- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041001080
作品紹介・あらすじ
友人の平岡に譲ったかつての恋人、三千代への、長井代助の愛は深まる一方だった。そして平岡夫妻に亀裂が生じていることを知る。道徳的批判を超え個人主義的正義に行動する知識人を描いた前期三部作の第2作。
感想・レビュー・書評
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『三四郎』のその後を描いたから『それから』だそうですが…。
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『こころ』を読んだとき同様「なぜ??」が多く浮かぶ作品でした。
なぜ全てが幼く、そして遅すぎるのか?
『こころ』の謎が解けたように本書の謎も解けるでしょうか???それとも三部作目の『門』で解決するでしょうか。
解説で石原千秋さんが言われたように、時代背景や漱石の生い立ちが深く関わるのかも知れません。
それにしても…働きたくないことをよくあれだけ理屈をこねられるものです。(。-ω-)~
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続編を書くなら…覚醒した主人公がめちゃめちゃ新時代を先取りした事業で財を成し、実家に札束を叩きつける話、もいいかも知れません。たぶん無いでしょうけど…。
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■ Before(本の選定理由)
言わずと知れた、夏目漱石の前期三部作のひとつ。
初めて読んでみよう。
■ 気づき
なんと煮え切らない、鼻もちならない主人公!
親の金で暮らしながら友人の妻を愛してしまう体たらくにイライラしたが、同時に明治も令和もヒトなんてそんなものだろう、と感じた。現代なら芥川賞的な話。
■ Todo
文明は我々をして、孤立せしめるものだ。
狭くて効率的な借家に人々が暮らし始めるのを見てそう感じたそうだ。いま私達が、70年代の団地乱立を見る感情とまったく同じでは無いか。きっと令和のタワマンも40年後には笑い種なのだろう。知らんけど。 -
齢30ともなろうに一向に定職に就かず、財を成した父親からの援助で遊戯三昧の主人公・代助は、貧乏にあえぐ友人の平岡&三千代の夫婦と3年ぶりに再会してからというもの、その生活苦に同情して金を渡したりなどもしている。
息子の将来を憂いた父が縁談をすすめるも、代助はまったく煮え切らない。なんと三千代のことを好きでいる自分に気がついてしまったのである。
という、代助へのツッコミどころ満載の小説。
本の帯に印字された本文抜粋"ひとの妻を愛する権利が君にあるのか"って、もっと深淵を覗き込んだ末にでたセリフなのかと思ってたけど、そのまんまの意味だったね。不倫からの略奪、いやあんた無職ですやん!?
高等遊民(当時のニート)と現代のニートとは社会的な立ち位置もまるで違うのは分かってるんだけど、とにかく屁理屈を垂れ流して働こうとしない代助にイライラした。
曰く、「働くのもいいが、働くなら、生活以上の働きでなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんなパンを離れている」
曰く、「だからさ。衣食に不自由のない人が、いわば、ものずきにやる働きでなくっちゃ、まじめな仕事はできるものじゃないんだよ」
ハァ〜〜〜〜〜〜〜〜???(°〜°)(°〜°)
それで三千代を寝取ったはいいものの、不義をしたことで実家からは絶縁され送金がなくなり、さて生活どうしよう?となって急に慌て出すところで終わり。まさしく「それから」である。ザ・ノンフィクションって感じだ。愛の刑と愛の賜物。現実(意志)よりも自分の本心(自然)をとって愛を貫くことって、さほど綺麗なものじゃないよ。-
米津玄師の曲「ストレイ・シープ」がどうやら「三四郎」と関係ありそう、というか基にしてる?みたいで俄然興味わいてきてます笑米津玄師の曲「ストレイ・シープ」がどうやら「三四郎」と関係ありそう、というか基にしてる?みたいで俄然興味わいてきてます笑2022/02/21
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米津玄師さんにありますよね!三四郎の話の中でも、印象的なシーンの印象的なセリフとして「ストレイシープ」が出てきたのを覚えてます。
私もここ数...米津玄師さんにありますよね!三四郎の話の中でも、印象的なシーンの印象的なセリフとして「ストレイシープ」が出てきたのを覚えてます。
私もここ数年でようやく文豪小説の良さが分かるようになってきました!お互い色々読んでいきましょうね♪2022/02/22 -
米津玄師は「山椒魚」とかも曲に出てきたりするので、彼も文豪好きなんだなと思いました!
つづきさんのとてもわかり易くてストレートな感想にかなり...米津玄師は「山椒魚」とかも曲に出てきたりするので、彼も文豪好きなんだなと思いました!
つづきさんのとてもわかり易くてストレートな感想にかなり気持ちが持ってかれてめちゃ読みたくなってきてます!
ありがとうございます!!2022/02/22
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清くまっとうに生きる人間のなんとつまらないことか!代助は親の言うがままに従えばいくらでも楽に生きる道はあったのに、激情に任せて自分の意思で茨の道を選んだ。この後悔と裏腹な大胆な感情の揺らぎこそ漱石文学の醍醐味だと思う。ニートだろうが金が無かろうが親に勘当されようが、人を好きになってしまったらもうしょうがない。それでこそ人間ではないか。クソのつくほどつまらない人生を生きながら「オレはまだマシな方」と自己正当化を繰り返し、「あーあ可哀想に、あいつは堕ちたな」と他人の内心不幸を喜ぶだけが娯楽になっている人間から見れば代助の決断は大いなる愚行に過ぎないだろう。しかし私は代助のように真に人間的に生きたいと思う。
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「代助の言動はあまりに優柔不断で、やきもきした読者も多いのではないか」との考察をする感想を見かけたが、私は、やきもきはしなかったな、、、人とは、感性がずれているのか、はたまた寛大な心を持っているのか(笑)
全体主義的な風潮に対する批判として、個人の自由主義的な考えを表現したかったようだ。今も昔も、社会的な常識に従って、安全牌な振る舞いについ走りがちだけど、社会を無視した代助の考え方や行動にはむしろ憧れを持っている自分がいる。ふとしたときに思い出したい作品。 -
やっと読み終わりました…
やっぱり難しいです。
後ろの注釈と、スマホで意味を調べながら、
我ながら本当に日本語を知らないよね…と、
思いながら読みました。
面白かったけど、
高等遊民?ずいぶん前に見たドラマを
少し思い出しました。
なんだかんだと言い訳をしながら、
働かないで勝手気ままにしている。
(本人はそのつもりなし)
やはり、最後は、それから?
でした。
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「自然」に生きることの難しさ。代助の過去の一つの後悔によって現在の暮らしが歪んでいくの様子は残酷といえるけど、いまいち代助には感情移入できんかった。三千代さんがいちばん不憫。
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自己欺瞞に気付き、本心(自然)へと向かおうとするが、狂気へと至ってしまう。
理屈を述べて世間を批判するが、根底には臆病さがある。生きる理由を三千代への愛に見出だし突き進むが悲劇となる。