京都ぎらい (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.07
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本棚登録 : 1699
レビュー : 260
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022736314

作品紹介・あらすじ

【歴史地理/伝記】あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言するのは、京都育ちで、ずっと京都に住んでいる著者だ。千年積もった洛中人の毒や、坊さんと舞子さんとのコラボレーションなど、「こんなん書いてええのんか?」という衝撃の新京都論。

感想・レビュー・書評

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  • web掲載の『大阪まみれ』が面白くて、同じ著者のこの作品も読んでみることに。
    よくある京都についての蘊蓄本や礼賛本と思い込んでいると、あっさり裏切られる。
    そして驚き呆れ、失笑し、だんだんに怖くなるのだ。何が?京都人が、ですよ。

    ちなみに井上章一さんは右京区生まれで嵯峨育ち。日本文化教育センターの教授である。
    この本が書かれるまでの長い歳月で、どれほどの心のもつれがあったことかといたく同情する。
    何しろ冒頭から「洛中の京都人」に田舎者扱いされているのだ。

    私事だが、数年前、映画で見た美しい景色はどこかなどという話になった時、『寅次郎あじさいの恋』の中で、京・丹後地方の舟宿の風景を「あれはいいね、何とも言えない風情を感じる」と言ったところ、ただの田舎や!と吐き捨てるように言った御仁が身近にいた。
    この方、生まれも育ちも京都・中京区で、ご本人の言によれば「自分たちこそ生粋の京都人」で、嵐山も嵯峨も丹後も宇治も、ましてや右京区などと言っても「京都人を名乗る資格もない」らしいのだ。
    見方を変えれば、かなり歪んではいるがそのプライドこそが古都の誇りを守っているともいえる。

    「洛中・洛外」とは、そこまでひとの心を隔ててもいるのだ。いやぁ、奥が深ぅおます。
    狭い日本に、ここまで徹底した中華思想が生々しく現存しているとは、それも海外からも憧憬の眼差しで見られるあの京都に今も深々と根付いているとは、他地域の人間にはおよそ想像も出来ないことだろう。
    笑えるのは、そういった京都のすかした部分を見くびるのが大阪人であるということ。
    著者によれば「だから大阪はありがたい」らしい。

    花街で遊ぶ僧侶の話や、ガイド本に載せるお寺の写真掲載の難しさと拝観料の訳、庭園秘話、
    明治政府の維新後の杜撰な後始末の話とか面白い話も多く、良し悪しは別にして、京都を見る目が大きく変わる。

    「差別されることを差別する」のではなく、最後まで読むとふふっと笑えるのもまた良い。
    こんなレビューを書いてはいても、私もまた古都に対する憧れはやまないのだ。

    • mkt99さん
      nejidonさん、こんにちわ!(^o^)/

      明治天皇が京都から東京に移った後もなお、正式に東京へ遷都したことにはなってはいないので、...
      nejidonさん、こんにちわ!(^o^)/

      明治天皇が京都から東京に移った後もなお、正式に東京へ遷都したことにはなってはいないので、洛中の人はいまだに京都が首都と思っているかもしれませんね!?(^_^;
      2016/06/26
    • nejidonさん
      mkt99さん、コメントありがとうございます。
      そうです、仰る通りなのです!
      遷都の詔を正式に出さなかったために、いまだに
      「一時的に...
      mkt99さん、コメントありがとうございます。
      そうです、仰る通りなのです!
      遷都の詔を正式に出さなかったために、いまだに
      「一時的に都を貸してあるだけだ」というのが洛中人の
      一般的な認識らしいです。
      その五重の塔よりも高いプライドは見上げたものです。
      だからと言って、他のひとを見下げてもいいのかと思いますがねぇ。
      当人たちにしてみれば一案大事なのがそのプライドで、
      他人から見れば一番笑えるのがそのプライドというものです。
      mkt99さんもぜひお時間がありましたらお読みくださいませ。
      2016/06/28
  • 京都の洛内特有の特徴が他県に住んでいても、よくわかる一冊になっています。

    筆者は京都市出身ではあるが、洛外であり、洛内をよく思っていない。
    しかし、読み進めていくと、筆者が嫌いなのは洛内の特徴的な雰囲気であり、京都市、京都府は決して嫌いでは無いのかと思わされました。


    タイトルと内容は少し齟齬があるように感じましたが、京都の特性はよく理解できました。

  • お借りした本、有名な本。
    京都こわいと思う場面も時にあるので、読んでいて興味深かった。内容はおもしろいが、文章があまりすきじゃないので読んでいて苦しかった。

  •  私も著者と同じく京の洛外で生まれ育った身なので、本書で何度も言及されている「洛中の中華的価値観」には大いに笑わせてもらった。府外の読者には理解しづらいだろうが、確かに同じ京都府下といえど洛中と洛外では「ニューヨークとナメック星」くらいの差があるといっていい。

     本書では井上氏による京の文化論が展開されている。第一章では洛中の選民意識が著者の実体験から暴き立てられ、毒の強い文体で洛中人士の差別意識が糾弾されている。第二章以降では主に花柳界と僧侶の関係に焦点を当て、寺院のホテル経営や芸子の源流など珍しい視点から京にまつわる仮説が展開されてゆく。全体としては、坊主の世俗化を笑い飛ばすような論調である。終盤は洛中の優越に話が戻り、南北朝時代の歴史的考察を交えてその根源を探ろうと試みている。

     誤解のないよう言っておくが、私は比較的若い世代に属するせいか、自らを京都人だと公言することにさほど抵抗はない。それでも、本書で指摘されている京の「いやらしさ」は否定できない。特に第一章・第四章は洛外で生まれ育った者にしか理解されない面もあるだろう。著者独特の語り口もあり、洛中人士を茶化すような記述に「皮肉っぽくて気分が悪い」と嫌悪感を抱かれる方もいるだろう。しかし、その「嫌悪感」こそ洛外出身者が物心ついた頃から押しつけられてきた屈託そのものなのである。

     ありていにいえば「性格悪いもん同士の罵り合い」なのだが、若い世代に限っていうと、本書で井上氏が暴露しているほど洛中洛外の亀裂は深刻でない気もする。互いに足を引っ張り合うのが一種の様式美になっているというか、見もフタもない言い方をするなら、トムとジェリーのように仲良く喧嘩しているようなものだと思っている。この奇妙な対立関係ばかりは、実際に住んで育って体感するしかないだろう。

     余談だが、第五章で南北朝の歴史についての考察を興味深く読み進めていたところ、唐突に皇室や靖国への批判が始まった。政治的主張を織り込むのは構わないが、期待していた京都論とは無関係なので少々げんなりさせられた。

  • 2016新書大賞受賞作。
    著者は京都嵯峨育ち宇治市在住
    京大ご出身井上章一さん、ブラタモリで観た土塁以上に
    洛中と洛外には高い壁があるそう。
    舞子はんとお坊さんの夜のお付き合いやら
    有名寺社の写真提供1枚20万円以上など。
    旅番組や観光ガイドブックには絶対紹介されない
    憧れの京都の知らないことがいろいろ。
    東京は大阪を見倣って京都を図に乗らすなと
    主張されております。

  • 今残っているお寺の建物は江戸時代に建て直され、家康や家光は江戸の寺院復興に力を入れていた…など興味深い話もあったのだが、筆者の洛中への恨みつらみがひどすぎて、読んでいて嫌な気持ちにしかならなかった。
    私は東京の多摩地域の出身だが、正直、多摩地域だって23区の人たちからは東京都民扱いしてもらえなかったし、逆に今住んでいる横浜は、神奈川県民という意識より横浜市民という意識が高すぎて、横浜以外の神奈川県民からはうとましがられてるし、どこの都道府県も多かれ少なかれそういうことはあるんだと思う。確かに、京都の場合洛中の人たちのそれはすごいものはあるんだろうけれども、でも60過ぎたおじさんが、その劣等感をいまだに引きずって、恨みつらみを本で晴らすってどうなんでしょうね…?もっと若いときに折り合いがつけられないものなんでしょうか?
    また、南朝に思い入れがあるからという理由で右翼とか民族主義者だと思わないでほしいっていうのも、この世代の人たちってすぐそういう話になっちゃうんだなあ…。そういう凝り固まった価値観だから、苦しくなるんでないのかなあ‥。
    とにかく、私にはこの本が2016年の新書大賞第1位というのが理解できませんでした。

  • 著者のことは比較的古くから知っていました。ブレイクする前から。
    これほどの有名人になるとは思いませんでしたが。

    様々なフィールドに造詣の深い人でありますが、ボクが知ったのはプロレス者(もの)としてでした。
    まだ、プロレスが日陰者の存在であったころからですね。大方30年くらい前でしょうか。

    兵庫県西宮市に鹿砦社という出版社があり、その会社が出していいたのが、知る人ぞ知る「プロレス・ファン」という冊子でした。

    多分、創刊の原動力となったのは、当時まさに日本プロレスのエポックであった旧UWFであったと思われ、毎号の表紙には藤原喜明や佐山サトルのイラストが載っていたことを記憶しています。

    そこによく寄稿をされていたのが井上章一先生。その頃はプロレスネタについて硬派に理論武装した人は、週刊ファイトの井上(I)編集長くらいしか存在しなかったように思いますが、京大出身のプロレス論客として、その名を心に刻んだのであります。
    尤も書かれていた内容は、ほぼ何も覚えていませんが・・・

    本書にも少しだけプロレスに関することが出てきます。それも、株式上場を狙っている新日本プロレスなどではない、ドマイナー団体のある選手の事で、いかにも井上先生らしいです。詳細は本書でどうぞ。

    井上先生自身はボク達「外部」の人間からすると、嵯峨に生まれ現在は宇治に住まわれるド京都人なのですが、本書を読むとそれが100%否定されます。

    端的に言うと、洛外に生まれ育ったものは京都人とは自他共認められないということだそうです。この「他」というのは、つまり「洛中」に生まれ育った都人(みやこびと)のことです。

    この洛中洛外の人達の間だけで認識される感性に基づくもので、ボクも含めた都以外の人たちからすれば理解しがたいヒエラルキーがあるらしいのです。

    大阪人のボクも薄々は「洛外のお人は京の人間やおへん。」という、京都人の言外の態度は知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。

    前の戦争というのが一般的にはWW2を指すのに対し、その戦災を免れた京都人は応仁の乱の事を言う、というのはジョークだと思っていたのですが、あながちそうでもないようです。

    そんなトンデモ常識がまかり通っている(いた)京都の特殊な状況を冷静に面白くまとめた佳作です。

    といっても、井上先生の視点も結構イケズで京都人の資格は十分にあると思うんですけどねえ。対外的に京都人と言われることに真剣に怒っておられる井上先生です。



    ※本書ではここに記載したような内容ではなく、しっかりとした知識と資料に基づいた表現が用いられ、この駄文はボク一流の表現であることを付記します。

  • 嵯峨育ち宇治暮らしの作者は京都人ではないのか。
    洛中の人からすると、嵯峨は京都市であるにもかかわらず洛外らしい。
    作者も言っているが、私の出身地広島でも、市内なのに、中心部に行くことを「市内に行く」と行っていた。同じ市内なのになぜ、と小さいときから疑問に思っていたが、そういうことだったのか。。

  • 本を笑いながら読んだのは一か月前、林真理子さんの『中島ハルコはまだ懲りてない!』以来。
    そういえばその林真理子さんの昔のエッセイで、全国の男はみんな京女が好きで、彼女の弟さんは京女と結婚したし、また女性だって京男が好きなんだけど、この場合京男とは京大を出た男のことをいう、とあったのを思い出しました。

    井上章一さんは京都生まれの京都育ちで、しかも京大大学院のご出身!
    なのにこの本のなかで、彼が洛外の自分にすごいコンプレックス(?)を感じているのがわかります。

    「嵯峨で育ち宇治にくらす私のことを、洛中の人なら、まず京都人とはみなすまい。
    だが、東京をはじめとする他地方の人たちは、ちがう。
    私の経歴を聞いたうえで、それでも私のことを京都人よばわりする人が、ずいぶんいる。
    こまった人たちだなと思う。
    洛外の私を京都人にふくめてしまう見方は、京都人像としてたいへん粗雑である。
    そんなあらっぽいくくり方しかできない人に、一般的な京都人像を語る資格はない。
    そもそも京都の人だって…というような物言いは、ひかえてもらいたいものである。
    それは、京都の人に失礼だし、私をも不快にさせる。……」

    この本、笑ってよかったんですよね??

  • 洛外からみた京都を冷静に分析しつつ、一部痛烈に批判している。
    洛外と洛中の差は、それを現地の生活で感じた人にしかわからない、深い溝というか世界の違いがあるのだと思われる。

    花街の状況やそれを支える人々の変遷などは大変興味深かった。
    仏教界の存在感と影響力にもあらためて大きなものを感じる。
    まさに「聖と俗」が深く入り組んでいるのも、京都の長い歴史が示している気もする。今後も様々な変化を取りこみつつ、独特の京都らしさを維持していくのかなと思える。

    自分も一応、洛外に身を置くものではあるけど、普段の生活や仕事で感じるようなことは何もないけど、深く京都と付き合うようになると、そのような事があるのかも知れない。
    その意味では、このような事実を知っておくのはとても参考になると思う。
    但し、現在の複雑化・多様化した状況では、真の洛中の人々はごく一部であり、また仮にそのような人々であっても、外との交わりを断つことはできず、むしろ積極的に海外も含めた外の活力を取りこまないと、京都の良さ(檀家や氏子が減る宗教界や花街など)も維持できないのではないかとも思う。
    そのような状況を考えると、著者の洛中の人々に対する厳しい批判はやや行き過ぎている気もするし、一般的な状況と離れている気もするが、ご自身が受けた経験にも基づくところはあると思われ、それだけ根が深いということなのかも知れない。

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター教授

「2017年 『学問をしばるもの』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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