新書615 知性のテン覆 (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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感想 : 40
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022737151

作品紹介・あらすじ

「ヤンキー」と、言い訳する「大学出」ばかりで、この国にもはや本物の知性は存在しないのか?イギリスのEU離脱、トランプ政権誕生、ヘイト・スピーチ…世界的に「反知性主義」が叫ばれて久しい中、その実態は主義というよりは、「かつて持っていた自分の優越を崩されたことによる不機嫌さ」という「気分」に過ぎないのではないか?その「空気」が生まれるに至るメカニズムを読み解き、もう一度自ら本物の「知性」を建て直すための処方箋を提示する、示唆に富んだ一冊!

感想・レビュー・書評

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  • とても大事なことが書かれている一冊である。
    一読では消化できないので、メモとする。

     日本の伝統芸能では自分を「消す」ものなのに対し、SNS時代の自分とはまず「出す」ものであるという変化。この変化が石原慎太郎の太陽の季節による「肉体=性欲の肯定」あたりにあるという話を見ると、今の後期高齢者の「マッチョな思想」が見えてくる。一方で、アプレゲール以前の近代日本文学は「自己主張できない」という現実を前にした苦悶を描いた。

    みんなが自己主張する時代に、自分のあり方が揺らいでしまうと、人は不機嫌になる。上昇志向はないが、優越性が「崩される」と考える。中流こそが差別を生む。自己主張を肯定する共和制はエゴイズムでできていて、自分より偉い奴を認めない社会では知性は何の役も立たない。

    福沢諭吉は、自由という名の自分勝手が他人に悪影響を及ぼすことを罪だと考えた。つまり、知性とモラルは同居していた。しかし、知性と共存していたモラルを捨ててしまった日本人は下品になった。
     モラルとは、本来人の内側に湧き出るものであるはずなのに、上から押し付けられると解釈される。自己主張=自由が具体化するのは、欲望であり、欲望を包む皮がモラルである。

    江戸時代は、「下品にならない自己主張」という表現方法を模索していた。つまりは、粋、イナセ、風刺である。落語、川柳、漫才だってそうだろう。知性がモラルと乖離してしまうと、自己主張は他者を失う。

    「知性とはヘレンケラーに言葉の光を与えるアニーサリヴァンのようなものである」

    「主義とは方向性を持ったベクトルのような力」で、中心に向かおうとする求心力である。しかし、その中心に神はなく、あるのは空洞である。中心に自分を据えようとする思考は自己完結して破綻する。この現代で、知性とは複数の問題の整合性を考えるもので、でも現代重要視されるのは、「決断力」や「行動力」という名の「思考停止」で、グダグダ考え続ける持久力は、せっかちなじれったさの前では「なにもしない」「行動しない」と言われるだけ。

    反知性主義を生み出す土壌は、「均質なみんな」のことだけ考えて「個人の不幸」を考えず、他人を排除している自覚を持たない「幸福な知性」である。

    そして、問題の元凶は、問題の当事者が「反省しないこと」である。

  • 世界中が豊かになって中流になって、地球がそれを支えきれなくなって、みんなの足下が崩れ出して、みんな不機嫌になっている。
    そんな訳でみんなが欲望を剥き出しにして品がなくなってしまった。自分のことは自分でなんとかするしかないのだけど、自分一人でなんとかできるわけではない。
    いくつもの矛盾と問題と欲望のぶつかり合いが世界を複雑にして難しくする中での知性のあり方を考えさせられる本。とてもいいなぁ。
    開かれてる。つまり、押し付けではない。ぜひ是非ご一読を!

  • 橋本治が2015年から2017年にわたって書いた一冊。
    知性にまつわる思考の轍のような文章だった。
    とりとめがなく、しかし時代に漂う「反知性」というものを、辞書的な意味ではなく「なんだそれ」と延々と考えてゆく。
    その過程自体が、私たちに必要なものではないかと思った。

    知性が顚覆して、あらゆるものが沈み、2024年になった日本は、2017年にはさすがにそこまで想像できなかったほど、地獄の釜の蓋が開いたようになっている。

    2017年に見えていた反知性的なものは結実して、文化芸術を軽視して切り捨てる政策が罷り通って、みんなの頭がもっと良くなるためには、2017年よりさらに大変になってしまったようにも思う。

    そんな世界で、「もうそんな余裕はない」と絶望することならいくらでもできるが、諦めたくない人間にとっては、それでも地道に、思考を放棄せず、考え続けることが、最後の砦のようにも思える。

  • 本書をレビューするのは非常に難しい。読んでみてどうだった?と聞かれて、何かよく分からないが読み終わった後に清々しくもあり頭も痛くなる、というよく分からない状態に今私はなっている、思考は迷路だ。考えれば頭が痛くなるし顔面に熱を持っているのが解る。
    本書は知性の顛覆というタイトルではあるが、知性とはそもそも何か、知性が無いとはどの様な状態なのかという議論から入る。いや、議論というよりはフリーディスカッションを筆者が議題を挙げて開始され、否応なしに読者である私が巻き込まれ、尚且ついつ質問してくるかわからないから、必死に頭の中で筆者の求める解答を探していく感覚に似ている。筆者が展開するロジックは非常に楽しいし、時には突っ込みたくなる箇所も多数出てくる。いつのまにか、会議の主旨や目的を忘れて議論に花を咲かせていると、ふと今日は何の会議でしたっけ?と突然我に帰る。その繰り返しが最後まで続いた様な内容だ。
    決してつまらないものではなく、個性が失われて総中流化していく日本に、僅かながらも生き残るヤンキー的な人間たちの存在を考えていくあたりは日常で何となく考えている「どうでもいいような」話題もあっても頭を使う。私も大学出ではあるものの、普通の会社に入って普通に昇進して人並みの給与を貰って、同じ様に部下を均一に育てようとする一方で、大して弾けもしないのに、海外に趣味の楽器を発注して普通とは違う自分に逃げようとする、ある意味バカな側面も持つ。普通から逸脱するのは恐怖だが、自分を失う恐怖も同時に持ち合わせる。
    自分の中の知性と反知性がぶつかり合って、一体全体知性とは何か、自分は知性があるのか、知性にも上の方と下の方があるなら、自分はどれ位なのだろうか、そんな事を傍で考えながら読み進める。結果的に「おわりに」書かれている様に、筆者自身も本書の難しさ解りづらさを書いているが、恐らく私がこの様な本を書いたら、勿論もっとわかりづらいし、読者から非難轟々になるだろう(勿論私に書ける能力も気力もない)。
    本書の楽しさは、筆者に知の沼の様なところに引き摺り込まれて、笑いながら羽交締めにしてくる筆者を振り解きながら、何とかして陸地に上がろうとする様な感覚に陥る点にあると思う。これをただ疲れた、面倒だと思う方には進めないし、一緒になって沼から脱出ゲームしない?難しいよ、と誘われても「楽しそうだね」と言える方には大いに楽しめる。
    結果、私のレビューも伸び切ったスパゲッティみたいにぐちゃぐちゃになっている。

  • すごい本を読んだ。【いろいろなところに入口を持つ迷路の道の一つで、そのゴールは「知性」という中央広場】という箇所が最も全体をあらわしているのではないか。「難解」という感想に落ち着きそうになるが決してそれだけではない。手の届く「解る」から「なんとなく解る」「解りそうでわからない」「さっぱり解らない」までが順不同に訪れるのだ。こういう本が読まれる世の中であって欲しい。

  • 随筆として読めば面白い話も多いけど、全体として論旨が追えなくて読むのに苦労する。
    多分同世代を対象にしているみたいで、世代が離れるとちょっとわからなくなる話が多かった気がする。

  • うーん、分かったような分からなかったような。
    というのは、話の核である反知性主義というものの共通の理解が前提にあり、そこにズレがあると理解が難しくなるのではないか。とはいえ、著者の言わんとしていることもなんとなく分かる。イデオロギーなどを言葉で全て説明するのが難しいことと同じだろう。

    日本人がバカになってしまったとは思う。
    それを感じるのは、今まではなかったモヤモヤだと思う。
    何か違うぞという。
    私の場合、それは自分の頭で考えなくなったことではないかと思う。
    と、本書とはかけ離れているかもしれないが、私自身の考えが整理できたという点では、とても良かった。
    内容は複雑で深奥であるが、文章は非常に読みやすかった。
    もう少し落ち着いて読んだら、もっと理解できるかもしれない。(橋本氏の著書は私の場合1回で理解できると思ってはいけないのかもしれない)

  • もうこうなると哲学書のようだ。しかもかなり難解の。
    反知性主義が蔓延する理由を緻密な構成で考察しているのだが、正直よく理解できない。自分にはそんなに難しい話でなくて、経済成長による中流化で従来存在感のなかった大衆が『ヤンキー』に成り上がり、さらにネットの出現で彼らが自己主張を始めて目立つようになっただけではないのか?

    橋本治風に言うと最後まで「よくわからない」だったので、自分としては異例なことに3回繰り返し読んでみた。そうしたら上記の事がちゃんとそう書いてありました。
    3回も読むと一つの概念が形を変えて重層的に示されていることに気付くが、極めて複雑な立体図形を分解して「こういう構造になっていたのか」と驚く感覚。なんか、深すぎるね。

  • 本物の知性について、深く検討するものとみました。わかりやすく説いているようにみえて、さすがに深いですね。

  • それなりには理解したつもり。

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著者プロフィール

1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説、戯曲、舞台演出、評論、古典の現代語訳ほか、ジャンルを越えて活躍。著書に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)、『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調平家物語』(毎日出版文化賞)、『窯変源氏物語』、『巡礼』、『リア家の人々』、『BAcBAHその他』『あなたの苦手な彼女について』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『ちゃんと話すための敬語の本』他多数。

「2019年 『思いつきで世界は進む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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