- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022732408
感想・レビュー・書評
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図書館では、情報の検索を技法として指導するけど、検索できたからといって、例えばいいレポートが書けるわけではない。検索して出てきた言葉を、深く考えることなく、書き写してしまうことが多いから。よくある常套句を並べて、文章として破綻ないものが書かれていても、いざそれを口で説明すると、説明できないことが多くなってる気がする。自分も含め。そういう問題意識から、この本に手が伸びたんだろう。クウキと世間の意味付けに、若干納得できない部分もあった気がしたけど、大筋、私の問題意識に近いものだった。
検索ばかりで自分で考えることがおろそかになったとき、判断基準が自分の中になくなってしまう。そのためクウキを読んで行動することになり、結果、世の中が窮屈になってしまう…。自主規制が起こる。
一人の思考、そして生の対話をもう一度取り戻す必要がある、ということ。
とても大事な指摘だと思う。でもなんか、読んでてスッキリしなかったのは何故だろう。根拠が明確でないから?論理の展開に飛躍があるから?
もっとゆっくり読んで検討してもいいんだけど、ま、そこまでしなくてもいいか。
私が最近実感してる言葉があったから。
「他人の言葉を借りながらも、どこかで自分の言葉に着地させなくては考えたことになりません。…自分の思考、考えをスルーして簡単に手に入れた言葉は、けっきょくその人を救うことも、助けることもない」(p.219)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
現代人の「考える力」の衰えに切り込む1冊です。
検索すれば情報を簡単に見つけられるかもしれないけれど、それはあくまで他人の言葉。
空気を読んで他者に同調することは、人から思考を奪う。
ランキングや話題のスポットだって、結局は「みんながいいと言っている」と多数派になびくことなのだ。
『おとな「学問のすすめ」』(齋藤孝/著、筑摩書房)を読んだ直後だったため、自立した思考というキーワードがより身に迫ってくるように感じました。
また「空気を読む」ことについて、かなりのページを割いていますが、時々感じる息苦しさの正体が見えたような気がします。
日本人の察する文化が土台にあるとはいえ、それ以上に「空気読め」という現代の風潮はやっかいなものだと苦い気持ちになりました。
そういったものに振り回されず、己を失くさないようにいたいものです。 -
内容は現代の空気の話で題名と内容が合っていないところに違和感が。まぁ、強烈な題名にして売らせようとしたのかもしれませんが騙された気分です。
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「クウキを読め」と幼児を怒鳴る父親、頻発する家族間殺人、「気配」のない人々・・・携帯メールをはじめするコミュニケーションの広がりによって、人とのつながりが変質している。ネット検索とコピペで出来上がる論文や感想文のように、思考を停止した若者の今後を憂う。。。その後台頭してきた、ソーシャルメディアは著者にとってどのように映っているのかなぁ、と、思わず「検索」したらNHK「視点論点」で『Twitterと孤独』というテーマで語られていました。YouTubeでこれから見てみよっと。そんな私も「検索バカ」の一人でしょうか。
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情報社会の進展で、世の中が便利になる中、思考する能力が失われている。「空気を読め」という同調圧力がかかり、他人の意見が気になってしまう。そんな世の中で著者が辿りついた世の中を生き抜く思索力とは何かを追及する。
2022年11月~1月期展示本です。
最新の所在はOPACを確認してください。
TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00023603 -
自分で考える事をしなくなった。分からない事があればすぐにネット検索。美味しい店は?自分で探そうとしない。他人任せ。料理のレシピ、本棚の設計図、全て借り物。独創性がない。これではいけない。ロダンのように一生懸命に考えよう。
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板倉一枝先生 おすすめ
60【教養】914.6-F
★ブックリストのコメント
わからないことがあるとすぐに「検索」をしてしまっていませんか?「考える」ことをせずに思考停止してしまうのはよくありません。情報を活用するとは、そして真の情報処理とは何かを考えさせてくれる書です。 -
検索に頼りすぎず、空気を読みすぎず、もっと対話して、もっと自分の頭で考えましょう、という内容かと。
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思索
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「他人と同じことが至上価値をもったクウキ論」が大半をしめるが、検索によって用意に答えに辿りつき考えることを放棄してしまった時代の流れが主な要因なのではと結論付ける。
SNSやチャット、ケータイメールなどコミュニケーションが刹那的になるにつれ、瞬時に結論が得られることが当然となってきている(だから結論が書かれていない本は悪書であるとされる)。
その結果、インスタントに"答え"(たとえそれが存在しようとなかろうと)を安易にもとめ、思考は停止する。最後の一章を費やし訴えている「生きることは考えること」という著者の主張が痛々しく響く。