芸人人語

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.73
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本棚登録 : 368
感想 : 29
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784023319202

作品紹介・あらすじ

芸能人の薬物、新型コロナウイルス、安倍首相退陣、そして菅新首相誕生……話題となった出来事を取り上げながら、「言葉」「表現」「テレビ」について考える。世の中のあらゆる事象は、すべてつながっている。朝日新聞「天声人語」よりも深くて鋭い渾身の作。

感想・レビュー・書評

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  • 芸人人語

    太田光著

    1.言葉
    家庭内虐待で亡くなった女の子の話。
    異常であると気付ける人間はその社会にはおらず、だから自分が所属してる社会でハタから見たら異常なことも、内側の人はその異常さに気づけない。
    事が済んでから、その事象は完全悪だったよね。って違う社会が騒いでも、当事者の社会はその異常さ、悪に気づけないものだ。
    だから自分の価値観は社会に依存せず自分で作っていかなければならない。
    自分が異常だと感じたものに【それは異常である】と意を唱える人間にならなければならない。
    そんな人間達が作る社会でないと、女の子は救えないし、その女の子も助けて欲しいと懇願できる社会だと認識できないだろう。女の子もまた、異常な社会の一員だから。

    2.罪
    ピエール瀧の麻薬逮捕から始まり
    笑いとは常識からスレスレで逸脱した部分を狙う事であるという帰結に持ってくる。
    なんか章の中で言ってる事がたくさんあって統一感がないのがちょっと読みにくいなって思った。
    あと理由はどうあれ、坂本龍一さんの言葉に批判から食ってかかる太田の感じもあんまり好きじゃない。
    確かに、【音楽に罪はない】って言葉は太田さんから見たら単純で思考停止してる表現だ!って思うのかもしれないけど、あくまで太田さんの考えです。ここで目的としているのは、音楽に罪はない、って語呂の良さと目を引くインパクトから読んだ人を魅了し自分の記事を買わせようという記者の思惑やらなんやらが入り混じったものだ。
    ここに真実はいらないし、セリフ言葉一つ一つにこうやって揚げ足を取る様に立ち回る太田さんのこの物言いは、なんか好きじゃない。
    麻薬をやれば面白くなるとか、教科書に載せられない様なもの(悪)だから魅力があるだとか、
    自分から言わせてもらうとそれは2流の笑いで。
    要は人の悪口とか下ネタとか言って手前の笑い取ってるだけの、程度の低い笑いだ。
    しっかり考えて場面ごとに応じたセンテンスを選べば、教科書に載ってる様な内容だけで十分笑いは取れるはずだ。そこには罪も悪も危険もいらない。
    太田さんの笑いはどうや罪や悪を孕む程度のネタらしい。
    ↑何書いても自由よね?!思ったこと書けないならこうやって感想をメモに残す意味もない。

    3.形
    やはり太田さんの文章の書き方はあっちにいったりこっちに行ったりで少々分かりづらい。
    それに時たま入れてくる汚い言葉がただただ汚い言葉として頭に入ってくるので少し不快な気分になる。
    さて自分も疑問に思った。数ある武将が天下一を取り合い、そして時は流れGHQマッカーサーによる統治が始まった後、そして今に至るまで。天皇という形はそれを維持してきた。歴史が流れる中で天皇だけはその形を変えずに来た。
    なぜか。欲を持たないから?ただそこにいるこ自体に意義があるから?
    むー不思議だ。

    4.存在
    5.芸人
    全然違う。見当違いだ。人を傷つけない笑いをとってみろってのはそういう意味じゃない。
    人の失敗を笑わない高尚な人は赤ちゃんが犬にベロベロ舐められて泣くシーンを面白いと思うのだろうって太田さん言ってるけどこれも全然違う。えなんでそういう考えになるのか。
    貧困な想像力って自分で自分のことを蔑むならなぜ貧困な想像力を伸ばそうと思わないのか。貧困な想像力のままあえて勝負しようとする太田さんのその考えは分からん。
    チャップリンって倫理的で高尚な人達が好む笑いなのか?じゃあ自分は間違いなく非倫理的で卑猥な人間だな。正直チャップリンの街の灯りが面白いって言ってる人のきがしれない。あれば映像技術の時代がチャップリンをいらんだだけだ。映像技術が進歩すれば目新しいものはなくなり面白みもなくなる。少なくとも自分は【目新しい】以外にチャップリンの魅力は分からなかった。

    太田さんのいうハイレベルな笑いのセンスを持つ倫理的な人達がこぞって好きな街の灯りに魅力を感じない。もちろん太田さんの人を傷つける笑いにも魅力を感じない。なら自分はどこに属するのか。太田さんのこの5.芸人は、視界が狭い気がする。漏れてる人が多すぎる。

    6.表現
    自分のお金で本を買って。
    そして最後まで読まなかったのはこの本が初めてです。
    人それぞれに好き嫌いがあるように、本に対してもそれが言えるみたいで。
    なんか分からないけど上手く頭に入ってこない文構成に感じてしまう。
    自分の文章読解能力が拙いのが原因なので、この本がダメだとか読みにくいだとかそういうこもを言うつもりはないのだけど。
    だから太田さんの言葉にならっていうなら
    高尚で頭のキレる人が好きなこの本は無能な自分には合わなかったらしい。
    5年後とかにもう一度手に取ってみたい。

  • お笑い芸人、太田光のコラム。エッセイというよりは、コラムだと思う。

    エッセイとコラムの違いって何だろうと思ってたけど、一番これを感じたかも。

    連載してた時期がコロナの流行り始めた時期に直撃したというのもあるが、少し説教臭かった。その割には、内容としてハッとさせられるようなものも少なかった印象。コラムのような形式を取るなら、もっと主張にエッジが効いていてほしい。あんまりマーカーをつけたところがなかった。

    後、話が凄く飛ぶ。編集者よくこれでOK出したな。まぁこれが太田節なのかもだけど。話を戻そう、みたいなフレーズが頻発する。ぺこぱか。

    意外と繊細そうだったのが一番の驚きかな。この感想文もエゴサして読んでそうな気配すらある。

    悪い人ではないし、太田のことを少し好きになれたけど、作家としては自分に合わなかったなー

    以下、良かった箇所

    小林はこの話を書き残した柳田を尊敬するという。民俗学というのは、こういうことを感じる感受性を持たなければ出来ないのだ、と。民俗学だけではない。学問というものは、本来全てを言葉や数字で表すものだが、同時に言葉や数字に出来ないもの、それを感じ取る感性を持たない者は学問など出来ないのだと強く言うのだ。

    太田 光.芸人人語(p.12).朝日新聞出版.Kindle版.
    →いいことば。太田のことばではないけど


    国の芸能は、まさに「形」を継承してきたものだ。

    太田 光.芸人人語(p.33).朝日新聞出版.Kindle版.
    →宗教はことばがありきである、という前置きから。これは気づきがあったいい主張

    安倍総理の、これ以上ないほどの楽しそうなツーショット写真がほじくり返され、「ほら見ろ、やっぱり太田はこの様だ」と、罵られ、現在の私は「権力に弱い元左翼芸人」といった位置づけになっている。不愉快きわまりない。

    太田 光.芸人人語(p.107).朝日新聞出版.Kindle版.
    →意外とこういうの気にするのね。可愛いところある。

  • 太田光の主張は一貫しているのでフォロワーだったら目新しい箇所はさほどない。だがそれは欠点にならず、むしろ通底に存在する一貫性が彼を信用させる一助となる。

    様々なものに影響され、その培われた持論を守る故に視点が限定されがちで、長年追っていた者からすると既知なものになりがちだ。しかし彼は思想を発表する場に恵まれているので、それ以上を求めるのは贅沢であるし、彼の貫き通すコアな部分は侵される可能性はないだろうということに安心を得られる。

    以下メモ

    芸能人として太田光は無責任男を標榜するトリックスターとしての一面と、鋭い視点で積極的に社会問題を切り込むオピニオンリーダーとしての一面があるのではないかと思う。(異論はあるだろうが)

    統一教会を擁護する彼の存在を見て私を含む世間一般の人達は無責任な発言と太田を糾弾し溜飲を下げようとするだろう。ただ普段はくだらないことをいう芸人に過ぎない彼の一面から公人としての責任は微妙に回避することができる

    一方、世間から白い目で見られている信者達にとっては彼をオピニオンリーダーとしての側面から彼の発言によって自身の存在を擁護することが出来る。彼がつくりあげたブランドの賜物だろう。太田の発言に救われ悲惨な道へ進まなかった信者も多いだろうと思う(既に悲惨だと言われれば首肯するしかないが)。

    要するに無責任であることが彼の生命を守り、ブランドでもあることが信者の尊厳を守るのである。この微妙なバランス関係が崩れると、太田や信者にとって不幸な結果をもたらしたのではないだろうか。

    太田が意図的にやっている訳では無いだろう。しかし植木等を尊敬する彼が目指す無責任男としての一面と、自身の経験による自省から少数派への徹底的な擁護を行う一面によって、彼の存在は世間から攻撃を受けるあらゆる人にとって、自然とその世間との緩衝地帯になる可能性を持つことになるのである。恒等関係になっていると言えばいいのか。(気取って意味をよくわかっていない用語を使ってみました)

    反社会的組織の存在を許さないという私たちの意識は、規範的な社会の実現のためには不可欠である。私も統一教会の存在は許し難いと思っている。しかし社会が掬いきれない影の部分を包摂する団体や個人が反社会的であるのは往々にある。
    その存在が奪われた時、虐げられた人達は何をよすがにすればいいのであろうか。

    太田光の存在は拠り所のない現代の多くの人にとって必要不可欠なものとなりつつあるのかもしれない。(大袈裟)

  • 「自己愛」というと、ネガティブなイメージを持つ人が多いと思う。ナルシスト・自己本位・自己中心的など。しかし自己愛を否定してしまうと人は生きていけない。「自己愛」と「自己犠牲」は相反するもののように見えるが実はそうではない。
     自己犠牲の根底には自己愛がある。誰かの為に自分を犠牲にするという行為は、そういう自分でありたい、という美意識から生まれる。自分を好きでいたいという願いが、自分を抑える力になる。他人を犠牲にして生きた自分を、自分はきっと許せない。そんな自分を自分は嫌いになるだろう。その恐れがあるから自分を抑えるのだ。
     何かを好きになるということは、実は自分を好きになるということだ。例えば文学作品に感動した時、人は作品を好きになると同時にその作品に感動出来た自分を好きになる。作品に感動する感性を持つ自分を捨てたもんじゃない、と思える。作品を好きになる前よりも、好きになった後の自分が好きになる。芸術だけじゃない。人を好きになることもそうだ。若い人達の恋愛でもそうだろう。「この人を好きになった自分」を誇らしく思うからこそ、誇りを与えてくれた相手を好きになる。自分だけが気づいた相手の魅力なども自分を好きになる要素になる。相手の魅力に気づけた自分はまんざらでもないと思えるのだ。ましてや好きになった相手が自分を好きになってくれたら、自分は、その人が好きになる程の自分だったのかと、誇らしくなり、また自分を好きになる。
     片思いでも同じだ。「男はつらいよ」の寅さんは好きになったマドンナを必ず楽しませる。相手が笑うと自分を誇らしく思い、更に笑わせようとする。映画の後半では必ずマドンナが別の人を好きだとわかる。この時重要なのが自己愛だ。寅さんは自分が相手に惚れているということを微塵も悟られないようにふるまう。観客も、「くるまや」の人々も、マドンナ以外は皆わかるのだが、意地でもマドンナにはわからせない。マドンナが好きな男とうまくいくように取りもったりもする。最後はふられて旅に出る。その時寅さんの心にあるのは、「自分の大切な人の幸福を、自分が関わらないことによって守った」という誇りだ。マドンナの幸福を喜べる自分でありたいという願いだ。この自己愛があるからこそ、寅さんは堂々と胸を張って、再び人を好きにあり、次の恋が出来る。

  • 太田さんのエッセイ。というかエッセイと呼ぶには硬い。コロナ禍のところまできて読むのを辞めたが、いろんな意味でこの本は硬い、という印象を持った。

    一番の読みどころは、笑いといじめについて書いた箇所だろう。芸人として笑いと向き合い続けている自負を感じた。確かに笑いに含まれる感情は一つじゃない。というか、感情を言葉で表現すること自体に無理がある。もっともだと思う。それは笑い以外についてもそうだろう。

    橋下徹をどう思っているのか、という点も興味深かった。私は全く否定的な印象だが、それはマスメディアを通した情報しか知らないからなのか。それとも太田さんの偏りなのか。私の偏りなのか。意見がかみ合わなくても人として信頼する、というのは、わかるようなわからないような話だ。対立する箇所によっては、人間関係を続けられない気がしてしまう。

    ただ、太田さんは自分と対立する人間であっても、関わりを絶たない、対話を続ける人なんだろう。言葉をおもしろがる才能に長けていると言えるし、言語マッチョだとも言える気がする。桜を観る会への参加も、そういうことなんだろうと思う。私は疲れるからそのへんは無理だ。

  • 太田さんの著作はこれが初めて。

    良かった点をたくさん書いて締めたいので、良くない点を先に書くと、まず、本の後半がコロナの話題ばっかで結構飽きる。

    そもそもこの本は2019年から2020年の期間で月一連載のエッセイを書籍化したもの。なので、半分過ぎたあたりからコロナの話題が始まるのだが、途中からこの話題一辺倒になる。本人も話題にするの辞めたいけど触れないのも違うとしてるし、且つ、月一連載なので新型コロナの状況にも多少の変化があるため触れられなくもないみたいなニュアンスがあるから仕方がない。この煮えきれなさみたいなものが、文の熱量として直に伝わってくる。ゆえにキレ味も少し悪い。これが一つ目。

    そして二つ目が、全体的に政治に触れた箇所は内容が薄いと感じた点だ。視点は面白いなと思うものの、揚げ足取りが多いなと思うことが多々あった。悪かった点は以上だ。

    良かった点はとても多い。これは厳密に本の評価ではなく太田光に発見したことと前置きしたいが、一つ目は、やはり引き出しが多くて話として面白いこと。

    毒のない優しいお笑いを求める人種が好むチャップリンを、代表作「街の灯」から設定や話のディテールを元に、チャンプリンの笑いに毒がないなんてとんでもないと言い、その他萩本欽一のコント55号や、はじめてのおつかい等の具体例を挙げ、論理を展開していく様は痛快だ。ここまでバラエティ豊かな引き出しを持つ人は、芸人で他に見たことがない。

    二つ目に、タブーを言葉にする努力を常にしている真摯な姿勢。

    太田さんは世間の顰蹙を買ってしまうキャラだ。しかし、ワイドショーに目をやると、世間の反応を意識し、自分のイデオロギーを曲げてでも迎合主義なコメントを徹するコメンテーターのなんと多いことだろう。太田さんは反論されることをよくも悪くも恐れておらず、本書では自分の考えを形にする気概にあふれていて、私はそういった姿勢を買いたい。

    三つ目に根っこにある優しさが感じられたこと。

    教師のいじめ問題に触れた記事は、この加害が本質的に誰にでも起こりえる現象であることを指摘していて、そういった言及も本当に色んな人が誤解し、一定数「そんなわけがないだろう」と太田さんを馬鹿扱いするだろうし、今までもされてきたと思うけれど、これをこのポジションにいる人が言ってくれることに視野の広さを感じる。なんと優しくていじらしいオッサンなんだろうと思う。

    芸人人語はまだまだ連載が続いてるようなので、2021年の選挙特番でのやらかしの解説を期待し、次巻も読みたいと思う。

  • 何事にも一家言ある著者。
    ちょうど、コロナ禍の真っ只中の頃のエッセイ。
    小泉元首相、やっぱ変人ぽい。思い込みで知り合いにように話しかけること多しみたい。
    安倍元首相のことにもいっぱい触れていた。
    今回の暗殺には驚いただろうな。

  • 太田光のコラム集
    ちょうどコロナが始まる前からのことで世の中の事件とも絡み合ってて読み応えあった
    そして知らなかった本や人物を紹介していていい

  • やっぱり好き。久しぶりに文章を読んだけれど、ちゃんとわかっていて嫌われそうなこと言ったりしたりするのだな。 時事ネタなので後半はほとんどコロナだけれど、どうしてこんなことになってしまったのか…悔しいしかない。 色んなこと、終わったこととして考えられるように早くなってほしい。

  • 前半は氏らしさが文面に出ていて、まるで漫才のネタを読んでいるように面白い。特に爆笑問題の漫才が好きな人にはおすすめ。後半は同じような内容で飽きが出た。

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著者プロフィール

一九六五年埼玉県生まれ。八八年に田中裕二と「爆笑問題」を結成。二〇一〇年初めての小説『マボロシの鳥』を上梓。そのほかの著書に『違和感』『芸人人語』『笑って人類!』などがある。

「2023年 『文明の子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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