- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022735829
作品紹介・あらすじ
【社会科学/政治】集団的自衛権行使容認の閣議決定で注目された公明党。「押し切られた」との見方が大勢だが、じつは「戦争ができないようにする」一文を盛り込ませたとの見方をする著者が、母体である創価学会の教義と論理から検証する。渾身の緊急出版。
感想・レビュー・書評
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集団的自衛権を容認した2014年7月の閣議決定は、日本を戦争のできる国にする大転換と評価されたが、著者は、さまざまな「縛り」によって実際に行使は不可能な内容になっていると指摘し、公明党が一定の歯止めの役割を果たし得たと評価している。
本書で読む価値があるのは、この第一章まで。あとは公明党=創価学会を擁護するだけの内容である。それも、公明党の政治的戦略を客観的に分析したうえで導かれた結論なら説得力もあるだろうが、根拠にしているのは学会自身がうたっている教義と、戦争中に軍部の弾圧と闘ったという歴史だけ。これでは日本共産党のプロパガンダと変わりません。
だいたいさ、社会党や共産党を「反米ナショナリズムをあおる」と批判しておきながら、創価学会がナショナリズムに陥らないと主張する根拠はというと、池田大作個人とむすびついた宗教には国境がないから、とは恐れ入る。それを言ったら共産党だって、理論としては国境をもたないはずだったのに、まんまとナショナリズムにはまった歴史があるわけでしょ。まして個人崇拝にもとづく宗教が、どうして排他的性格を免れると言えるのか。
実際に戦後政治のなかで公明党=創価学会が果たしてきた政治的役割の分析もないし、池田大作への批判封じや共産党への盗聴事件など、学会に都合のわるい歴史はすべて無視したうえで、日本の政党政治で空白となっている中道左派の部分を公明党が埋められる、とまで言う。とても中立客観的な立場から書かれた本とは言えません。
むしろ興味深いのは、佐藤優は公明党が実際に日本政治で果たしている、かなり黒に近いグレーの部分だって知っているはずであるにもかかわらず、あえてキレイな宗教的教義の面から、公明党=創価学会の擁護論を押し出してみせたということ。この出版に政治的意図がないわけがない。プロテスタントが評価しているから客観的、という装いにだまされず、冷静に彼の狙いを考えるべきでしょうね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
創価学会や公明党と聞くと、嫌悪感を抱く。理由は分からないが、親や友人が、「良くないもの」としていたため、肌感覚として、そうなのだ。では、創価学会とは何なのか。勉強しなければ、自らの周囲で起こるこの反応を理解する事は出来ない。
本著の面白さは、この問いに、集団的自衛権の解釈を切り口とする点だ。「平和の党」を党是とする公明党が集団的自衛権に賛成した。この意味は何なのか。
しかし、私自身、誰かの思想に身を委ね、組織化し、組織の論理を優先し、組織を拡大しようとする集団への嫌悪感は拭えない。その括り方が、宗教であれ、ボランティアであれ、政治であれ、だ。これは、創価学会に限った事ではない。人間が思想まで機械の一部として取り込む組織の力学への潜在的恐怖なのだ。然るに、私の嫌悪感の本質を考えさせられる一冊であった。 -
創価学会が存在意義、教義に据える「平和主義」を、公明党という与党を通していかに実現しようとしているか、同時にSGIを通してナショナリズムに対抗しつつ、世界規模での平和を実現しようとしているかを解説。
公明党が創価学会と深く関係しているのは周知の事実であるし、他国においても宗教を標榜する政党は数多くあるので、公明党も創価学会の教義に則った政党運営をしていくべき、というのは興味深かった。
此岸性が彼岸性を包み込み、この世での現実的な問題へのアプローチを大切にしつつ、「平和」実現するためには柔軟な立ち位置を維持し続けるというのも、強かだと感じた。
一方で、創価学会とサウロの回心をなぞらえるのは違和感を感じた。組織宗教としての拡大と、一個人の天命には違うものがある気がする。
創価学会を創価学会たらしめてる論理や、与党としての立ち振舞いなどを、キリスト教徒して一歩下がった立場から考察していくのは読んでて興奮した。 -
わたしは創価学会の会員ではない。
この本を手に取ったのは、創価学会というのがどういった存在なのかを理解したかったからである。入会したい、とかいうわけでもない。
一通り読んで思ったのは、日蓮正宗というよりも、創価学会は池田大作さんそのものである、というように思えた。全ては池田大作さんを中心としている。もちろん、南妙法蓮華経は唱える仏法なのではあるが。それが一番の印象である。
宗教的観点から見えれば、世俗化することもなく、お題目を唱えるなど、信者の日常生活を律している場面は多く、秩序のある宗教だという印象だ。「生きている宗教」という意味もわかる。
憲法二十条は少し誤解していた、
『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』
これは国やその機関が宗教を国民に強制してはならないことを述べているのであって、宗教が国(政治)に関与することを禁止しているわけではない。それであれば、創価学会が政界(公明党)に積極的に進出しても良いわけだ。
池田大作さんの名言より『星々のかけらから生命が誕生したことを思うと、この宇宙それ自体が生命的存在であるといえよう。星々も地球も、華も木々も人間も、すべて同じ次元から発して、今ここにある。ゆえに人間は、全宇宙の一体なのである』というのはわたしも同じように思う。人間も自然の派生物であるのならば、人間が大気汚染などをするものも自然がバランスをとった結果なのではないかと、その温暖化対策を行う人間の行動もまた自然のひとつなのだと。
わたしの宗教に関して言えば、典型的な無宗教系といえる。世俗化した浄土真宗であり、葬式の時に「南無阿弥陀仏」と唱えるだけである(お盆やお彼岸などは墓参りしますよ)。わたしはそれで良いと思っている。それもまた時代の流れ、自然の流れなのだと。もともと宗教とは人が救済を求めるために、今よりもっと幸せになりたい、変わりたいという思いから入信するものだと思う。現状に満足しているのであれば、それ以上は不要だ。
それに神道も好きだし。日本人のモノを大切にする心は神道が深く関わっているとわたしは思う。日本八百万の神、モノを大切にすれば、そのモノにも魂が宿る。それが根幹にあるだと思う。針供養などのその表れだね。 -
公開情報をもとに偏見をもたない0ベースの思考で考える。この姿勢がとても大事なことだと思った。
自分の偏見が世界をゆがめ、狭めてしまう。
悪いものは悪い、良いものは良いといえることが大事だということをこの本を通じて学んだ。 -
プロテスタントのキリスト教徒として、元外交官としての立場から、正視眼で「創価学会と平和主義」について論じた意欲作。こういう本が朝日新書から出ることに、ある種の感慨を覚える。
集団的自衛権行使を容認する(と見える)文言を入れた、安倍政権のいわゆる「7・1閣議決定」。その直後から、多くの論者が「公明党は『平和の党』の看板をおろした」と批判した。
そのなかにあって、孤軍奮闘に近い形で公明党支持の論陣を張ったのが、著者の佐藤氏であった。
主張の骨子は、“一連の経緯は、じつは公明党の圧勝。集団的自衛権行使に対する歯止めは、むしろ閣議決定前よりも厳格になった”というもの。そのことは、本書の第1章「集団的自衛権容認の真相――公明党は本当に押し切られたのか」で改めてくわしく論じられている。
佐藤氏の論陣によって潮目が変わり、同様の見方をする識者も少しずつ増えていった。
本書は、集団的自衛権をめぐる論争があったからこそ緊急出版されたものであろう。
つまり、第1章こそが本書の目玉であるわけだが、第2章以降も読み応えがある。創価学会の歴史を振り返り、その平和主義を評価していく内容である。中立的視点から書かれた創価学会入門としても、優れた本となっている。
「あとがき」には、次のような一節がある。
《本書を上梓するにあたって「創価学会について書くと、余計な敵を作ることになるので、止めたほうがいい。職業作家としてマイナスになる」という忠告を数人の友人から受けた。しかし、敵を作ることよりも、真実を書かないことによって戦争への道を加速することの方を私は恐れる。》
その勇気やよし。
テーマからして激しい賛否両論を巻き起こすに違いない本書だが、その論議が思考停止のレッテル貼りに終わらず、実りあるものになることを祈りたい。 -
創価学会について知りたくて読書。
私は学会員ではないが、周りの知人、友人には学会員が少なくない。もっとも勧誘されたことは1度もなく、同じ人から2度勧誘されたら縁を切ろうと決めている。
食わず嫌いであることは否めない。だからもっと勉強したいなと思った。
確かに著者が指摘する通り、中国に関して言えば、創価学会が果たしてきた役割は大きい。現役の大使館、領事館関係者に学会員が多いことも周知の事実だ。
日本で初めて中国人(中華人民共和国)留学生を受け入れたたのは創価大学。
今は北朝鮮に対しても積極的に交流を図っていて、訪朝する政治家でもっとも多いのは公明党の地方議員であることも事実。そうすると北朝鮮と国交が樹立したら最初に留学生を受け入れるのは再び創価学会になるのかもしれない。
著者は、創価学会をいまを生きる宗教としている。
どういう意味だろうと考えながら読み進めた。
私の理解が正しければ、池田大作名誉会長の存在そのものが創価学会であり、いまを生きる源になっていると。
それって個人崇拝と違うのかと学会員へ聞くと当然ながら否定する。だが、私にはその違いがよく分からない。個人依存する部分が大きいということであれば、もし亡くなったら創価学会自体が大きく変わるのであろうか。
読んでいてふっと、大川隆法氏が、1000年以上前に誕生した既存の宗教(大まかに仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など)はすべて死んだ宗教だと述べている発言を思い出した。
話を戻し、創価学会が平和主義であることは認めるが、アメリカ、フランス、ドイツ、ベルギー、チリ、オーストラリアではカルト認定されて活動が禁止されているのも事実。これはどういうことなのか。
入会すれば分かるとある知人に言われたが、学会員になろうとは思わない。私は神社が好きだし。
読書時間:約1時間 -
多くの人の感想にあるように、私も宗教アレルギーあるいは食わず嫌いがあり、創価学会についても、近寄ってはいけないイメージがあった。
本作を読み、大分意識は改まったが、何故か、今でも近寄りがたいものを感じるのは何故だろう。
ともあれ、私は世の中バランスが大事だと思っているので、右傾化している今、政権与党内でそれが取れるのは、公明党であることには間違いないと思う。大いに期待したい。本音言うと、民主よしっかりしろだが・・・
それにしても論理明晰な佐藤さん。本作でも、分かりやすく、宗教と政治のあり方について教えてくれている。 -
昨年の閣議決定により、「集団的自衛権行使による自衛隊の海外派遣は遠のいた!?」その背後にあって公明党・創価学会の貢献があった。とのクリスチャン著者の実に楽しい逆説論証。「何?」と思わずびっくりするが、確かにこの説明で論証できている!著者は違う宗教ではあるが、創価学会には非常に公平な立場で評価しているように思われる。日蓮と同様に此岸の現実と向き合って解決していこうという姿勢はカルヴァニズムと共通しているからだろう。王仏冥合という考え方が、日蓮正宗から破門された学会ではあり得ないため、政教分離をここまで強調する必要がない!とまで。しかし池田大作氏そのものが、学会の秘儀だという説明であり、理解できるものの、学会は何を信じる宗教なのかが分からなくなってきた。学会が初代・牧口常三郎の獄死を象徴としている以上、平和主義は彼らの存在意義そのものだということは良く理解できた。