いない」なんて言い飛ばすのは、なんとなく悲しい気がするじゃないですか。 -
宗教について学んでみたくなった。
信仰の立場からではなく
理性的な面から。
この新書は初めてというくらい夢中になって読めた。
リアルな描写にのめりこんだ。
ただ、最後のまとめ方がなんかあっさり。
前半が最高だったために、もっと心に迫る結論を期待してしまった。
まあ、こういうまとめ型だよな、って感じで少し残念。
エクソシスト見なきゃ -
悪魔祓いというと映画「エクソシスト」になりますが、本書もその映画を端緒に話が始まります。実際問題、本書で指摘されているように悪魔に憑かれている人というのは十中八九は多重人格などの精神障害ということで、医学的には説明できるのでしょう。あたしもそう思います。ただ、それはあくまで他者の見方であり、他者が自分勝手に納得しているだけであって、当事者やその家族(身近な人)にとって、いくら何々性何々症と言われたって、何の助けにも慰めにもならないわけで、そんなとき科学ってものは実に無力で、人は宗教に救いを求めるものなのでしょう。そして悪魔が憑いていると言ってもらえれば納得できるわけで、納得できると言うことは、それだけで問題の大半は解決できていると思います。あとは、傍から見ればバカバカしいと思えるのかもしれませんが、仰々しく悪魔祓いなどの儀式を行なってもらえば大団円になるという次第。科学が発達すればするほど、新興宗教やカルトじみたものが流行るわけですが、悪魔もいなくならなければ悪魔祓いも終わることはないのでしょう。
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2008/3
キリスト教における悪魔という存在はどんなものか。日本でも狐に憑かれるなどという言葉もあるが、宗教的側面から人の心の問題に触れている。