- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784040820323
作品紹介・あらすじ
権力者を風刺する毒のある物まねで、多くの知識人を魅了する芸人・松元ヒロと辛口ジャーナリスト・佐高信が、積極的平和主義のかけ声のもと、戦前へと回帰しようとする安倍政権の矛盾や理不尽を、笑いによって斬る!
感想・レビュー・書評
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タイトルを見ると、最初から最後まで安倍政権をテーマにして安倍政権を笑い倒しているような印象を受けますが、それは第1章のみで、それ以降は、もっと大きな視点から笑いについて語り合いながら、ついでに付け足し程度に
「だから(それに比べて)安倍晋三はダメなんだ」と嗤い、
「またつまらぬものを斬ってしまった」
という本。
『安倍晋三を嗤う』というタイトルの方が良かったかも。
本書では、お笑いは弱者が強者に対抗するためのもの、と高く評価するスタンスですが、本当にそうでしょうか。
例えば、いじめ問題が問題になる時、よく、加害者側が、冗談のつもりだったとか遊んでるつもりだったとか言います。
集団生活の上で、いじめや仲間外れが、お笑いの形をとって現れることもあるのです。つまり、悪用すれば、笑いは言葉の暴力にもなるのです。
本書で例に挙げて誉めている類の笑いは、ごく一部の上品なコミュニティで通用しているような高尚で特殊な例であって、一般的庶民の間で一般的に使われている笑いは、そんな上品なものではありません。
私の成育歴からいうと、お笑いとは、悪い奴が悪いことをやる時の隠れ蓑のようなものだったのです。
本書では笑いのいい面ばかりを取り上げていましたが、笑いとは使い様によって、良くも悪くも使えるのです。
まさに原子力や核兵器のような存在です。
それはともかく、本書でもチラリと、首相に取り込まれた太田光を批判していましたが、笑いの負の面・悪用される面についても検討して頂きたかった。
例えば、百田尚樹などは、失言を批判されると、よく「冗談やったのに。冗談の分からん奴や」と言い逃れします。
本書では、下ネタを言える人をやたら持ち上げています。しかしそれは幻想ではないのか。
学校生活にしろ、職場にしろ、地域社会にしろ、ぺちゃくちゃおしゃべりばかりして(特に下ネタ)いる人は、肝心な時に役に立つものかどうか。
夏目漱石の小説『坊ちゃん』でいうと、野だいこのような奴も多いものです。
下ネタを言える・言えないで判断するのではなく、結局最後は、個人の性格心情の問題ではないでしょうか!というか、下ネタで笑えない・下ネタが言えないというだけでマイナスの烙印を押されてはかなわん!!
……と、お堅い家庭環境で育ったためにお笑いや下ネタが苦手な私の個人的感想です。
本書では、安倍晋三はお笑いの分からない薄っぺらい男だ、という論調ですが、そういう観点から見ると、橋下徹は安倍晋三と比べ物にならない強敵ではないでしょうか。
確かに橋下の笑いは、本書で規定している“本物の笑い”ではなく、立川談志からも永六輔からも認められない下品でヘイトな笑いですが、そんな上品な定義論をやっている場合ではありません。
TVに出れば、笑わせた者勝ちです。
橋下には聴衆を乗せるカリスマ性があるので、怖いのです。
橋下徹は“大阪独裁住民投票”に敗北し、引退を表明したのですが、未だに色々と浅ましいことをやっています。
安倍改造内閣にサプライズ入閣する、という噂もあります。
もしそんなことになれば、大変なことになります。
ぜひお二方には、【橋下徹を笑い倒す】続編を行って頂きたいものです。
笑いを使うのは、安倍政権を批判する人々だけではありません。
ネット上の世論で覇権を握っているのは、ヘイトな嘲笑を使うネトウヨ・ネトサポ・自民党工作員どもです。
ネトウヨまとめサイトなどは、ヘイトな嘲笑で充満しています。そこで笑い倒されているのは、マトモな言論を守っている良識ある人々なのです。
ネトウヨこそ、お笑いを悪用している存在なのです。
(もちろん、本書の定義によると、そんなのは本当の笑いではないでしょう。しかしそんな悠長なこと言っている場合ではありません。こちらは使わなくても、ネトウヨ達は下品な笑いでどんどん攻撃してくるのです。)
お笑いを制する者が言論戦を制す!
安倍政権と戦う我々は、正しいお笑いを理解し、使えるようにならないといけません。
私も上で書いたように、お笑いに対しては不幸な思い出が色々とあります。
しかし、不幸の連鎖から抜け出すためには、正しいお笑いと和解することが必要なのです。
お笑いの能力は安倍晋三並みですが、今後がんばらなければ。
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20150810/p1詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2017/11/26
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松元ヒロさんの舞台を観たことのある人は
彼の「芸」の背景にあるものが見えてきます
まだヒロさんの「芸」を観たことのない人は
必ずや、観たい!の気持ちを持つことになるでしょう
立川談志さん、マルセ太郎さん
残念ながら故人となってしまわれたお二人のこと
でも、お二人の「こころざし」は
こうして松元ヒロさんの「芸」に受け継がれていることに
拍手をしたくなることでしょう
終わりのほうで、偉大な詩人でありフォークシンガーの笠木徹さんの名前が登場してくることもうれしい限りです
そうそう
永六輔さん、
今の時代をご覧になられて
「永さんが、もし生きていらっしゃったら
なんとおっしゃるのだろう」
と思ってしまう
ここまでを綴った二日あと
新聞の一面に「共謀罪」の大活字、
マルセさんなら
笠木徹さんなら
永六輔さんなら
どうおっしゃったことだろう
と ますます思ってしまった -
松元さんはいいな!
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ザ・ニュースペーパーの歴代首相のモノマネは絶品。最近はテレビに出ないのかな?と思っていたら、テレビ関係者はライブは見に来るけれど(案の定)「絶対にテレビには出せない」と思っているそうな。残念。さすが報道の自由度急降下中と言われる中でも影響力が大きいと思われるテレビ界隈(以下自粛‥)
本書のタイトルを見て、ムズカシイ政治の本だと思ったり、茶化したり批判するだけの本では?と読まないのは勿体無い。
2015年現在の首相で(エピソードも豊富な)安倍さんを主な題材に、政治家とはどうあるべきか、個人がひとまとめにされてしまう怖さ、ユーモアの大切さなどを、おもしろがりながら考えさせられてしまった。 -
佐高信さんと松元ヒロさんの対談本です。安倍政権だけでなく、笑いのない…つまり余裕のない人々や社会の風潮を、皮肉を込めて語っています。永六輔さんや立川談志さんとのエピソードが良かったです。第5章は「I'm different! 違いを愛そう」というタイトルです。愛国心、笑いのツボ、個性やユーモアに触れています。この中に「一方的に愛を強制したらそれはストーカー。自分勝手な思い込みから何をするかわからないから怖い。危険」という意味の言葉があります。とても納得しました。
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もっと言えば、もっと笑い倒して欲しかった。もっとこき下ろして欲しかった。期待値が高かった分、溜飲の下がり方がイマイチです。でも松本ヒロさんのライブは見てみたくなりました。
しかしなぜこれ以上ないくらい明確な「バカ」なのに、この期に及んでも支持率が上がる不思議、と言うか、恐怖。この国の行く末に漠たるではなく、明確に不安と恐怖を感じます。
笑ってる場合じゃないかも・・・ -
立川談志のことは全く知らなかったが、落語を聞いてみたくなった。人生とは死ぬまでの暇つぶしです、や実は物腰が柔らかいなど惹かれる描写が多かった。
遊びは誰かからやれと言われるわけではなく、自発的に自分のしたいことをする。その時に、手を抜いて、適当にやろうなんて思わない。遊びと言うのは、のめり込んで真剣に、夢中になってやるから楽しい。だから、遊びにはいい加減にやると言う事は無い。一方、仕事はいくらでもいい加減にできる。これは食っていくための手段なんだ、お金をいただくためなんだからと割り切れば、面白かろうがつまらなかろうが、やることができる。真剣にもできるけど、手抜きでやることもできる。
アメリカの学校では作文のテーマが、自分自身について「私は違う」と感じることを思いつく限り書き出しなさいである。
笑いにとって孔子は大きな敵なのである。論語を読んでもユーモアどこにもない。
暴対法は身分を罰するもので、おかしい。法律とは行為を罰するものだ。 -
気になるセンテンス
21 “おもてなし”ということは“裏ばかり”ってことですよね、って言ってた
いっぺんに「おもてなし」のイメージが悪くなってしまった。しかし、ことほど左様なものなのかもしれないな、ひとの感覚というものは。
23 沖縄県の翁長雄志知事が「上から目線の”粛々と”という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していく」とつよく抗議したわけでしょ
たしかに上から目線のイメージが強いですね、この「粛々」 この言葉を使うひとのイメージはそれだけで悪くなりそうです。
25 安倍さんのボキャブラリーって非常に単純で真似しやすいんです。「まさに」「全力で」「断固として」「しっかりと」「唯一の」・・・それから「切れ目なく」・・・
一見強そうな感じなんだけど、言葉が上滑りしているっていうのかな、現実感が伴わないので、なんだか空虚に響くだけ。
言葉に重みがなさすぎる首長、これはよくないな、しかもさらにできもしない英語の世界で適当な約束をされても困る、あ、いま困っているのか沖縄。
44 社会や政治批判をして人を笑わせる芸のことを、ドイツでは「カバレット」と言うらしい。「カバレット」の語源はフランス語の「キャバレー」と一緒らしく、もとは歌やダンスやいろんな芸を見せる劇場のことを指していたらしい。ドイツ流にいえば、ヒロさんの芸風は「カバレット」になり「カバレッティスト」なんだ。
言葉の語源をじっくりかみしめてみる、いいことかもしれません。
75 西園寺首相のご招待への御断りの手紙の最後に記載した俳句
「時鳥厠半ばに出かねたり」漱石
このようなかっこいい対応ができる人間の境地にいたいものです。
93 何を笑うのか、誰を笑うのかをいつも私は考えます。
やはり「笑い」の芸は一番気を遣う、難しいものなのじゃないかと思います。
95 雑誌「噂の真相」の発行人(編集長)だった岡留安則というひとは、その雑誌にて市井の人、一般の人を批判の対象にしなかった。ある程度の影響力を持つ人だけを対象にしていた。矛先を弱者に向けない
それだけ周りがまだ強くなかったのか、それとも今の人たちが弱くなってしまったから、さらに弱いひとをターゲットにしないと話題にもならなくなってしまったのか、世の中の違いを感じます。
97 自分たちの自由が侵される可能性があるとき、フランス人は熱くなる、日本人は委縮する。 「ラ・マルセイエーズ」が解放の歌で、「君が代」が委縮の歌のように
国の成り立ち、歴史、競争、戦争の歴史の違いもあるのではないでしょうかね。やはり島国は昔から平和だったのではないか。
143 飯沢匡は著書「武器としての笑い」のなかで、「今日でもサムライたちの儒教的思考を受けついだ政治家たちは笑に対して鈍感である。何を笑うかという勉強より、笑われまいという努力に力点がかかっている
政治家にとってもとても窮屈な国になっているということでしょうかね、してみると先だっての自民党若手の発言も、まぁ場所は考えて、もう少し笑いの場となるようなところでやれということでしょうし、百田さんももう体制側のメインの場所にはでないほうがいいのでないでしょうかね。彼の芸の幅も縮めているのではないですか。
150 まず疑問を持つということが大事、怒るという抗議方法もあるかもしれないけれど、方法はそれだけではなく、笑うということで疑問に向きあうこともできるということを知ってほしいし、その想像力を拡げるとどこまでも自由になれる。
やはり大事にしたい文化だし、とくに若い世代にこれがなくなっているのを感じます。
151 落語ってうまいひとになればなるほど上下を分けなくなる。身体の向き、声色を変えなくてもちゃんと何人もの登場人物になりきって、その情景が見えてくる。それを知って、コントで扮装するときのカツラの使用をやめた。
なるほど、彼もがんばっているな、この間は吉原のイメージはもてたか(あ、友人の落語家の一席にて)
155 楽しく笑ってもらうには、人間として涙を流す場面をたくさん味わっておくほど、いい笑いを生み出せるんじゃないかっていう気持ちがある
感情ってやはり大事なのですね。
170 人々に同じ空気を強制して、国旗や国歌に対する態度を型にはめようとするよりも前に、みんなが誇りにできる国、世界から尊敬され、愛され、信頼される国にしていくことのほうがまず先にあるべきではないか」 中川村村長のお話
ほんにこういうリーダーを選びたい。