新書514 ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022736147

作品紹介・あらすじ

【文学/日本文学評論随筆その他】震災と原発事故、若者の就活、特定秘密保護法、従軍慰安婦問題、表現の自由……著者の空前絶後の傑作。日本が直面する問題を何よりわかりやすくほどき、一歩先の未来にむけて深く広く考える、大評判の朝日新聞論壇時評の新書化。

感想・レビュー・書評

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  • 朝日新聞に2011年から2015年まで月1回連載された「論壇時評」を新書化したもの。
    「時評」という言葉を辞書で調べたら、2つの意味が書かれていた。(1)当時の世間の評判(2)世の中に起こっているさまざまな出来事についてする評論。ここで用いられているのは、(2)の方の意味であろう。また、ついでに「論壇」の意味も辞書で調べると、同じく2つの意味が書かれていた。(1)意見を論じ述べる壇。議論を戦わせる場所(2)議論を戦わす人々の社会。評論家の社会。言論界。ここで用いられているのは、やはり(2)の方の意味であろう。本連載は月1回のものだったので、連載前1ヶ月の間に論壇に発表された色々な意見に対しての評論、というのが「論壇時評」という題名が表す意味だと理解した。
    原発やTPP、その他、多くのことがテーマとなっているが、本書は、そういったことに対しての「高橋源一郎の意見」が直接的に語られている訳ではなく、そういったテーマに関して、前1ヶ月に論壇で発表された意見に対しての論評という形で、高橋源一郎の意見が、間接的に示されている。かつ、1回あたりの分量が、論評の対象の出所データを含めて新書で5ページ。出所にたいてい、だいたい1ページ使われているので、論評自体は新書で4ページという短いものである。そういうこともあり、私の、本書を読んでみての最初の感想は、よく分からない、というものであった。
    TPPに関して論じた(正確に言えば、TPPについて書かれた記事に関して論じた)、「"憐みの海"を目指して」という題名での回がある。そこで、高橋源一郎は、TPPに反対する多くの論者の意見に賛意を示し、あるいは、感銘を受けたりする。更に、最後の切り札的に、エマニュエル・トッドの「自由貿易と民主主義は長期的に両立しません」という言葉を引用する。高橋源一郎自身が、TPPに反対していることは、これを読むと分かるし、なぜ、反対しているのかも、ある程度分かる。しかし、ここでは、TPPについてのメリットやデメリットが総合的に論じられている訳ではないので、読者は、「高橋源一郎はTPPに反対している」という事実のみしか、あるいは、「TPPには皆さんも当然反対と思いますが、私も反対ですし、この1ヶ月の論壇でも、このような反対意見がありました」という紹介しか、この回の記事からは読み取れないのだ。
    私自身は、そのような評論は、無理があると思うし、第一、面白くも何ともないと感じた。

  • 2022年に読むことで「忘れてしまうこと」への危機感をより一層強く感じる。
    自分自身は「忘れてしまうこと」で日常に再び安住していないか?
    忘却に頼って良いものと忘却という選択肢を与えてはいけないものがある。9.11や3.11に代表されるような悲劇は後者であるが日本人は積極的にそれらから目を逸らしてはいないだろうか?

  • 『恋する原発』を読んだ時は
    よく分からなかったけど。

    現代の社会が直面する多種多様な問題を、
    具体的な人名やその人物の発言を挙げながら
    独自の視点で紐解いていく。

    そして、それぞれの問題の間にある繋がりや
    関係性、根底にあるもの。
    それらについて読者に分かりやすいように、
    著者自身の考えを語りかけている。

    そうだ、私たちの民主主義なんだ。
    もっと関心を持って、もっと知って、
    自分の民主主義に参加しなければ。
    「知らない」ことにも希望はある。

  • 朝日新聞「論壇時評」の蘭に2011年4月(東日本大震災の翌月)から掲載された【高橋源一郎】の冷徹な観察眼で社会と政治に関わる問題を見つめた、度肝を抜く(胸にグサリとくる)エッセイ48本連打。聞きたくない、避けて通りたい問題に真正面から挑んで書く筆者の姿勢に感服。震災からの復興、原発問題、就活問題、ヘイトスピーチ、従軍慰安婦、憲法改正、自由と民主主義など衝撃的な斬り込みに凍り付きながら、じっくり考えるためのガイドブック。

  • 2011年から2015年にかけて、『朝日新聞』の「論壇時評」に掲載されたエッセイ
    久しぶりに「核」のある本を読んだかな
    民主主義、なんか空気みたいになってしまって
    これではダメじゃん
    でもでもあまりにもいろんな問題が次々に
    自分の立ち位置がゆらゆらするの

    ≪ 耳すませ 小さな声に 目をひらけ ≫

  • 「人間は考える葦である」
    を 改めて 思った

    その場に立ち止まって ん? をしてみたい
    車に乗る生活が当たり前になってしまうと
    気になることを見かけても
    車を停めて、降りて
    ちょっと そこに足をとめて
    立ち止まって考えてみる
    そんな「仕組み」と 
    遠ざかってしまう

    常日頃 できれば
    「歩く速度」で考える生活でありたい

    「本」を読むこと は
    立ち止まって「考える」
    でもある

    こんな今(2015.9.17)だからこそ
    じっくり考えたい
    わたしたちは まだ間に合う
    そうありたいために
    今こそ 考えたい

  • 「民主主義ってなんだ!」「民主主義ってこれだ!」とSEALDsがシュプレヒコールしたからでもないのだろうが、改めて民主主義という言葉が注目されている。国会が民主主義を拒否している場面が多すぎるからだけでなく、実際現代が戦後民主主義の危機だから、なのだろう。

    高橋は東日本大震災の直後からたまたま朝日新聞紙上で論壇時評を始める。今年の3月までの文章を集めた。

    震災、原発、特定秘密保護法、若者の就活、ヘイトスピーチ、従軍慰安婦、などをテーマにしながら、言及するのは評論家の文章だけにとどまらず、マンガ、映画、ウェブから多く採る。その方法は正しいと思う。今さら、評論誌で世論が出来上がっていると思っている人々はほとんどいないだろう(しかし、単純意見を求めようとしていることが民主主義の破壊に手を貸していることも、人々は気づかなくてはならない)。

    閑話休題。私は、在特会のレポートを書いた「ネットと愛国」(安田浩一)で指摘されている「彼らの大半は、頼りなげでおとなしい、普通の今時の青年だった」というのに注目した。「彼らは「奪われた」という感覚を共有している。仕事や未来や財産をだ。誰が奪ったのか。それは特権を持っている(らしい)「在日」や、なぜか優遇されている(らしい)「外国人」や、権力を握っている(らしい)メディアや労働組合だ。彼らは「奪われた」ものを取り返すための「レジスタンス」をしている、と信じている。」安田浩一のこの指摘は的を得ていると思う。そしてれが「一般社会でも広がっている」という指摘は、私もうーんと頷かざるを得ない。しかし、高橋は「ほんとにそうなのだろうか」と反論する。ただ、その根拠は各々述べているが、明確ではない。(77p)

    「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか、やってみた」という動画を高橋は泣きながら見る。1人の無名の青年の試みを自分で撮影してYouTubeにUPしたものらしい。私も感動した。(119p)

    2014年3月18日、台湾立法院で行われた学生たちの立てこもりの一部始終の記録番組を見て、高橋はこのように感想を記す。
    「民意」をどうやってはかればいいのか。(略)学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも「ありがとう」ということのできるシステム」だという考え方だった。(196p)

    その暮れの自民党が圧勝した衆議院選挙で、「選ぶ人も党もない」と言って棄権した森達也に共感しながらも、高橋はしりあがり寿の「とりあえず、選ぶ候補者には全く自信がないけど、「民主主義を諦めてないぞ」ってことだけで投票にいく。投票先は民主主義だ。クソ民主主義にバカの一票」という行動と共にする。私には、彼らがそこまで悩むのが不思議でならない。彼らと同じように自民党独裁を防がなくてはならないという共通認識はあるのだから、棄権は自民党を利するだけというのは分かり切っている。悩む暇はない。自民党と正反対の投票行動をすれば済む話なのではないか。しかし、私は古いタイプの人間なのかもしれない。私の周りの若者も「この一票はバカだ」ということで棄権した。流されて投票する人よりはよっぽどいいが、しかし私はそれこそバカだと思う。バカ一票を投じるべきだと思うのである。ここに高橋と彼に共感する若者と、私との剥離がある。
    2015年09月5日読了

  • 高橋源一郎という人に出会ったのも、そもそもは朝日新聞だった。

    東日本大震災で流れた卒業式の話で、なんだか、ストンと落ちたのが良くて、購入してみた。
    作家だと知らなかった。(すいません)
    最初は原発のことが多かったが、次第にそうではなくなってくる。
    もちろん、完全に消えてしまうわけではない。
    それが、今の、2015年の日本をよく象徴しているなあと思った。

    一つ一つが短くて読みやすい。
    若い人たちへの穏やかな眼差しが印象的だ。

    民主主義ってなんなんだ。
    原発と、その後ダークサイドを背負うことになった日本が、刻一刻と忘れ去ろうと試みだしていることの怖さに警鐘を鳴らす。
    ともかく、時間の限り考えましょう、と。

  • 朝日新聞に月に1回掲載されてきた高橋源一郎の論壇時評を集めたもの、現在も連載中だが、まずは2011年4月から2015年3月までの4年分が新書の形で出版された。最近はうっかり連載日を忘れないかぎり読んでいるが、本書の前半に収められた文章はほとんど読んだ記憶が無い。実のところ高橋源一郎の小説は苦手な方なので、最初の内は、むしろ彼の書いたものだからと言うことで読んでいなかったのだろう。
    どの文章にも共通するのは、視野の広さと、分からないものに対する謙虚さ、そして何らかのイズムに偏ることなく、人間としてのごく素朴な感情に基づいて社会を見通す目だ。大人の知性と子どもの純真さを兼ね備えた目と言ってもいいだろう。そんな高橋の視点に触れると、目の前の混沌に満ちた光景がすっとクリアになる。そう、現実はどうであれ、ものの考え方としては、こんな単純な思いを基点にするだけでいいのではないか。
    しかしそのような文章を48編まとめて読んだとき、ある種の限界を感じたのも確かだ。確かに基本的な考え方はこれでいい。しかし、こんな馬鹿馬鹿しいほどまともな考え方が何故社会のスタンダードにならず、現実はそれと逆行するようなことばかりなのか… その解答や解決策は、本書を読んでもほとんど分からないからだ。たまに解答に当たるような部分があっても、どこか文学的な修辞に逃げている印象を受けた。
    だが本書の幾つかの文章を読めば分かるとおり、傑出した才能が解答を出して凡夫を導くのではなく、圧倒的多数の凡夫が玉石混淆の意見を出し合いながら解答を見いだしていく、極めて不合理なプロセスこそが「民主主義」なのだ。自分自身で解答を見つけ出す労を厭い、面倒なことをリーダーに丸投げしようとする人々の精神構造こそ、現在の閉塞した社会を生み出した元凶だろう。その意味では、『ぼくらの民主主義なんだぜ』というタイトルの本に「解答がない」という不満を持つこと自体、自らを反面教師として、今の社会の問題点を見事に映し出しているとも言える。

  • 読みやすいところもあれば、どういうことと言えるところもある。

    インプットする情報がものすごく多く、そこから思考していることが分かる、、

    10年前、自分は24歳で、この本を読もうとは思わなかっただろう。

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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