「自傷的自己愛」の精神分析 (角川新書)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784040824307

作品紹介・あらすじ

「自分には生きている価値がない」「ブサイクだから異性にモテない」。

極端な言葉で、自分を傷つける人が増えている。
「自分が嫌い」をこじらせてしまった人たちの、自傷行為のように見える言動。

その深層心理にひきこもり専門医である精神科医が迫る。
誰にでも何歳からでも起こり、一度おちいると出られない、徹底的な自己否定。
「ダメな自分」の思い込みを見つめ直し、健全な自己愛を取り戻す方法を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 『「自傷的自己愛」の精神分析』斎藤環著(角川新書) 1012円 : 読売新聞
    https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20230322-OYT8T50088/

    「「自傷的自己愛」の精神分析」 斎藤 環[角川新書] - KADOKAWA
    https://www.kadokawa.co.jp/product/322110000015/

  • 「自傷的自己愛」の精神分析 斎藤環

    面白くはないけど、突き刺さってくるような内容だったなあ。

    この本の中に出てくる坂口恭平とは一度
    twitter上で、ケンカしたことあり
    一度は
    直接、電話で話したことがある。
    真夜中の3時に電話がかかってきたんだぜ。
    マジで気が狂ってると思った。
    本の中では
    無自覚なまま、無我の境地に到達した人、みたいなことが書いてあったけど、そうは思わないけどなあ。
    ただ、単に、田舎のエリートなんじゃないかなあ。
    むしろ、自意識がすげー過剰なような気がするんだけど。
    双極性障害、っていうのは、彼の強烈な個性ではあるけれど。
    まあ、オレには理解できない、特殊な人格だ、というのは分かる。

    033
    自殺願望と自己肯定感の低さは、必ずしもイコールではない

    芥川龍之介
    太宰治
    三島由紀夫
    川端康成
    彼らは、自信がない弱気なだけの作家であったわけではない。

    044
    トランプ元大統領は自己愛性パーソナリティ障害か

    048
    性愛学者ハヴェロック・エリスが1898年にナルシス的という言葉を用いた。
    ドイツの精神科医パウル・ネッケが1899年、はじめて「ナルシシズム」という用語に言及した。
    この論文を読んだ、ジークムント・フロイトが、ナルシシズムという語を用いた。

    056
    ラカンの理論
    ことさらに「自分が大嫌い」というほど自己愛的である、という逆説。

    068
    ひきこもっている人は、しばしば「生きている価値がないから死にたい」と言う。

    069
    プライドは高いが自信がない

    プライドとは、こうあるべき自分のこと
    自信とは、今の自分自身に対する無条件の肯定的感情のこと。

    070
    現在の自分に自信がないからこそ、あるべき自分の姿(プライド)にしがみつく。

    198
    我執すなわち自己愛を捨てた人
    坂口恭平
    双極性障害の当事者
    何度も強い希死念慮に襲われてきた人

    219
    自傷性のやわらげ方

    1.環境調整
    尊厳を傷つけられない環境に身を置く
    納得行かない状況があれば、動画に撮影したり録音して記録を残し、弁護士に相談する。

    2.対人関係
    家族以外に親密な対人関係を持つ
    孤立した状況で自傷性をこじらせていく悪循環に陥らないこと

    3.損得勘定
    自傷的自己愛は、しばしば自分が損をするような行動をあえて取る。
    彼らの多くは自責感が強いために、そうした行動に陥りがちになる。
    そういうときは、あえて、損得で考えること。

    4.好きなことをする
    自傷的自己愛者は責任感が強いので、いつも、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまうが、これは逆。
    常に、やりたいことを優先させるべき。
    やりたいことが見つからなければ、散歩でも、家事でも、ペットと遊ぶこと、でも良い。

    5.体のケア
    自傷性が強い人は、セルフ・ネグレクトのように、健康や、食事や、清潔さに配慮しなくなる。
    あるいは、自ら、過度の飲酒や、喫煙、薬物乱用などによって、自分の健康を害してゆく。

    249
    自傷的自己愛は、病気ではなく、診断名でもない。

  • 「自傷的自己愛」は自分のこと全てにおいて全く自信が持てない人で、かつ自分がダメな人間だということに絶対の自信を持っている人。
    なんか矛盾しているようで的を射てる…

    著者も同様のことを書かれているが、自分がもし現代の学校生活を送らなければならないとしたら、スクールカーストの最下層になる自信がある(汗

  • 面白かった!

    健全な自己愛を育むことの何と困難なことか。
    自分自身が本作で言う所の自傷的自己愛で長年悩み、根深い自己否定、嫌悪を抱えながら生きてきた。

    だからこそ刺さる部分が多くあり、これからの人生では、少しずつでも健全な自己愛を育てていくことが出来るかもしれないという希望が持てた。 


    ''自己愛とは、自分が好きという感情ではなく、
    自分が嫌い、自分がわからないという感情も含まれる。自分自身でありたいという欲望の事である。
    成熟した自己愛を構成する要素には、自己肯定感のみならず、自己批判、自己嫌悪、プライド、自己処罰といった様々な否定的な要素までもが含まれる。"

  •  一から十まで自分ごととして読みました。自分が自傷的自己愛なる心性を保持しているという自覚は当初から強くありましたが、本書の「キャラ」概念の導入によってその解像度がさらに増したと思います。
     つまり、2000年前後の「解離の時代」以降、「承認の可視化・定量化」とともに人々の承認依存=つながり依存の傾向が強まり、その中で「キャラとしての承認」が重要化し、そして「本来の自己」=身体と「キャラとしての自分」のずれこそが、自傷的自己愛のあり方を生んだのだということ。
     個人的に、自分自身のことを「クズ」であると強く感じていましたが、このようなセルフスティグマに再帰的傾向があることも確信していました。つまり、自分は「クズ」であるが、自分を「クズ」と断定することにより、ある意味で自分の居場所を作り安心する。そのことが、また自らの「クズ」としての人格的特徴を再帰的に増幅する。このようなあり方を(モノローグ的に)「再帰的クズ」と呼称していましたが、本書を読み終わった今ならば、まさしくこの「再帰的クズ」こそが「キャラ化された自分」であるということに思い至ります。そして、「あるべき自分」の立場から、「キャラとしての自分」を徹底的に貶める(自傷)ことで、なんとか自己愛を保っていたのだと強く感じます。本書の言葉を借りるならば、「枯渇してしまった自信を高いプライドによって補い、必死に支えている」(p71)状態です。
     著者も仰るように、自傷的自己愛は大変「閉じた」自己愛のあり方だと思います。自分について考えれば考えるほど、このモノローグ的思考から永遠に抜け出せなくなるのではないかという不安が募っていきます。本書を読んだことは、改めて自己を社会や他者との関係性の中で考え直す良いきっかけとなりました。「自傷的自己愛」という言葉を冠したこの新書を世に出していただいたことに、深く感謝したいと思います。

  • 自分が良く落ち込む理由、「プライドが高いが自信が無い」について語られた(考察された)本だった。

    病気では無いし、これを読んで治るとかそういう本では無い。しかし、自分の状態がラベリングされて、少し客観的に見られた。

  • ”自己愛とは「自分が好き」ということではなく「自分自身でありたい」と思う欲望のことである”ならば、自分自身でないと感じられた時に人は苦しむのではないか。

    ”自分という存在の一部を否定するのが「自己嫌悪」、まるごと否定しつくすのが「自分が嫌い」”(P83)

    著者は印象にすぎないと断った上で上記のようにまとめている。これは程度の問題に私には思えるが、程度=量=部分の問題であると同時に頻度の問題でもあるように感じられる。これも印象にすぎないが。

    自分自身でいられないと感じることが多いと人は自己嫌悪に陥って、自分を取り戻すために(時には)自傷行為に走るのかもしれない。

    そして、いまの社会は同調圧力であったり人を規定する力が強すぎるようにも感じるのだ。

  • 「自傷的自己愛」とは他者や環境などの外的要因によって与えられた「キャラ」を自己批判することで「こうでありたいという自分」を守ろうとする姿勢といえるのかなと思った。ただ「こうでありたいという自分」がその人にとっては手が届かない部分であることが多いから、なれない自分とのギャップに苦しんじゃうのかな~と感じた。

  • 自分が大事だから、自分を守るために「わたしなんて」と言ってしまうとは、目から鱗だった。
    わたしも岸辺露伴のように自分自身を貫く生き方をしたい。健全な自己愛を持ちたい

  • 自責は自己愛の裏返し。自己保存のためにあえて自分を傷つけようとする。自分を責めることも大事だが、過度に痛みつけてしまうとあらぬ方向へ向かってしまう。時には楽観的に、力を抜くことが大事。

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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