改訂版 小林秀雄の哲学 (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.56
  • (2)
  • (10)
  • (3)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 99
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022735263

作品紹介・あらすじ

【文学/評論】なぜ小林秀雄の言葉は人の心を魅了してやまないのか? 生誕111年・没後30年にあたる今年、『理性の限界』等で知られる気鋭の論理学者が、〝近代日本最高″の批評の数々を徹底的に考察する。〝受験生泣かせ″ともいわれる難解な論理の正体とは。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 小林秀雄の作品からの抜粋を通して、思索の本質に迫っていく。傾倒していた哲学者ベルグソンのスタイルとともに、論理よりも直観を重視する考え方を説明する。人生の軌跡を辿ることで人物像が浮き彫りにされるが、人間味に溢れた一面には危うさが同居している。妹の高見澤潤子が語っている'兄 小林秀雄'からの引用は、人物像に彩りを添えている。一読したい本である。

  • 小林秀雄の哲学
    「日本の近代文芸批評の確確立者」
    「批評」という『寄生物』を、
    『独立物』としての芸術作品にまで高めた。
    科学思想によって危機に瀕した人格の尊厳を、
    哲学に救済したのが、ベルグソン。

    「逆説」「二分法」「飛躍」「半権威主義」
    「楽観主義」日本のソクラテス
    池田晶子も坂口安吾も大尊敬
    職員気質の父の影響

    東京帝国大学辰野隆先生との関係
    「おい辰野金貸せ!」
    辰野先生の家に出入りして、
    本を借りては線引いたり破ったり。
    しまいには灰や髪の毛をはさんで返す。
    →灰や髪の毛が挟まってないと、
    辰野先生が読んでないとすねちゃうから。
    別の教師はテストで「かかる愚問に答えず」と解答したので、零点をつけた。しかし、次の試験では立派な解答を書いて満点だったので「前の問題は本当に愚問だったのかな?」と考え込んでしまった。
    満点で「講義出なくてよろしい」と言われる。

    「悪いことをしたのなら、神様が俺を悪いようにしてくれるだろう。もし俺に罪がないなら、いいようにしてくれるだろう」

    「志賀直哉に「君らの年頃では、いくら自惚れても自惚れ過ぎるということはない。自惚れすぎていてちょうどいいのだ。やがてはそうはいかない時は必ず来るのだから」と言われた。それ以来、自惚れることにかけては人後に落ちまい(他人に越されない、ひけをとらない)と心がけた。何が何やら解らなくなっても、この位物事が解らなくなるのはたしたもんだと自惚れることにしていた」


    「批評とは人をほめる特殊の技術、人をけなすのは、批評精神に全く反する精神的態度」


    中原中也から長谷川泰子を奪う
    発狂女の長谷川から逃げるため失踪
    (中原中也の「汚れちまった悲しみに」は長谷川泰子との別れを詩に綴ったもの)

    発狂女の長谷川から逃げ

    続いて登場する坂本睦子も文豪達の間を駆け巡り、
    再び中原中也と取り合って対立して小林秀雄が勝利する。
    そして坂本睦子と結婚するつもりだったが、
    睦子がオリンピック選手と駆け落ちして、オジャン。

    明治大学の講師に就任。
    「教室でタバコを吹かすのは小林先生だけである。
    無言のまま2、3回煙を長く吐き出すと、机の端で無造作にもみつぶし、ポイと床に投げ捨てて、頭髪を指で巻きながら話がはじまるのが常であった。視線はほとんど床か窓の外である」
    「立って講義することは一度もなく、イスごと後ろの黒板にもたれながら喋り、疲れて来ると机に上に足を投げ出した。しかし酔っ払って授業にならないなんてことは一度もなかった」

    哲学者の全集を読んだのは、ベルグソンだけ。
    ベルグソンは、いわゆるアカデミックな哲学界に
    身を置いたことはなく、常に専門家ではなく、
    一般市民を対象に、講義や講演を行った。
    「学者」というよりも「友人」としてパリ市民に
    親しまれていた。

    「考えるヒント」
    1964年東京オリンピック開催とともに出版。

  • 売却済み

  • 著者は、論理学や数学の哲学の専門家ですが、長く小林秀雄の魅力に取り付かれてきたとのこと。本書は、小林の魅力を示す文章の抜粋と、評伝的な著者の解説文から成っています。

    「様々なる意匠」を排して、自分自身の眼で物を見ることをめざした小林の批評眼を高く評価しながらも、科学的世界観に対する偏狭な立場に陥ってしまうところに、その危険性を指摘しています。

    著者のような小林批判は、一つの立場ではありうると考えますが、なぜ著者が、それにも関わらず小林に惹かれるのか、という点が、今ひとつ腑に落ちませんでした。危険性が同時に魅力であるとはどういうことなのか、もう少し迫ってほしかったように思います。

  • 指名買いする読者はいないんじゃないかと思うくらい平凡なタイトルだが、読むと新たな発見を得られる。著者は留学先に全集を持参するほど小林ファンの哲学者。最初に小林独特の説得の手口の解説があり、彼の思想だけでなく文体までがベルグソンの影響下にあることが解き明かされる。ただ最後には、なぜ小林ほどの天才が非科学的で狭溢な世界に拘泥したのかわからないと泣きが入る。しかし各章の冒頭で必ず著者が気に入った小林の著作からの引用をたっぷりと読ませ、全人生の年代記は魅力的なエピソードにあふれ文芸評論家も嫉妬するほど手際がよい。

    小林秀雄がベルグソンの哲学書を繰り返し読んでいたのは知っていたが、その当のベルグソンが日本で紹介される際に、訳者がわざわざ「危険な思想家」と注意を促すほどの哲学者だとは知らず、ますますそちらも読みたくなった。残念なのは、小林がいつ頃どのように原書に触れていったのかわからない点。それと彼の思想上、若い頃の関西への遁走はもっと詳細な分析がなされてしかるべきだったと思う。

    いくつもの小林のエピソードから分かるのは、彼が全人生においても自身の思想の実践者であったことと、敵対者も虜にするほどの憎めない横顔だろう。授業にも出ず顔を出せば呼び捨てにされ金を貸せとたかられる指導教官や酒場で嫌みを言われカッとなって殴るのだが最後に懇々と説得され泣いてしまう生涯の批判者、これも酒で絡んで片腕を切り落とそうとやってきたのにあまりの安らかな寝顔に改心して帰ってしまう右翼など。

    小林秀雄は書いたものは難解で退屈だが、話すとわかりやく面白いのは、文体がまるまるベルグソンのそれと同じで、まず結論ありきでそれを説明するための比喩はたくさんあるが至った理由は詳しくは明かさないためだとわかった。対して喋るほうでは、明治大学の講義のように、即興のライブで論理を組み立てていくのでその過程がよくわかるのだ。

  • 【自分のための読書メモ】
     「小林さんちの秀雄君」とは、記憶するに、『文学部 唯野教授』での愛称。「すこぶる博覧強記。唯一印象批評であっても読ませる内容にまで昇華できる天才」としてずっと理解してきた。
     ただし、これまで、彼の文章を読んだことがない。すべて筒井康隆の受け売りなのである。すなわち、小林とは、名前だけは知っていて、『考えるヒント』は必読書のリストに上がっていて、中原中也と女を取り合ったことも知っているけれども、私たちの世代はあまり読んだことのない人。それが小林秀雄だ。(私たちの世代にとって、教科書や模試でよく読んだのは山崎正和であった。)
     その小林秀雄が去年のセンター試験に復活した。そして現役高校生の多くの人生を狂わせた。どんな文章を書くのだろう? 興味があった。それが今回、この新書になったことで読むチャンスが訪れた。
     驚いたことに著者は高橋昌一郎。何か対極にあるイメージ。手に取らずにはいられなかった。読了。意外なことに引用された小林秀雄の文章はとても肌になじんだものであった。そして生き方も魅力的な人物であった。(ただし、近くにいると大変そうではあるが。)

  • 「文は人なり」にあまり即しているとは言えず、「哲学」というよりは「評伝」になっているのだが、小林秀雄の魅力と危うさ?は十分に伝わってくる。
    <逆説・二分法・飛躍・反権威主義>の組み合わせが楽観主義となる論法には気がつかなかったな。愛と優しさを漠然と感じてはいたが。これに読者ははまり込んで心酔し、信者になっていくのか。その構造は「反論理」「無責任」「学問ではない」と色々と批判されるし、危険と言えば危険ではあるのだろうけど、そこが魅力でもあるのだろう。
    「科学思想によって危機に瀕した人格の尊厳」を救助するという小林哲学はもっと見直されていいように思う。

  • 請求記号:910.26/Tak
    資料ID:50072475
    配架場所:図書館1階東館 め・く~る

  • 小林秀雄とかつての戦争との接触面を知ることができ、自分のもつ小林秀雄像が豊かになったと感じる。そしてその不可解な魅力は増すばかり…。

  • 最後は納得できないとこるがあるが、小林秀雄のエッセンスを抉り出した良書。

    各章冒頭に引用された小林秀雄の長めの文はそれだけで読み応えがあって、他にはなにもいらないとさえ云えてしまうのだが、本文も伝記的事実をコンパクトにさしはさみ、小林秀雄がどんな人生を歩んできたかがよくわかるように描いている。

    私は小林秀雄の文章が「独断」であるとは思えない。一人の人間の「独断」ではけしてない。自分に集まる過去や現在、未来、周囲の環境、付き合いのある友人たち、愛した女性たち、それらを小林秀雄の直観で表現したものが彼個人に特有の「独断」でしかないとするならば、そんな「独断」は大いに結構。十分読む価値のあるものだろう。

    逆に「独断」を否定して論理と実証性に拘れば何が残るというのだろうか。数式だけが残りはしないか。小林秀雄に数式をみたい人がいるのだろうか。あるいは論理性を自負する人たちがむしろ論理性を破綻させることがないだろうか。論理と実証性では捉えられぬひと・もの・ことがあり、それが人間のありようなのであって、それを人は、小林秀雄をとおして見るのではないか。

    と、この本でいい刺激をうけた。

全11件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1959年大分県生まれ。國學院大學教授。専門は論理学・哲学。ウエスタンミシガン大学数学科および哲学科卒業後、ミシガン大学大学院哲学研究科修了。主要著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など。超自然現象や疑似科学を究明するJAPAN SKEPTICS副会長。

「2018年 『愛の論理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

高橋昌一郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
國分 功一郎
ジャレド・ダイア...
有効な右矢印 無効な右矢印

改訂版 小林秀雄の哲学 (朝日新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする