児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか (朝日新書)
- 朝日新聞出版 (2017年12月13日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022737434
感想・レビュー・書評
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知的な水準が障害かそうでないかのボーダーライン上にあると思われる親たちは、その意図はなくても、支援を求められないため、結果的に子供を虐待してしまう。他方、こういう人たちは、職場では遅刻もなく高い評価を得ている。コツコツ積み重ねていくことは得意なのに、抽象的な思考や見通しを持つことに難があり、時系列で説明するのも苦手。普通の大人なら人に助けを求めるのに社会にSOSを出せず孤立感を抱えている。昔であれば地域や社会がそんな人たちの面倒をみてきた。
精神遅滞と呼ばれる人たちは生物学上では2%程度と言われる。日本には270万人いる計算になるが、障害者手帳を取得している人は全国に74万人。
社会の中で孤立するのは力の乏しい親たち。こういう人たちには必要な情報も行き届かない。役所は基本的には申請主義。激増する児童虐待の中にあって、そのあり方が問われている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
事件の裏側、社会構造を理解できた。
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当時5歳の男の子を置き去りにして餓死させた、ネグレクトの事件。冒頭に出てきた報道の文章は記憶していた。そんなことがありうるのか、と胸が傷み、父親に対して強く憤ったことも覚えている。その報道がウソ、とはいわないまでも、事実はいくぶん違っていたのではないか、といわれると「え?」となる。父親には知的な障害があり、系列だてた証言ができなかったことによる誤解だったというのだ。生きたまま閉じ込められたというのも、果たして事実だったのか。男の子が亡くなった後、父親はしばらくいっしょに過ごしていたという証言もあるという。う~ん、なんとも考えさせられる。IQ69で、運転免許をとり運送の仕事ができるのかなぁ、という疑問はあるものの、数値では計り知れない部分があることも知っている。
虐待と一口にいっても、それをした親をただ悪いと責めて終わるものではない。そういう面について、深く考えさせてくれる本だったと思う。
5歳の男の子が、飢えながら閉じ込められて寂しく亡くなった、そういう事例ではなかっただけでも、少し気持ちが軽くなった気がする。軽くなってもいけないのかもしれないけど。 -
数々の児童虐待事件を取材した著者が、その背景にある日本社会の家族規範の変容を追いながら、悲劇を防ぐ手だてを模索する。
厚木男児遺体放置事件などの事例を分析することで、児童虐待について、加害者である個人に責任を帰すことに疑問を呈し、児童虐待の背景には、父親は仕事で家族を支えるものであり、母なるものは子どもを育てなければならないという近代家族の家族規範や、家族を支えない社会、家族を従属させようとする国家があると指摘する。
著者が指摘するような児童虐待を生む社会的背景があるという側面はあると思うし、社会による家族支援が必要という主張にも共感はするのだが、本書全体を通じて、児童虐待の原因を社会に求める度合いが強すぎるように感じて、あまり納得感が得られなかった。満州女塾の話など、それ自体は重要な歴史的事実だと思うが、それと現代の児童虐待を結びつけるのには、ちょっと飛躍を感じた。 -
虐待死をさせる親たちは、詳しく目を凝らせば、極悪人というよりも、社会の様々な支援から遠ざかった不遇な人たちだ。むしろ、古典的な家族の形しか知らず、新しい家族に関する価値観にアクセスできず、それでも家族にこだわり、閉じこもった人だ。
満州女塾については、国策の介入など、始めて知りましたが、育てる力の弱い親、近代家族、移民、シングルマザーなどの全体のつながりについては読み切れませんでした。