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Amazon.co.jp ・本 (242ページ) / ISBN・EAN: 9784022920874
感想・レビュー・書評
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昭和女子大で在学当時、源氏物語のお講義で、元吉進先生からお薦め頂いた一冊。夕顔の巻を教えて頂いたのだが、この本にも夕顔の巻を取り上げてある。今頃ようやく読むなんて、地元の図書館にあることを幸い、宿題を引き延ばしていたような気持ちである。
出版は1990年代で、フェミニズムの観点から文学を読み直そうという機運の高まりの中、その先鋒として読まれていた本であると思う。その機運の高まりは、確かに新しい発見や解釈を生み、女性の研究者のみならず、男性の研究者からも注目され、既にある程度浸透もし、一つの読みの視座として、定着もしている。ただ、これが提示された当時は、まさに切り込むような意見の提示であったはずだ。今の私が読むと、iいささか鋭すぎるほどフェミ視線の批評が色濃い。その視点だけに偏り過ぎても作品の読みに限界が来る。しかしその見方を捨てては、やはり読み落としが出てくる。
今年大人気だった「光る君へ」を振り返ると、まひろを妾に迎えたい、道長なりの誠実と、頭では妾でいいと理解していながらそれでは納得のいかないまひろのすれ違いや、道長の心が自分にないことを知りながら、したたかに正妻としての圧と栄華を守り抜いた源倫子の苦悩、敦康親王を帝にしなかったことや自分を政治の持ち駒にした道長に怒る彰子の描写など、マイルドにしながらも明確に言いにくい事を描いている。
この本のラジカルさに溺れすぎずに、男女双方の当事者でないと分かりにくい苦悩に思いを馳せてみると、ドラマも源氏物語の原典も深みと現実味を持って立ち上がってくる。
女性への偏見理解を経験した向こうに、男性に対するステレオタイプの押し付けをほどく経験が待っていて、今は両者がそれぞれ声を上げている。両者どちらにも深く苦しい社会経験を伴う歩みであった。駒尺の言挙げから30年ののち、ようやく私たちはここまで来た。両者が人間として手を取り合い、存分に認め合って源氏物語を読む世界は来るのか。それを引き寄せる灯火になるような源氏解釈が出現したならば、きっと素晴らしい。男女どちらも、思いやる想像力を求められるし、どちらも甘えも許されないが、不当な加害や決めつけも許されない、大人の社会の到来。それを促す力が、文学に、源氏物語にあるだろうか?その可能性を引き出す力は、私という読者に備わっているだろうか?厳しい自己照射が求められる。駒尺は、なんと厳しい課題を私に投げかけるのだろうか
学生だった私に、こんな宿題を残してくれた恩師には、本当に頭が下がる。先生は誰も批判せず、擁護もせず、フラットに作品を読みながら、私達に良い石を置いてくださったのだ。
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この作品が書かれたのが、1991年であることにまずびっくり!筆者の男女差別への怒り、憤懣は2024年現在のわたしたち女性たちの怒りとピッタリと重なる(逆に、30年以上経っても女性差別が厳然として存在する日本社会に絶望を感じざるを得ないが。これでも、少しずつ良くなっているとはいえ)。
作者によると、紫式部が源氏物語で伝えたかったのは<女ほど不自由であわれな存在はない>ということだという。
女が結婚をありがたがってはいない、結婚したくない女もいるということを示したくて書いたのが宇治十帖であるとのこと。
平安時代、構造的な男女差別社会に苦しみつつもそこに順応して生きた女性がほとんどだっただろうが、紫式部は違った。その構造に気づき抵抗しようとした女性だった。その紫式部のメッセージは現在でも強く女性たちに響く。
源氏物語は「あさきゆめみし」で履修したものの、最初から最後まで、こんな男のどこがいいんだよ?!と光源氏にむかっ腹が収まらず、当時の女性たちが源氏物語に夢中だった(らしい)ことが全く理解出来なかったのだけど、この本を読んで目からウロコが。
源氏物語がこんなフェミニズム小説だったなんて知らなかった!なんで誰も教えてくれなかったんですか?!
紫式部はずっと「源氏物語」の中で一貫して女性差別を描き、身勝手な男として光源氏を描いているという。
藤壺が嫌がり心を病んでいるのに無理やり押しかける、夕顔を無理やり連れ出して死なせてしまう、紫の上を無理矢理攫う…。兎に角、しつこい!無理矢理!人の話を聞かない!
「あさきゆめみし」だと、激しい恋心故と擁護されていた光源氏だが、原文の現代語訳を読むとただのクズ。女性たちにかなり激しく抵抗されたり断られたりしているのに全然聞かない光源氏…。位の高い女は気位が高く可愛くないから、ちょっと身分の低く自分の言う通りになる女が良い、という思考も男の身勝手さを感じさせる。
『性差別というものは、いや、あらゆる差別がそうだろうが、差別を受けている者が反抗しないかぎり、露わには見えてこない。差別システムの中にとけ込み、順応してしまっているかぎり、それは<和>であり、<愛>であると見えてしまう。だが、抵抗し反抗したとき、どのように扱われるか、どのように制裁されるかによって、差別の姿が露わに見える』
駒尺喜美の作品
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