わかりやすさの罪

著者 :
  • 朝日新聞出版
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感想 : 63
  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784023318762

作品紹介・あらすじ

“わかりやすさ”の妄信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。「すぐにわかる!」に頼り続けるメディア、ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書、「4回泣ける映画」で4回泣く人たち……。「どっち?」との問いに「どっちでもねーよ!」と答えたくなる機会があまりにも多い日々。私たちはいつだって、どっちでもないはず。納得と共感に溺れる社会で、与えられた選択肢を疑うための一冊。はじめに1 「どっちですか?」の危うさ2 「言葉にできない」3 要約という行為4 「2+3=○」「○+○=5」5 勝手に理解しないで6 理解が混雑する7 「一気にわかる!」必要性8 人心を1分で話すな9 なぜそこで笑ったのか10 なぜ笑うのか、なぜ笑えないのか11 全てを人に届ける12 説明不足13 「コード」にすがる14 ノイズを増やす15 4回泣けます16 コーヒーを吹くかもしれない17 深いって何だろう18 見せかけの優位19 偶然は自分のもの20 わざと雑にする21 そんなこと言ってないのに22 自分に迷わない人たち23 みんなで考えすぎ24 人はいつもぐちゃぐちゃおわりに コロナ禍の「わかりやすさ」の中で

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    受験戦争、留学とインターン、人生100歳時代のキャリアプラン、新卒からの転職戦略、自己投資、資産運用、早期退職……
    世の中全てが、最短距離を求めている。
    時間がない。貴重な時間を無駄にしたくない。今日の自分は昨日よりも強くなり、一秒でも早く成長することが求められる。

    これが、ほんとうに正しい社会なのか?

    高速化する世界の中では、複雑な話なんて耳に入れる暇はない。わかりやすく、シンプルに、聞き手に100%尽くすつもりで論理的に話す。それが求められ続けている。

    筆者と同じように、私もそんな世界が嫌いだ。
    人間の営みというのは、もっと、複雑で名状しがたいエネルギーに満ちた現象なのではないだろうか。そう思ってやまないのである。

    知的活動が魅力的なのは、自分の中にあった「わからなかった」という気持ちが、遠回りしつつもなんとか形になっていって、最終的に一つの「わかった!」を見出すからだと思う。
    そして、その過程における一番楽しいものは、「わかった!」と感じた時の明快さよりも、頭の中でああでもないこうでもないとウンウン呻っている時ではないだろうか。
    そうすると、「わかる」という現象にあまりにも早く最短距離で駆け抜ける行為は、果たして我々の頭を豊かにしているのか、という疑問が浮かぶ。

    「いいから早く教えてくれ」という願望は、試行錯誤の楽しさから遠ざかる。

    また、試行錯誤ののちに解決に至ればいいものの、当然上手く行かないことがある。迷路に迷い込み、頭がぐちゃぐちゃになり、結局ゴールに至らずに、思考や感情が打ち切りになる場合もある。

    しかし、社会はそのような挫折を認めてくれない。
    間違った道のり、中途半端な行動、誤った判断がますます許されなくなっている。求められるのは単純明快で理にかなった「生産性」の高い行動だけだ(わたしはこの生産性という言葉も嫌いである)。あらゆる活動を圧縮し、空いたスペースに時間を詰め込もうとして、じっくり腰を据えてやるはずの「知的活動」すら単純化されている。

    複雑さを均した平坦な道では、スピードだけが勝因だ。言葉を変えれば、スピードに取りつかれた人間が、自分が勝つために無理やり道を平坦に地ならしした。まるで一番のりだけが一番偉いかのように。
    しかし、そうではない。そこには順位なんて存在しない。短時間で価値あるアウトプットを生み出す行為だけが正義ではない。

    ゴールまでの間に迷子になる行為こそが、尊いものではないのだろうか?

    「わかりやすく」なる世の中が、なんだか気に入らない。そんな人は是非、腰を据えてうめきながらこの本を読んで欲しい。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――
    【本書のまとめ】
    1 わかりやすく、簡潔な説明を社会全体が欲している
    あらゆる場面で、短時間で明確な説明ができる人を求められるようになった。答えにたどりつくまでのスピードが速ければ速いほど優れている、と思い込まされるようになった。

    私たちは日ごろ、「そういうことにしておきましたんで」という前提を簡単に飲み込むことによって、いくつもの議論を放置していく。なんでも選択肢にしてしまい、片一方を選ばされている。

    そんな世の中における分かりやすさの罪の一端は、「どうして私にわかるものを提供してくれないのか」という態度だ。そして、「こっちはそっちも理解していますから」という身勝手な能動性だ。

    「わからない」ことは人を不安にさせる。理解できないことに人は耐えることができない。
    だから、人はわからないことをそのままにしておくことができない。

    氾濫する情報のなかで、人は動きを止めて、わかるものだけをわかろうとするようになった。次々と玄関先に情報がやってくるものだから、顧客が偉そうになった。

    考えていることがわからない、といった複雑性が、文化も人間も政治も豊かにする。日々の暮らしに分かりやすい物だけが並ぶのは窮屈だ。
    言葉を溢れてくる思いだけで査定し、「言葉にできないのは考えていないからだ」とする考えを簡単に認めたくはない。人には「言葉にできない」という頭の中の跳躍力があるのだ。


    2 要約主義
    あらゆる思案とは、複雑に絡み合っている状態だからこそ生まれたものだ。だが、このところの風潮といえば、その試案がどのように発生したかなんてどうでもいいようで、とにかく目の前の事象を即座に理解してもらうことが求められる。そのため、複雑な事象がシンプルに加工され、主張は手短に済まされる。
    要約という慣習には気をつけなければならない。簡略化に慣れ、簡略化を急げば、簡略化はよきものとしてどんどん持ち上げられていく。


    3 結論ありき
    今、二者択一が、「二者択一の前に議論をさせておきながら、実は答えが決まっている」に、「わからないことはそのままにしておく」が、「そのままにしておきながら、やりたいように進めてしまう」に変わってきている。本来であれば、素材が決まっていながらも、結論が決まっていない物事に可能性があるのではないか。


    4 他人の心は理解できない
    人が何を考え、何故その行動を取ったかについて、外から完全に解析することはできない。
    そこかしこでコミュニケーションが能力として問われる時代にあるが、他人との関係性でのみ成り立つものを、自分の能力として問われてしまえば、当然、みんながみんな、どうしてその能力が私には欠けているのだろうと悩む。しかし、とにかく無理解を嫌い、意味の分からないものを遠ざける昨今、結果的に個人が理解すべき範囲が拡張され、抱え持つ必要のないものまで持たねばならない。

    今の時代は、ものごとを論理的に理解するため、「偶然」が介入することを嫌う。理解のしすぎは言葉の幅や表現の幅を狭めるだけでなく、偶然を偶然のまま放置しなければ、起こりうる事象が限られるはずなのに。


    5 相手にわかる説明
    相手の立場に立った説明とは、「私」を剥奪してから生まれる。しかし、頭の中で説明を形成するプロセスは、どうしたって個人的なものだ。わかりやすい解説ばかりをしていると、自分はどう思うんだ、と考えることができなくなる。

    「何かを言うことは最後通牒のように行い、実はそれが話のはじまりであることに気が付かないことが多い」。

    人心を、自分の考えを、1分で話してはいけない。わかりやすくしてはならない。複雑さの中にある無数の可能性を探るのが、会話であり文章なのだ。


    6 当事者性の重視
    当事者であるから、その意見を言ってよし。そうでないなら、まずは当事者になってから言って見ろ、そうした意見が増えた。
    今の世の中に生きづらさを感じることが多いのは、よくわからない状況にいる人を「未成熟」だと片付ける人があまりに多いからではないのか。


    7 ベストセラーコード
    今の時代、「その人ならでは」を諦めて、受容してくれる人たちに寄り添うように言葉が選ばれている。「コード」が頒布され、そのコードに基いて言葉が書かれている。没個性をベタに変換する手続きをさっさと終え、多くの人に通用するものを提供しましょうよ、という圧が強くなっている。無意味なモノには触れない、その感覚の高まりがある。

    今は子供までもが、自分の感情に「なぜなら」をつけて日記を書かなければならないという。理由がないことを、思ったままのことを、そのまま言い放ってしまえるというのは、子どもの特権の一つでもあるのに。
    それは、理由なんてなくても構わないという、とっても大切な自由を手放しているのではないか。


    8 わざと雑にする
    世間は、「えっ、だって、そうでしょう?」という声に弱い。「だって、そうでしょう?」という疑問形が、おおよそ「だって、そうでしょう!」として機能する。相手が即答できなければたちまち論破したことになり、オレはアイツを打ち負かしたんたぜ、という実績として積み上げられていく。
    論点がかみ合わないのではない、意図的にズラしているのだ。

    なんでもかんでも単純にして、いちいちしっかり考えることを放棄していては、なにもかもが雑になっていく。「わかりやすいこと」と「雑に考えること」は相反するように思えるが、この2つはときに共犯関係になる。雑に考える土壌が整えば整うほど、その中で、強い意見、味付けの濃い意見がはびこる。雑にしていくことで培養されていくわかりやすさは、積み重ねられた議論を一気に無効化させる。

    9 人はいつだってぐちゃぐちゃだ
    外部とのコミュニケーションを断絶し続けると、内部での絆は強まるものの、限定的な「わかる」の中で相互を褒め合うしかなくなる。結果が見えていないと動かなくなる。同意ばかりを重ね、狭い社会が形成される。

    誰もがハマる爽快感とパンチのあるテイストを目指した文章がメディアに溢れすぎることで、受容するほうの思考力が削がれているのではないか。

    人はいつもぐちゃぐちゃだ。「わかりやすさ」は人間の営みに反している、とわたしは考えてきた。人間は複雑な環境の中を生きている。ならば、複雑なほうに心情を合わせていくほうがいいのではないか。

    結論を出すというのは、そんなに優れたことなのだろうか。そう簡単にゴール地点を探さないほうがいい。しかし、世の中全てがどんどんゴールを急かすようになっている。
    わかりやすさも同様だ。「だって、わかりやすいでしょう」が客を集める。そうではない。戸惑いを表明しないと、このわかりやすさの中に埋もれていく。それを回避したい、とわたしは思ったのだ。

  •  「人の振り見て我が振り直せ」という言い方(?)がある。人様の様子を見ながら、ああなったらイヤだなあ、ぼくにはああいうところはないかなあ。まあ、そんなふうにこっそり思えばいいことが、たくさんある。
     あんまりたくさんあると、「いいかげんにしてくださいよね!」と言いたくなる。   
     で、言ってしまうのが武田砂鉄さんで、ぼくは、この方の、そういう物言いが、結構好きなのだが、「書く」ということの常というか、本質というか、「わかりやすく書く」という呪縛から逃れることは、武田さんも難しい。
     というわけで、自分のわかりやすさは、あの人たちのわかりやすさとは違うという、実に、堂々巡りに似た葛藤に陥ることになる。
     そこを悩んでいると見える、武田砂鉄が、実は、もっと好きなのだから、ぼくはかなりな武田ファンということになりそうだ。
     いろいろ、世間にはびこる「わかりやすい」例について教えていただいて、なおかつ、そこから逃れようとする武田さんの葛藤も読める。なかなか読みごたえがあるというものですね。ちょっと面倒くさいですが。
     ブログでも、意味不明のことを書いています。覗いてみてください。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202104260000/

  • 最近、ドラマでも映画でも、展開のわかりやすさと早さが気になっていたのだが、やはり間違いなく、そうなっていると確信した。視聴者が求めているものを、はい、これですよね、と差し出されるあのつまらなさはこの「わかりやすさ」を追求していった結果なのだろう。わかりにくい映画はとんと上映されなくなっている。そのほかにも社会ではわかりやすさというものに縛られていることが多いことを指摘する。世の中、わかりにくいのが当たり前なのだ。

  • 決して分かりやすさが悪いとしている本ではない。他人が押し付けてきたものを少しは疑おう。>少しは自分の頭で考えて判断しよう。という気持ちになる本。
    「分かる!」「わかりやすくまとめました」「私ってこういう人だから」といった言葉に対して「分かりやすいかどうか判断するのも、あなたのことがどういう人間か判断するのもこっちの勝手だから」という気持ちを忘れてはいけないと感じた。自分自身の考えの「主導権」のようなものを他人に明け渡してはいけない・・ただしそうなると、現代の日本においてはめちゃくちゃ生きにくくなるかも・・・なんてことを考えるだけでも一歩、自分を取り戻す方向に進めたんじゃないかと思う。
    「感動する」とされている映画を見て感動して、「コスパが良い」とされている商品を買う。いつの間にかちょろい消費者に成り下がったものだ・・。そういう誰かにコントロールされている生活に満足なら無理に変える必要もないけれど、これって「自分で選んだのかな」と考えるくらいはした方がいい。そういうきっかけを与えてくれる本だ。

  • この人めっちゃおもしろいな~。いいねえ~いいねえ~と面白がりながら読んだ(笑)なかなかにロック。池上彰のとことかほんま最高(笑)

    しかし新しい本だなあという印象を持った。発刊されて間もないというのもあるけど、アマゾンのレビューを引用したり、いろんな時事問題を扱っていたり、私自身あんまりこういう本は読んだことがなかったから斬新な感じがした。

    最近なんだかテレビとかが全然おもしろくないなーという気がしていて、それは私自身の価値観やものの考え方なんかが変わったからなのかなあとも思っていたんやけど、やっぱりなんというか作り手が雑な「わかりやすさ」を重視していることが大きいのかなと改めて思った。こうやって見ればいいんですよー、こうやって楽しんでくださいねー、と作り手から提示されすぎるとなんだか冷める。。それは自分で考えるし、自分で探すから!と言いたくなる。。

    わからないと不安になる、たしかに。でもわからないからしりたくなる。世の中って複雑やもの。いろいろ考えさせてくれるものが私は好きだ。

    雑な論理(論理ともいえんけども)でわかりやすくしたものしか見ようとしない為政者、ほんまにおそろしい。でもなんだかそういう世の中になっている。そういう人に追従してたら安心できるのかなあ。ほんまにいいんか?と日々思う。。

    しかし、AとBと、どっちですか?って問われてどっちでもねぇよ!って答えてもいいんやな。そらそうか(笑)

    私もあんまり賢くないから、「わかりやすい!」とか「スッキリ!」とかそういうフレーズに心動かされないこともないんやけど、そういうものをみてわかった気になったらあかんなというのは自戒。。

    でもあれだな。届く人には届くし、届かん人には全然届かん本なんやろうなと思うとなんだかなあと思う。でもきっとそれでもいいんやなー。私も全然理解できてないんだろう。わからなくてもいいんだな。

    本当におもしろかった。

  • 「わかりやすい」説明や言葉、考えがどういう現象を生むのか。また逆に、ある現象について、その要因を探ると「わかりやすく」した結果である、ということなどが書かれている。
    わかりにくいと突っ込まれることを拒まないこの本を読みきれるかどうかは、著者の考え方に同意できるかに依るような気がする。そうするとわかりやすさを何にでも求める人にはその"罪"は届かない、見えないことになり、もどかしい。
    私はほとんど、そう、そうだな、と思いながら読んだ。ある現象の陰に「わかりやすさ」があるという分析には感じていたもやもやが晴れたし、わかりやすさを拒否することがどういう流れを生むのかというのもおもしろかった。

  • 新刊が出るたびに
    すぐに 手が出てしまう著者のお一人
    武田砂鉄さん

    今回も 十二分に楽しませてもらえました。
    もうずいぶん前に
    「(世界の、日本の)名作が、この一冊でわかる」
    という本コンセプトの本たちが出てきた時に
    「?・?・?・?」
    と強く「違和感」を覚えました
    その時の違和感を
    文字にすれば
    あぁ このようになるのだな
    と改めて思いました。

    どちらでも ない 自分
    「わからない」から 面白い
    大事にしていきたい 心構え です

  • 読み終わったけど、内容の要約や批判が書きにくい。
    その理由は、著者が自著『紋切型社会』のamazonの★1のレビューを引用して、わかりやすさや爽快さを求めることについて批判しているからである。
    というか、結論を述べて「その理由は、」と書く論法自体をも批判している。
    というか、本の内容の要約してさっさと内容をわかろうとすること自体を批判している。
    何か単純化してまとめようとすることを拒む本である。アト6でライムスター宇多丸さんが言葉を選んでいた感じがよくわかる。
    わかりにくいことはわかりにくいままに、わかりにくさは理解への入口という態度を続けていきたいと思いました。

  • テレビの解説、Youtube動画、書籍・映画などのレビュー、自分自身の感想で「わかりやすい」を肯定として使う場合が多々ある。
    本書はそんな「わかりやすい」が持て囃されると同時に日本語がどんどん「易しく」「わかりやすく」なること、機微や行間のような部分が排除され、受け取る側が想像する余白のない、ストレートで額面通りにキャッチできる伝え方が重宝されてしまう傾向に一石を投じる。

    前半は主に「分からないことはそのままにしておく」余地について語り(ちょっと“わかりづらい”文章が多いかも)、
    後半は実際の出来事を挙げて「わかりやすさ」が「雑」をもたらす危険性(メディアの主張の加工、ネット論客が使う暴力的な断定、居場所を与えてはいけない主張に居場所を与えてしまうこと)について語られている。

    理解までの最短距離と効率化を優先し、「わかりやすくないもの」を理解しようとしなくなった結果、感覚や自分で考える感情表現の選択肢が損なわれ「雑」になっていく危険性について本書で自らに警鐘を鳴らしてみては。

  • 『分かりやすさが尊ばれ、どっちでもないことが排除されるー。』そんな世の中に警鐘を鳴らす一冊。分かりにくいことが、分かるの第一歩なのではと思いました。声が大きい為政者や知識人ぶったタレントが跳梁跋扈している時代。きちんと見極める目と聴き分ける耳を鍛えていきたい。

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著者プロフィール

武田 砂鉄(たけだ・さてつ) 1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。著書に『紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、新潮文庫、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)、『偉い人ほどすぐ逃げる』(文藝春秋)、『マチズモを削り取れ』(集英社)などがある。新聞への寄稿や、幅広いメディアでの連載を多数執筆するほか、ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍している。

「2021年 『日本の気配 増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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