天才作戦家マンシュタイン 「ドイツ国防軍最高の頭脳」――その限界 (角川新書)
- KADOKAWA (2025年6月10日発売)


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本 ・本 (452ページ) / ISBN・EAN: 9784040824291
作品紹介・あらすじ
ウクライナの戦野に立ち、作戦で第二次世界大戦を変えた知将。
・参謀では、フランスを早期降伏に追い込んだ作戦計画を立案。
・軍団長では、装甲部隊運用の名手であるグデーリアン将軍をも顔色なからしめるような機動戦を展開。
・軍司令官では、クリミア・黒海の大要塞セヴァストポリを陥落せしめた。
・軍集団司令官では、圧倒的なソ連軍を相手にみごとな防御戦を進め、ときには主力を殲滅した。
戦略・作戦・戦術。戦争の三階層において、上位次元の劣勢を下位から覆すことはほぼ不可能だが、マンシュタインはそれを果たした。
彼はドイツ国防軍最高の頭脳と称され、連合軍からも恐れられた。だが、その栄光には陰影がつきまとっている。ナチの戦争犯罪を黙認したのではないか、と。
ロンメル、グデーリアン同様、日本では独ソ戦「英雄」の研究は遅れていた。天才の全貌を描く、最新学説による一級の評伝!
■スターリングラードの廃墟で耐え忍ぶ兵士は「守り抜け、マンシュタインが助け出してくれる」とのスローガンを唱えた
■戦争犯罪人とされた訴因の半数以上はクリミアで起きた事件に関連する
【目次】
序章 裁かれた元帥
第一章 マンシュタイン像の変遷 テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ
第二章 サラブレッド
第三章 第一次世界大戦から国防軍編入まで
第四章 ライヒスヴェーア時代
第五章 ヒトラー独裁下の参謀将校
第六章 作戦課長から参謀次長へ
第七章 立ちこめる戦雲
第八章 「白号」作戦の光と影
第九章 作戦次元で戦略的不利を相殺する
第一〇章 作戦次元の手腕 軍団長時代
第一一章 大要塞に挑む
第一二章 敗中勝機を識る
第一三章 「城塞」成らず
第一四章 南方軍集団の落日
第一五章 残光
終章 天才作戦家の限界
あとがき
主要参考文献
感想・レビュー・書評
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ドイツ第三帝国の元帥であったエーリッヒ・フォン・マンシュタインの評伝(2025/06/10発売、1320E)
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「戦車将軍グデーリアン」ではグデーリアンの第2戦車軍団〔軍)がコミッサール指令を実行していたり彼が部隊に随行していた出動部隊Bの「殺戮行為に気づかないということはあり得ないのだ」と批判したり戦車兵総監時代に「実見してまわった工場のいずれも、強制連行された占領地の住民や捕虜、強制収容所に囚われていた者たちを使役していたのだ」と指摘した上で「精力的に工場視察を繰り返したグデーリアンが、そうした非人道的なやりように気づかなかったはずはない。にもかかわらず、グデーリアンは、何ら「奴隷労働」者の救済措置を取らなかったし、また、彼が倫理的な呵責を覚えていたことを示す文書も証言も残されていない。しかも、この件については、戦後も口をつぐんでいた」と軍需大臣アルベルト・シュペーアやSS経済管理本部長オズヴァルト・ポールSS大将より責任があるかのような「推定有罪」の観点から酷評している。著者がゼンゲ・ナイツェルの「兵士というもの」の邦訳に関わった際に「極東ナチス人物列伝」に転載したフリードリヒ・ハックの論考の注2で中田整一の「ドクター・ハック」に言及しているので平凡社の担当編集者が書いたであろう著者紹介に「トレイシー」が言及されているにも関わらず明らかに読んでいなかったようにグデーリアン自身が著書で言及している記者会見では実際は彼が結果的に「ユダヤ人問題の最終的解決」がいつから実行された事を知っていたのを匂わせながらガス室を否定した事を記した「ケストナーの終戦日記」を読んでいないらしく「戦車将軍グデーリアン」には触れていないが。多分、著者はグデーリアンがシュペーアのようにニュルンベルク裁判かポールのように継続裁判の被告人席に座ってほしかったのだろう。何しろ彼は戦犯裁判にはかけられていない。それなら1941年11月20日付の命令でユダヤ人の虐殺を命令した結果、「この命令にしたがい、第11軍は、出動部隊Dが当初一九四二年三月に実行する予定だったユダヤ系住民の殺害を早めるように急きたてた」と指摘していながら「本書は、大部のマンシュタイン伝の著者メルヴィン同様、クリミアの犯罪への彼の関与が裁判で証明されなかった以上、「推定無罪」の立場を取る。さりながら、いくつかの事案でマンシュタインが有罪になったことは否定出来ない」になるのが理解出来ない。今度は「ライヒェナウ指令」で有名なヴァルター・フォン・ライヒェナウ元帥の伝記でも書かれたらいかがですか?と言いたくなった。何しろこの「親ナチの元帥」の義理の妹はユダヤ人を匿ったマリア・フォン・マルツァーン伯爵夫人だ。
フォン・マンシュタインの実家であるフォン・レヴィンスキー家は「自伝」にあるように領地に由来した姓なのか、それとも本人が副官で曾祖父がユダヤ教からキリスト教に改宗したシュタールベルクや息子のリューディガーに語ったようにフォン・レヴィンスキー家は「ユダヤ教徒の子孫」というのは正しいのか、は誰にも分からないのだろう。SSがフォン・レヴィンスキー家の系図を調べて「ユダヤ人認定」したところで三親等のシュタールベルク兄弟が「零時」まで陸軍に勤務している事で分かるように、それ以上何も出来ない。「自伝」から引用しているように1934年に陸軍から追放されて在華軍事顧問団に行った「4分の1ユダヤ人」の少尉が「同軍事顧問団が政府によって帰国させられたとき、人事局が動き、軍に復帰させることに成功した」のは1938年になる。どうも1934年にユダヤ教徒やユダヤ人の血を引いていたりユダヤ人女性と結婚した軍人を軍から追放したにもかかわらず1935年に徴兵制が施行されてから1942年まで「半アーリア人」でも国防軍に入隊出来たというのでクノップの「ホロコースト全証言」でユダヤ人の父親は診察が許されているユダヤ人病院ではなく「大学附属病院のアイケン教授」から診察を拒否されたという証言が引用されている「元国防軍兵士、ヴェルナー・ゴルドベルク」はレヴィンスキーと同じくらいユダヤ人に多い姓なのに「模範的なアーリア人兵士」として写真が宣伝に使われた人物らしいので「4分の1ユダヤ人」なら構わないという事になるのだろうか?1937年に発表した「カルミナ・ブラーナ」で有名になったカール・オルフはユダヤ人の血を引いていてもメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の「改作」に関わるような第三帝国での成功の道に支障がなかったようにシュタールベルクの友人のホルスト・フォン・オッペンフェルト大尉が、この少尉と同じ立場で1943年になっても第10戦車師団で勤務していた。マーザーの「ニュルンベルク裁判」でデーニッツ提督がユダヤ系の海軍士官を保護したとあるのは海軍には「四分の一ユダヤ人」であるベルンハルト・ロッゲのような人物を1934年に海軍から追放されるのを阻止したという意味らしい。クノップの「ヒトラーの共犯者」によるとデーニッツは第二次世界大戦中にゴリゴリの反ユダヤ主義者になったにしても「水晶の夜」の時点では上官に抗議したとあるので不思議ではない。誰か研究者がドイツ軍がユダヤ教徒やユダヤ人共同体に所属していた人をはじめニュルンベルク法の対象になり得た「半アーリア人」や「4分の1ユダヤ人」または本人は「アーリア人」でもユダヤ人を配偶者としていた人に対して解放措置を取って勤務したのか、「名誉アーリア人」として扱われたのか、あるいは軍から追放されたのか、どう対応していたのかを書いてほしいくらいだ。シュタールベルクの本には女癖の悪いエルンスト・ウデットが知人の娘の1人の「種馬」になったとある。
もっともユダヤ人でもオットー・フランク中尉のような第一次世界大戦などでの鉄十字章のような軍功勲章の叙勲者はテレージエンシュタットに送られたかもしれないのか「アイヒマン調書」の著者の父親のように「東方送り」になるのが他の人より遅くなったのか、というのもあるが。
著者プロフィール
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