ケストナー: ナチスに抵抗し続けた作家

  • 偕成社
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  • Amazon.co.jp ・本 (403ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784038142000

作品紹介・あらすじ

若い世代にとって、ケストナーは、もはや社会ロマン派の作家であり、児童文学作家にすぎなかった。彼らには、なぜケストナーがナチスに禁じられたのか、わからなかった。ケストナーの全体像は、学校でも家庭でも、教えられることはなかったのだ。今日のケストナーといえば、児童文学作家としてしか確立された地位を得ていない。だが、それだけでは、今世紀最大の時事評論家として活躍してきたケストナーに対する、十分な評価とはいえないだろう。激動の時代を生きのびて、人々に自由と平和の意味を訴え続けた、作家の生き方。ドイツ児童文学賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • (以下、本文抜粋)
    かの国に自由は実らず とわの未熟の青なりせば
    かの国に人がなにを建てるも そはすべて兵舎となれり
    きみ知るや、大砲の花咲く国を きみ知らずや、やがて知るべし

    ヴァイマルの共和制の誕生によってもたらされた自由な光は、政治よりも文化の上により強く輝いたのかもしれない。

    「黄金の二〇年代」(一九二〇年代のベルリンを指す)

    〈(あのころは)正直な意見は尊重されたね。才能のある者は認められた。必要とあれば、おたがいに傷つけあいもした。けれども、そのゲームの規則だけは、きちんと守られていたんだ〉(「友人ツックへの手紙」)

    この時代は死にかけている もうすぐ埋葬されるだろう
    東では、もう棺を組み立てはじめた
    きみたちは、そこで楽しむんだって?
    墓地は遊園地じゃないんだよ

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      この本は読みたいと、前々から思っているうだけど、、、スヴェン・ハヌシェク「エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家の生涯」、日本人が書いた「エ...
      この本は読みたいと、前々から思っているうだけど、、、スヴェン・ハヌシェク「エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家の生涯」、日本人が書いた「エーリヒ・ケストナー―こわれた時代のゆがんだ鏡」も。。。
      2012/04/13

  • ケストナーの生涯と足跡について、出来事や作品、彼自身の言葉を追いながらドイツ史を背景に詳しく記されている。いや、研究し尽くされている。

    とくに、ナチス政権発足から第二次世界大戦、そして敗戦後まで続く祖国との闘いについては必然、かなりのボリュームで読み応えずっしり・・・

    ケストナーがどれほど強い平和への願いを持ち続けていたか。
    警鐘を鳴らし続けることが如何に勇気の要る事だったか。
    しかも、愛とユーモアにくるんで。

    その信念と、人々に対しての命懸けの愛情に心がふるえ、畏れ多いながらも受け止めなくては!という使命感すら感じた。

    また、秘書のメヒニヒ、生涯の恋人ルイーゼロッテ、親友オーザー、挿絵画家のトリヤーほか、ケストナーを取り巻く人々も魅力的で、彼ら彼女らとのエピソードもまるで小説のようだった。

  • ・子供向きかと思ったら一般向けで驚いた(県図の子ども書架にあったので)
    ・ケストナーが母の不倫の子(父はユダヤ系医師)だったことや愛人のことも詳しく書かれている
    ・副題にあるようにナチス=ドイツ時代のケストナーに紙幅が割かれていてとても読み応えがある
    ・脚注も充実している
    ・ケストナーの伝記としてはもちろん,ナチス時代の知識人の記録としても良書

  • 飛ぶ教室のケストナー。
    生涯を知ったのは初めて。
    ナチス時代にベルリンに留まったのは、今の日本に留まっている僕も勇気づけてくれる。
    僕には何ができるだろう。
    何が書けるだろうか。

  • とても興味深く読んだ。
    児童文学作家としてのケストナーさんしか知らなかった。

    階級社会にあり、革職人だった父は産業革命以降時代の波に飲まれ、稼ぎも乏しい。だが、エーリヒのために自ら働いて家計を助け、愛する息子を教師にと献身的に息子を育てた母。そして、そんな母を心から愛し、母のためにと勤勉だったケストナー。

    ええ、この母にして、この子あり。ことも時代が人間の大部分を形成するとつくづく感じた。

    2つの戦争を経験したケストナー。

    どちらの時代も、心臓が悪かった(それも教員養成所時代に精神的に受けた屈辱が元で悪くした)ことで、戦争に行くことがなかった。また、教師をやめ、大学に入り、演劇評などを新聞に書くようになり、在学中から収入を得ることができたり、その才能ゆえに、なんというか、文学の神様にずっと護られてきた人だ。
    ナチスが政権をとってからも、何度もゲシュタポに逮捕されたり、本は発禁になり、焼かれ、書くことも禁じられ…その度に彼には救いの手が現れ、作品も守られた。

    戦争中の章では、第二次世界大戦について、とても詳しく学べた。子どもたちわかりやすいはず。

    そして、ケストナーが何があろうとドイツに留まったこと、その頑固さにも、正義感の強いケストナーと、彼の作品を強く感じた。
    戦後も平和を訴え続け、広島の原爆や、ベトナム戦争にも言葉を発してきた作家。時代と共に忘れられそうなケストナーの作品を、戦争という背景と共に、私たちは守っていかねばと思わされた。

    ケストナーの言葉にもあった、
    「いや、人類は、歴史からまなばなければなないのだ」

    それにしても、晩年のケストナーの愛人云々は。。
    まあ、素晴らしい作家も私たちと変わらない生身の人間なのだということか。。


    ラストの今江祥智さんの解説には、感激した。ケストナーファンだったそうで感慨深い。

  • 「ケストナーってこんな人だったの?知らなかった反骨精神の人」

    所蔵情報
    https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/detail?rgtn=074209

  • 近所の図書館で見つけて読んだ。

    こんな批判精神のある人で、児童文学はむしろ人にすすめられて始めたもので、もともと評論とか詩とかを書いていた人だった(詩の位置付けが今の日本とかと少し違う感じ)とか、第二次世界大戦中にも反政府ながら亡命せず母国に残り続けた作家だったとかを知って、驚いた。

    これから作品を読むときも読む目がかわりそう。
    大人向けの作品もいろいろ読んでみたくなった。

  • ケストナーの、知らなかった作品が多く出てきて、それを読んでみたくなりました。エミールやアントンなどの少年はケストナーにそっくりだなあと思いました。

  • 児童文学作家として知られる(というかそうとしか知られていない)エーリヒ・ケストナーの児童向け伝記。
    「子どもの本は世界の架け橋」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4772190376で知りたくなって手を出したけど、80ページくらい読んでやめた。

    前書きで引用される「自分への手紙」の世界を変えられない(止めることさえできない)絶望に打たれる。
    「美しいものも知っていると言わせてもらえるならば」という前置きは切ない。
    ケストナーのことは知りたい。でも書き方が嫌だ。
    本人が書かなかったプライベートな部分を想像で描くのは下世話な趣味に感じる。

    p53のケストナーが受けた軍隊的な教育についての部分で、「こんな教育で無批判に体制を受け容れる人をつくった結果があれだよ、そしてそのツケはでかかったよ、いまだに罪を背負わなきゃならない羽目になったよ」という書き方にまず違和感があった。
    「店員さんに怒られるわよ」「痴漢は犯罪です」の類を連想した。「自分が損をするから犯罪はダメ」みたいな言い方だ。

    でp79で決定的にこれはダメだと思った。
    ケストナーの出自に関連して、きっとケストナーは自分には優秀な医者の血が流れているんだと誇りに思ったに違いないとかなんとか書かれている。
    「人種主義に抗った」っていうのがこの本のお題目なのに血を誇りにさせちゃうのか。
    しかも本人がこう言っていたとか、こう言っていたのをきいたと知り合いが言っていたとかじゃなくて想像。
    穢れだとみなされた反動でいやそんなことはないと誇りに拘泥することはあるけれど、それは本人がいうからありなのであって勝手にこじつけていいことじゃない。

    文章もいまいち。「~みたいな」は真面目な児童書の文章じゃない。

  • ナチスの時代の焚書でケストナーの本も焼かれたという話から、こんな本を見つけて借りてきた。人物伝記のシリーズの一冊で、原著のことは十分わからないが、訳の言葉づかいや脚注の付け方からしても、子どもが読むことを想定して編集されている。

    ケストナーといえば、『ふたりのロッテ』、『エーミールと探偵たち』、『飛ぶ教室』、『点子ちゃんとアントン』、、、。『ふたりのロッテ』に書かれている親の離婚についてのコメント―両親が別れたために不幸な子どもはたくさんいるが、両親が別れないために不幸な子どもも同じくらいたくさんいるのだ、という言葉は、物語以上に私には印象深く残っている。

    その児童文学の著者としての顔は、ケストナーの顔のひとつだった。ケストナーは、演劇評論家であり、詩人であり、脚本家だった。児童文学も書いたが、小説を書き、エッセイを書いた。時評家でもあり、売れっ子編集者だったこともある。

    ナチス政権下で、ケストナーは書くことを禁じられ、二度までもゲシュタポに逮捕されながら、生きのびた。多くの友人たちが亡命するなかで、ケストナーは「時代の目撃者であるために」ドイツにとどまり続けた。ペンネームを使って、映画の脚本を書き、発表できない作品を書いた。

    しかし、ナチスに奪われた人生の12年、34歳からの46歳まで失われた創作の時間は大きい。そして、ケストナーの当時の言動を知るにつけ、自分だったら…と思う。

    生い立ち、母や父との関係、若い頃のこと、ナチスの時代、そして戦後、晩年とケストナーの生涯を描いたこの本は、スゴイ人の"偉人伝"ではなくて、努力家ではあったが人としての弱さや欠点もそれなりにあり、時に有頂天になり時には沈み込む、晩年には若き愛人とのあいだに子をもうけ、酒にもおぼれた、そんなケストナーの生きたあとを伝える。

    とりわけ両親が不仲であり、ママっ子であったというケストナーは、母との関係では「いい子」としての緊張をもっていたのだろうなと思いながら読んだ。

    著者は、ケストナーの作品や、周囲の人たちのケストナー評なども引きつつ、「ケストナーは、わからないことがあれば、わからないと正直にいう」人であったとか、「いろいろな物事をごまかすことなく、はっきりと伝える」ことをモットーにしていたとか、生涯をかけて「未来のために過去をみつめよ」と警告したのだと書く。

    戦後、1965年にあらたな焚書騒ぎがあったとき(カミュやサガン、ナボコフ、ギュンター・グラスの本と共にケストナーの本も焼かれたという)、本を炎に投じた若者たちに、市の公安局が許可を与えていたこと、わけても焚書を知りながらそれを止めず、市の中心部で予定していた焚書は危険だからとライン河畔へ移動させたこと、つまり文化の破壊ではなく火の粉の心配をしたことに、ケストナーは怒った。

    ▼人々は、あのナチスの焚書事件をもはや忘れてしまったのだろうか? ケストナーは、怒りが去ったあと、身のすくむようなおそろしさをおぼえた。(p.368)

    1960年代から、新旧のナチス信奉者が集まった極右政党がつくられ、その政党が選挙のたびに得票率を伸ばしていくことにケストナーは衝撃を受ける。1966年に、この極右政党に10%近くの支持票が集まったことをうけ、ケストナーはこう警告したという。

    ▼《今やもう、それは統計的に証明されているのです。問題のひとつは、国民の不満です。問題の二は、不満感というのは、いつの時代でも扇動によって加熱してしまい、操られやすいことです。ナチスの第三帝国のように。だからといって、民主主義を守ろうとして、これらのマイナスを排除することはまちがいです。それはもはや民主主義ではありません。それに、たとえば、もし民主主義の廃止を求めたら、それこそ賛成多数で可決されないからです。考えすぎですか?》(pp.368-369)

    ナチスの台頭の時代、そしてこの1960年代以降にネオナチが支持されてゆく世情、そういうのを読んでいると、大阪で維新がぶいぶい言わせてることや、さかのぼれば小泉政権や中曽根政権がやってきたことが重なるようで、ぞわぞわとする。

    「自分だったら…」というのは、ケストナーの伝記を読んだ感傷ではなくて、目の前のことだとも思う。何をどうやっていけば、この動きを少数派にできるのかと思う。

    著者によると、ナチスが台頭してきた時代に、ケストナーは読者にこう呼びかけたという。
    「世の中を変えるには、まずできることからはじめよう」、「人として、守るべきことを守り、拒むべきことは拒め」と。
    ▼その小さな一歩が、やがて社会をよいほうへと導いていく原動力になると、ケストナーは信じていた。(p.131)

    児童文学を書いた人としてしかケストナーが記憶されていないのは、ドイツでもそうなのかと思い、岩浪少年文庫に入っている本くらいしか読んでいなかったが、『独裁者の学校』や『ファービアン』を読んでみたいと思った。

    20年ほど前、ドイツ語を少しは勉強し、辞書を引きながら文章を読んだこともあった数年間に、ケストナーの原著をいちどは読んでみたかったなと今さら思う。

    (6/24了)

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著者プロフィール

著者 クラウス・コルドン(1943~)
ドイツのベルリン生まれ。旧東ドイツの東ベルリンで育つ。大学で経済学を学び、貿易商としてアフリカやアジア(特にインド)をよく訪れた。1972年、亡命を試みて失敗し、拘留される。73年に西ドイツ政府によって釈放され、その後、西ベルリンに移住。1977年、作家としてデビューし、児童書やYA作品を数多く手がける。本書でドイツ児童文学賞を受賞。代表作に『ベルリン1919 赤い水兵』『ベルリン1933 壁を背にして』『ベルリン1945 はじめての春』の〈ベルリン3部作〉などがある。

「2022年 『エーリッヒ・ケストナー こわれた時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

クラウス・コルドンの作品

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