- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784040821221
感想・レビュー・書評
-
中性から江戸前まで、様々な論を紹介しつ歴史を概観してくれます。
初学者にとっても、大きなトピックに触れつつも
様々な考え(陰謀論もあるのだろうけど)に触れることができるし、
いわゆるスタンダードや通説というものも知ることが出来て、一挙両得の本でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
保元の乱から関ヶ原までの日本史における陰謀とされる事件についての様々な説を取り上げ自論を展開している。
かつて史実として学んだことが、今では偽説となっていたり、過去の史料の読み解き方で変わってくることがよくわかった。史料は書いた本人の目線で書かれているため、真実を語っているとは限らない。何を証拠として採用するかの難しさも感じた。
陰謀説の傾向として、
「事件によって最大の利益を得た者が真犯人である」(結果から逆行して原因を引き出す)
「加害側と被害者側との立場が実際には逆」だったりするという。
確かに、結果を既に知ってい後世の人間から見ると利益を得た者が全てを見通して行動していたかのように思ってしまう傾向にあり、たまたま偶然、当人にいい方に転んだ出来事も、きっと仕組まれていたに違いないと考えがちである。
歴史に詳しい者でなくても、その出来事についての通説を述べてから諸説を説明しているので、話の展開は分かるが、人間関係を思い返しながら読むので時間がかかった。
諸説を紹介し、その証拠とされる資料の信憑性や、陰謀説を唱える者の論理の飛躍を丁寧に突いており、歴史に詳しい人にとっては、痛快に感じるのではないかと感じた。 -
筆者のTwitterをフォローしていたのであまり目新しさはなかった。
-
日本史で囁かれる陰謀論について、実証的見地から再検討した上で、陰謀論の特性について類型化している。
-
安元三年(一一七七年)に鹿ケ谷の陰謀が起きた。後白河法皇を中心とする反平氏勢力が結束した謀議とされるが、平清盛が後白河院の近臣勢力を潰すための冤罪事件との見方がある。
「平氏一門に批判的な西光・成親を延暦寺問題で別件逮捕しておいて、陰謀の罪を着せ、死刑に処すことこそが清盛の狙いだったのではないだろうか」(呉座勇一『陰謀の日本中世史』角川新書、2018年58頁)
「当初、西光は明雲を後白河に讒言したという理由で逮捕され、その後の拷問の中で「入道相国を危ぶむべき」計画を白状したという。別件逮捕でとりあえず身柄を拘束し、取り調べの過程で「謀議」の件が出てきたのだから、自白の内容自体が清盛によってでっちあげられた可能性がある」(中丸満『源平興亡三百年』ソフトバンク新書、2011年、140頁)。
鹿ケ谷の陰謀では藤原成親(ふじわらのなりちか)が逮捕され、備前国に流罪になる。配流先では食事を与えられず、殺害された。「死人に口なし」とばかりに病死として処理された。
成親は鳥羽院第一の寵臣の藤原家成の息子で、鳥羽院と後白河院の近臣になった。成親は久安二年(一一四六年)に讃岐守になる。家成と成親は親子で讃岐守になった。
成親は後白河院の近臣として活躍したため、崇徳院の怨霊の祟りと噂された。鹿ケ谷の陰謀が清盛によるでっち上げの冤罪ならば成親は冤罪で殺されたことになる。後白河院側には思いもよらぬ理不尽な話になり、当時の感覚では怨霊の祟りと考えたくなるだろう。
鹿ケ谷の陰謀は平家に対する反感を持っている人々が存在するという事実を公然に明らかにしたという効果が生じた。平家は逆に追い込まれていった。 -
源平の時代や、鎌倉・室町時代は個人的には馴染みがなくてついていけなかった。
本能寺の変の各種陰謀論や、秀吉亡き後の徳川家康や西方の動向に関しては面白かった。
明智光秀の話に必ず出てくる、家康饗応時の失態で信長が激怒した話や、光秀が母親を人質に差し出して結局はりつけにされてしまった話は、江戸時代の創作だそうだ。それに基づく本能寺の変の怨恨説を否定している。
関ヶ原関連で必ず出てくる小山評定で、福島正則が東軍への参戦を表明し、秀吉恩顧の武将がそれに倣った、というのも創作としている。家康が西方の蜂起をさそうために会津征伐を行おうとした、というのも否定している。
トンデモ陰謀論がはびこっているので、歴史研究者として警鐘を鳴らした、ということのようです。 -
中世(平家台頭~関ケ原)までの歴史の陰謀論を一つ一つ検証する。
一つ一つの陰謀の検証はけっこう長め。歴史読み物として単純に楽しい。
それに加えて陰謀論はなぜ生じるかも解説。確かに現代の私達は結果を知ってるからそこから逆算して色々考えられるわけだが、真っただ中にある人々の視点から考えないと正しい細かい歴史は見えてこないのだろう。