茶の湯の宇宙 (朝日新書)

  • 朝日新聞出版
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感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022734013

作品紹介・あらすじ

庭を愛で、心を清らかにしながら茶席に向かう。床の間のしつらい、茶道具の取り合わせ、織り込まれた季節や主人の思い…そう、茶の湯は日本人の美意識の詰まった宇宙だ!この大いなる世界を知れば、人生が豊かに輝いてくる。大名茶道の家元が縦横無尽に解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 遠州流茶道の家元の2冊目か、文字は大きく読みやすさが重視されているように感じる。
    前作と同様、茶の湯に関しての入門的な話が全体にあるけど、例えば禅寺で修行していた時の話や客を迎えるときにどういったことを考えているか等、等身大の家元の考えがわかって勉強になる。

  • あまり馴染みのない茶の湯の世界を垣間見れたのは良かった。たまにこういった知らない世界を知ることは、刺激も受けるし、なんとなく人生も豊かになるような気がするし、何らかの糧になるかもしれない。

  • 最近、茶道の宗匠が書く本が流行り?それだけ、みんな茶道に注目しているってことかな!他流のことも勉強できて興味深い一冊でしたぞ!

  • たぶん奥深くて厳格なルールもあるはずの茶道の世界。そのエッセンスを一般向けに噛み砕いてかかれたコラム集。茶の湯の世界に棲む人の物事の見方が伝わってくる。その一方で日本人の心中に横たわっている「何か」が見えそうな見えなさそうな・・・
    素人の印象は千利休の「侘び寂び」感が強いが、著者が継いでいる流派では、「キレイ寂び」なる美意識もあるという。奥が深いだけではなく幅も広い。

  • さらりと入門書として読む本といった感じ。自分自身素人なのでちょうどよかった。

  • Tagy

  • さらっと読める。利休の黒、織部の緑、遠州の白。青茶、白茶。「◯◯の昔」「◯◯の白」。余白の美、不足の美、見え隠れの美、満つれば欠くる。

  • 茶の湯にあまり関心を持たない読み手を想定しているためか、あまり奥深さを追求する内容になっていない印象を受けた。
    興味深い点は、利休によって完成された「わび・さび」の精神性を持つ茶の湯が、茶が大衆に普及するにつれて、徐々に風化していく流れが読み取れる点。観点を変えれば、時代に応じた変化を遂げたという事になるが、「芸者論」でも言われているように、失われた物もあるだろう。
    『普及』と『文化継承』の関係、或いは、『普及する事で密度が低下する』といった事について深く考えてみると面白いかと思う。

    ・「余白の美」
    日本庭園にも余白の美は見出せます。枯山水の庭には、余白ともいうべき白砂が広がっています。(省略) 日本人が好む余白とは、次の想像力を喚起するための余白なのです。次に来た人によって作品が完成される。

    ・「見え隠れの美」
    簾や屏風は部屋の空間を仕切りつつも、完全に遮断しないで、空気の流れを感じることができます。(省略)「遮断しつつも、取り入れたいものは取り入れていく」というのは、日本人好みな空間の仕切り方だといえます。

    ・「満つれば欠くる」(小堀遠州)
    完全になる一歩手前こそが最も美しいという感覚です。それは完全なものになろうとしていく生命力に、美しさを感じるということです。

    ・茶の湯を創り上げた茶人
    千利休、古田織部、小堀遠州

    ・千利休(1522-1591)
    「わび・さび」の精神性を追求。
    晩年の利休は、徹底的に装飾性を排していき、最後には二畳の茶室を造ります。部屋も窓も少なく、道具も名物を使うのではなく、茶器は漆黒の真塗の棗(なつめ)、茶碗は黒い楽茶碗や割れ茶碗、掛物は紙表具が理想という独特の境地に達した。
    しかし、その極めた茶は、利休の精神性があってこそ成り立つものであり、誰でもできるものでなくなってきます。
    言い換えれば、利休の茶は天下人に対してでも妥協を許さないほど、厳しいものだったのです。
    「黒きは古き心、赤きは雑なる心」と、すべての色を包括し、求心力を持つ黒色を理想として、自信は黒茶碗を好んで使いました。

    ・「わび・さび」
    わび:簡素の中にある落ち着いた寂しい感じ
    さび:古びて枯れたあじわいのあること。地味で趣のあること。
    (日本国語大辞典)
    つまるところは、世俗的なものをすべて取り払い、削れるだけ削ってそれ以上余分なものがないというのが、一つの姿です。

    ・古田織部(1544-1615)
    利休なきあと、天下一の茶の湯宗匠となったのが古田織部。
    利休の弟子として利休を尊敬していた。
    茶道においては、利休とは全く違う工夫を凝らし、器や茶室にも革新的発展をもたらします。
    二畳の茶室を広くし、明かり窓も取り入れました。本来は深山幽谷の世界を表現するための、茶室に至る苔むした露地に、たんぽぽの花を植え、華やかな演出をしています。こうした明るい茶室で、ゆがみ、奇抜な形をした道具でお茶を点てたのでした。
    「わび・さび」の精神からいうと、利休の茶は理想です。しかし、それは利休という茶の湯の達人がいて初めて成立する空間と考えた。

    ・小堀遠州(1579-1647)
    利休や織部の時代とは違って世の中が平和になり、人々も安定を願って文化により目を向けるようになった時代に活躍した茶人。
    古田織部に入門して本格的に茶の湯を学び始める。
    18歳のときには、茶室前の蹲踞(つくばい)の下に瓶(かめ)を仕込み、水滴が瓶に落ちる時に、ポーンと反響音がする洞水門(現在の水琴窟/すいきんくつ)を考案し織部を驚かせるなど、早くから天賦の才を発揮しました。
    平和な時代に将軍家が大名や公家を招いて茶会を施すことになれば、随行者や参加者も増え、茶の湯の精神を理解している人ばかりとは限らなくなってきます。織部の時代以上に茶室を広くし、窓も増やして明るい空間を作ります。茶室で会席と濃茶が終わったら、続いて鎖の間に移って薄茶をふるまい、新たなもてなしの演出を取り入れました。
    精神的には利休、織部を継承しながらも、気品のある白い茶碗を使い、明るく総合的なしつらえに徹したのも時代を反映してのことだったのでしょう。
    それゆえ、遠州の茶は「綺麗さび」と呼ばれているのです。

  • 物質が溢れた心をおろそかしに、経済を最優先してきた現在、日本文化のあらゆるジャンルを包括する茶の湯を生活の生きるヒントとして書かれた本。
    本流を造った三人「利休の黒、織部の緑、遠州の白。遠州の綺麗さびは無駄を削り込んだわびの茶の湯に磨きをかけて艶を与えた。
    五感を働かせる茶の湯。

  • 茶の湯に学ぶ礼節、相手を思いやる心。万物に感謝をし、調和を尊重する。

  • あまり目新しいことがなかったので、途中から流し読みになりました。
    武者小路千家の若宗匠の方がおすすめ。

  • 茶の湯とは、日本文化そのものです。

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