源平の風 (白狐魔記 1)

著者 :
  • 偕成社
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本棚登録 : 491
レビュー : 71
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784037442101

感想・レビュー・書評

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  • 母ぎつねから独り立ちしたきつねが主人公のお話。
    このきつね、他のきつねと違ったのは、とても耳が良かったということ。
    風の音や木々の立てる音、あらゆる音を聞き分ける優れた耳を持ったきつねは、やがて人間の言葉を聞き分けることができるようになります。
    そしてこのきつねがもう一つ変わっていたのは、人のそばで暮らすと決めたこと。
    人間に姿を見せないように注意しながらも、人里の近くに暮らし、人間の生活を垣間見て、人間に思いを寄せていきます。
    ある時きつねは、子どもたちに話す和尚さんの話から、北の山の仙人のところで修業をすると、きつねは人間に化けることが出来るようになるという話を聞きますが…。


    とても面白かったです。
    歴史が絡むお話は切なくなってしまうことが多いような気がして少し身構えてしまいますが、このお話は、切ないながらも、人間を見つめるきつねの目線がフラットで、それでいてどこか温かで、読み手も感情的になりすぎず、俯瞰した視点から、歴史のうねりや人間の生死を見つめることができました。
    1巻のタイトルが『源平の風』ということで、源平合戦の頃の史実に基づき(多分)話が進んでゆき、途中で源義経一行ときつねの時間軸が重なります。タイトルからして、もっとがっつりと義経と絡んでゆくのかなぁと想像していたのですが、きつねと義経との冒険譚!という訳ではなく、きつねの生きている線上に、一時、義経たちの生が重なるというイメージで、その描かれ方がまたとてもよいと思いました。
    そして、このきつねの性格というか、語り口が、淡々としているのだけれど、肝は押さえているといった感じで、きつねと一緒になって人間について、生について考えさせられ、ハッとさせらる場面が多々ありました。
    どうして人間は、自分が生きるためでなく、他の人間の命を奪うのか。
    合戦を見てきつねが思ったことは、現在の私たちにも等しく突き刺さります。
    けれど、ただ、生きるために、食べるためだけに殺すだけではいられないことを、きつね自身が身を以て経験していく様は、きれいごとではいられない生というものの罪深さを思い出させます。
    猟師との場面では、宮沢賢治の作品を想起しました。
    場面場面が明確に頭に思い描かれる描写は、分かりやすく読みやすいです。
    淡々とした文章であるのに、きつねの言葉がいくつも心に留まりました。
    大人の人におすすめかもしれないです。

    白駒山の仙人の存在はとても不思議。既存の仙人像とは一味違い、漫画にでも出てきそうなキャラクターです。仙人とのやりとりでは、きつねの性格も浮き彫りになり、ちょっと楽しいです。

    次巻以降も楽しみです。

  • 源平合戦に白狐が入ってきて、おもしろい視点から進めている。もしもあのとき、なるほどと、歴史を楽しみながら読み進められた。こどもたちにぜひとも読んで欲しい一冊だ。

  • 小学生高学年向けの本と侮るなかれ。
    化身の術を仙人の元で学び、人に化けることが出来るようになった狐から見た歴史物語。
    中でも、修行修行と息巻く狐と、やったら自然体な仙人とのやりとりは秀逸。
    さあ、続きも読むぞ。

  • 面白かった。上の子供達が自分たちですでに読んでいたのだが、僕は読み聞かせもしたことも読んだこともなかった。今回、小学3年の子の読み聞かせに使うことにした。僕としては、日本の歴史に親しんでもらえたら、という下心も。

    この一巻は物語を始める準備の部分に大半が割かれた結果、「源平」の部分は少なくなってしまっていて、やむをえないのだがもったいない感じがする。

    イッパイアッテナでも西遊記でもいつも僕は思っていることだけれど、やっぱり斎藤洋は仁義みたいなものがいつも書きたいんだなあと思う。白狐魔丸は武士が嫌いだ嫌いだと言うけれど、結局のところここで格好よく描きたいものの一部は、武士の生き様だったりするのではないか。白狐魔丸の武士嫌いはどんな役割を持っているのだろう。これから読み進めばもっとわかるのかもしれない。

    修行がおしつけられるものでなく、自分で求めるもの、というのもひとつのメッセージだったのかもしれない。白狐魔丸が非常に勤勉。イッパイアッテナを思い出す。

    うちの小学3年も本シリーズはとても喜んでいる。ただ、彼の感覚からすると一部分、残酷に感じたようだった。だからいけないというほどではないが、僕としては意外に感じた。

  • めっちゃおもしろかったーーー!!きつねが人間の考えてることに興味を持ってるのもおもしろいし、その後出会う仙人も楽しいひとだし、ファンタジーなんだけど本当にあるかもしれないって思わせてくれるのがすごいなあと思いました。1巻は半分くらいが人間の姿になれるまでだったのでもっと義経のはなしを読んでいたいなっていう気持ちになりました!でも義経のところをしっかり史実にそってやってくれて、読んでてすごい楽しかったー!続きも読みたい!

  • 斉藤洋はおもしろい

    続きが読みたい

  • 仙人がいい感じ。ひょうひょうとしているなあ。
    滝に打たれたければ打たれるがいいさ。というのもなんとも。
    安易に正しさを教え導く存在でないところにおもしろみを感じる。

  • さほど期待しないで読み始めたんだけど、これがなかなか面白い!(笑)  人間という動物がどんな生き物なのかを狐目線で語ってくれちゃうというあたりが、なかなかいいなぁと思うんですよね。

    「狐が人を化かす」とか「霊験あらたかな白狐」といった日本人が古来から大切にしてきた伝承をベースにしつつ、そこに源平合戦の「鵯越え」のシーンを挿入(しかもそれをあからさまには書いていない)してみたり、「義経千本桜」という歌舞伎演目に登場する「狐忠信」をいやでも思い出しちゃう「キツネと佐藤忠信の友情(?)物語」が描かれたりと遊び心も満載です。

    この第1巻では巣立ち(独り立ち)を始めたばかりのフツーのキツネがどんな風に「人に化身できるようなフツーではないキツネ」になったのかにもかなりページを割いていて、その過程で人間の言葉を解するようになったり、人間に「狩られるもの」として追われたりと様々な経験をするんだけど、その一つ一つの経験の中でキツネが考えたり感じたりすることが実に「それらしくて」いいんですよね~。 



    かなり面白いのがキツネが白駒山でとある仙人と出会い修行に励む(?)日々の描写の部分です。  「人間を理解するために人間に化けられる狐になりたい!」という一途な思いでやる気満々のキツネをこの仙人が茶化したり冷やかしたりするんですよ。  でも決してキツネをバカにしているわけではなくて、そこにはキツネの想いを真正面から受け止めている懐の深さがあります。  人里で聞いたお坊さんの説教から「人間に化けられる狐になるためには人智を超えたような修行が必要」と思い込んでいる狐に対し、この仙人は

    「ぼうずのようなきつねだな、お前は。  こんなところにくるより、寺にでも行った方がよかったのではないか?  とは言え、この頃では、したい放題、やりたい放題の坊主が多い。  お前のような真面目な狐に来られては、坊主も迷惑するだろう。」

    などとのたまい、「修行第一とそれを誇るようなヤツは厳しい修行を経たという自己満足に浸っているにすぎない」とバッサリ・・・・。  ことあるごとに「修行」というキツネを仙人は「坊主のようなヤツだ」と笑うんだけど、ちゃんとキツネの望みどおり、化身できるように導いてゆき、最後は「白狐魔丸」という立派な(?)名前まで授けてくれます。

    この第1巻では修行の末にようやく自力で人に化けられるようになった狐だけど、最後のクライマックス・シーンまで、どうしても尻尾だけは消すこと(空にすること)ができずにいます。  その話が何気に説得力があると思うんですよね。  

    「狐の前足が人間の手に、後ろ足が足に、胴体が人間の胴体に、毛は着物に、そして頭と顔が人間の頭と顔に、それぞれ化身させることは、うまくできるものなのだ。  だが、尾はどうだ。  尾は何に変わるのだ?」

    そしてこの問いの後、仙人が語ることは日本の宗教観の中ではか☆な☆り重要な「空」とか「無」という言葉で、「それがわかるには、お前(狐)はまだ若すぎる。」と言うんだけど、これってキツネに語っているのと同時に読者である子供たちにも語っていると思えちゃうわけです。  で、禅問答みたいな「空」や「無」の講釈の後、又仙人は言うんですよ。

    「ほら、おまえの好きな言葉があったろう。  修行と言う言葉。  お前は修行が好きなのだから、尾が『空』に変わるように修行してみたらどうだ。」

    などと仰います。  この緩急の付け方が実に素晴らしいなぁと感じました。

    ふとしたきっかけで義経の都落ち一行と出会った白狐魔丸は多くの疑問を感じます。

    平家を滅ぼしたと言われる大将でも平家を皆殺しにしたわけではなさそうだ。  人間の、それも武士と呼ばれる人々がする戦とはいったい何なんだろう??

    兄弟に追われるとはどういうことなんだろう??  そんな人間の兄弟と言うものはどういうものなんだろう??

    人殺しを平気でやった武士が、落ちのびる過程で騎馬を放ち、「長生きしろ」などと言うのは、どうしてだろう??

    忠信の兄は屋島の合戦で義経の身代わりになって死んだという。  主人の身代わりになって死ぬのが、どうして幸せなんだろう??

    思い起こせば、子供時代に KiKi は白狐魔丸と同じような疑問を感じたことがありました。  そして、未だにこれらの疑問に上手く答えられる自信はないんだけど、そうであるだけに知らず知らずのうちに白狐魔丸の気持ちを我が物としていることに気が付かされました。  

    忠信の首を賞金稼ぎの山伏どもから守り抜こうとする白狐魔丸の想いは「人間とは摩訶不思議な生き物よ」と考えていたキツネのものではなく、人間、それも武士っぽくなってきているように感じられます。  そして忠信の遺志を受け継ぎ、義経に偽装して賞金稼ぎどもを翻弄しているうちに、白狐魔丸は「尾を空に化身させること」ができるようになります。

    まだまだ「霊験あらたかな白ぎつね」白狐魔丸としての人生(狐生?)は始まったばかりです。  彼がどんな風に「人間とは○○な生き物だ」という結論にたどり着くのか、興味は尽きません。  これは次作も楽しみな1冊だと感じました。  そのためにも今回、間違えて借りてきちゃった第3巻「洛中の火」に行く前に第2巻「蒙古の波」を読んでみたいものです。

  • 修行して人に化けることができるようになった狐が主人公の話
    狐が人間に興味を持ち、何故人は殺し合いをするのか?などと疑問を抱く
    狐視点で語られる、人間というのが面白い
    子供向けだが大人でも楽しめた
    シリーズもののようなので、次も読みたい

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著者プロフィール

1952年、東京都生まれ。中央大学大学院文学研究科修了。1986年、『ルドルフとイッパイアッテナ』で講談社児童文学新人賞受賞、同作でデビュー。1988年、『ルドルフともだちひとりだち』で野間児童文芸新人賞受賞。1991年、路傍の石幼少年文学賞受賞。「どうわがいっぱい」シリーズの作品に、「もぐら」シリーズ、「ペンギン」シリーズ、「ひとりざむらい」シリーズ、「かんたんせんせい」シリーズがある。

「2020年 『まちのおばけずかん マンホールマン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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