京都ぎらい (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.07
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本棚登録 : 1412
レビュー : 229
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022736314

作品紹介・あらすじ

【歴史地理/伝記】あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言するのは、京都育ちで、ずっと京都に住んでいる著者だ。千年積もった洛中人の毒や、坊さんと舞子さんとのコラボレーションなど、「こんなん書いてええのんか?」という衝撃の新京都論。

感想・レビュー・書評

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  •  私も著者と同じく京の洛外で生まれ育った身なので、本書で何度も言及されている「洛中の中華的価値観」には大いに笑わせてもらった。府外の読者には理解しづらいだろうが、確かに同じ京都府下といえど洛中と洛外では「ニューヨークとナメック星」くらいの差があるといっていい。

     本書では井上氏による京の文化論が展開されている。第一章では洛中の選民意識が著者の実体験から暴き立てられ、毒の強い文体で洛中人士の差別意識が糾弾されている。第二章以降では主に花柳界と僧侶の関係に焦点を当て、寺院のホテル経営や芸子の源流など珍しい視点から京にまつわる仮説が展開されてゆく。全体としては、坊主の世俗化を笑い飛ばすような論調である。終盤は洛中の優越に話が戻り、南北朝時代の歴史的考察を交えてその根源を探ろうと試みている。

     誤解のないよう言っておくが、私は比較的若い世代に属するせいか、自らを京都人だと公言することにさほど抵抗はない。それでも、本書で指摘されている京の「いやらしさ」は否定できない。特に第一章・第四章は洛外で生まれ育った者にしか理解されない面もあるだろう。著者独特の語り口もあり、洛中人士を茶化すような記述に「皮肉っぽくて気分が悪い」と嫌悪感を抱かれる方もいるだろう。しかし、その「嫌悪感」こそ洛外出身者が物心ついた頃から押しつけられてきた屈託そのものなのである。

     ありていにいえば「性格悪いもん同士の罵り合い」なのだが、若い世代に限っていうと、本書で井上氏が暴露しているほど洛中洛外の亀裂は深刻でない気もする。互いに足を引っ張り合うのが一種の様式美になっているというか、見もフタもない言い方をするなら、トムとジェリーのように仲良く喧嘩しているようなものだと思っている。この奇妙な対立関係ばかりは、実際に住んで育って体感するしかないだろう。

     余談だが、第五章で南北朝の歴史についての考察を興味深く読み進めていたところ、唐突に皇室や靖国への批判が始まった。政治的主張を織り込むのは構わないが、期待していた京都論とは無関係なので少々げんなりさせられた。

  • 今残っているお寺の建物は江戸時代に建て直され、家康や家光は江戸の寺院復興に力を入れていた…など興味深い話もあったのだが、筆者の洛中への恨みつらみがひどすぎて、読んでいて嫌な気持ちにしかならなかった。
    私は東京の多摩地域の出身だが、正直、多摩地域だって23区の人たちからは東京都民扱いしてもらえなかったし、逆に今住んでいる横浜は、神奈川県民という意識より横浜市民という意識が高すぎて、横浜以外の神奈川県民からはうとましがられてるし、どこの都道府県も多かれ少なかれそういうことはあるんだと思う。確かに、京都の場合洛中の人たちのそれはすごいものはあるんだろうけれども、でも60過ぎたおじさんが、その劣等感をいまだに引きずって、恨みつらみを本で晴らすってどうなんでしょうね…?もっと若いときに折り合いがつけられないものなんでしょうか?
    また、南朝に思い入れがあるからという理由で右翼とか民族主義者だと思わないでほしいっていうのも、この世代の人たちってすぐそういう話になっちゃうんだなあ…。そういう凝り固まった価値観だから、苦しくなるんでないのかなあ‥。
    とにかく、私にはこの本が2016年の新書大賞第1位というのが理解できませんでした。

  • 著者のことは比較的古くから知っていました。ブレイクする前から。
    これほどの有名人になるとは思いませんでしたが。

    様々なフィールドに造詣の深い人でありますが、ボクが知ったのはプロレス者(もの)としてでした。
    まだ、プロレスが日陰者の存在であったころからですね。大方30年くらい前でしょうか。

    兵庫県西宮市に鹿砦社という出版社があり、その会社が出していいたのが、知る人ぞ知る「プロレス・ファン」という冊子でした。

    多分、創刊の原動力となったのは、当時まさに日本プロレスのエポックであった旧UWFであったと思われ、毎号の表紙には藤原喜明や佐山サトルのイラストが載っていたことを記憶しています。

    そこによく寄稿をされていたのが井上章一先生。その頃はプロレスネタについて硬派に理論武装した人は、週刊ファイトの井上(I)編集長くらいしか存在しなかったように思いますが、京大出身のプロレス論客として、その名を心に刻んだのであります。
    尤も書かれていた内容は、ほぼ何も覚えていませんが・・・

    本書にも少しだけプロレスに関することが出てきます。それも、株式上場を狙っている新日本プロレスなどではない、ドマイナー団体のある選手の事で、いかにも井上先生らしいです。詳細は本書でどうぞ。

    井上先生自身はボク達「外部」の人間からすると、嵯峨に生まれ現在は宇治に住まわれるド京都人なのですが、本書を読むとそれが100%否定されます。

    端的に言うと、洛外に生まれ育ったものは京都人とは自他共認められないということだそうです。この「他」というのは、つまり「洛中」に生まれ育った都人(みやこびと)のことです。

    この洛中洛外の人達の間だけで認識される感性に基づくもので、ボクも含めた都以外の人たちからすれば理解しがたいヒエラルキーがあるらしいのです。

    大阪人のボクも薄々は「洛外のお人は京の人間やおへん。」という、京都人の言外の態度は知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。

    前の戦争というのが一般的にはWW2を指すのに対し、その戦災を免れた京都人は応仁の乱の事を言う、というのはジョークだと思っていたのですが、あながちそうでもないようです。

    そんなトンデモ常識がまかり通っている(いた)京都の特殊な状況を冷静に面白くまとめた佳作です。

    といっても、井上先生の視点も結構イケズで京都人の資格は十分にあると思うんですけどねえ。対外的に京都人と言われることに真剣に怒っておられる井上先生です。



    ※本書ではここに記載したような内容ではなく、しっかりとした知識と資料に基づいた表現が用いられ、この駄文はボク一流の表現であることを付記します。

  • 本を笑いながら読んだのは一か月前、林真理子さんの『中島ハルコはまだ懲りてない!』以来。
    そういえばその林真理子さんの昔のエッセイで、全国の男はみんな京女が好きで、彼女の弟さんは京女と結婚したし、また女性だって京男が好きなんだけど、この場合京男とは京大を出た男のことをいう、とあったのを思い出しました。

    井上章一さんは京都生まれの京都育ちで、しかも京大大学院のご出身!
    なのにこの本のなかで、彼が洛外の自分にすごいコンプレックス(?)を感じているのがわかります。

    「嵯峨で育ち宇治にくらす私のことを、洛中の人なら、まず京都人とはみなすまい。
    だが、東京をはじめとする他地方の人たちは、ちがう。
    私の経歴を聞いたうえで、それでも私のことを京都人よばわりする人が、ずいぶんいる。
    こまった人たちだなと思う。
    洛外の私を京都人にふくめてしまう見方は、京都人像としてたいへん粗雑である。
    そんなあらっぽいくくり方しかできない人に、一般的な京都人像を語る資格はない。
    そもそも京都の人だって…というような物言いは、ひかえてもらいたいものである。
    それは、京都の人に失礼だし、私をも不快にさせる。……」

    この本、笑ってよかったんですよね??

  • 洛外からみた京都を冷静に分析しつつ、一部痛烈に批判している。
    洛外と洛中の差は、それを現地の生活で感じた人にしかわからない、深い溝というか世界の違いがあるのだと思われる。

    花街の状況やそれを支える人々の変遷などは大変興味深かった。
    仏教界の存在感と影響力にもあらためて大きなものを感じる。
    まさに「聖と俗」が深く入り組んでいるのも、京都の長い歴史が示している気もする。今後も様々な変化を取りこみつつ、独特の京都らしさを維持していくのかなと思える。

    自分も一応、洛外に身を置くものではあるけど、普段の生活や仕事で感じるようなことは何もないけど、深く京都と付き合うようになると、そのような事があるのかも知れない。
    その意味では、このような事実を知っておくのはとても参考になると思う。
    但し、現在の複雑化・多様化した状況では、真の洛中の人々はごく一部であり、また仮にそのような人々であっても、外との交わりを断つことはできず、むしろ積極的に海外も含めた外の活力を取りこまないと、京都の良さ(檀家や氏子が減る宗教界や花街など)も維持できないのではないかとも思う。
    そのような状況を考えると、著者の洛中の人々に対する厳しい批判はやや行き過ぎている気もするし、一般的な状況と離れている気もするが、ご自身が受けた経験にも基づくところはあると思われ、それだけ根が深いということなのかも知れない。

  • 中華思想、姫と坊主、東京“外資系”、寺と花柳界、古都税、怨霊鎮め、町屋の闇…。さげすまれてきた「洛外人」が、京都人のえらそうな腹のうちを暴露する。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論。

    京都を旅行したとき,洛中のおっさんに馬鹿にされたことがある…。それを思い出した。気分悪い。

  • ※万一間違えてこの本読んでも責任はとれません(T_T)

    京都"府"で生まれ育った大変に高慢な著者が京都市!?の悪口を堂々と書く。

    京都以外の人が(でも厳密な旧!?京都の中心地はなんでも「洛中」というらしい。「落陽」ならかなりナイス!だが「洛中」など阿波人のわたしにとってはまぁどうでもよいw) 京都の悪口を書くと喧嘩になりそうだけれど、そうではないので、まいっか。

    でも裏を返すと、反面教師的に京都自慢をしていることに他ならない・・・ということこの高慢作者はきっと気づいてニヤついているのがそこここに垣間見える。

    こういう書き方を「鼻につく」というのであろう。まさにその言い方が尤も適していると思う。しかもこの高慢な作者はわたしと10才も歳離れている訳でもなく、こいつ偉そうなやっちゃな!としか思えない。

    だがしかしなんとこの本わたしが入手した版で第4刷である。こりゃ凄い! ちょっとしたベストセラーなのだ。高慢井上こうまんさん、見直しますたすたすかこらさっさ。
    やれやれ。しかしまあなんだなあ、いろんな本があるもんだなぁ。
    やれすまぬ。m(_w_)m。すまぬ。

  • 洛中だけが“京都”であり、そこに暮らす人だけが“京都人”である。洛外は京都市内であっても京都ではない。

    京都という土地にはびこる沈黙の掟を、嵯峨に育ち宇治に住む著者が解説する。そう、そのしきたりに従えば著者は京都人ではないのだ!

    僧侶の文化、芸妓の文化も交え、京都の寺院が行ってきた特権的な施策も捕らえ、洛外の著者が如何に“京都”が嫌いかを説いていくが、この本を紹介してくれた人曰くの、「著者は結局、京都が好きなんだよね」というひと言が象徴的。何のかんの言いながらも溢れる愛を感じてしまう。

  • 京都は、なんであんなにイヤらしいのか、よく分かった。洛中思想。

  • 京都市内の嵯峨で育ち、現在宇治に住む著者が洛中の人々から受けた差別がこの本のベースになっており、そこから京都のいやらしさを中心とする京都文化論を展開している。2016年の新書大賞を受賞。

    具体的には、若いころの著者が洛中の古い重要文化財の町家を訪れた時に、そこの主から次のような質問をされる。
    (主)「君、どこの子や」
    (著者)「嵯峨からきました」
    (主)「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥(こえ)をくみにきてくれたんや」
    著者は言う「この言い方は一応感謝の気持ちも込めたかのように、組み立てられている。だが、そこに揶揄的な含みのあることは、否応なく聞き取れた」

    前後するが、この本の前提として、生粋の京都人の言う京都とは洛中のみを指しているが、洛中や洛外という区分は京都以外の人にはわかりにくいので説明します。
    京都人の言う洛中とは、元々は平安京のあった範囲で、現在ではもう少し広くなって、中京区、上京区、下京区と北区の一部のエリアを指します。

    要するに市の中心部の碁盤目の道路があるところ???それ以外は京都市内であっても洛外になり、京都ではない。
    京都人には嵯峨と言ったら、平安時代以降の化野のように死体の風葬する墓場のイメージを持っているのかも知れません。

    このような著者の視点から、いくつかの話が展開する。
    かつての古都税闘争の時に寺院側は拝観停止までして行政側を押し切ってしまう話では、「寺のほうから見れば、この件(古都税など)に関する限り、もうこわいものはなくなったことになる。拝観停止という武器がある限り、行政は拝観料に手が出せない。夜間ライトアップへの拝観料も、信仰ゆえのお布施として押し通す。たとえ木陰でむつみあうためにやってきた男女の拝観料でも、浄財だと言いくるめる」
    また、夜間のライトアップには、昼間料金の人を追い出すような完全交代制とり、料金を釣り上げている。

    その一方で、全国の花街は衰退の一途を辿っている中で、京都は数少ない例外的は場所になっている。何故なら寺院が裕福になり、僧侶は祇園などの花街へ繰り出し芸子遊びに耽り、賑やかな花街が今なお生きながらえ、日本文化の継承に貢献していると・・・

    寺に関しては、庭園のことにも触れている。
    中世には、今日的なホテルはなく、寺がその役目を担ってきた。その宿泊施設で人目を喜ばせるために、謂わば『おもてなし』として庭園が発達し、後に宮廷の貴人の別荘や大名屋敷に広がっていった。中でも禅寺の貢献は大きい。
    だが、著者は「禅の奥義に、庭園の美しさとひびきあう何かがあるとは、思えない。禅の公案めいた文言を庭と結びつける解説も流布しているが、私は疑っている」

    このように風刺が効いた話がわんさとあり、京都文化論として面白く仕上がっている。

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター教授

「2017年 『学問をしばるもの』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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