詭弁と論破 対立を生みだす仕組みを哲学する (朝日新書998)

  • 朝日新聞出版 (2025年4月11日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784022953100

作品紹介・あらすじ

ある問題について対話や議論をするにしても、前提や土台を共有できない、軽く受け流し冷笑・嘲笑する、傾向が強まっている。特にSNSやネット上で幅を利かせる「論破」。人はなぜ言葉を交わすのか──人間と対話の本質的な関係を哲学の視点から解き明かす。

みんなの感想まとめ

対話や議論の本質を探る本書は、現代における「論破」文化や日本式ポピュリズムがもたらす影響を鋭く分析しています。著者は、軽視されがちな真剣な議論の重要性を訴え、新たな社交の復権を提案しています。特に、ひ...

感想・レビュー・書評

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  • 著者の意見に若干異論を持つが、むろんそうした異論を喚起させるだけの強度をそなえた好著とぼくは読む。日本式のポピュリズムに対していったいそうした風潮がどのような魔性を持ち、どう真剣な議論を弱体化させていくか著者はつぶさに分析を重ねる。そこから提示される結論として著者はあらたな社交(公共圏?)の復権を説く。もちろん同意したい。だが、ひろゆきのような論者ならそれこそそうした著者の社交の定義をまぜっ返すのではないか。そうした著者の「ベタ」を嘲笑いかねない仕草に対して、この著者の戦略はいかにも脆弱かな、と心配になる

  • 「論破」といえば、やはりひろゆき氏。
    本書では、この人の論のスタイルにしばしば批判的に言及する。
    しかし、本書は単にひろゆき氏をモンスター扱いせず、彼のような存在がなぜ社会で喝采を浴びるのかから分析する。

    本書の論旨は「おわりに」にまとめられている。
    こういうところは、お若い研究者らしい、読者にやさしい配慮でうれしい。

    4章までの前半は、おおざっぱに言ってしまえば背景としてのポストモダニズム。
    権威が失われ、あらゆる価値が流動化して、社会の共通基盤が失われる。
    ポスト・トゥルースの話も出てくるが、「真実」の価値も顧みられなくなる。
    人々は「集団分極化」(キャス・サンスティーンによる概念)し、自分の関わる集団で共有される情報にしか価値を見出ださなくなる。
    そんな中、自分をうまくコンテンツ化する技術をもった人がもてはやされ、過激な言説が支持される状況になる…。
    …という話は、割とよく聞く話。

    本書は、このような状況を変えるための提言を行う。
    ひとつは単純な自己言語化ではなく、ゆらぐ自己を言語化することで、新しい思考を生み出す可能性を残すこと。
    それから「社交」である。

    正直、びっくりした。
    「社交」という言葉が、自分の生活ではまず生きた語彙として認識されることはない。
    せいぜい性格を形容する際、「社交的な」を使うくらいか。
    「社交界」なんて、実感をもった言葉ではない。

    で、どうして「社交」か。
    市民的公共性(ハーバーマスのトピック)が資本主義の発展の中で崩壊する。
    議論はそうした流れの中で商業化され、ショーアップされたものとなる(ひろゆき氏はそういう場にいる)。
    「社交」は、全ての人に開かれ、対話によって議論をする場を育むために、必要なのだという。

    できるのかなあ、と、どうしてもペシミスティックになってしまう自分にとっては、こういう態度だけで十分価値があると感じる。

    一つ、自分の中でひっかかりを覚える内容があった。
    集団分極化したメディアの中での暴力的コンテンツの分析のあたり。
    過激な表現の方がインプレッションを稼げるために、より好まれるというところはわかるのだが。
    見ている側は暴力をふるう側に同一化する、と戸谷さんは言っていたが、そういう人は多いのだろうか?
    私なぞ、どちらかというと暴力を振るわれている側に意識が行ってしまう。
    痛々しくて見ていられなくなるのだが…。

  • 結論はなんだか青臭いが、この限定されたテーマの中で広く思想を拾い上げるスタイルは、気になるような新書を多く手掛けている筆者によるもの。焦点が絞られているものでもないため、次にこれを手に取りたいという架け橋には本著はそれほどならなかった。

  • 現代の議論の形をテーマに、ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね?」を起点にし、どのような議論が今後求められるのかを論述されていた。
    過去の歴史や議論形態が引き合いにだされており、どの章も興味深く読めた。

  • ディベートは双方の立場を理解し思考を深めるための物。相手が真っ黒で自分が真っ白という事はないので、論破では相手から得られるはずのハッとするような気づきに気づかず麻薬のような超短期的な快感だけが残る。

  • 後半はほとんど理解できてない。知識不足だと実感した。哲学において学術的な訓練をとおした人には簡単なのかも知れないが。終始ひろゆきの論破芸には批判的。ディベートは第三者の納得感で勝敗が決まるが、その構造自体も批判的に検討されるのが面白かった。

  • 論破って意味わからんすぎるなと思ってたけど、コミュニケーションの手段としてではなく、論破すること=勝ったように見せることがゴールなんですか、そうですか。論破は一つの暴力として作用する、というのは腑に落ちた。なんでそんな暴力を見たいんやろう。権力が嘘を隠そうとすらしない、強いこと言ったもん勝ちの時代最悪すぎる。
    「もし、現代社会において必要なコミュニケーション能力があるとすれば、それは誰が相手でも論破できる技術ではなく、誰が相手でも社交できる技術だろう。(P219)」←月岡あかりすぎる泣泣泣泣 早よ銀河の一票シーズン2はじまってくれ泣泣泣泣

  • 息子は、私と話をしていて意見が異なっていると知ると嬉々として反論してくる。
    はじめのうちはエビデンス(といってもほとんどはSNS上にある意見)に基づいて自分の考えを語っているのだけれど、やがて私の考えの甘さ、私の知識の浅さや古さ、終いには私の性格の歪みについて指摘し始める。
    こうなるともはや議論ではなく単なる私の人格への言葉での攻撃なので、もちろん嫌な気持ちになった私は話をするのを止めようとする。
    それを息子は反論できないからこその逃げだと言い募り、私を論破できたとする。
    毎度、なんと不毛な時間なのだろうと思う。

    そんな息子にこそ読んでもらいたい一冊。

  • ハンナ・アーレント氏の「人間の条件」を、かねてから読みたいと思っており
    書店で手に取り少し立ち読みしたが、やはり私にはとても難解!
    (字面を追うだけで、なかなか内容がアタマに入ってきません…笑)

    書棚のとなりに有った、戸谷氏によるガイドブックも併せて購入し、
    拝読したら、とても分かり易い!戸谷様、誠に有難うございます!笑

    そして、スマート戸谷氏のほかの書籍も読みたくなって、こちらを拝読。

    ”優雅に社交”をすること、とても納得で私もかく在りたい、と思いました。

    相手を、他人を傷つける言い方や表現は避ける、といったように。
    それが出来ていない意見表出は、そもそも意見として読む以前に、マナーが整っていないひと(未熟なひと)、と見做す見方も必要なのかもしれない。と、自戒を込めて考える。

    そして、ハンナ・アーレントの「人間の条件」はまだ3/4ほどしか読めていないが、
    感じることは”民主主義というシステムが、よりよく機能するためには、そもそもその構成員も成熟する必要がある”ということだ。
    言論の自由は必ず守られるべきであるが、好きなことを言っていれば良い、というものではない、社会のなかでの発言であれば、社会のためになる言論であるべきだ、と思います(こう書いてみると、至極当然なことのように思われますが)。

    私のようなものがこう述べることも、とても僭越で差し出がましいことだとも思いますが。

  •  論破王から論を起こし、最終的には現代において求められているコミュニケーション能力は社交的に対話する能力だと結論している。

     クーンのパラダイム論やハーバーマスの『公共性の構造転換』などを援用しながら、わかりやすく、説得的に論を展開している。

     「おわりに」に各章の結論がまとめられており、まずはそこだけを読んでも良いだろう。

     章末の註に参考文献が示されているが、巻末に参考文献表と読書案内を付けて欲しかった。

     個人的には、ハーバーマスの高名な著には、そんなことが書かれていたのかとたいへん勉強になった。

  • いい本だと思いますがそもそも評論的な本が自分には合わないと気づかされました。

  • ひろゆきのような相手を詭弁によって論破するような議論は人々を啓蒙することは難しい上にある種の嘘が蔓延してしまう恐れがあると思う。したがってこれはあくまでエンターテイメントとして楽しむべきであり、議論によって本当に大事なことは相手を敵としてではなく議論を進めていく仲間としてみて、自分たちの意見や見解を深めていくことだと思う。

  • 「論破王」と呼ばているらしい西村ひろゆき氏や「ポスト・トゥルース(事実より感情を大切にする概念)」を象徴するトランプ大統領を念頭に、議論において「論破しようとする」態度ではなく会話を成立させる心がけを啓蒙するという本。哲学の領域なので面倒くさくなる話をなるべく分かりやすく描いている。

    時代の風潮に対する危機感から本書を書いたと思われる。ひろゆき氏の手法に対する言及が多い。私自身はその手法は「眉をひそめたくなる」もので、本書で述べられる通り論破自体が目的化しており、会話とは別の種類のものとしか受け止められない。

    トランプ氏の言説も同様で「支持する人は支持する」のであって、支持する人の声が大きめになるだけで、大多数の人がその思想に感化されているとは思えない。分断はあるだろうが。

    自分自身は論破されない理論武装はしても、相手を論破しようと考えることは若い頃に比べてめっきり減った。良いのか良くないのかは分からない。でも、論破自体か目的化し、独善的になって結果が悪い方に行かないようにだけはしたい。

  • 論破、エビデンス、ポスト・トゥルースについてのあたりまではなかなか読ませる内容だったが、最後の社交に関する部分はあまり興味が高まらなかった。

  • ハーバーマスをちゃんと読まねば、となる。
    社交について、カント→ジンメル→ヤスパースと繋げていくのも勉強になったが、さてそれぞれを読むかとなるとハードルが高い……。

  • 論破-芸 社交

  • 詭弁も論破も、あまり印象のよい言葉ではない。詭弁を弄して相手を論破することは、本人は爽快かもしれないが、相手は納得いくものでないだろう。
    その意味で、ひろゆきの論破芸は相手が理屈に合わないことを認めさせるというよりは、第三者に相手を論破したと認めさせるという要素がある、という著者の見立てには納得感がある。国会の議論もそんなものだろうし、SNSに至っては論破もへちまもなく、議論の体もなさずに主張や中傷が繰り広げられているようなことが多いようにも思う。
    では、建設的な議論をするにはどうしたらよいか。著者は近代民主主義の成立過程において各自が読書体験などを自由に論じ合う公共的体験=社交に焦点を当て、社交が集団の分極化を防ぐ鍵になると指摘する。
    しかし、果たしてそうだろうか。このデジタル時代に、17世紀や18世紀のイギリスやフランスの市民よろしく社交という概念を広く浸透させることなどできるのだろうか。また論破芸を得意とする面々が今さらに社交的な議論などに立ち返るものだろうか・・。
    と思うものの、少なくとも、自分の周りではこのあたりは意識してみたいと思う。

  • 昨今流行りの論破への警鐘。結論お茶を飲みながらとなるが哲学のお話です。

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著者プロフィール

戸谷 洋志(とや・ひろし):1988 年東京都生まれ。立命館大学大学院 先端総合学術研究科准教授。法政大学文学部哲学科卒業後、大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は哲学・倫理学。ドイツ現代思想研究に起点を置いて、社会におけるテクノロジーをめぐる倫理のあり方を探求する傍ら、「哲学カフェ」の実践などを通じて、社会に開かれた対話の場を提案している。著書に『ハンス・ヨナスの哲学』(角川ソフィア文庫)、『ハンス・ヨナス 未来への責任』(慶應義塾大学出版会)、『原子力の哲学』『未来倫理』(集英社新書)、『スマートな悪 技術と暴力について』(講談社)、『友情を哲学する 七人の哲学者たちの友情観』(光文社新書)、『SNSの哲学リアルとオンラインのあいだ』(創元社)、『親ガチャの哲学』(新潮新書)『恋愛の哲学』(晶文社)など。2015年「原子力をめぐる哲学――ドイツ現代思想を中心に」で第31回暁烏敏賞受賞。

「2024年 『悪いことはなぜ楽しいのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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