- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022732620
作品紹介・あらすじ
すしというのは不思議な食べ物だ。どこの店もすしだねは30種類ほどしかなく、多くは醤油で食する。祝儀・不祝儀、老若男女、上戸・下戸の別を問わない。この日本人のソウルフードが、今や「SUSHI」として世界を席巻している。すしを食べるとき、知っておくと楽しい「ちょっとおいしい話」。
感想・レビュー・書評
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寿司 江戸時代 寿しから変化・おめでたい意味を込めた当て字
秋田・ハタハタ寿司 石狩寿司 ご飯のデンプン質を糖化させるために米麹
江戸前寿司 本来は羽田から深川一帯の浅瀬
屋台,内店(うちみせ),行商などのスタイル
隠語の発生過程で倒置 ネタ 宿→ドヤ 場所→ショバ 切符・ふだ→ダフ
昔の寿司屋には火がなかった→椀物は邪道
江戸時代 屋台の寿司屋,立ち食い 銀座4丁目二葉鮨 屋台を模したつくり
戦後食糧難 寿司の加工委託制度
山崎ナオコーラ 誕生日には一人で寿司屋に行くことを実践・一人でなんでも楽しめるようになりたい
寿司屋の楽しみの一つは自分でケースにある魚を選ぶことにある・近頃は高級店ほど冷蔵ショーケースがない☆310203東京駅八重洲口の魚河岸日本一でとまどい・分からず注文できなかった→見ておいしそうなものを食べるべきだった
クロマグロ ミナミマグロ(インドマグロ) メバチマグロ(目鉢) キハダマグロ(黄肌) ビンナガマグロ(鬢長)
日本海沿岸からクロマグロ北上→津軽海峡へ
江戸時代 酢で絞めた魚 保存と乳酸発酵の精神
マグロは酢で白化→醤油漬けの発明
江戸時代の俳人 山口素堂 目には青葉山杜鵑初鰹 視覚,聴覚,味覚
1642(寛永19)年~1716(享保元)年)/松尾芭蕉とは同門/蕉風の確立に寄与 目には青葉と字余りのゆったりした呼吸の中に読者は初夏の青葉の景を思い描く/ややおいて「山ほととぎす初鰹」とテンポよい/読者は自らの耳や口の五感が刺激されて初夏の候を体全体に感じる
関西のタイ,関東のマグロ 赤身より白身が上品の意識
ノドグロ(アカムツ)ブーム 映画築地魚河岸三代目・しあわせのかおりの影響 煮魚にするのが定番 日本海,太平洋でも取れる 脂が強く焼いた方が好み なぜ人気が集まるのか分からない
アワビを伸した熨斗(のし)が慶長のシンボル 贈り物に添えられるようになった
折り熨斗 中央に黄色の細い紙 アワビ熨斗の名残
サラダ記念日 300円のあなごずしそのおいしさを恋とこそ知れ
煮ツメ→略してツメ
昭和10年代 銀座の久兵衛 軍艦の技法 ウニを食べるため
常磐沖を主産地として最近出回ってきた魚にメヒカリがある。唐揚げにするか,干物が一般的な食べ方だ。水戸では,フランス料理にも使っていた。
寿司,鰻,天ぷら 屋台の立ち食いから発展した料理には酒を飲む文化がなかった。
ミシュラン 海外では行こうとは思わない→格差社会,大切な常連客のために下座を用意されるだけ
すきやばし次郎→滞在時間が長ければ値段が高くなるのは当然 寿司は3秒で食べてもらいたい
寿司屋は原則,一人で行くべき詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「大間のマグロを有名にしたのは、ある水産業者とある商店とが意地を張り合って根がつりあがった結果である。ネットグルメ、いわゆるネグルメたちは、すしではなく情報を食べている。例えば、大間は知っているが、対岸の戸井はまったく知らない。気分は食通であり、一億総料理評論家である。」
味音痴な自分としては、産地にこだわりはありません。大間のマグロがその対岸の戸井のマグロより高い経済観念が理解できません。どちらも食べたことがないので、何ともいえませんが、価格差ほど味が違うものなのでしょうか。大間で取れたマグロというモノを食べているのではなく、大間産のマグロという情報を食べるために対価を支払っている感じがします。
食に限らず、生活の最低限要素である衣食住にはブランドがつきまとっています。…産の食べ物、…のブランドの衣服、…に住んでいる、等です。どこの産地化なんて素人に分かるわけないですし、どこのブランドの服だろうが現代の技術を用いれば生地の違いなどないでしょうし、どこに住んでもインターネットの存在により別段不自由せずに暮らせます。この手のものは、上を見れば際限がありません。
社会人になってから、慎ましく生きることの素晴らしさを知りました。 -
『すし屋の常識・非常識』
重金敦之
仕事の絡みもあり、寿司を食べる事が時々ある。そんなとき何を頼んで良いかよくわからない。とりあえず、勉強したくて購入。
すしという文化の起こりから、すしねたの話、すし屋の話と続き、すしの将来はどうなるか? と締められる。
すこし覚えておけば、すし屋での話のネタにはなるだろう。
ちなみに、最初にも挙げた「なにから頼むか」ということには
……ほかのお客に迷惑さえかけなければ、自分の好き勝手な順序で食べればいいと思う。……(p180)
となっている。むむむ。 -
寿司の歴史を小説を引用するなどして辿り、すしだねの四季、すし屋のプライドとお客のわがまま、すし屋の未来を論じるもの。面白いですね。
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20130808 寿司屋に関する基本的な知識を得るには良い本。寿司は食べないとわからないという事か。
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すしの歴史、すしだねの四季、すし屋のプライドとお客のわがまま、そしてすし屋の未来について豊富な知識と経験に基づき、詳しく楽しく、ときに厳しい視線を向けながら解説してくれる一冊です。もともと屋台の立ち食いで始まった「すし」がいつの間にか座って食べるようになり、店を構えるようになり、庶民の手の届かない高級店になり・・・一方で回転寿司などで庶民の味として大活躍したり、と大まかには知っていたすしの歴史がとても詳しく説明されています。すし一貫の分量、十貫が一人前という数量が確定したのは、戦後のGHQ統治下での「すしの委託加工制度」によるものであるなんて聞くと、「へえ~、江戸時代から一貫二貫って呼んでたんじゃないんだ!」と新鮮な驚きがありました。マグロをはじめとする「たね」の旬や変遷・美味しい食べ方の章では、古風で伝統的なすしに固執するつもりはないが、いま流行りの「なんでもあり」のすしニューウェーブには一抹の寂しさを感じる、と語る著者の辛辣な意見もたくさん飛び出します。著者が実際に見た「対決」を実例に挙げながら語られる「すし屋のプライドとお客のわがまま」も面白いです。
「すし」の知識と未来、そして著者のすしへの愛情がつまった楽しい一冊でした。すし屋のカウンターに一人で座って職人さんと一言二言交わしながらおすしをつまんで、お酒をちょっと飲んで・・・なんていまだに未経験ですけどね。 -
鮨について、基本的なところから書かれている。文学作品や作家の話を織り交ぜながら鮨のことを述べているのが特徴的。
鮨が食べたくなりました。 -
寿司の薀蓄色々。
誰かと寿司屋に行ったら思わず話したくなるようなネタも含まれている。
この本を読んだ後確かに寿司が食べたくなった。
小説に出てくる寿司屋のエピソードなども多いので、それら小説にも興味が湧いてくる。
寿司で本を書くような著者であるから、寿司、寿司屋に対する拘りがあるのは当然だが、寿司屋ではかくあるべしというような話はちょっと気になった。
なお、出てくる寿司屋はそれなりの店ばかり。 -
さんざん迷ったあげくに購入。
知らないことがたくさんですから、読んでみたいかなと。
昔から現代まで、いろいろふれられています。
はたして著者はまわりを見下しているのか、そうでないのか。
でも、食べたくなりました。おすし。
思わず、スーパーでパック購入です。
実際にすし屋にいかないところが悲しいですね。
締めるのがよいとか、生がよいとか、お酒があるから夜の会食になるとか。
自分には、好きな握りをたまに食べるのがやはりあうようです。 -
主にすしの歴史を紹介する本。2009年。著名な小説家が残した文章から、すしに関するフレーズを抜粋し、ネタや流通、歴史について解説している。日本人だからか、本書を読むと無性にすしを食べたくなる。欧米的な肉の食事もおいしいが、やはり魚は、特に生で食する刺身やすしは日本人の口にあうのだろう。健康食として海外でも人気を集めており、日本の中のフレンチのごとくブランドを確立している。つまり価格はそこそこする。リーズナブルなおすしやから、やや高級なすしやまでそろっている環境は諸外国からすれば恵まれているといえるだろう。
話がつながらないといった著者の文章は読みにくいところが多分に含んでいるが、すしに対する愛情は大いにうかがえる。