<目次>
まえがき
第一章 生きる力ってなんですか 千日回峰行の力
同じことを毎日ぐるぐると繰り返すこと
空っぽだから、苦しくなかった
暗闇の中を歩いているうちに心得が静かに
道に迷ったときも、自分を信じて静かな心で歩く
闇の恐怖の正体は…
日ごろ使わない力がよみがえってくる
行動が浄化されていく
生命記憶と千日回峰行
険しい道を歩くことで知恵が生まれてくる
物事はすべてつながっている
茂木健一郎の視点 暗闇で本能が目ざめる
第二章 縁ってなんですか セレンディピティを生かすには
出会いという名の奇跡
偶然の出会いを大事にする
縁はぐるぐるめぐりゆくもの
偶然の幸運を生かすかどうかは自分次第
大切な肌のぬくもり
千日回峰行の資格を与えられるまで
人に負けないものがひとつだけあった
自分の道は必ずある
できなくたって、かまわない
行こうか、戻ろうか
他人のために自分を捨てて生きようと思うこと
茂木健一郎の視点 縁とセレンディピティを逃さないコツ
第三章 人はなぜ生きるんですか 生きる道はどうすれば見つかるか
ほんのたわいもないことが、人生を変えた
自分の人生、自分でこしらえなきゃだめなんだ
頭の中を空っぽにして、ずっとやっていった
お師匠さんの生きざまを信じること
生活する中で、黙って教える
「後がない」という気持ちで物事すべてせよ
今日のことはみな、今日から始めよ
花は散っても、桜は生き続ける
過去の経験と新しい経験とが溶け合う
頭を空っぽにして、瞬間、瞬間を大切にする
自分とお天道様にうそはつけない
茂木健一郎の視点 師について学ぶ
第四章 心はどこにあるのですか 歩くことと、息をすること
毎日、同じリズムで暮らすこと
こだわらない心でいれば、肌は自然に潤う
悩みが尽きないときは、子どもの心になってみる
戻ってくるなら戻ってくればいい、来ないなら放っておく
歩くことは、脳にも心にも効く
歩くとだんだん、だんだんと無心になる
歩くこと、息をすること、心に思うこと
己はどこにある?
欲があっても、不完全でもいい
茂木健一郎の視点 毎日同じリズムで暮らし、歩いて息をして
第五章 仏が見えるときはどんなときですか 天才と魔境のあいだ
暗闇の中で感覚は研ぎ澄まされる
自分の心の眼で見る
視覚と触感覚で現実感は高まる
仏を見るということ
ビジョンを見ることと生きる力
成道するためには、「魔境」に入る
すべては神様、仏様
物事を治すのには、三倍の時間をかける
茂木健一郎の視点 魔境を退ける比叡山の叡智、天才ということ
第六章 幸せってなんですか 選べる自由があるから幸せ、ではない
今いるところが一番幸せなんだ
どんなにめぐり合わせが悪くても
婚活ってなんですか
聞いて、言う。言ったことは実行する
やるか、やらないか
三日続ければずっと続けられる
決めたら、あとはやるだけ
茂木健一郎の視点 選択肢があることが幸せなのではない
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何かを選びとるということは、脳にとって大切な学びの機会。たとえ失敗しても、そのこと自体から何かを得ることができる。だから、選択するチャンスが与えられるほどに、脳は多くを学び、私たちは幸せに近づくことができる。
このように脳科学は考えるのである。
(選択肢があることが幸せなのではない p207)
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極限を一度見てこそ、初めて「日常」が分かるということがある。大阿闍梨が身を投げ打ってつかんだ生きることの「真理」に耳を傾けることで、自分の存在の底から生きる勇気が湧いてくる。
(まえがき p5)
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脳科学者「茂木健一郎」氏と、天台宗大阿闍梨「酒井雄哉」氏(2013年死去)の対談本。
これと同時に「一日一生」を読んだのですが、酒井氏のお話自体は「一日一生」と重なる部分が多いです。けれど、言っていることにブレがないなぁ…と確認できたし、茂木氏という聞き取り役がいることでさらに分かりやすくなっている部分があるので、あまり気になりませんでした。
おもしろかったのは、酒井氏が比叡山に初めてやってきたとき、宮本一乗という方の千日回峰行の「お堂入り」の最終日、お堂から出てこられる日だった。その光景が頭から離れず、最終的に仏門に入られたのですが、ご自分が千日回峰行をする際、師匠の方が高齢で、山中を歩けない。千日回峰行は、最初の1日だけ先達の方についてもらい、道を教えてもらう必要がある。そのため、師匠の方が別の人に道案内をお願いした。その人が、なんと宮本一乗大阿闍梨だった…。
偶然の幸運に出会うことを茂木さんは「セレンディピティ」とおっしゃっていましたが、「それをどうやって生かしていくか」ということが脳科学の研究でも重要なテーマなのだそう。酒井氏の場合は、そんな「セレンティピティ」を生かす行動を、知らず知らずのうちにとっていた。
なんだか、本当にご縁という言葉をしみじみ感じさせられるエピソードだなぁと思いました。