ガラスの家族 (偕成社文庫)

制作 : 山野辺 進  Katherine Paterson  岡本 浜江 
  • 偕成社 (1989年6月1日発売)
3.50
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  • レビュー :4
  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784036516704

ガラスの家族 (偕成社文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 少女ギリーが里親と血縁の家族との間で揺れ動く。
    ギリーの本名はガラドリエル。

  • きのう読み始めてきのう読了。パターソンは三冊目?
    読んだことのある二冊がどちらも、終盤にかけてまではしっかりどっしり描き込まれているのにラストが肩透かし、という感じだったので、今回もそうかと思って読み始めたら、どちらかというと逆パターンな気がしたのがちょっと意外。ギリーが案外あっさりトロッターさんたちになじんでしまって拍子抜けな展開の割に、ラストのシビアさは効いていた。途中かラスト、どちらかに希望が描かれていればいいってことかしら。
    ただ、愛情オチは個人的にはうーんというところ。トロッターさんを善人に仕立て上げたぶん、急登場の祖母とギリーの関係がやや雑になった印象。初対面に等しいのに血縁だけで「家族」とされることへの懐疑はわかるけれど、だからといって祖母とギリーの関係が初対面の頃のままというわけでもなかろうにと思う。トロッターさんへの「愛情」を強調して終わることは、そこから引き裂かれて祖母のもとに残ることが、今後も「つらい仕事」にしかならないだろうことも強調する気がする。でも、疑うべきはむしろその「愛情」の由来なのじゃないかしら。

  • 元同僚さんにオススメされて、『ガラスの家族』ってパターソンの本やなー、むかし読んだ気がするなーと思いながら借りてきた。表紙にもみおぼえがある。私はいつもこの横顔をちょっとコワイと思っていた。

    どんな話やったっけと読みはじめてみたら、物語をほとんどまったくおぼえていなかった。まるで初めて読むようだった。

    里親のもとを転々としてきたギリー、11歳。3年たらずのうちに、こんど預けられる里親は3軒め。どこへ行っても、自分が主導権を握っている限りはがまんできるギリー。里親も、転校先の学校の先生も、自分がどうにでもできると思えるうちは。心の支えは、お母さんがきっと迎えにくるという希望。お母さんの写真のすみに書かれている「いつも愛しています」という言葉。

    新しく預けられたトロッターさんは、でぶでぶ。こんなサーカスの見せ物みたいな人のところへつれてこなくても、と思うギリー。トロッターさんちには、もうひとり先に預けられている里子のウィリアム=アーネストがいた。どうみても脳みそが足りてるとは思えない子。その日の夕食の支度のときから、ギリーは「そんなつもりじゃない」と何度か言いたくなる。なんとかまるめこめると思った相手が、手強い。おまけに、夕食には隣家の黒人、全盲のランドルフさんまでやってくる。

    なんとかしてお母さんの居所をみつけて、私はこんなはきだめにいると伝えなければ。このかわいいギリーを迎えにくるように手紙を書かなければ。こんなところにいたら、自分はだめになってしまう。強い人間にならなければ、そうでないとまるめこまれてしまう。

    ギリーの望みは、ここから去ること。そしてお母さん、コートニー=ラザフォード=ホプキンズに会うこと。そのためにはお金が必要だ。学校でもトロッターさんちでも、まるめこまれないように突っぱりながら、ギリーは機会をうかがう。

    ひょんなことから、隣のランドルフさんの本棚につっこまれているお金をみつけたギリーは、本棚を整理すると言ってランドルフさんの本棚あさりに成功する。けれど、見つかったお金はとても足りない。そのお金に、トロッターさんが受けとった福祉事務所からの小切手を盗んで足して、ギリーは長距離バスの切符を買う。これでお母さんに会える。お母さんは私を迎えてくれる。

    もう少しで、もう少しでバスに乗れるはずだったのに、ギリーの前にあらわれたのは警察官。そして、トロッターさんが駆けつけ、ウィリアム=アーネストも入ってきて「帰ろうよ、ギリー。おねがいだから、帰って。おねがい、おねがい!」と叫ぶ。

    トロッターさんちに帰ったギリーは、ウィリアム=アーネストと長い時間を過ごすことにした。そしていろんなことに気づく。トロッターさんが、少しでもこの子を動揺させないようにとそばを歩くときは忍び足になり、誰かがからかうとどやしつけるわけも分かってくる。

    でも、それではだめだ。ウィリアム=アーネストはもっと強くならなかったら、トロッターさんがそばにいて世話をやいてくれないときは、どうなってしまうだろう?「一生いじめられてていいの?」「けんかのやり方、おしえてあげるわよ」

    自分で自分の身をまもることをおしえるには、ギリーはドンピシャの先生だ。たったひとりで男の子6人やっつけたことだってある。「人をいじめることを、おしえてるんじゃないのよ」「ただ、自分のまもり方よ。」「ほんとうのお母さんだって、一生子どもを見まもってるわけにはいかないのよ。」

    ギリーがとうの昔にお母さんに書いた手紙が、まわりまわって、祖母だという人がギリーを迎えにきた。こんなところからつれだしてあげるとやってきた。けれどそのとき、ギリーはこう思っていた。

    ▼だれもあたしをここからつれだしたり、できるものか。だれもかれもが、これほどあたしを必要としているというときに。おまけに――トロッターさんがつれていかせないにきまっている。「だめ」とこのまえもいったじゃないか。(p.208)

    ウィリアム=アーネストに身のまもり方をおしえたギリー。ランドルフさんが罹ったインフルエンザが、トロッターさんやウィリアム=アーネストにうつり、アスピリンを飲ませ、着替えさせ、食べさせ、3人の看病をしてへとへとになっていたギリー。祖母だという人があらわれたのはそんなときだった。

    ここを去ることを希望にしていたはずのギリーは、もう同じギリーではなくなっていた。けれど、身内が迎えにきたからには、去らなければならないのだった。祖母のところで暮らしはじめたギリーが、やっとお母さんのコートニーに会えたときに分かったこと。

    ▼コートニーは、自分からすすんできたのではなかったのだ。おばあちゃまがお金をだして、こさせたのだ。だから長くいるつもりもない。ギリーをつれて帰るつもりもないのだ。写真のすみにあった「いつも愛しています」は、うそだったのだ。ギリーはこのいまいましいうそのために、一生を棒にふってしまった。(p.263)

    そのことを知ったギリーが電話をかけて話す相手は、トロッターさんだった。

    11歳のギリーの強さと、つらさ。ずっとずっと、じきにいなくなってしまうようなところに愛着を持ったら損だとギリーは思っていた。でも、ギリーはトロッターさんちへ来て、おかしくなってしまった。わたしは、あの人たちを愛していた。そして、あの人たちはあたしを愛していた。

    この偕成社文庫版は1989年に出ているが、原著は1979年、偕成社の単行本で訳本が出たのは1984年だった。その当時はこういう見方がふつうのことだったのか?とも思うが、あとがきにこんなことが書いてある。

    ▼里親とは、継父母や養父母ともちがい、子供が成人するまでの間だけ、あずかって育てる親のことをいいます。日本や中国など東洋諸国では、なぜか個人に子供をあずけるとすぐ養子縁組の話になってしまうので、施設にあずけるほうがいいとかんがえられるようです。けれど、アメリカでは子供は社会の子という考え方をするせいか、里親家庭が大へん多く、15、6万世帯はあるそうです。日本ではわずか3千世帯ですから、けたちがいの多さといえましょう。(pp.269-270)

    (この訳者あとがきによる里親とは、日本の制度でいう「養育里親」のことのようだ)

    (10/8了)

  • 里親とか、里子の関係は、こんなにスムーズか?と少し批判的に読む場面も少しあった。 ただ、里親のトロッターさんの深い大きい愛には感動した。人が本当に改心するには、どんな過ちをしても、その人をどこまでも信じぬくおおきな愛をくれる存在が必要だと知った。

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