- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041001097
作品紹介・あらすじ
かつての親友の妻とひっそり暮らす宗助。他人の犠牲の上に勝利した愛は、罪の苦しみに変わっていた。宗助は禅寺の山門をたたき、安心と悟りを得ようとするが。求道者としての漱石の面目を示す前期三部作終曲。
感想・レビュー・書評
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略奪愛をテーマにした作品だったが、最後まで自分とはテーマが合わなかった。表現技法などには共感する部分も多々あったが、二人の関係性や心情など理解ができない部分もあった。
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新潮版の『門』も読んでいるのだけど、再読がてら出版社を変えてみる。
装丁のきれいな文庫本。(画面表示のランプのイラストも可愛いけど!)
読み進める内に、私の中では漱石で一番好きな作品であることに気付いた。
『それから』のストーリーも好きだったけど、宗介とお米の、自分たち二人だけの寂しい仲睦まじさは私には好ましくも映る。
しかし、一緒にいるからこそ世間的には後ろ指をさされる矛盾した苦しさもまた、分からなくはない。
二人だけの世界に、弟が入り、叔父の息子が関わり、家主と懇意になったところで、宗介を破綻に導く安井の名が挙がることの運命。
そうして、同じ悩みの淵には「立てない」と取るのか「立たせたくない」と取るのか、宗介は安井の名をお米には出さないのだった。
そこで、悟りによって救いを求めるため、禅寺の山門を叩く。
普通なら、ここで彼は何らかの救済や解決のフラグを立てるはずである。
けれど、漱石は動かさない。
門の前で、進むことも退くことも出来ず、ただ宗介はじっと途方に暮れている。
でも、私はこのシーンに救われるのだ。
何の解決にも救済にもならず、禅寺で過ごした時間はただの無駄だったんだ、と自嘲する宗介に、果てなく共感を覚える。
『それから』でも、『こころ』でも、己の苦悩に対し、一定の動きによる解決をはかり、エンディングを迎える。
けれど、動かない結末が、私は好きだ。 -
この作品は、『それから』のそれからといった感じで、代助夫婦を、宗助夫婦に置き換えて、その顛末を描いたような作品である。俗世の人間を厭い、婦人にさえも信を置けない宗助は、苦悩の末山奥の禅寺へ入門するが「我」を捨てることを躊躇い、山を下って元の生活に戻るという話しだ。僕は話しの筋よりも、冒頭から70ページぐらいまで続く宗助夫婦の生活描写に魅了された。これが抜群に上手い!
崖の上で世を忍ぶように生活する夫婦の姿が、小じんまりとしているがさもしくなく、二人が住まう静謐した空気とゆるりとした時間が、作品内に絶妙に息づいている。素晴らしい!これだよ、これ!! 後日、吉本隆明さんの『漱石を読む』を本屋で読んでいたら、吉本さんも同じ箇所を絶賛しておられた。小説を読んで、同じ箇所で心が動いたことが、何とも嬉しい。 -
こころに続き。なんかこころよりも読みやすかったのはなぜだろう。その他の三部作読んでないのに笑。
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https://opc.kinjo-u.ac.jp/ -
夏目漱石の破の部分にはいつも引き込まれてしまう
初めが長ったらしく必要性を感じえなかった -
漱石山房に行った翌日に読み終わった
2021.7.24 -
『それから』の「それから」の話が、『門』に繋がっていくのかと改めて思った。罪がどんなものか、詳細が語られていないのが謎で、少し難しい話だった。
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漱石の前期3部作にあたる最後の作品。
表紙に書いてあるあらすじが割とネタバレだった。まだ読んだことのない人は見ない方がいいかも。
一度道理から外れたことをすると、それを一生背負い続けなくてはならない。因果関係のない不幸も、その過ちを原因だと考えるようになる。そういうこともあるんだなと考えさせられた。