こゝろ (角川文庫)

  • 角川書店 (2004年5月10日発売)
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本 ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784041001202

作品紹介・あらすじ

遺書には、先生の過去が綴られていた。のちに妻とする下宿先のお嬢さんをめぐる、親友Kとの秘密だった。死に至る過程と、エゴイズム、世代意識を扱った、後期三部作の終曲にして漱石文学の絶頂をなす作品。

感想・レビュー・書評

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  • 学校で遺書の部分しか学んでおらず、全部読んでみたいと思い購入。
    本当に難しいです。繊細で、残酷で、登場人物の言葉一つ一つに重みを感じる作品でした。大体内容は掴めるのですが、細かい心情表現となると、全て理解するのには大変骨が折れます。今回は解説や注釈をしっかり読んで自分の解釈が合っているのか確認したぐらいです。また数年後、自身の成長と照らし合わせて読み返したいです。

    私はこれほど心悩ませる恋愛をしてきていません。臆病で慎重な私ですから、このような大それたこと出来るはずないと今は思うのですが、本当にこの人としか生きて行けないと思う時が来れば、友人を出し抜き嫁にするほどの勇気を私は得られるのでしょうか。

  • かつて親友Kを裏切り、自殺に追い込んでしまった心の傷を負って生きる「先生」と
    「私」の交流。

    美しい日本語を堪能するなら漱石に限る。あの日本語のリズムに身を浸したいと思って図書館で借りました。漱石を読むのは久しぶりすぎてすごく新鮮だったし、やはり日本語の美しさが心地よいです。
    「こゝろ」は初めて読んだんですが(そもそも漱石ほとんど読んで無い)、すごく引き込まれました。自分と先生、父の死、そして先生の遺書という三部に分かれているのですが、非常に内証的で心に響くお話ながらサスペンスを読んでいるように読み進めずにはいられない構成で楽しかったです。
    若き日に嫉妬に狂っておかしな行動に出てしまい、そのことを後々まで黒歴史として抱えて生きるということって多分みんなそうなんじゃないかと思ったりします。ふとその黒歴史の思い出が蘇って恥ずかしくて悶絶したりするじゃないですか。だもんでこの本のお話も顔を真っ赤にしながら読んだ箇所もありました。しかし最後に至る結論については悲しすぎて身悶えしました。時代的に流行りだったのかもしれないけど、彼岸に憧れを求めるのは本当に悲しすぎる。
    そんなこんなでやはりとても良い読書体験でした。今後も漱石読んでいこうと思いました。さしあたり猫のやつとか。

  • 2023年の読み初め。
    新春に読むものではないきもするが、わたしはこの本が好きだ。

    Kの死に、毎回鳥肌がたつ。
    Kの血潮は、眠る先生の顔にまで及んだのではないかと初めて思いいたる。
    頸動脈は首のどこにあって、どう切るとああなるのかを検証したレポートまで読んでしまった。

    半藤氏によると、先生の遺書がこんなに長くなったのは、漱石の次に連載予定だった志賀直哉がなかなか書けなくて、間を持たせるためだったんだとか。
    それを差し引いても長いが、つくづく漱石は専属作家としても連載作家としても優秀だ。

    当時のエゴやら孤独やらも、令和になって一周まわった感がある。
    もはや孤独は普通だし、資産家じゃなくても遊んで暮らせるし、天皇にはなんの権限もない。
    また、時代の変わり目に読もう。

  • やっと読み終えた。
    学生だった頃に読んだ本で、いままで何故か心に残っていた。
    夏目漱石は私にとっては、異分類の作家だが
    何故かこの本だけは。
    うまく表現できないが、誰しもが心の奥に持っている罪悪感というものが
    作品の中で
    おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ
    これは友を裏切った心境。
    今もう一度読み返してみて
    何故かまとまりのない感想になってしまった。

  • 誰にも見せたことのない胸の中を明かされたような気分がしてこわい

  • '22年4月11日、読了。角川文庫版では、初、かな…

    東野圭吾さんの「学生街の殺人」を読んで、なんだか幸せな気分になってしまって…なんとなく「久しぶりに」読みたくなって、再再再……もう何度目か、全く覚えていません(少なくとも、数十回、かな)が、読みました。
    角川文庫版を選んだのは、中村明さんの解説だったからです。(因みに、その解説は、今はまだ未読です)

    「ここがこう」とか「あそこがああ」とかは、語りません。でも、こころに残ったものを…

    『ペンには、つまり文学には、「力」がある…そして、「美」は、揺るがない』なんて、おセンチにも思ってしまいました。やはり、何度読んでも、巨大な感動(。ŏ﹏ŏ)

  • 夏目漱石を知らずして人生を終えていいのだろうかと思い立って、手に取った一冊

    純文学は馴染みがなくて、やっぱり難しかったけれど、紡ぐ言葉が綺麗で綺麗で、、、

    自分は、礼儀とか規則とか伝統、責任を重んじる世界観で生きているから、共感しながら読める部分は多かったと思う。

    またいつか手に取って、言葉を咀嚼したい。

    夏目漱石作品、次は何を読もうか?

  • 有名すぎて今更レビュー書くまでもないけど。笑

    これは多分昔一度読んでるなと思いながら読んだけど記憶が曖昧で、大方学生時代に感想文を書くために読んだというところだろうと推測。
    でもこの物語の深み、中高生の時に理解出来てたかな?と思った。

    「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」からなる長編。
    奇妙な友情で結ばれている先生と私。ある日先生から私に遺書が届き、初めて先生の過去が明かされる。そこには、エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が在った。

    「こうなってしまったのは自分のせいだ」と思う出来事は生きていればけっこうな確率で起こる。些細なことから、人の命が関わることまで。
    その罪の意識を抱え続けるのはあまりにも苦しいから、大抵の人はそれを薄れさせる図太さと時間に身を任せる。そして実際だんだんと忘れていく。
    だけどそれが出来ない人間もいて、先生はそういう人間だったのだと思う。
    それは物凄い自己陶酔でもあると思うけれど、本人にしてみたら逃れられない思いなのだろう。
    もしかしたら頭では色んなことを理解していたかもしれなくて、起きてしまった出来事も様々な要素から成っていて自分一人の責任ではないことも先生は分かっていたのかもしれない。でも頭では理解出来ても“こころ”が許さない。人の心は、思うようには操れないから。

    先生の奥さんは本当に何も気づいてなかったのか?とひとつの疑問。ある程度勘の鋭い女なら気づきそうな気がする。
    でもそれは男性作家の作品だから、善良すぎて鈍感な女性として描かれているのかも。

    そしてこの装丁が素敵。昔の純文学の小説がちょくちょくこういう装丁で売られてるから、ついつい買ってしまうという罠が。笑

  • 何回目かの再読。

    カリスマホストの書評に「他の男に対して威嚇し、マウンティングを取りたい先生が、お嬢さんをそのための道具として結婚する、現代においては賞味期限の切れた話」というようなこと(かなり要約したがズレてないつもり)が書いてあった。

    「高尚な文学作品」を、このように扱われると怒り出す人もいるだろうか。
    かくいう私の前回のレビューにも、内容については割と似たようなことを書いていて、思わず、えっ、私こんなこと書いたっけ?と驚いてしまった(笑)

    誰かが自分の人生を決めることが当たり前だった世の中から、自分が自分の人生を決めることの当たり前に移ってゆく。
    先生とKがその先駆けだったとすると、「私」の時にはそれがもっと敷衍していたとも言える。
    「私」にとって実父は田舎の悪習でしかなく、先生こそが新時代のお手本として、上・中は展開する。

    しかし、先生もKも故郷を失った人間だった。
    そういう意味で、二人は同じ「寂しさ」を抱えていたのではないだろうか。
    先生はKを「人間らしく」するために奮闘するわけだが、その実、二人ともきれいなまま、自分として生きることを誰かに認められたかったようにも思う。
    結局、それは恋という形で、お嬢さんに向かうしかなかったのかもしれない。

    私はずっと、乃木大将の自殺と先生の自殺に何の因果があるんだろうと、疑問に思っていた。
    時代の終わりって、何なんだろう、と。

    乃木大将は、忠君という、誰かによって自分の人生を決める時代の象徴だったのだろうか。(言い方が難しいけれど)
    先生とKもまた、そんな時代に抗おうとする一方で、個人として生きてゆくことの「寂しさ」を抱え続けてきたのかな。

    一途すぎる二人の大学生と、友人を亡くして後もきれいであろうとする先生を見ていると、今回の再読は苦しかった。
    死を選ぶことで解放される、そんなエンディングは人間に何を残すんだろう。

    作品に賞味期限は、ないと思う。

  • 生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろう…


    妻の記憶を純白のままに保存してやりたい、というのは先生の卑下とエゴだな… 私は女なので、お嬢さん(妻)の孤独を考えると、たとえ若き日の清い記憶が汚れたとしても共有して欲しいと思ってしまう。妻が「今」を生きているのに対して、先生が「過去」を生きてしまってるがゆえに起こるすれ違いだと思った。

    でも、苦しみを誰にも共有せず自ら孤独になろうとする先生やK(や漱石)に共感する部分もある。その不器用が己の弱点なのだと、頭で理解しててもどうにもできないのが不器用なんだよね。読んでてなんだか苦い気持ちになった。

    解説にある通り、この作品を読むときに問われるのは、もはや他人の人生ではなく、私の生き方の方なのだ。きっと、重ねて読むたびにまた違う響きをもって、私の心に訴えかけてくれるのだろう。

    (2020. 8. 16)


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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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