あの庭の扉をあけたとき

著者 :
  • 偕成社
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本棚登録 : 73
レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (162ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784036430505

感想・レビュー・書評

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  • やっぱり佐野洋子さんはただものではない。

    一言でいうと、近所のおばあさんと5さいの私の交流。

    でもこのおばあさんというのが、なかなかでして。
    「おばあさん」というと、その言葉がまとう、
    ある種の柔らかみやら甘さのイメージを裏切る、
    とんでもない強情もの、ばさばさとドライ。
    でありながら、瑞々しい感性。

    「私」が垣間みるおばあさんの子どもの頃の峻烈なエピソードは、
    読者の脳裏にも同様に鮮やかなイメージとなって残る。

    5さいの私も可愛らしくなんかなくて、
    父親との会話がなんともいい。

    ラストはちょっと蛇足な気もするが、
    平明な言葉で描かれた深い児童文学。

    装丁、フォントをもうちょっと工夫すれば、
    小学生の手に取る本になると思うと、
    すこし惜しい気がする。

    本に携わる人が丁寧に紹介すると
    子どもに読んでもらえると思う。

  • 直接顔をあわせると、言えないことってあるよね。

    強情というのも、相手によるようです。
    すくなくとも、女の子はおとうさんに対しては強情ではない。

    女の子が強情なのは、おばあさんに対してだけです。
    怖いなんていわない。
    寂しいなんていわない。
    会いたいなんていわない。
    なぜ素直になれないのか。
    女同士だから?

    でも、女の子が一番分かり合えたのも、やはりおばあさん。


    佐野洋子さんの作品の、女性と女性の関係は、年齢に関わらず、一筋縄ではいかないみたい。

  • 「わたしは七十になったけど、七十だけってわけじゃないんだね。生まれてから七十までの年を全部持っているんだよ。」-『あの庭の扉をあけたとき』

    ああ、この話は、無防備に読んではいけません
    何故なら昔をどうしても、思い出してしまうから

    庭があって
    柿の木があって栗の木があって
    柘榴も梅の木もあって
    春は松明で八重桜の毛虫をじりじり燃やして
    秋は枯葉をぼんぼん燃やして焚き火して
    栗を焼いて芋を焼いて
    柿の木のてっぺんまで登ったら町中が見えて
    遠くに消防署のやぐらも見えて
    枝が折れて地面に落ちて息ができなくなって

    近所の家にお風呂をもらいに行ったこと
    上棟式にお菓子を拾いに行ったこと
    夏は雨戸を開けて夜風を入れて寝たこと
    風邪をひいてストーブの上の盥の蒸気を喉にあてたこと
    子犬を拾って育てたこと
    螳螂の卵が孵化したこと

    自転車の練習をした砂利道
    凧を上げに行った高台
    好きな子の家の近くを通るときの自分
    誰もいない家に帰って鍵を明ける自分
    何故だかみんな、白黒写真になって

    忘れたわけではないんだな
    忘れるはずがないんだな

  • 「庭」は人間が自分たちの住空間に取り込んだ、自然という異界の一部。「扉」はある空間とある空間を隔て、同時につなげる存在。どちらもファンタジーやSFの格好の題材であり、これらを扱った秀作は数多い。そんなふたつの題材を佐野洋子という個性的な書き手がファンタジーに仕上げたら、どんな話になるのだろうか。そんな興味から本書を手に取ってみた。
    五歳の「わたし」が父との散歩中に見つけた廃虚のような洋館。そこに越してきた偏屈者のおばあさんは、あっという間に館を花屋敷に変える。やがてジフテリアで入院した「わたし」は病院で謎めいた女の子に出会う。女の子は「わたし」を連れて不思議な美しい庭を抜け、扉を通り、とある部屋に出る。そこで「わたし」は、一人の人物の記憶の中にある情景を垣間見ることになる。それは人一倍強情っぱりな少女と少年との、愛の物語の断片でもあった。
    強情である、ということがこの話の主要人物たちの共通項である。「わたし」も「おばあさん」も、少女と少年も。融通の利かない世渡り下手ではあるかもしれないが、強情者の強みは、一度守ると決めたものは徹底的に守り通すことだ。そのすがすがしさが、「おばあさん」の咲かせるバラの香りのように物語を包む。謎の女の子の正体はすぐにわかるし、庭を媒介として一人の人間の現在と過去の姿に邂逅する、という設定も新しくはない。味わうべきは強情賛歌とでもいうべき文章の詩的なリズム、そして肩肘張った登場人物たちの、それゆえに愛おしい生き方だろう。一人の人間の中に記憶という形で生き続ける様々な時間。他人の目には見えないその時間の積み重ねが自我を作る。その自我が周囲の環境を作る。強情っぱりの作った庭は意地が通ってさぞ見事だろう。我が家の庭のバラはきっと彼らに「貧相」とくさされるだろうなあ、と想像逞しくして苦笑いしてしまった。そんな現実味が、佐野洋子作品の魅力でもある。
    併録の『金色の赤ちゃん』は、奇異な外見をし、知的障害もある「とも子ちゃん」と「わたし」がふとしたことから魂を触れ合わせる物語。二人が見た「金色」は幻想なのか、存在の本質の色なのか。印象に残る短篇だった。

  • 2014 6/15

  • 幼少の思い出話が物語みたいになってるのには弱いのだ

  • やはり佐野さんはちょと変わってる。
    そう思った一冊。
    主人公ようこちゃんは佐野さんのようです。

    お父さんと散歩していると大きなお屋敷の庭におばあさんがいました。
    すごく強情で無愛想なおばあさん。
    ジフテリアにかかり入院したようこが見た夢とおばあさんのむかしが繋がって、ようこは不思議な体験をします。
    悲しかったおばあさんの過去、不思議な体験が気持ち悪くて怖かったようこは
    13歳になってやっとおばあさんに会いに行きます。


    乱暴だなあと笑ってしまう言葉遣いがあるので、大人は心配するかもしれない。

    そしてなんとなく、これは大人が読んだほうがよいような気がする。
    言葉遣い云々とかはさておき、昔子どもだった人のための物語と思う。
    対象は児童だが一般向きだ。

  • きょう借りてきて先ほど読了。佐野洋子さんの読み物ははじめてかな。
    空白の部分の空気感が、すごいなぁと思う。ぎゅぎゅっとつまっているわけではなくて、でもただよっている何かはあって。どうでもいいなかからことばになったものが文になっていて、それはほかのことばでもよかったのかもしれないけど、やっぱりそれでなくてはならなかったんだろうな。ほかのシーンを描いてもよかった。ほかの話題を選んでもよかった。でもこのひとつひとつを選ばなければ、このおはなしにはならなかった。
    一貫した強情っぷりと、突き抜けた爽やかさをともに感じる。

  • おばあさんと女の子の不思議な話。
    おばあさんの70歳になったけど私は70歳だけでなくてその時々の私をもっているという台詞がとても印象的でした。そう考えると年をとるのも悪くないなって思いました。

  • わたしは、70になったけれど、70だけってわけじゃないんだね。

    70までの全部の歳をもっているんだ。


    歳を重ねるって、、変わり続けるというよりも、そういう色んな

    自分を抱えているということだよなぁ、、はっとしました。

    すっと異世界に連れて行かれているのに、既視感のようなものが

    あって、臨場感のある描写。佐野さんの本は読み終わっても

    何かが心に残っていくなぁと思います

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プロフィール

1938年北京生まれ。絵本作家・エッセイスト。絵本作品に、『おじさんのかさ』『100万回生きたねこ』、エッセイ作品に、『神も仏もありませぬ』『シズコさん』『役にたたない日々』等。2010年11月逝去。

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