歴史道 Vol.38 (週刊朝日ムック)

  • 朝日新聞出版 (2025年3月6日発売)
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Amazon.co.jp ・雑誌 (100ページ) / ISBN・EAN: 9784022779458

作品紹介・あらすじ

「弥生時代の暮らし」を大特集! 日本人はどこから来たのか? 縄文時代の暮らし、弥生とはどんな時代か? 弥生の人々の暮らしと仕事、ムラからクニへ、古墳時代の到来、春の行楽シーズンにおすすめの遺跡ガイドなどなど、日本と日本人のルーツに迫る一冊! 好評連載中「司馬遼太郎『街道をゆく』の世界」は、「台湾紀行」(後編)です。

感想・レビュー・書評

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  • よくある古代関係のムック本。あまり期待せずに買ったら、思いの外良かった。ムック本は、単行本と比べると、専門性や正確性に劣る可能性があるけれども、全面、カラー写真や図を取り入れわかり易く、文章も大衆受けを狙って刺激に富み、かつ最新学説を取り入れていることが多い。知識の整理という面では、(酷いものでない限りは)使えるのである。

    買って気がついたけど、去年廃刊した週刊朝日の編集だった。彼らの編集技術はバカにできない。驚いたことに、縄文時代に山田康弘、弥生時代に藤尾慎一郎等が監修と文を担当していて、武光誠以外には古代ライターでは居なくて、バリバリの現代を代表する学者が書いていた。多分専門書では書けないようなことも、此処では展開しているはずで、とっても面白かった。

    屈葬は縄文時代に見られた土葬の形式。以前は死者を封じる為と言われていたが、分析すると四肢を強く屈した姿勢は多くなく、むしろ緩やかなものが多かった。これは、生まれたときの姿勢に戻して再生を願ったのだと山田さんは言う。

    土器も石棒も、2つが交わることによって、新たな生命が誕生し、或いは再生される、と縄文時代の人々は信じていたようだ。土器棺墓は母体回帰という観点から「再生・循環」を祈る施設である。この中には、イノシシ。シカの他に、木の実や黒曜石も埋納されていた。「より多くあって欲しいもの」として再生を祈っていたのだろう。

    弥生時代の石包丁は稲刈りの時、根本から刈るのではなく、穂先から刈る為に作られた。藁が利用できないのでおかしいと思っていたら、当時は品種改良が未熟で稲穂の出来にばらつきがあった、又高く成長せずに横に枝分かれしたために、数回に分けて刈っていたのだと言う。初めて知った。過密な田植えで育て、背が高い品種はその後生まれた。結果5世紀に鎌で刈るようになり、石包丁は消える。

    藤尾慎一郎さんが示した、日本の縄文・弥生・古墳時代に対応する、世界各地(ヨーロッパ・アジア・アメリカ)の文明図(35p)は、とても刺激的だ。BC9の弥生時代に相当する遺跡があるのは、シュメールの随分前のBC90の西アジア、BC60のハッスーナ文化・ハラフ文化。そして中国もBC60あたりに河姆渡文化、磁山文化が登場する。エジプト文明は日本の古墳時代に当たる。それより前、BC30ウル第一王朝が始まり、BC25にエジプト古王国が始まる。中国で殷王朝がBC17で比較的遅い。もっとも、日本のAD3とは2000年の開きがある。縄文文化(世界の新石器時代に相当)は、海を隔てたとは言え世界が次の段階に移った以降も一万年以上継続した。支配被支配の関係を育てる事なく、土器を使った定住生活の中で、人々の精神構造は何処まで育つことが可能なのか。それはそれでとても興味がある。

    藤尾さんは、弥生時代から現代にも繋がる「負の遺産」四つが始まったと言う。即ち、人口集中による「環境汚染」「疾病」水田稲作の開始による「格差や身分差の出現」「戦争」である。反対に言えば、縄文人はこれらを避けるために、農耕文化を避け続けたのかもしれない。しかし、BC9BC3に、天候不順が続いて、おそらく多くの餓死者が出たのだろう。稲作文化を取り入れざるを得なかったのだ(私の推理)。

    弥生時代、大陸から渡来した文物は省略するとして、縄文時代から受け継いだものも多い。竪穴式住居、打製石器の技術、土偶、勾玉(古墳時代まで続いた。これは日本独自だが、真の意味は不明)、土器製作の基本技術、編み布、弓矢の狩猟技術、漁労採集技術等々。弥生時代独自のものもある。雑種文化たる日本人の面目躍如。即ち、青銅腕輪、小型の鏡、巴形銅器(盾の飾り)、丹塗り魔研土器、人の歯・指骨の装飾具、銅鐸と武器形祭器による祭り、石戈、再生墓、分銅形土製品等々。

    犬は、縄文時代は役目を終えると丁寧に葬られたが、弥生は食べられたらしい。これは新知識。

    福岡県宗像市田熊石畑遺跡の4号墓が、最古の王墓と言われている。BC150年から200年築造で、銅剣銅矛銅戈各一本と、翡翠製勾玉2個、メノウ製管玉133個が副葬されていた。古代ライターの武光誠さんは、AD107年に朝貢した帥升をイト国王としているが、私はキビ国王だとする。武光誠さんは「吉備の四隅突出墓」とか明らかな間違いを書いていたり、纒向の推定範囲を巻向駅周辺のみに限定していたり、少し信頼できないと改めて思った。
    ただ、纏向遺跡の下層に多くの雑草の花粉が埋まっていることから、田畑が作られる前の広大な草原を纏向遺跡に作り替えたことが推察される。と教えてくれた。あの周りは、人が生活するところではなく、祭祀の場であったと言う説には同意する。

    「弥生時代を体感する遺跡18」の記事のうち、交通の関係でなかなか行けない朝日遺跡、登呂遺跡、神崎遺跡、古津八幡山遺跡、地蔵田遺跡、垂柳遺跡の「国史跡」には是非行きたい。

  • 8/16 KINOKUNIYA SOGO NT$393*0.8=NT$314

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