芸人人語

著者 :
  • 朝日新聞出版
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本棚登録 : 218
感想 : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784023319202

作品紹介・あらすじ

芸能人の薬物、新型コロナウイルス、安倍首相退陣、そして菅新首相誕生……話題となった出来事を取り上げながら、「言葉」「表現」「テレビ」について考える。世の中のあらゆる事象は、すべてつながっている。朝日新聞「天声人語」よりも深くて鋭い渾身の作。

感想・レビュー・書評

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  • ぼくも教養つけるぞ?

  • この本は読み続けると思う。太田さんの主に芸に対する気持ちだったり姿勢を知れるので芸や太田好きにはお勧め。途中からコロナの話題が多くなり飽きもくるので自分に必要なところだけ読むのもあり。

  • たまに、若手のお笑い芸人が「太田さんの本読んでまーす!」とバラエティで話題に出しているのを見かけたりするけれど、バラエティにおける爆笑問題のテイストを想像して読むと予想以上にお笑い要素の少ない、時事ネタ漫才の「時事」部分を漫才要素抜きで話題にした内容で驚くのではないか、と思う。
    連載時期が連載時期なだけに後半ほぼコロナ関連の話で(太田さんのエッセイ類の中でもこの構造はかなり異色)かつて阪神淡路大震災やオウム事件が起きた時漫才の内容変更を余儀なくされた話なんかも触れられていて、それだけセンセーショナルな時期なんだと話題だということも、その状況下で締めはやはり志村けんのことになるところも、太田さんなりの思考が見えて興味深い。

  • 2021年1月25日読了。

    P14
    <小林秀雄が語る柳田國男のエッセイ「山の人生」の親の子殺しから>
    民俗学だけではない。
    学問というものは、本来全てを言葉や数字で
    表すものだが、同時に言葉や数字にできないというもの、それを感じ取る感性を持たない者は学問など出来ないのだと強く言うのだ。
    科学的に説明せよ。とよく言うが、“科学的”という
    言葉ほど、非科学的な言葉はないと私は思う。
    科学的に説明出来ることはこの世界のほんのわずかだ。逆に言えばだからこそ、科学という学問が存在する。科学の周りを科学できないものが包んでいるのだ。科学とは、“問い”だ。問わずにすむようなわかりきった世界なら科学はもう必要ない。

    P16
    <“どうにかできませんか”の相談をし、
    自殺した少女・家族の話から>
    システムやルールを変えればおそらく環境も改善されるだろう。システムやルールとは、言語化され、
    数値化された、科学だ。
    しかし、我々が問い続けなければならないのは、
    科学の中に存在する人間の中の、言葉で言い表せない部分だ。改善された環境にいる人間の中にある、
    論理的に説明できない残虐性だ。
    外側を変えても人間の内側は変わらない。
    ルールを作り環境を整え、安心した瞬間、
    私達は異常な世界の入り口に立つことになる。
    これで大丈夫なはずだと、言葉に出来ない部分を
    見なくなるからだ。

    P22
    私には彼らが(ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン)ドラッグをした事実よりも、
    彼らの作り出した音楽そのものの方がよほど罪深いと感じる。彼らの音楽は確実に人を悪くした。社会や宗教の提示する倫理におさまらないものを表現したのではないか?だからこそ魅力的で人々は魅了されたのではないのか?でも同時に、彼らの音楽は聴く人を悪くしただけではなく、表現する自由、生きる自由、生きていく力、を与え、今も人を感動させ続けている。強い表現は人を生かしもし、殺しもする。罪深い作品ほど、人は惹かれるものだ。

    P26
    何が言いたいのかわかりにくかもしれないが、
    要は真っ当な人間が創ったものよりも、堕落し不道徳で狂った人間が創ったものの方が人の心を打つということは、いくらでもありうるということだ。

    P29
    残酷ではあるが、全ての判断は大衆の側がするものだ。

    P36
    そもそも神道は、他の宗教のように教えようとしていない。説明されることを拒んでいるのだ。言葉で理解されるのを拒否しようとしている。理解されたくない、と言っている。「言挙げ」というのは「言葉にして表明する」ことだが、神道はこれを恐れる。
    議論なしに伝統を続けることは「思考停止」という意見もあるが、思考停止が必要なことも世界には存在する。

    P37
    名優と言われる人たちの本を読みあさっていた時期がある。宇野重吉、滝沢修、チャップリン。それぞれの演技論があるが、全てに共通していたのは、
    「感情で芝居をするな」ということだった。
    「まず形を決めろ。感情より形を優先させるな」
    その名優もこう言っていた。

    P41
    この国がずっとこだわってきたのは男か、女かではなく、「父親の形」を感じることなのではないだろうかと思う。性別ではなく「父」という「形」。
    〜だとすれば「形」は「血」や「遺伝子」すら超越する。


    P47
    ピカソ“難しく考えるな。何だっていい”

    「自分は、チャップリンの立場も好きだが、
     作品も好きだ」

    P59
    チャップリンは実にしたたかで冷酷で、だからこそ優しさを表現出来る芸人だ。人を傷つけないものを創ろうなど一ミリも考えていなかっただろう。そんな心配は無用だ。天才とはいとも簡単に芸でお客を騙せるのだ。

    P63
    立川談志は、「落語とは業の肯定だ」と言った。

    ★P78
    「表現」とは覚悟であり、なりふり構わない態度であり、自分の恐怖心を伏せて人に笑顔を向ける勇気であり、道化に徹する決意であり、信念を捨てる柔軟さであり、捨て身で本心を晒す姿勢であると、私は思う。

    P81
    本・「お前はただの現在にすぎない 」

    P89
    <ウルトラマンセブンのとある回に込められた
    社会的メッセージに触れて>
    それでもずっと私の中に直接何かを話すより、物語に変換して喜劇を演じたいというジレンマがあった。物語にすることでこそ、「芸」なのではないか?と。

    ★P102
    「無限に存在する工夫の自由」こそが
    私にとっての「表現の自由」だ。

    P114
    萩本さんは、「人間が本気で困っている様を見て
    はじめて客は笑う」という信念を貫いた人だ。

    ★P232
    司馬さんは歴史を「それは、大きな世界です」と言う。「かって存在した何億という人生がそこに詰め込まれている世界なのです」と。そして司馬さんは歴史の世界の中にたくさんの友人を持っていると書く。「そこには、この世では求めがたいほどに素晴らしい人たちがいて、私の日常を、励ましたり、慰めたりしてくれているのである。/だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさはーもし君たちさえそう望むならーおすそ分けしてあげたいほどである」と。

  • 時事ネタの漫才をやり続けて、政治やニュースにも臆さず斬り込む、けどいざバラエティーに出れば手に負えないおじさん的な、独特な雰囲気を持つ芸人、爆笑問題の太田光さん。
    先日、たまたまyoutubeで「爆笑問題のニッポンの教養」を見て、太田さんの視点にハッとして、感銘を受け、改めてファンになってしまいました。太田さんの思想や笑いに触れたくて、ラジオを聞いたり、動画を見たり、そして、この「芸人人語」という本を手に取りました。
    この本は雑誌「一冊の本」での連載が掲載されているものです。その本を読んで、私が感じた三つのことを書きました。


    ①感情から入るのではなく、形に感情が宿る、命が宿る。
    ——
    (本文一部抜粋)
    まず「形」が決まる。その後に言葉や思考がその形に注ぎ込まれる。生物学的にもそうだろう。初めに「体」ができ、「思考」はその後だ。
    神社に参拝するときに重要なのは、例えば二礼二拍手一礼と言った形式である。
    神職が唱える祝詞は、神に豊穣するもので、人に向いてはいない。祈祷で重要なのは形式だ。
    演技においてもまず形を決める。そこに感情を宿す。
    ——
    50年前と今の生き方の一番大きな違いって、私は「選択肢」の多さだと思います。普通の世間が敷いたレールにのって会社員をやってもいいし、自分で会社を立ち上げてもいい。故郷に住んでも、東京に出ても、縁もゆかりもない土地に引っ越しても、海外に住む選択肢もあります。
    例えば、野茂英雄がアメリカの大リーグに行くと決めたとき、当時「無謀」と言われた大リーグでプレーするもいう選択肢は、今なら「あなたの自由」「そういう選択肢もある」と言われるだろう。前例もあるし、経済的にも、政治的にも、あらゆる選択肢をとることへのハードルが低くなっています。それは過去に多くの人が様々な成功のレールを残してくれたことと、その記録を世界中で見ることができるテクノロジーがあり、情報は誰でも簡単に手にとることができます。
    今は、選択肢がたくさんあるからこそ、無駄に考えてしまう。「自分の本当にやりたいことはなんだろう」「自分に向いていることは?」、何が最適解なのか。そもそも最適解を取る必要もあるのか。
    でも、考えても答えなんて出ない。自分に向いているか。自分のやりたいことは何かなんて、やってみないとわからないし、やってみてもわからないことも多いです。そんな中で自分の運命を受け入れ、形から入って、その中から自分らしさを追求していくのだと、改めて思うことが出来ました。もっと事は単純なんだということを短い言葉でこの本を通して伝えてくれているように思います。



    ② 自分が好きなものに出会うことはそれを好きな自分を好きになること

    川崎の20人の殺人事件の話で、犯人は最後に自殺をしてしまうのだが、「一人で死ねばいい」という世論に対して、太田さんが持論を述べています。
    最後にこの犯人は大量に人を殺した後に自分の命を経つ。なんで一人で静かに死なず、沢山の人を殺す必要があったのか。それは自分の命を大切に思えなかったから、だから他人の命も大切に思えなかったのではないか。
    太田さんは高校時代、食べ物の味も感じなくなるほどに、無感動になり、無気力、そしてこのまま死んでしまってもなんとも思わない、そんな時期があったそうです。
    その時に彼に感動する気持ちを宿らせたのは「ピカソ」の作品だったそう。
    それまでも好きなものはあったけれど、本当にそれを好きかどうか自信を持てなかったという。ただ、それが好きな自分に自惚れているだけなのではないかという想いがあったそう。
    だけどピカソの作品に出会った時に、好きなもの、感動するものを感じれる自分を愛していいことに気がついたという。
    私はこの話にすごく共感しました。先日、青森の美術館に行ったんです。私は美術館に行くのが好きです。でもアートだ、歴史だ、ということは全くわからない。だけど、休みの日は何をしているんですか?と聞かれて、「美術館」といえばなんだか大袈裟な感じがしてしまいまが、現代アートの奈良美智の作品を、青森のは空いている美術館で独り占めのようにみられてとっても嬉しかったのは本当です。
    だけど、アート作品はネットで自宅でも見られるし、奈良美智が描いたブスったれた子供の絵を見て喜んでいる私は、奈良美智の作品を見た自分に酔っているだけなのかとつくづく思い、好きだなと思う気持ちに自信を持てずにいました。だって、奈良美智の本質なんて全然わからないし、作品の背景だってなんとなくしかわかっていない。
    ただ、太田さんの本を読んで、「ああ、私は美術館を楽しめる自分が好きなんだ」って開き直っていいんだって思ったら、もっと純粋に作品を楽しむことができました。



      
    ③先生どうにかできませんか?

    「先生どうにかできませんか?」この言葉は、千葉で虐待をされていて亡くなった少女が先生に書いた言葉です。太田さんはこの小学四年生にしては大人びた書き方から、この子の置かれた状況や気持ちを推測しています。
    虐待をしていた両親を人の心のわからないモンスターのように取り上げて罵ることは容易に出来たでしょう。太田さんはそれは誰の心にも起こり得るし、自分の中にもそういう一面もあるかもしれないというところから考え始めます。
    社会で起きたことを、切り取って、「そんなのあり得ないだろう」「私だったら、そうしない」「普通じゃないことが起きた」という言葉で片付けてしまったら、きっとこれからもこういう悲しい事件が起きてしまうだろうと思います。
    これは社会のニュースでも、会社の出来事でも、電車の中でも、自分が同じ状況だったらどうするだろうということ。そこにいろんな思慮が溢れているし、受け取り方と見方によって、その言葉を受け取った誰かを簡単に傷つけてしまうこともできるし、状況を知ろうとする過程でたくさんのことを学ぶこともできる。
    「芸人人語」は爆笑問題 太田光さんの考えていることの一部が垣間見れる本ではあるが、それはラジオでも、番組でも、著書にも見ることができる。そしてそれは一貫している。それが間違っているかもしれないということも前提において、一貫している。

    とても読みやすく、短時間で読むことのできるエッセイになっていて、重くならず、軽く読むことのできる一冊です。

  • この人の社会に対する捉え方や考え。
    彼をテレビで見聞きして思った通りに深掘りで様々な角度を持っているな、と改めて字で読む。
    自分の考えと同意しない部分があったとしても読み進み易くて、個人の相違を超越。
    面白いです。

  • いじめ 笑い

  • テレビの奇天烈な印象とはかけ離れた落ち着いた印象で文章がずっと続く。他の芸人やタレントをいじるのは太田さんの愛ゆえ?
    マジョリティがこうだよって思ってたことに対して、「本当にそうなの?」と入るスタンスも下位見える。

    メモ
    いじりのいじめは切り離せない
    芸人は恥を売っていく覚悟がいる

  • 爆笑問題のラジオが好きで、特にカーボーイは毎週欠かさない。くだらないトークで盛り上がるのも好きだが、太田さんが時折熱くなって話し出す内容に、いつもいつも関心し、「この人は、いったい何なんだろう?」と思っていた。

    じゃあ著書を読めよということで、今回初めて、著書から太田光という人に会ってみた。

    テレビで大学教授に食ってかかる姿とは対照的に、その気持ちや思考は落ち着いていて、覚悟を持って世界を見つめ、挑んでいる。優しさと厳しさと純粋さと哀しさと、いろんなものが混ぜ混ぜの状態だけど、ああこの人は世界や人間を愛しているんだ、と思った。

    カオスな物事、予定調和を壊して混沌とする状態を楽しむ(楽しんでいるように、私は思う)本人の芸質と同様に、その愛は一辺倒の意味はなくカオスなのだけど、私はこの愛の形が大好きだ。

    恋人同士が、良いところだけじゃなく、悪いところ、良い悪いもない混ぜに、ただただ相手の存在を大切に感じ抱きしめていたいと思えることが、ままあるように、太田光という人は、自分が生きている世界と付き合っているし、命を生きている。

    とても面白く、支えになり、刺激され、尊敬する姿だ。

    ニッポンの教養というNHKの番組も大好きだった。あんなふうに、ディベートとは違う、共同登山のような対談を、もっと書籍化して欲しい。知れば知るほど、爆笑問題は面白い。

  • テレビ見ながら太田光って優しい人だなってよく思う。この本にも同様の感想を抱いた。
    計算高いというよりは好奇心に従うままに生きて、ただ相手の立場に立つことを忘れない。Aマッソが大坂なおみの人種差別的ネタでバッシングされたとき、「いじめといじりは同じ」とデリケートで立場上、難しいことを的確にコメントしていたのをよく覚えてる。いじめといじりについては本書でも言及されているが、確かにその通りだと思う。

    "私はサンジャポで続けて「いじめは楽しい」と言い、「笑いはいじめそのもの」と言った。この発言はかなり反発と批判を受けた。"
    "「共感」と「嘲り」は、人間が勝手に感情を分けて作った言葉で、実際の人の感情は言葉通りに分割出来ない。人が笑う時の感情は、それほどわかりやすく説明出来るものではない。(中略)いくつもの感情は別個ではなく、笑う人の心の中に同時に存在している。人間の心は、後から作られた一つの感情を表す言葉だけを感じるなんてことは出来ない。"
    "笑いは善・悪ではない。蔑み、共感する感情だ。残酷で優しい感情だ。"

    僕たちは人を貶め、それを笑うことで多少なりとも生きる歓びを教授している。それは見下すべき卑しい人間などではない。いじめに限らず、凶悪犯罪でもその人は自分の延長線上に存在する。誰だって自分が加害者になった可能性はあると、そう認識するだけで人に優しくできる。(犯罪者を擁護したいのではなく、拒絶こそが問題の根源を闇に葬る)

    彼からは何一つ明確な解答を提案されていない。でも本書からは答えのない、矛盾に満ちた世界を愛し、揺らぎを楽しもうというメッセージを僕は受け取った。

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著者プロフィール

1965年5月13日埼玉県生まれ。1988年、同じ日大芸術学部演劇科だった田中裕二と漫才コンビ爆笑問題を結成。1993年『NHK新人演芸大賞』で、漫才では初めて大賞を受賞。同年、テレビ朝日の『GAHAHAキング爆笑王決定戦』にて10週勝ち抜き初代チャンピオンに。以降、爆笑問題のボケ担当としテレビ・ラジオで活躍。文筆活動も活発に行っている。2020年ギャラクシー賞のラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞。主な著書に『爆笑問題の日本原論』(宝島)『カラス』(小学館)『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)『マボロシの鳥』(新潮社)『憲法九条の「損」と「得」』(扶桑社)など著書多数。2018年4月オムニパス映画『クソ野郎と美しき世界』の中の一遍、草彅剛主演で『光へ、航る』を監督する。

「2020年 『違和感』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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