新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか

  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784023308084

作品紹介・あらすじ

リーマンショックからわずか1年半で全米で150紙が消滅。35%の記者が失業するなど、アメリカの新聞社は苦戦を強いられ、倒産、縮小し始めている。民主主義の根幹を支えてきた「新聞」はどうなってしまうのか?ジャーナリズム史に残る事件報道を検証しながら、マスメディア、ネットの未来を予言する。

感想・レビュー・書評

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  •  すでに大分言い古されていますが、若者の新聞離れ(活字離れ?)が叫ばれて久しい。
    若くはないのですが、私も新聞をとるのをやめてしまい、ニュースはたまのYahoo!ニュースのみです。
     しかし読まないからと言って、新聞社や報道機関がなくなってしまって良いかと言えば、やっぱり違うと思っています。残ってほしいし、圧力や資本の論理に抗う独立的なジャーナリズムが必要だと考えます。

     本書はこのような”真正な”ジャーナリズムが今日的状況によって存亡の危機に立たされていることを説く作品です。

     筆者が焦点を当てるニュース・報道は、作中では「鉄心」と呼ばれます。或いは「硬派のニュース」とも呼ばれるものです。
    (I)「鉄心に入るのは、政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としているという意味で、「説明責任ニュース」とも呼ばれる日々のニュースの集合体である。これは事実に基づくニュースというあり、近年ケーブルテレビのニュースチャンネルでプライムタイムに放送されたり、ブログに計されたりすることの多い「主張のニュース」に対して、「検証のニュース」と呼ばれることもある」(P.25)(I)

     つまり、こうしたニュースには主張は含まれず(つまり社説も外れる)、レジャーやクロスワード等でもなく、物事の事実をありのまま届けようとする、ニュースです(論理的にポジションを取らない報道はないという論は今は置いておきましょう。ポイントは報道を存続させるということです)。

     これらがなぜ大事であるかというと、先ほど引用したように、権力に説明責任を課すからです。こうした報道の結果がウォーターゲートだったり、ソンミ村虐殺事件だったりするわけです。

     ところが、こうしたジャーナリズムの成立が難しくなっているというのが筆者の主張です。
     先ず、経済的なことがあげられます。
     事物を取材し、内容を検証することには相応のお金がかかります。さらに、権力者の不正に対峙するような記事は(特に米国では)訴訟沙汰になる可能性が多分にあります。従い、裁判費用やこれをカバーする保険の確保が必須となります。
     加えて言えば、こうした真正な記事というのは、まあつまらない笑 一般受けしない。故に多くの人が新聞を買っても、読むのは旅行の欄だったり、スポーツだったりするわけです。さらに新聞の収益の大部を占める広告は、当然、読者の目に留まる記事に対してお金を落とすゆえ、鉄心の報道は結果的に(娯楽的記事に比べると)コストはかかるくせに収益は稼げない、会社のお荷物的存在となってしまうのです。

     もうここまでくると資本主義社会では下方スパイラル真っ逆さまです。収益が上がらない部門は、コストカットにより人員削減が行われ、記事の質が悪くなり、部数がへり、広告が減り、そしてまたコストカットによる人員削減が行われてゆきます。

     そもそもジャーナリズムの意義とは何か。決して収益を伸ばすとか、部数を増やすとかそういう事ではなさそうです。寧ろ、起こったことをそのまま伝えるとか、隠蔽されたものを再び明るみに出す等、ある種の正義感、使命感ないしは公共性に近いのではないでしょうか。作中でも譬えられているが、教師のような役回りかもしれません(意義深いが金銭的にはそこまで報われない)。
     しかし、激しい資本主義のなかでは収支の問題で考えると、硬派のニュースの生存は実に難しい。補助金を出して公共報道はどうかとも考えたけど、政府から第三者的な立場でなければ真正な報道はできない。会員制クラブのように一部の金持ちにだけ届けばよいのかと言えば、やはり広い伝達が必要な気もする(真実が一部の特権階級の私有物であってはならないと思う)。

     つまり、結局は報道(権力の監視と言ってもいいかな)のコストをだれが払うのかということなのではないでしょうか。
     GoogleやYahoo!のようなポータルサイトは、自身は取材せず新聞社の記事から多大な便益を得ている。加えて大きな広告料が落ちるのは新聞社ではなくこうしたポータルサイトだ。著者はこうしたサイトが費用の一部を負担するべきとしている。因みにこれについては本年2020年にグーグルが各国の新聞社に情報料を支払う旨の報道がありました(よく新聞社は10年以上持ちこたえたと思います。。。)。
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60821080W0A620C2000000
    https://www.asahi.com/articles/ASND46GCLND4UHBI01N.html

     誰かが負担して支えてあげないと、なくなってしまうのです。これは大変なことだとは思いませんか?
     私は20年くらい前、週刊金曜日というゴリゴリな週刊誌(なんと購読料のみで運営すると当時は言っていた)を購読していました。独立性を保つ報道という観点では参考になります。

     ちなみに筆者はブロガーをはじめ報道内容を時事ネタに語る人々にも相応の負担をするべきなのではと提題しています。広く薄く支援できるのならば、私なんぞでよければ応援したいなあと思いました。

    ・・・
     改めていうと、非常に考えさせる本でした。資本主義のなかで公共的な価値たる報道をどのように成立させるのか。難しい問題です。上記では紹介しませんでしたが、ジャーナリズムの倫理観やジャーナリストの矜持、また米国地方紙の歴史的エピソードなどもあり、飽きさせない本であったと思います。ジャーナリズムに興味がある方、社会や政治に関心のあるかた、あるいは米国情勢に興味のあるかたには是非お勧めしたい本です。

  • PRの様々なリレーションズ活動の中で、コアコンピタンスといわれるメディアリレーションズ。そのメディアに関する本。事例や現状はアメリカが舞台になっている。しかし、”アメリカ”や具体的なアメリカの新聞社名の部分を”日本”や日本の新聞社に置き換えてもそうおかしくはない内容だと思う。

    著者は、国民が様々な議論をする上でのしっかりとした背景取材ができたニュースを”鉄心のニュース”と表現し、それを維持しているメディアは新聞だけであろうという。そしてその鉄心ニュースは、民主主義の土台となるという。テレビラジオはほとんど娯楽提供メディアもしくは鉄心ニュースから派生する議論提供メディア。市民ジャーナリズムともてはやされるWebも速報性はあるものの、ボランティアに任せた何が起きたがという表面上の情報のみ、もしくは論争の場であって、議論のもとになるような鉄心ニュースはないとする。
    しかし、その新聞も鉄心ニュースを維持できなくなっているとしている。理由は鉄心ニュースがコスト(人的・時間的なものからくる金銭的なコスト)がかかってしまう点にある。そのコストを支えていた既存の広告によるが収入源の経営モデルの崩壊により経営的な危機に陥り、その鉄心ニュース提供のためのコストは賄えないばかりか、その新聞存続の為に結果国民の求める娯楽提供的な紙面を増やしているという。更に、ネットの進歩によるゲーム・ケーブルテレビ・SNS・動画サイト等々の人間にとって魅力的な強力な娯楽と競合しながら24hしかない人間を新聞に向けるのは困難になってきているとも書いている。
    こんな新聞絶滅の危機に対して筆者は、WEBと紙を消費する人間のニーズ・文化の違いをしっかりと考え、全く違うものを提供すべきだとしている。そして紙はあくまでもしっかりとした調査報道を貫き(もちろんそれをオンラインで読みたい人向けにすることはすすめている)その調査報道の付加価値に金を払ってもらう。WEBではタダ新聞紙面をWEBに載せることを目的にするのではなく、WEB文化に合ったものを提供すべきだと。そしてその分野はWEBのプロに任せるとしてその両軸でジャーナリズムを守っていく事が出来るのではないかとしている。
    哲学者のハンナ・アーレントの『言論の自由は、事実に基づく情報が保証されない限り茶番である』という引用が心に残った。日本でも様々な媒体がネットに踏み出しているが、この本にあるアメリカの多くの新聞の反省を生かしたものになればいいと思う。

  • もはや新聞は「消えている」が、媒体としての書籍と同じく、「紙」の利便性は忘れてはならないと思う。要は、「何が書かれているか」の質なんだな。

  • ジャーナリズムの一翼を担う新聞がインターネット時代においても生き残れるか?という題についてテネシー州の一地方紙を経営する一族に生まれた専門家が書いた一冊。新聞が長期的に生き残るには、公共の奉仕を主とし、良い記事を書くこと(何が本当に起きたのかを告げること、調査報道、説明責任ニュースを行うこと)、地域との密着に尽きるとまとめる。日本の新聞社は目撃証人ニュースのレベルで追跡調査、調査報道といった鉄心を扱うものが少ないと思ったが、正直、崖っぷちの新聞という点においては超先進国の米国で起きたことと同様のことが現在進行形で進んでいると感じた。

  • ニュースはどんどんバラエティになって行く。ジャーナリズムが言葉だけになる日も近いのか。

  • この本を読みながら、違和感のようにずっと感じたのは、しっかりとした調査報道が消えていくことの懸念を著者は書いているが、日本の新聞なんて、彼の基準からいくとすべてがベタ記事みたいなもので、日本のジャーナリズムというのは、おそらくこの本以前の問題だろうということ。

    「権力」を監視することが良質の新聞抜きで果たして可能か、というのが、今後のジャーナリズムにとって、最大にしてたぶん唯一の問題だろう。それができるのなら、何も新聞という形式にとらわれる必要はない。しかし、狡猾な権力に常に立ち向かうのは、プロのジャーナリスト集団抜きでは難しいだろう。

    だから、彼らが活き活きと仕事ができる環境さえ与えられればいいのだろうと思う。そこに資金がからんでくるから難しいわけだが、良質な報道が消えることを良しとしない人々がほとんどだと思うので、どうにか新しいビジネスモデルは作れるのではないだろうか。

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