児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか (新書643)

  • 朝日新聞出版 (2017年12月13日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784022737434

作品紹介・あらすじ

【社会科学/社会】年間10万件を突破し、今なお児童虐待は増え続けている。困窮の中で孤立した家族が営む、救いのない生活。そこで失われていく幼い命を、なぜ私たちの社会は救うことができないのか? 日本社会の家族規範の変容を追いながら、悲劇を防ぐ手だてを模索する。

みんなの感想まとめ

児童虐待という重いテーマを扱った本書は、社会の中で見過ごされがちな現実を丁寧に掘り下げています。著者は、加害者や関係者への取材を通じて、単なる非難ではなく、虐待の背景にある複雑な要因や社会的な問題を明...

感想・レビュー・書評

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  • 読了しました。
    著者の新聞掲載を昔に見てからのファンで手にした本です。

    著者は「児童虐待」を追いかけるフリーライター。
    大阪で2児がが置き去りになった事件から、児童虐待なんかが起こるのか知りたいと思っていました。その中、出会ったのが著者です。

    「児童虐待」は話しを聞くたびに、目を耳をそらしたくなるようなものです。
    一般的な報道では、直接の加害者(父、母など)のみ断罪して終わります。
    それで本当に、失われて命が報われるのか、心にモヤモヤが消えませんでした。

    著者は、その問いに答えてくれます。
    相当な時間をかけての調査、加害者・関係者との接見。外見だけで語りません、その本質を抉ります。
    目をそらさず、丁寧かつ誠実で、そしてシャープな視座で語ります。
    なぜ加害者はそこ至ったか。原罪はどこにあるのか。さらなる提言本を読むと正直つらくなります。涙が止まらない事もあります。
    加害者が特殊ではありません。誰しもその心は持ち合わせます。
    最近は児童虐待の報道が少なくなりましたが、決して減っているわけではない。
    本書は著者の活動をまとめたものです。

    貧困、格差がもたらす負の連鎖。
    普通に暮らしていたら、全く見えません。報道もされません。思う事から始まることがある事を得ました。

    小さくて私にできることは何かを考える気持ちにさせてくれる本です。
    また、自分の子どもを抱きしめたくなる本です。

    誰でもできる、児童虐待ダイヤル189(いちはやく)

  • ルポ虐待を読んでからすぐ拝読。
    苦しい話だが、ただただ感情的な個人の悲しい 目を背けたい事件 で終わらせず、背景や物語を丁寧に伝えてくれる。
    いま、自分が生きるために食事の準備をしたり栄養を考えたり運動したり、誰かと一緒にいきようとしたり、ペットのお世話をしたり、保育士になったり。それらは"普通のレール"かもしれない。けどそのこちら側の普通は、向こうにとっての"知らなかった生活"な場合もあるのだと。そうした若者が、小さい時にアタッチメントのなかった子どもが歳を重ね性に出会い親になっていく。
    社会の仕組みや戦争時代のレポートを含めた聴取や、何より孤児を出さないことが虐待防止になると知った。フィリピンの在留孤児についても学びになった。

  • 虐待をするのはひどい親、と言うのは簡単だが、実はそう単純ではない。DV、貧困、両親との不仲、社会的孤立、非行、幼少期の虐待経験、軽度知的障害など、重なりに重なって親を苦しめている現実がある。

    読んでいると、目を覆いたくなるような悲惨な状況があり、何の罪もなく亡くなった子供達が本当に哀れだと感じた。

    満州女塾の話と、現代の児童虐待の状況が似ているという見方がなるほどと思った。追い詰められた人間のしわ寄せが、一番弱い者へ向かう。

    考えさせられる箇所が多々あったが、著者の取材を元に書かれた文章は非常に具体的で、読むのに辛い部分もあった。

  • 知的な水準が障害かそうでないかのボーダーライン上にあると思われる親たちは、その意図はなくても、支援を求められないため、結果的に子供を虐待してしまう。他方、こういう人たちは、職場では遅刻もなく高い評価を得ている。コツコツ積み重ねていくことは得意なのに、抽象的な思考や見通しを持つことに難があり、時系列で説明するのも苦手。普通の大人なら人に助けを求めるのに社会にSOSを出せず孤立感を抱えている。昔であれば地域や社会がそんな人たちの面倒をみてきた。
    精神遅滞と呼ばれる人たちは生物学上では2%程度と言われる。日本には270万人いる計算になるが、障害者手帳を取得している人は全国に74万人。
    社会の中で孤立するのは力の乏しい親たち。こういう人たちには必要な情報も行き届かない。役所は基本的には申請主義。激増する児童虐待の中にあって、そのあり方が問われている。

  • 児童虐待がテーマというと、ひどい親といたいけな子どもという構図で見てしまうことが多いが、この本は親の境遇に焦点を当てた本といえようか。
    冒頭に出てくる、閉め切ったアパートで命を終えた高橋優紀くんとその父・高橋健一親子の事例が象徴的だった。健一は知的能力が一般水準にやや達しないが、障害者の枠外で生きてきた。そんな健一の妻が家を出たことで優紀君との二人暮らしになり、最終的には優紀くんは家の中で亡くなった状態で発見される。確かに健一が恋人のもとに入り浸るといったこともあったようだし、健一が男手ひとつの育児を周囲に見せようとしなかったためもあるだろうが、二審まで経て結局は虐待親として罪を償うことになった。しかし、健一自身は虐待をしたという認識はなく、だからこそ優紀君の死も事故のような突然死のようなとらえ方をしていた。
    「虐待対応の現場で話を聞けば、知的な力が障害か障害でないかのボーダーライン上にあると思われる親たちがその意図はなくても、支援を求められずに、結果的に子ども虐待してしまう例は頻発している。社会の中で孤立するのは、力の乏しい親たちだ。」(p.41)といったあたりを読むと、ついついあまのじゃくな性格ということもあって、自分の認識しない罪を課せられたという点で健一が気の毒になってしまった。健一(親)を責めたり罪を問うのは簡単だけど親の責ばかりに帰して自分たちが罪を逃れているような気がしてならない。読めば読むほど国や自治体、社会の支援の不足が優紀君の死を招いた面もあろうと思う。
    また、著者が子をもちながら風俗店で働く女性たちにインタビューしたところ、多くが公的な支援につながることを望まず、あるいは考えもせず、自分が何とか稼ぐことで子どもの教育費や生活費に当てようとしているとのこと。結局、対象となるべき人たちに福祉の手が届いていない。ミスマッチというかアンマッチ、マッチレスな現状といえる。
    いまは支援がほしけりゃ自ら声を挙げなければいけないことになっているけど、そのようなアプローチだから本当に支援が必要な人たちにつながらないことが多々あることだろう。まさに、社会は家族に負わなくていい、本来なら社会に分かたれるべき責任を強いてきたということ。

  • 虐待親にも事情ありとの事だが、それなら手放せよって話で虐待親には一切の共感はしない。

  • 事件の裏側、社会構造を理解できた。

  • タイトル通り、虐待に詳しいルポライター杉山春の考察がまとめられた本書。子どもを死なせてしまった親の実像から社会のあり方まで様々な考察が収録されている。先日読み終わった森達也著『U』と同じテーマが含まれている偶然に驚いた。
    あるシングルファザーはアパートに子どもを閉じ込めて働いていた。その末に死なせてしまうが、その後7年間家賃を払い続けていた。彼には知的障害があった。IQ69は境界知能より低いが、仕事はこなしていた。それを根拠に「子どもの死を予想できたはず」として長い懲役刑の判決が下った。
    そこにはマスコミと裁判員制度の問題が絡んでいる。マスコミが虐待に対する市民感情を煽る。虐待死させた親は「鬼畜」(石井光太著『「鬼畜」の家』)とされる。それを背景に、虐待に対する厳罰化が進んでいる。それを加速させているのが裁判員制度だ。裁判員にはレッテルを貼った説明が分かりやすい。「残酷な親」というレッテルが裁判員の感情を揺さぶる。
    虐待は親子という最小単位の問題だが、家族の問題でもある。そしてそれは、地域の問題であり社会の問題でもある。ゆえに、本書は様々な話題に展開していく。大変勉強になる良書であった。

  • 2章までは稠密な取材、調査を経た内容で納得しました。しかし、3章から突如満蒙開拓団の話になり、日本の家族観が虐待の要因になっているという展開は唐突観が否めません。
    他の国でも虐待は起こっているのに、要員をそこに求めるのは無理があるかと思いました。

  • TV番組で杉山春さんを知り、読みました。
    虐待ニュースを見聞きするたびに感じた何で?どうして?に答えてくれた本。

  • 児童虐待のニュースを目にするたび、自分のことのように感じる。逮捕される親を映像で見るたびに、違和感を感じていた。
    私も3児の母だが、虐待をして逮捕される親と、自分との違いは何なのか。そんな疑問に答えてくれた本だった。

  • 国家の方針が基盤にあることを実感した。戦時中も現在も法律によって大きく変わる。法律の中で動いていることを思うと、子どもの権利条約や改正された法律を学ぶ必要がある。

  • 当時5歳の男の子を置き去りにして餓死させた、ネグレクトの事件。冒頭に出てきた報道の文章は記憶していた。そんなことがありうるのか、と胸が傷み、父親に対して強く憤ったことも覚えている。その報道がウソ、とはいわないまでも、事実はいくぶん違っていたのではないか、といわれると「え?」となる。父親には知的な障害があり、系列だてた証言ができなかったことによる誤解だったというのだ。生きたまま閉じ込められたというのも、果たして事実だったのか。男の子が亡くなった後、父親はしばらくいっしょに過ごしていたという証言もあるという。う~ん、なんとも考えさせられる。IQ69で、運転免許をとり運送の仕事ができるのかなぁ、という疑問はあるものの、数値では計り知れない部分があることも知っている。

    虐待と一口にいっても、それをした親をただ悪いと責めて終わるものではない。そういう面について、深く考えさせてくれる本だったと思う。

    5歳の男の子が、飢えながら閉じ込められて寂しく亡くなった、そういう事例ではなかっただけでも、少し気持ちが軽くなった気がする。軽くなってもいけないのかもしれないけど。

  • 数々の児童虐待の事例から国家の"小さい穴"を見つけていくような本。虐待の連鎖を誰かが切って終わるというより、連鎖を切った後のリスクを誰も取ろうとしないという、近代社会的な閉鎖感を強く感じた。その上で度々出てくる筆者の「この制度、国民意識が当時存在していれば」という語り方は、実感のない自分に強い当事者意識を持たせてくれる。
    「新ビジョン」に掲げる理想と滝川さんとのインタビュー記事からは、現場に長年立っていたからこその痛々しい説得力と、強い願いあり、全体としていち人間ながらに"家族"について考えさせられた。

  • 「完璧な」子育てを求める社会とその社会規範を内面化した親たち。能力や環境によってそれが不可能になると虐待となってしまう場合がある。
    困った人が気軽に助けを求めることができない社会。
    支援する制度があってもそれに頼ることを知らない、知っていても頼ろうとはしない社会不信の親たち。
    弱さを見せても大丈夫だという信頼をもてる社会にする。

    第1章 ルポ 厚木男児遺体放置事件
     1 作られた「残酷な父親」像
     2 助けを求めることを知らない親たち
    第2章 「近代家族」という呪縛
        ――二つの虐待事件を追って
    第3章 国家と家族のあいだで
        ――「満州女塾」再考
    第4章 社会につながれない「ニューカマー」たち
        ――川崎中1殺害事件の深層にあるもの
    第5章 育児は母親だけの義務か?
        ――母性から降りる、共同体で支援する
    付録 誤解される「子どもの精神障害」
       ――児童精神科医・滝川一廣さんとの対話
    終章 家族はどこへ向かうのか
       ――虐待予防の現在、そして新しい家族の形のために

  • 過去の虐待事件の裁判傍聴や加害者への接見を通して筆者が得た情報を元に、虐待の背景にあるものは何だったのかが考察されている。普段見聞きするニュースではここまで深い情報を知ることができないため、とても勉強になった。

    親になって改めて思うが、子育ては周りの助けがなければ絶対にできない。誰からも何の助けも受けず、親だけで育てることは不可能だ。それでも現代では「子育ては親の責任である」とい考え方が根強い。(確かに子どもは親のことをよく見ているなと感じることも多々あるし、子は親の鏡という言葉も間違ってはいないと思う。)

    一方で、自身が自立できていない親、子どもをコントロールすることで自分自身を保つ親、自身も被虐待者で暴力以外での育て方がわからない親、等も一定数存在していて、「子育ては親の責任である」論で言うと、そのような親から生まれた子は運命を受け入れかろうじて生き延びるか死を待つかのどちらかになってしまう。

    中には、虐待やネグレクトを受けても自身の力で立派な大人になる子もいる。もちろん個人の能力も関係あるとは思うが、そのような子たちは大抵、人生のどこかで恩師や恩人に出会っている。「人生に希望を見いだせる何か」があるというのはとても重要で、人生のどこかでそのような希望に触れられるかどうかが、子どもの成長においてとても重要なことだと思う。

    「どの親から生まれたとしても子どもが社会に希望を見いだせる」そんな社会であってほしいし、そのために自分自身には何ができるのか(たとえ微力だとしても)、改めて考えるきっかけとなった。

  • 2020年1月読了。
    児童虐待が何故起こるのか、考えたくなったので読んだ。
    多くの親は虐待するために子を成すわけではない。
    が、悲しいかな現実の問題として虐待やネグレクトが存在する。
    子を養育する能力のない人をあげつらってその非を責めるのは非常に簡単だし楽で、虐待をする側の問題を指摘するのは絶対的に正義だったりするわけだが、如何に虐待に向かいやすい環境にあるかとか、「する側のメカニズム」に着目すると、過剰な新自由主義的な自己責任論の押し付けや、ましてや「伝統的家族観」なんかでは、いよいよ子の養育を両親のみに押し付けるような気がしてならない。「社会が子を育てる」みたいな発想がもっとあっていいのではないかと思う。
    ※誤解のないように言うと、「子を真っ当に育てるためにある程度の体罰は止む無し」と言った意見には全く与しない。虐待する側が抱える問題を解決せずに、単に事案が起こったら罰するということでは、この問題は解決しないのでは?というのが、本書を読んで考えたことです。

  • 厚木男児遺体放置事件、大阪2児ネグレクド事件などの児童虐待事件について、丁寧に取材され、その上で考察されているので事件を深く理解するきっかけとなった。
    満州女塾の話は初めて知り、とても衝撃的だったが、現代の孤立する家族に似ている。

    この本で一番の衝撃は、大阪2児ネグレクド事件の母が語った「子どもが嫌になったのではなく、子どもの周りに誰もいないのを見たくなくなったから。」。実際、下の子の1歳の誕生日に誰からも連絡なく、翌日から外泊が始まってる。誕生日前には元旦那に一緒に過ごすことを提案しても断られていて、ギリギリまで母として頑張っていたことを知ると、必ずしもこの母だけが悪いのではなく、育った環境、元旦那との関係なども影響している。懲役30年は妥当なのか、、やはり母に子育てが押し付けられていると感じざるを得なくなる。

    虐待親を攻めるだけでは何も変わらない。タイトルの通り、国家が家族に強いていることを念頭に置いた上で、私たちが出来ることを考えていかなければならない。

    また読みたい。

  • 満州の話とか関係なさげだけど、まあ面白かった

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